沈没編
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前回見つけたブラックホール 首里城最奥・京の内から 現代那覇に下るのは 感性的には永い道でした。 |
支出1300/収入1246
▼13.0[①043]
/負債 54
[前日累計]
利益 -/負債 257
十一月十八日(五)
1121たから屋
骨500
1717かおりそば
肉そば(やさいそば)400
1900ハイウェイ食堂
ヤギ汁450
[前日日計]
支出1300/収入1350
▼13.0[①044]
負債 50/
[前日累計]
利益 -/負債 207
十一月十九日(六)
空を超えても今登れ 真珠道

〇800、福岡離陸。
0840、高度3万8千フィートの機内で沖縄県埋文「真珠道跡」(2008)を読み耽りました。
プレ真珠道──尚氏軍用整備前のルートと想定する道──のルートは、首里城から辿っても国分方面から登っても、やはり識名園西辺りで迷いがある。石田中学校・識名小学校の西付近で方向を間違うと、見失う恐れがあると感じます。

着陸前の南部周回中、何と久高島が30秒ほどはっきり見えた。これは初めてだと記憶します。──見逃してたんでしょか?
0950、那覇空港着陸
1019、ゆいレール乗車。何だかんだと時間がかかります。
赤嶺から小禄の右手東側はよく見ると確かに小さい丘が連なる風情。あれが豊見城だろうか?しかも……小禄からの下りは結構急です。前にこだわった御嶽の南側にも、もう一つ丘がある。
奥武山公園駅から真東の尾根もかなり高い。与儀タンクがあの辺りでしょうか。小禄高校。旧那覇港が何となく幻視できる気がします。
「さあ,沖縄はこれからだ!」というANAの車内広告。
旭橋駅南西に御物城跡の岬をはっきり見る。──今まで気づかなかったのが不思議なほどに特徴的な地形です。
ゆいレールはほぼ満員で立ち客多数。この時間で?
美栄橋をたからの骨へ折り返し
1039、美栄橋。コインロッカーにリュックを投げ込んで引き返す!
──別に取り憑かれてるわけじゃない。今回はお題通りに首里城奥へ行きたかったのです。でも同時に、骨も喰らいたかった。
エスカレーターに乗ると……ええっ!前のオバアが匍匐前進並みの歩速。ギリギリで空港行きを逃したけど、まあオバアだからね。ホテルに隠れかけた高島易断。1044、ナイクブ古墓群とジュンク堂を撮影。

ジュンクの看板見てて……紙媒体バスマップをゲットし損なってることに気づくけど……まああまり関係ない。今日はもうタクシー覚悟です。
ゆいレールオルゴールに時々混ざってる……この新しい電子音の多い曲は何だろう?
1059、赤嶺。ひーん!11時過ぎるよう!

1111、さらりと天気雨。ちょっと熱気を冷まして──
まだあった〜!
1121たから屋 骨500

後ろ席が頼んでたけど……骨汁の大ってのがあるらしい!でもここのコッテリ感……いや食えんだろ、余程腹の調子よくないと!


たから屋から赤嶺駅への難地形
帰路──1223。ゆっくり歩くと20分かかりました、たから屋-赤嶺間。
海側には高所はないけれど全然面白くないし、さらに……照り返しが暑い!
道の海側はほぼ軍用地。バス停はやはりない。具志営業所まで行けばあるらしいけど……たから屋からは半端に遠い。タクシーも来ない。
久しぶりに汗腺が開いたところで──いざ首里城!

まんが倉庫前に古そうな川。
そうか、赤嶺駅の西側空港方向もすぐに小高い高地になってるのか。どういう地形なのか、凄く読みにくい。


11237ゆいレール、本日三度目の乗車。
小禄でやっと座れた……。
これだけ病気みたいに沖縄に通ってて、首里城は何と三度目です。沖縄通い最初の頃と、家族旅行で行かされた時、それから遥かに過ぎた本日。
まあ……不謹慎な言い方をすると本殿焼失後、しかも平日です。好機ではあるわな。
ポケットには(スマホ以外は)埋文資料付録の地図三枚。逆に言えばコレしか持ってません。
上の毛 首里城前のスリの城
:首里駅~京の内 ※京の内直前の実際のルートは本文参照(通行禁止のため)
首里下車、1306。
んーと?意外に道に惑う。1308、鳥堀交差点。大通りから右手斜め?いや通れるかどうか不安です。もう少し先へ。

1316、JA沖縄前から左の坂を登ることにする。これが「上の毛」になるはずです。
上の毛については、往時の利用形態がほとんど知られていない。上の毛は、首里城が王城として整備される以前は、”グスク”として存在していたが、城の整備が始まった段階で,その細長い丘陵を城郭内に取り込むには、利用・管理上難があり除かれたと考えられる。ただ、丘陵からの敵の攻めにたして(ママ,推定:対して)城の構えが弱いので、東端の”カタノハナ”には出城があったのではないか。〔案内板〕
──なので先述「首里の生まれた時空」ストーリーでは、ここを尚巴志軍の第一期砦と仮想してみました。

1326。尾根に入ったけどまだだらだら登る。
間違いなく首里城なのに──この方面は恐ろしいほど無人です。
1328、三叉路。左へ行くと西側に出る。右へ行く。
小さな御嶽のようなストーンサークル。

下り階段?ならなぜ登らせたのじゃ?……いや、こういう原地形で、軍事的にあえて残したのかも。
でも、この下り階段からの光景は好かった。


成るほど!上の毛東側は崖になってる。小規模なら、それなりに砦の条件は満たしてる立地です。1335。
首里森の御嶽を通り過ぎかける

1340、久慶門。ここが一番京の内には近いけど……まあ入ってみるか?
案内のおじいに訊くと……行けるという。T字路を左折、また登り階段。
瑞泉門。
1346、漏刻門。
1348、廣福門。通り抜け可と書いてあるので入る。
別に天邪鬼なわけじゃなく……宮殿側とは逆に右折。西のアザナとある方へ……おいおい、通り過ぎてるぞ!
1354、首里森御嶽(遙拝所)へ戻る。

→後掲首里城/上江洲論文内10枚目p11掲載図∶参考 1 「首里古地図」首里城部分拡大写真
丸角の石垣がきっちりとりまき、全く中は確認できない。外から見えるのは、後代に綿密に修復されたらしい岩造りのみ。
中の樹木(ガジュマル)もそれほど古くはなく、焼けたものと思われます。



1359、京の内案内板。結構あっけらかんと入れます。左折西行。
けれど──入るとすぐに別世界!5度ほどは、体感温度が下がります。
【京の内】スタート地点の森へと神無月

三叉路。
時計回りに行こう。左へ。
1403、門。四叉路。左は御嶽っぽい。1404。

中にイビはなく、石垣が囲うのみの御嶽です。
──現・本島御嶽のような「構造」がない。中部のテラや北部のアサギ、喜界のムヤに似たシンプルな触感があります。

1408、上にグスク状のものがあるけれど「地面が濡れ転倒の恐れがある為」通行禁止。
──なぜここに?と思ったけれど、多分すぐ南は識名園側への急坂。京の内が弱点にならないよう砦を設けたのでしょうか?あるいは「呪術的防御」用の祈祷場所とかでしょうか?

四叉路に戻って右へ。
あれれ?西のアザナに出てしまった。再度引き返す。
ワシには霊感はありません。ないけれど……空気の冴えを感じます。


内部リンク→FASE92-2@
/京の内-金城橋
/金城橋-長田
/長田-三原
/寄宮-与儀

〉〉〉〉〉参考資料
※首里城公園 URL:https://oki-park.jp/sp/shurijo/7712/10071
PDF URL:https://oki-park.jp/sp/userfiles/files/shurijo/r6_01.pdf


