▼▲四叉路に戻って右へ。
西のアザナに出てしまった。再度引き返す。霊感はないけれど空気の冴えを感じる。▼▲
木曳門のおじいに石畳への道をきく。「暑いしかなりハードですよ!」と脅される。
門の外に……琉球大学跡碑?隣には「史跡首里城跡」という文字が掠れた石杭。完全に不明。
1427左折,駐車場へ。真珠道の碑をとうとう見る。
ちなみに真珠湊碑文はさっきの木曳門下を右だったらしい。スルー!
真珠道碑を左折,京の内の裏まで回る。
1436バス停・首里城南口。口,ねーじゃねーか!
だけど──キャッスルマンション首里。この辺りが真裏だけど……京の内からは崖下になってる。
バス停・金城町。やはり三叉路を回るしかないか。地勢的には山から出口がある雰囲気はあるのだけれど……。
1445三叉路下側の城下保育園手前の階段を選ぶ。左折,下降。
1451眺望。
段違いの下の道へ出てみる。1455
20度はある坂道に出た。右折。これが、雨乞い御嶽直下になるはずです。
「この先行止り」とあるけれど??行け!
1505やはり車は行止りだけど歩きでなら抜けれそうです。直進。エンゼルハイム首里金城町
1510凶暴な下り道を下りる。行手,南には巨大な丘。金城ダム隣友会自治会掲示板。
1513デザートラボチョコラート。金城四丁目バス停。右折西行。ここから0.5kmズレる必要がある。
バス停石畳前。この金城川というのはどす黒い川です。深い谷底を黒々と流れる音だけが響く。川岸の基層は相当古く,継ぎ接ぎで川を御そうと苦闘してきた感じです。
金城橋と識名平(ナカグスクバシとシチナンダ)
金城橋は,琉球王国時代,首里・識名台地の間を流れる金城川に架けられた橋である。橋の創建年は不明。1677年に木橋から石橋に建て替えられた(「金城橋碑文」建立)が,1809年の洪水により損壊。(略)この付近は,かつて金城川を遡って船の往來があった頃,宮古の人々が,海上安全を祈願して川岸の洞くつに魚の形を刻んだという伝承から「魚崎原」(イユサチバル)という地名(略)が残っている。
〔案内板〕
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