※壺屋焼物博物館まで
1237バス停・神原,壺屋交差点▼▲
少し路地に入るか。1241散髪屋SABIの向こうを右折。坂の上から左折して細道へ。
出たアスファルト道を右折北東行。その先のT字を左折。ad.壺屋一丁目19
1250三叉路。左へ。
駐車場を横切ったら民藝与那覇の前に出れた。
1258壺屋焼物博物館。
壺屋は
①首里城に近いため管理しやすく,
②近くからは陶土が採れ,
③登り窯を作るために必要な斜面地もありました。また,
④海や川に近く,材料(陶土や薪)やできあがった製品を船で運ぶのにも適していたため,
この地が選ばれたと考えられています。〔案内板〕※丸付き数字は引用者
ケンディーはタイでは仏具として使われます。沖縄から九州南部にかけて,泡盛や焼酎という蒸留酒の文化とともにカラカラと呼ばれる酒器が使われるようになります。〔案内板〕

ニシヌ窯は,明治末まで存在したといわれますが,その場所については特定されていませんでした。ところが,博物館の建設工事にあたって,予定地から窯跡が発見され,発掘調査によって1号窯・2号窯・3号窯と,3つの窯跡が確認されました。そのうちの3号窯は,明治末まで使用されていた登り窯であると考えられています。〔案内板〕
裏手のガラスの向こうがニシヌ窯でした。
3階特別展「湧田古窯展」那覇市立壺屋焼物博物館
焼締ボージャー厨子(1682年頃)
湧田古窯群の位置は要するに県庁泉崎交差点角。
湧田窯と南京の窯との類似性
19世紀後半に描かれた「首里那覇図」には,湧田窯と思われる場所に窯と煙が描かれています。湧田窯の廃窯時期は,現在のところまだわかっていませんが,壺屋統合後もしばらく稼働していたと考えられます。〔案内板〕
(地点)
1352希望が丘公園外周,大階段下へ曲がりくねった階段を進むと
コンクリート。「1964年7月20日」の手書き記名の井戸の上に確かに「水神」と書かれてる。隣にガジュマル。花笠食堂裏。
桜坂に「しばらく一見は来るな」貼紙
(地点)
農連市場へ行こうとしてたんだけど──
大平商店街。大分新しく店が出来てる。
こんな店あったっけ?ここもTシャツ着た新しい雰囲気。
1656やぎ料理 はな
やぎ汁450
1300円だけど,この時間から出来上がってるおじいが喋りまくってるけど──カウンターから離れた席があるし……。
一度入ってみたいぞ!
なかなか変わってる……臓物的,というんだろうか。古い沖縄人からすると素人的というのかもしれないけれど,韓国的な臓物煮としてはとてもよく出来ている。いや,広島の田楽汁に似ているのかもしれない。見よ,次の皮めいた網タイツ模様!臓物好きにはたまらないヤギです!
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