FASE107-1@deflag.utinaR412withCoV-2_BA2#神アサギ過ぎる五月の黒猪\比地アサギ登り

※過ぎる:よびる 黒猪:ちぎれぐも
※本句 革靴に流るる七月の黒猪 今治西
※黒猪 「ちぎれぐも」ではなく「くろっちょ」と読ます。
 

名護十字路北西辺りの路地にて

[前日日計]
支出1300/収入1270
    ▼13.0[①151]
  /負債 30
[前日累計]
利益 -/負債 197
四月三十日(天)
1320伊差川食堂
Aランチ750
1445新山そば
フーチバーそば300
2000なかむら製菓
シュークリーム170
紅芋タルト250
[前日日計]
支出1300/収入1470
    ▼13.0[①151]
負債 170/
[前日累計]
利益 -/負債 27
五月一日(一休)
▼▲
0759為又
0806名護十字路
0908同
0951奥間

0806 76番が来た。名護十字路まで乗る。

名護十字路西の朝のアーケード街

自転車を4日借りる。普通のママチャリがゲットできました。いつもは出払ってたんでしょか?
曇天。霧雨が舞ってるけれど雨雲レーダーには雲がない。完全な快晴は明後日になる。北へ向かうか。 
最早馴染み深い名護十字路東側バス停。写真右手ビルに小さなバーが沢山入ってる。

0908名護十字路から67路線。──西隣りの雑居ビルのスナック「RED LINE」から徹夜で呑んでたらしき若い集団が嬌声を挙げつつどやどや。日曜とは言え9時だぞ?
0910バスは割と遅れずに来ました。
中区。大北。大北二区。
この区のある一帯は戦後の住宅割振りの跡ではないでしょうか?
アナウンス──なんくる内科。真喜屋らしい。聞き間違えじゃない→URL:https://www.nanklenaika.jp/

伊差川食堂,初めて視認。
振慶名入口(ぶりけないりぐち)。

「なんくる内科」全ての患者にこの駄洒落を言うことが規則化されている(想像)。

真喜屋。なんくる内科の幟を激写!
稲嶺。曇天の下の暗い海。ただ白波は,無くはないけどごくまばら。
道の駅大宜味。「青年隊6km」の矢印?何があるのか怖くて行く気になれん。
根路銘(ねろめ)。ニャロメの兄弟?
0959奥間ビーチ入口下車。道の駅ゆいゆい国頭。着くと同時に降りだした。山肌が完全に煙ってる。
わざとやってるとしか思えない雲の配置

気象協会HPでは丁度大きな雲が真上にいる。一,二時間で通り過ぎるはずだけど……。雲の動きはそうは見えない。
ヒージャーバーガー1200円也

ヒージャーバーガー?山羊肉と山羊チーズ入りらしい。喰えるのか,んな強い味のバーガー?しかも1200円!
1014少し霧は引いた。行けるか?
一応「まるひら食堂」に電話して開店を確認。「ええ,今日は特別にやってますよ。GWは少しズラしてます」よし行くぞ!──と観光協会に駆け込むと──
「今日は天気,このあとずっと悪いんでお休みさせて頂いてます」ガクッ!
目標変更:奥間集落東側山手へ

すぐ,帰路のバス時間チェック
1034 1124 1234 1304 1344 1444
16便

1027バス停南から東行。
田んぼからコウノトリが飛び立つ。
生きた山羊が家族と戯れる路端

おおっ生きた山羊が道路傍におる。
南側・特徴的なフタこぶっぽい山。後掲角川にあるチンノウガミだと思う。

比地本橋から東方向の煙る山々

1036比地本橋渡る。神々しい土地です。川は奥間川とある。
道路から北方向,集落の西側へ連なる広い田。後掲角川にあるウクマターブックヮ(奥間田圃)でしょう。

集落らしい影が見えてきた。

1040集落が見えてきた。
1041十字。直進。
比地集落

玉城の森手前の三叉路

1044字比地とある──これは境石でしょうか?

下部の祠
いや「登校団集合場所」とある。出発時間まで書いてある。
上部の「集合場所」表示。おそらく通学バスのでしょう。

神アシャギの矢印が右を指すけれど,あえて左手へ。
比地の小玉森と看板。

この地域は,琉球国由来記には「小玉森」と記されていますが,地元では「アサギ森」と呼ばれています。中央に神アサギがあり,旧暦七月のウンジャミなど重要な祭祀の場所で,古くから拝所として大切に保護されてきた聖域です。〔案内板〕

比地・玉城の森の野道。雨上がりなので足元も滑る。

1050登る。
二股。野積みの石垣があります。
野道脇の石積み

とりあえず左手へ。
右手に階段,その上に「覗くな」ブロック塀。
ブロック塀で正面を遮られた看板

塀右奥に祠

塀の右手奥に社。近づかず二股へ戻る。
さらに二股。右手の「南広場」と書かれる方に,下部へ向かう,入口の塞がれた道。
渓流跡か参道か分からない。崩れて立ち入り禁止になってる。(後掲角川にある山口神社への専用参道か?)

元の渓流を道にしてるのかもしれないけれど……1100。
三叉先の祠

その先に社。内部は段に白磁一つ
左手を登る。
二つ柱を仰ぐ登り道
 
1106二つ柱。聞いたこともない鳴き声「ひーどろろろろ」を放つ鳥
蜘蛛の巣二つを潜る。蔦に埋もれそうなシーサー。
入口左手に小さなシーサー

▼▲
1109着いた。案内板あり。

■レポ:▼▲

 奥間ターブックワ(田圃)は、北部西海岸の大きな稲作地帯であった。辺戸岬から本島西海岸を南下していくとき、最初に突き当たるのが奥間の西方に出ばったアカマル(赤丸)崎の突起である。西海岸沿いにここに辿り着き上陸した往古の人々は、鏡水の浜にかけてのイノーを海の畑、すなわち生活空間として活用しながら、比地川を辿って流域に稲作地を拓いていったと思われる。比地川を遡った突き当たりの小高い杜をアマングシクという。アマミクの造ったグシク(生活跡地)の意であろう。〔後掲沖縄の祖神アマミク〕

(続) 奥間・比地では、稲作を伝えた神の名をアマミクと伝承している。アマングシクの南側には神が天降りをする小玉杜という御嶽があり、海とかかわりの深い神祭りのウンジャミ(海神祭)が営まれる。小玉杜のすぐ脇にはアマミクの宮(通称山口神社)があり、その南斜面を降りていくと、ミルク田と呼ばれる神田がある。集落の伝承は、そこでアマミク神が集落の長老に稲作を伝授したと伝えている。比地の村芝居で語られるユングトゥ(誦み言)は、耕地を拓いて行なう稲作の手順を季節を追って述べ、神酒をかもして神祭りをするという内容で、豊穰予祝の神歌の典型である。奥間・比地集落には、祖神アマミクの記憶がきわめて鮮やかに焼きつけられているのである。〔後掲沖縄の祖神アマミク〕

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