FASE112-2@deflag.utinaR412withCoV-2_BA2#栄いしや何やがいびがなしくさて\照屋城

兼城拝所マップ(3画像)
[1/3]拝所リスト(再掲,以下2枚同)
[2/3]拝所マップ北半
[3/3]拝所マップ南半

兼城の肌色の旧家の屋根

白と肌色,空に溶けそうな瓦の民家
▼▲この辺りが根屋ということか。
名残を惜しみつつ1129左折。▼▲
1136鞍部のトップへの坂

コンクリートから突き出した野草の咲くトップを過ぎて少し食い違いの下りへ。
風に回る風車とシーサーの坂道

野花の噴出する鞍部トップの道

野花の噴出する鞍部トップの道(食い違いの先)

1146「ディラガー(照屋井)方向への通り抜け出来ません。」ええ〜!聞いてないよ!!(部外者だからね)
この照屋井の方面こそ,今回の行程の最大の目標だったのですけど……
通り抜けできません!!!


照屋井方面の橋から先の道(上部中央)を遠望。この途中が工事で寸断されているということですね。

ただこの照屋グスクというのは兼城どころじやまない大きさです。確か沖縄戦でも激戦地になった場所。
照屋城方面。確かにかなり下流まで大規模な工事の真っ最中。

しかし,となると──北へ大回りしかない。
1150北東行……いや南西の方がいいか。
「地すべり危険箇所糸満兼城」マップ。赤線の「И」字の右下(中央下部)がこの時目指した兼城橋。

1154地すべり危険箇所糸満兼城のマップを撮影。
金物の物干し竿に似た鳥居

なぜか金物の鳥居。「[13]兼城ドンドンガマー・スムガーブンギン」
正午の鐘
「スムガーブンギン」御嶽,だと思う。

数段石段を降りて正面はおそらく御嶽。祠はないけれど石垣だったらしき構造物。
入口から右手のガマ

右手にガマ。手前に香炉。洞窟は左右に伸びているようで、右手下にも祠がある。
左手下部の祠。ただし,ちゃんとした階段はないので望遠。

暗くてわからなかったけれど,左手は――――

左側のガマには石柱の柵が設けてあり,その中には逗子甕(ずしがめ)が置かれている。かつては鎧もあったという。
 この兼城ドンドンガマは字真栄里にあるドンドンガマと何らかの関係があるという人もいる。また,スムガーブンギンは〈スム〉が管理していたといい,〈スム〉のおじいさんが「クラサン(暗い)」と言うとガマの中が明るくなったとも伝えられる。
 集落外から拝みに来る者も多く,個人で仕立てた香炉があちこちに置かれている。ガマの入口の鳥居も字外の人が許可を得ず立てたものだという。〔案内板〕

今,スムガーブンギンへとイタチ殿が駆け込んで行きました。

「集落外から拝みに来る者」というのが不思議で,どうもこの兼城というエリアは,閉じているようで開いている,クラインの壺のようなイメージを感じました。前頁の幸地のアサギの昭51寄付者を想起してください。又は,前々回の国場の形成史(→m19Km第三十波mm3楚辺の路地裏@B面 (ニライF71)/彼方より国場に寄れる十二氏)を思わせます。

方言ではカニグスクという。沖縄本島南部に位置し,報得(むくえ)川河口に臨む。(略)かつて報得川河口に奥武(おう)という島があったが,現在は地続きになっている。段丘とその周辺には,沖縄考古編年前Ⅳ期の兼城貝塚と前Ⅳ・Ⅴ期の兼城上原遺跡,奥間城跡・兼城城跡やスムガーグンジン(下川権現)・シラタキがある。門中は近隣の潮平・座波・照屋から移ってきたものが多い(沖縄民俗16)。集落の移動はほとんどない。「おもろさうし」には「かねくすく」と見える。〔角川日本地名大辞典/兼城〕

(再掲:幸地のアサギ昭51寄付者)
波平腹門中 今帰仁腹門中 小禄新地門中 高嶺腹門中 高安腹門中 西門腹門中 大屋腹門中 赤嶺腹門中 仲添腹門中 小禄前ン白腹門中 新門腹門中 宇栄原天保門中 宇栄原新屋敷門中 宇栄原新門門中 宇栄原桃原門中 その他個人

シーサーと石敢當と糸満市指定ごみ袋

1220報得川を兼城橋で渡る。
左へ行くと思った以上に高台になるけれど,いーばる家に電話すると「開いてますよお〜」と温かみのある声が帰ったので,500m頑張ろう。左へ東行。
1229糸満小学校
糸満高校。つまりこの辺りが学園タウンになっている。

糸満具志頭線起点「0」の坂

1243糸満具志頭線起点
店の正面対面のバス停に那覇行きバスが停まるらしい。
No.446 1317 1337 1407 1437 1457

今回は並ぶ回です。
いーばる家は結構な大きさで,予約書きには十数組が前にいる。幸い椅子に座れるから,書いて座り込む。「スペシウム光線ビ〜」と騒ぐガキがおばあが甘やかすもんだから,客全員に光線を浴びせてくる。
次の攻撃「アイスラッガー,ビ〜」をやり始めたけど,あれは光線じゃなくて物理媒体の破壊力である。君はウルトラマンを分かっていない,と説教を始め……る訳にはいかないので,アイスラッガーを受けつつ待つ。

アイスラッガーを含む「八名様」が行った後は,三人のガキが庭石を突き回してる。それをあやしてるお母が「石タワー造ったら?」と……何で挑発する?3匹が必死で石タワーを構築し始め,倒れては「うぎゃあ」と騒ぐもんだからもう動物園,全然ゆっくりはできん。
「五名でお待ちの」石タワーファミリー様がやっと店に消える。
と?結構早く呼ばれました。

いーばる屋 中身汁定食

1311いーばる屋
中味汁定食(本日のおかず:ゴーヤチャンプルー),ジューシー変更 550

骨も残ってた。完全に骨があるから来た店なんだけど,雰囲気プラス売りらしい中味とゴーヤチャンプルーがどちらも喰えるのでつい転んでしまいました。
さっきの八名アイスや五名タワー家族は座敷へ上がってて,そっちは広くて割と遠いので窓際の一人席は意外に静か。島唄がアナウンスにぬるりと流れる。
団体様やファミリー様ばかりかというとそうでもなく,一人客もぱらぱらと座ってる。地元のその辺からちょっと出かけて来ました,という風情。
好い店です。

至高のゴーヤチャンプルー

味には,かなりショックを受けました。
まず手をつけたゴーヤチャンプルー。えっ?と思うほど旨い。ゴーヤの苦味はそのまま苦いのに,ポークの脂身もそんなにドギツくはないのに,じわりと味覚が絡まり合う。意外なことに玉ねぎの切れ端がべらぼうにいいアクセントになってる……のは分からないでもないけれど,この異様な完成度は何なんだ?
持ち帰りたい「じゅーしー」

 次にジューシーへ箸をつける。これはもう,まるで分からない。しいたけとタケノコが効いてる気がするけれど,中華ちまきの中に入ってる豚のラードでギタギタの飯ともまた違って,汁の染みたタイプ,そういう意味では「和風」なんですけど……。お土産にしたいほどでした。
孤高の中身汁

 さらに主役にあたる中味汁。モツ,白コンニャク,しいたけと彩りを全く欠く灰色の具材なのに──荘重というんだろうか,台湾の四神湯に近い重振動の味覚が口内に広がる。口に入れた瞬間もそうなのですけど,モツを噛み締めていくと例えようのない旨味が鼻腔をくすぐってきます。
いーばる食堂裏手の光景

方言ではムクリガー・ムクイリガー・ムクイルガーという。河川延長10.30km・流域面積17.62km(^2)で,河口から7.50kmが2級河川に指定されている。大里村の湧稲国(わきなぐに)の丘陵地を水源として東風平(こちんだ)町東風平・世名城(よなぐすく)を南西流し,糸満市に入って流れを西にかえ,豊原・与座・座波・大里・照屋・兼城(かねぐすく)の字界をなして埋立地の西崎町5丁目で東シナ海に注ぐ。上流の湧稲国から豊原橋(糸満市豊原)付近まではおおむね平坦な粘土風化土壌(ジャーガル土壌)地帯を流れ,河川幅3~5m・深さ1.5~2.5mであるが,80~100mm程度の降雨量でも氾濫しやすい。流域はサトウキビ栽培振興地帯で,土地改良に伴い,河川整備が進められてきた。この部分では川の名称はなく,特にヘンサ橋(東風平町東風平)から上流では各字の名称を冠した水路として取り扱われる。豊原橋から兼城橋(糸満市兼城)付近に至る琉球石灰岩地帯では,石灰岩台地を貫流する小渓谷を形成し,谷底も広く,谷壁も10~20mに達する。しかし河川整備は不十分で荒廃している。〔角川日本地名大辞典/報得川〕

(続)照屋の報得橋東側の小丘にある石碑の報得橋記は康煕10年(1732)の建立で,「兼城之東数百歩之地有長江焉名曰報得」とある。これは同年,従来の木橋にかえて石橋を架けたことを記したもの。下流では兼城橋以西の埋立てにより河口は1.7kmほど北へ移動している。この兼城橋付近から国道331号(埋立て前の海岸線付近)までの間に沖積地がわずかに見られる。〔角川日本地名大辞典/報得川〕

(続)かつて三山鼎立時代には兼城橋付近まで舟が出入りし,左岸の琉球石灰岩の断崖上に照屋城が築かれた。南山(なんざん)により行われた対明貿易の拠点はヘーンガタ(南潟)の稲嶺や屋古の港と,報得川河口であったといわれ,河口付近にはトーシングムイ(唐船小堀)・トーシンウタキ・トーシンザキなどの地名が残っている。また河口のティンマガー(伝馬ガー)は,第2次大戦前に国頭(くにがみ)地方から薪炭・木材を運ぶ山原(やんばる)船の寄港地としてにぎわった。〔角川日本地名大辞典/報得川〕

照屋バス停といーばる屋 ※沖縄語の「いーばる」というのは日本語の「威張る」とは関係ない,何か良い意味らしいけれど,未だにどうしても分からない。

1409照屋バス停から那覇行きバスに乗る。
20m近い段差でぬぼっと流れる報得川を越える。
1444那覇BT

少し迷ったけど5番乗り場からNo.77名護行きに乗車。寝てたら名護に帰ってしまうから注意。

今や「沖縄名物」だと思われている会社に配慮したバス停名変更

バス停・牧港が「牧港ブルーシール本店北側」に,第一牧港が「ブルーシール本店前」に変更されたらしい。金を盛られたんだろか?

県庁北口から久茂地交差点。ここからはR58でまっすぐ。
みかど休。ハイウェイはやはり閉店。我部祖河食堂の幟多数。キロ弁も閉まってる。
さて……ルビーは開いてる!

「沖縄新華僑華人総会日本広西同郷会」

1528天久下車。
「沖縄新華僑華人総会 日本広西同郷会」?
――――ググると「沖縄新華僑華人総会」は一般社団法人(住所:那覇市安謝二丁目)で,「日本広西同郷会」とは別団体。ただし,この2団体が2016年に中日橋心基金委員会を構成しており〔(一社)沖縄新華僑華人総会HP URL:http://www.onca-okinawa.com/〕,おそらく,沖縄社会に根強い旧勢力たる久米系華人に対する新華僑集団です。

2016 年度中日橋心基金
      中日橋心基金委員会
      沖縄新華僑華人総会
      日本広西同郷会
      会長 (個人名)
「中日橋心基金」とは、中国と日本の架け橋になる心という意味を込めて 2016 年に設立されました。沖縄新華僑華人総会と日本広西同郷会から構成される中日橋心基金委員会による基金です。当委員会の目的にかなった日中国際交流促進事業および経済、文化、芸術、教育、研究などの様々な分野で日中友好活動を行う個人・団体に対して毎年基金審査委員会による審査・面接を行い、厳選したうえ決定・給付いたします。〔同HP上の基金申請書〕

 あれ?不敵な笑いの人形2体は撤去されてしまったのでしょうか?もしかして「不敵すぎる」と苦情があった?
1530ル・パティシエ ジョーギ
新都心ロール(チーズ)370

「土地」「家屋」「軍用地」

「『土地』『建物』『軍用地』求む ○ー○企画」固定資産税の種別は土地・建物・償却資産だけど沖縄では違うらしい。
さてここが大体,R58の天久トップ。何をやってるかというと,新都心ロールの長い箱を持ったまま,徒歩で国際通りまで帰ろうとしとるのです。しかも途中でビバークもする。
ルビーの牛肉にんにく炒め

1604 軽食の店ルビー
牛肉ニンニク炒め650

「カレー炒め」も食べてみたいといつも思いつつ,前田食堂に行けなかったシーズンにはどうしてもルビーのコレに手が出てしまうのです。
求む!「前田食堂那覇店」!──でも名護でもアップアップだから,共同経営者でも出ないと無理てましょね。

創業60周年!!

祝創業60年の花飾り

店の前の生け垣に座った男が「来年,政府は滅亡するんですよ」とケータイで主張してる。うーむ,政府が滅亡するってどういう状況だ?先例があったら教えて?てゆーか,「私たち来週滅亡します!」とか言えたらどんなに楽か,と思ってる国家公務員は多いでしょね。

バス停泊高橋と対面のスズキのバイク屋さんとその他

バス停泊高橋(国際通り側)。この両サイドに2軒もレンタルバイクの店がある。マーケットが変わりつつあるんだろか?

ちなみにその上の階は「ビデオレンタル ファンタジア」と「麻雀倶楽部 ドラドラ」。開店するに当たってもう少し考えた方が良かったね。

1644のNo.120かどうかわからない120番が1704に来たので乗る。荷物がなければ歩いた方がずっと楽です。

一応ジュンク堂へ行く。やはり高ッかい専門書を購入する羽目になってしまう。一応国際通りと沖映通りの交差点のスタバにも入り,野外席で過ごしました。これはやることになっているので,仕方がない。

一応国際通りの写真。しかしまあ……だんだんバンコクのカオサン通りみたいな「レトロパーク」化してますね。

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