023-1丸亀平野\丸亀市-多度津町\香川県

献句
雨に追われて走るレンタチャリ
【本句】朝焼を連なつて来る夜行バス〔名古屋A〕
D「朝焼の静寂の中の連なりを丁寧に描写」「『朝焼や』と詠嘆すべき?」「『来る』が各地から集まったという情景を生む」
蔵田「『来る』で作者がバスに乗っていないことになる。感動から遠くなる。」
~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)

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丸亀移動前,房前・道の駅むれへの登り口にて。中央の木の葉は蜘蛛の糸で浮いています。

讃岐山脈を底辺に半円形をなし,山脈から流下する河川に沿って形成された大小の扇状地状の三角州からなる。東から香東川のつくる高松平野,土器川と金倉川の丸亀平野,財田川と高瀬川の三豊平野などに分けられる。畿内に近いため開発は古くからすすみ,近畿地方に匹敵するほどの条里制が発達したことをうかがわせる碁盤目状の道路網や農業用水路網が残っているが,降水量も河川の集水面積も小さいことから干ばつ常襲地として水利の苦労が続いた。〔世界大百科事典内/讃岐平野←コトバンク/丸亀平野〕

1459宿(7階)からアーケード越しに丸亀港側を見る。

1500常宿になったスーパーホテルに荷を置き,レンタサイクルで出発。曇天,小雨の予想。

1509少し高架脇を進んで線路の北へ。ad.塩屋二丁目10から脇道へ。

1511塩屋二丁目路地へ

祭囃子。御旅所の準備をする軒先。
1513塩屋二丁目の路地にて

やはり道に左右の揺れあり。
1514塩屋二丁目の路地の左右の揺れ

1514ad.二丁目7
揺れが極端になってきた。
二丁目6から三丁目4,右は5のY字。ポストあり。
1517Y字分岐:ad.二丁目6から三丁目4・5

右の広い道へ。濱谷編物学院。
本願寺塩屋別院。大きい。
正面の「大型車は通り抜け出来ません」の看板の道へ。1519
1521三丁目12付近の路地の緩いS字

ゆるいS字湾曲。ad.三丁目12。家屋の造りが古い。旧海岸線と感じます。
1523S字路地の古い感じの家屋

1524ローソン前の片道二車線に出た。もう岡じまの北です。直進するとさぬき浜街道で橋になるけれどそう高くもなさそうです。
1530金倉川を渡る。

1530金倉川。河原は黒い砂利。ここより海手は工業団地。丸亀側は山手もだけど宇多津側はそうでもなさそうです。畑が多い。
1532金倉川の橋から多度津方向

四条川、那珂郡に在り、源を小沼峰に発し、帆山・岸上・四条を経て、元吉山及び与北山を巡り、西北流して、上金倉に至り東折し、横に金倉川を絶ちて土器川と会す、
金倉川、源を満濃池に発し、西北流して五条に至り、横に四条川を絶ち、金毘羅山下を過ぎ北流して、西山・櫛無・金蔵寺を経て、四条川を貫ぎ下金倉に至り海に入る〔中山城山「全讃史」1828←後掲瀬戸の島から〕

ここからは四条川と金倉川は蛇が絡み合うかのように丸亀平野を流れ下っていたことがうかがえます。四条川は櫛梨山と摺臼山の間を、金倉川とともに下り、そして上金倉で流れを東に変えて、土器川と合流していたというのです。〔後掲瀬戸の島から〕

丸亀平野北部の河口部〔後掲瀬戸の島から〕

1535多度津町の領域看板。手前の斜道へ左折。
道は真っ直ぐ。水路にも石垣等なし。地図を開く。
1540真っ直ぐな道ながら筆の隅にやや古い構造が目につく(写真は右手に石杭のようなものが生えている)

1541金丸整骨院
デイケアいるか。1543
1542ひび割れた田から山手方向

しおかぜ病院で患者用のお囃子のご披露
れんが屋(定休日)。1545左折南行。
シルバー農園。もう一つ向こうか?
線路手前,ユニコムの工場に面した側の路地へ右折西行。
道は整然直線美
1550畑の中に「氏子中」

畑中に「氏子中」と文字の見える石祠。西面。1550
水路を越える。左手に幟。左折。
1553水路から春日神社方向

「春日大明神」「天満宮」の提灯が下がる。
1555春日神社鳥居外から正面

「昭和三年三月 春日神社 天満宮 合併」という石碑があるからそれまではどちらかだったらしい。ただ酷く傾いでる。
北に土蔵。
1555合併碑と土蔵

その隣の曖昧な位置に小さな祠。こちらが先住神でしょうか?南面,つまり海を向いてる。
1602春日神社参道途中から左手の社(無記名)

榊の供え,今月付けの記載の御神燈。米塩の供えも素朴ながら正統。
1605正統な供え物

1607水路の道に戻り直進西行。
線路沿い。ad.堀江二丁目1。南側に青紫の昼顔
1611線路沿いを進む

1514T字に突き当たる。時間はないけど右へ。
弘濱八幡の幟

1616八幡宮。幟には弘濱八幡と読める。
1621弘濱八幡宮正面より

正面に対聯。右「天心照顧顕三百戸」左「神徳巍○千餘年」
参道途中,右手に無記名の社

正面右手に無名の祠。榊あり。神体は岩,手前に鳥居。南面。1623
1624右手社の祭壇

正殿は90度違う変な方向を向いてる。それにえらく地面が高い。砦かも,と疑うには微高地だけれど。
1633宮北からいよいよ町へ南西行。けれど……え?普通に直線美だぞ?
1636「龍神」

1636龍宮という社。これは北面,つまり海から拝む方向。
表になる南には稲荷神社,三社宮とある。ここも合祀してる。昭和四年頃の石碑があるからおそらくそのころです。
1638正面に並ぶ社群と右手の稲荷社

西行。道にS字,おそらく旧海岸線です。1540
1641道に緩いS字

合田接骨院。コープ多度津。
線路を南へ。
1644線路を越える手前に小さな石垣

郷土資料館からえらく洋館な山本医院を左折南行。
1649山本医院

多度津町の大通りに南面して建つ。木造2階建,モルタル塗の洋風医院建築で,腰部の石張とせいの高いパラペットにより三層構成をとり,玄関部を薄く張り出して頂部を山形のゲーブル状に納めるなどの特徴があり,当地域でひときわ目立つ存在となっている。〔後掲文化庁/文化遺産オンライン〕

桜川を二度渡った?いや直進です。線路を越える。1655
セルフのガソリン屋手前で左折。1657
高福寺。家が減ると讃岐富士が見えてきた。あれより30度ほど左手を目指せばいい。

再び囃子近づく。目的の豊原地区。家は古くはない。南の細道へ。ないなあ。
1706車道。東行

1712金倉川を再び渡る

1711金倉川
田園。水路の整備度がすごい。
1714瓢池端から東方向

1712瓢池端から暮れなずむ讃岐富士

途中の池に水鳥無数。瓢池と改修碑あり。1717
1715瓢池の水鳥群──が飛び立ったのでそれとようやく分かる。

今日は青紫の昼顔によく出会う。
1719青紫の昼顔が夕闇に咲く

1721丸亀ゆめタウン過ぎる。外人自転車二台が道を塞ぐので記録。
バス停今津町南。この辺です。いや手前か。右折南行。1727
1726ゆめタウンへ少し戻って南行

T字。宮野病院。左折東行。
T字。右折南行。
1729──いやこれは行き止まり。宮野病院へ戻りT字を一度西行。
1730宮野病院へ戻る道

1733墓地のある十字路。ここのはず。左折南行
合流した水路沿いの道を東行。これでいいはず。
1736水路ゲートと集落

1739ダントツラーメン
1746ぽかぽか温泉が見えると同時にぽたぽた雨が振ってきた。

※ぽかぽか温泉の経営者・㈱創裕は,H6(1994)高松・H8(1996)丸亀のぽかぽか温泉から始めて本社高松市のまま全国に経営拡大,2020・21年の温泉総選挙(ファミリー部門)で同社経営「絹島温泉ベッセルおおちの湯」(東かがわ市)が連続で全国1位という快挙を遂げた優良企業らしい(残念ながら2022年は未入賞)。

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