Range(荃湾・元朗・老圍).Activate Category:香港シン一次(10-1) Phaze:魚雲

献句
を埋めて澄みゆく冬のつばさかな
✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺

【本句】火を埋めて更けゆく夜のつばさかな 〔飯田蛇笏「霊芝」大正四年〕※魚雲:魚の頭

[本日合計]
支出1300/収入1450
    ▼13.0[①329]
負債 150/
[前日累計]
利益 -/負債 86
一月六日(六)
0755御名園
壽眉
鮮肉灌湯小龍包
羅漢齊腐皮巻 250
1008 大榮華酒楼
壽眉
鮮蝦香芋餃
鼓汁蒸魚雲 250
1355新馳皇
是日精選 D.香煎小黄花魚飯550
[本日合計]
支出1300/収入1050
    ▼13.0[①330]
    /負債 250
[前日累計]
利益 -/負債 236
一月七日(天)

▼▲

朝ホテルから見下ろした賽馬會徳華公園と荃湾中心街

荃湾龍母廟
 老圍下車←81番小公
      (兆和楼発)
 ∝広東都城隍廟

もう一軒見つけてた老馮茶居 Old Fung Tea Houseというところは地階(地上階)のはずなのに見つからない。
こちらは千色の公園西の六階でした。厨房みたいなとこに出て誘導されたから本来どのルートで登ればいいのか分からない……。

御名園の壽眉

0755御名園
壽眉
鮮肉灌湯小龍包
羅漢齊腐皮巻 250
茶器が美しい。茶の質もよい。開店は七時と書いてあります。座席も多い。常連、それも普段着の人が多い風情。運営もスマートな感じです。

御名園の鮮肉灌湯小龍包

巻物が先に来たけれど、小龍が冷めそうだったので先にお召し上がりましょう。
香港飲茶で江蘇の灌湯小龍包というのは「中華だから香港でショーロンポウ!」といった実はかなり安直な(中華の多重性を知らない)注文ですけど……メニュー表に書いてあるのも珍しい。店の雰囲気から一度試してみたくなりました。
灌湯(スープ)はかなり少ない。この時点で江蘇人から怒り出しそうです。肉汁の味覚がダラダラと続く。これも本場から、ひょっとしたら本質的にハズレてます。

御名園の鮮肉灌湯小龍包どアップ。裏に薄い胡瓜が貼ってあります。

このハズれ方が、広東上海です。外人からは似たように見えるからこそこの二大淡味中華食文化は本質的に異なります。この小龍はその核融合を目指してる──ということに大袈裟に言えばなる。
浙江の甘味を抑えて持続性を加えてる、という発想です。スープが少ないのは、先味であえて暴力的な肉汁の爆発をさせない工夫でしょう。それでいて最小限の灌湯を残すのは、かなり苦心のバランス感覚が窺えます。先味の満足感を保ちつつ霧のような後味を残す。

小龍が持ち去られ残った鮮肉灌湯小龍包のソース皿

戦略そのものは広東四川に似ている部分もあります。
美味い、という以上に変化球の巧みさに刮目したのでした。

御名園の羅漢齊腐皮巻

「羅漢」は仏教的な冠てしょうか。「齊」ですから素食です。湯葉の春巻きをカリッと揚げてある、という一品になります。
クリスピーかつ独特の湯葉の歯応え。でもさらにその中の餡が……野菜系の複雑な作用で後味をきらびやかに飾ります。

羅漢齊腐皮巻どアップ

梅菜に茹で豆(おそらく花生)、ニンジンにネギという辺り以上には、複雑過ぎて分からない。でも滋味がどこまでも後を引く。肉料理にはない豊潤な味わいです。
たまたま後ろから餡がはみ出したので、もう一枚撮っておきます。
羅漢齊腐皮巻のはみ出た餡のどアップ

勘ですけど──広州以来まだ馴染めてない梅菜の漬物臭、あれは広東料理の何らかの深みに繋がっているような気がする。あれが分かる舌になれば広東料理の味わい方は変わってくるんじゃないか?
互いに自店の領土を主張するトイレ

この階に二つ。下に稲香。実は飲茶の熱戦階らしい。トイレが各店専用になってるのはそのせいでしょうか?
御名園の蕎麦茶。蕎麦茶は健康飲料としてちょっとブームらしい。

他店:「勤洗手」──感染症対策を呼びかけるパンダさん

眾安街側の千色広告その1(先日のアロームの看板の上に相争う三飲茶店)

眾安街側の千色広告その2:BigCがDiscoverThaiを謳ってます。

荃湾にはL字の道が多い。海岸跡を残しているのかもしれません。
なお、この形の道は元朗にも多い。

あるL字路にて

下から見上げる荃湾高架

高架をつたって荃湾西まで行く、という陳腐な企画に惹かれてしまいました。
荃湾高架1

荃湾高架2

荃湾高架3

結構上下に揺れながら続く。
荃湾西站まで到達。途中、いくつも百貨店を通るから各資本の参加による建設でしょう。
0930屯門行きホーム。
「腸道微生態」(画面外≒腸内環境)の先端科学として「免疫卓越配合」を謳ってる商品

いかんまた乗り過ごしてしまった。この列車はスムーズな乗り心地だからか?元朗へ戻る。
0954到着。Bから出る。
「厳禁賭博 No Gambling」──MTR車内広告にも「另個冧把你 呢舗贏硬! 沉迷賭博 倒銭落海」というネット賭博禁止広告有。

1008 大榮華酒楼
壽眉
鮮蝦香芋餃
鼓汁蒸魚雲 250

どうじゃ?注文、通るか?
割と空いてる。11時前は香港人の食事感覚からは半端なんでしょか?
また通路脇を指定されたけど、その辺はどーでもいい。
──1013却下連絡はない。
調べ直すと、やっぱ魚雲→「魚の頭」らしい。
尖東の広東料理店の看板メニューに「魚の具だくさんスープ(Fish HeadBroth with Bean Curd, Black Mushroom and Egg 鳳凰魚雲羹)」というのがヒットする。料理名としては「あら炊き」、ただし鼓汁の醤という点が違う──というところは外れてないと思う。
よし!来た〜!!

大榮華酒楼の鮮蝦香芋餃と鼓汁蒸魚雲
大榮華酒楼の鼓汁蒸魚雲どアップ──の途中で!

こりゃまた分かりやすい画像が撮れてますねえ。
絶品飲茶とこのスマホ君は相性が悪いらしくて、この直後に何と再びフリーズ状態に突入いたしました。
とりあえず大栄華の話を終わらせますと──

魚頭内の蕩けるような軟骨、筋肉などの魚肉がしっかりと汁を吸い上げてます。それでいて汁の中にホントに蕩けてしまってないのは相当なテクなんだと想像されます。

豉汁蒸魚頭〔後掲愛料理〕

 エビとイモの餃子。おそらくシェンツァイ(パクチー)のような香菜がごくごく少量混入してます。アクセントというだけでなく、この香菜の香りがエビとイモの間をとりもちうまくまとめ上げてるようなのです。芋も、田芋よりさらに甘みの薄い──えび芋とかだっけ?車エビの淡白さにフィットする芋を選択してます。

さてと。フリーズは二度目ですし、本日は実質ラスト2日という日ですので、うなだれて過ごすわけにはいきません。
 スマホなしで欠ける旅行ツールは、a.画像撮影・管理とb.地図情報、c.検索その他のネット処理です。それのみと言えなくもない。だってワシら20C人の元々の旅行は、それらは無しでやってたんだから。
写真が取れないのは記録として十全じゃないけれど──電脳がないと、ホンコンが濃くなる感がある。プラスマイナスではなくて、そういう条件下の旅行をすればいいだけです。所与の条件下でしか旅行できない、とも言えますけど。

 スマホをバッグに埋める。できるだけ加熱して電池を食うように……というのは有効か否か知りませんけど。

 文具屋を見つけて、フィールドノートを購入。GambelというメーカーのA6サイズ、リング綴じで裏表の紙がプラスチックボードになっているものを選ぶ。12.5HK$。──大学で宮本民俗学を継ぐ者のフィールドワーク時に必須のアイテムとして指定されたものです。下敷きなしにポケットから出してすぐに記録を始められる。

荃湾購入A6フィールドノート

 フィールドノートとボールペン、テメエの頭と足と感性。ホンコンが濃くなる、というのは第一線に晒されてそれらの感度が高まるということです。
 朗……、あらら隣の駅名を忘れてるけど、とにかく西行してそちらへ向かいましょう。行き先の村の名も忘れてますけど……。1125
1128「大橋街市」という公設市場。周囲にも溢れて営業中。飯屋も少しだけある。黒板メニューに蒸鯇飯56HK$を掲げる店を見つけるけれどスルー。
川を渡る。教会元朗堂。そろそろです。
元朗堂の堂慶大合照(ホールでの信者集合写真)〔後掲中華基督教會元朗堂〕

へえ。漢方薬屋には涼茶の煮出し元薬剤のセットをビニール袋詰めで売ってるところがある。効用を涼茶屋で覚えておけば買って帰れなくもない。公式には検疫を通るのか、麻薬犬に嗅ぎつけられないか、とか若干の問題はあるけれど。
 新馳皇という店の昼飯選択Dに「香煎小黄花魚飯$50」というのがありました。「晩市蒸餸餐」として7種の蒸魚もあるようで、雰囲気は茶餐廳ながら蒸魚には自信を持つ店っぽい。安寧路120號17號。
 1145朗屏站。さてバス停は──?

 元朗屏昌徑というバス停。k66大棠黄泥墩村行というハスの停車駅に「大圍」というのがあります。目的地は龍母廟なんてすけど、最寄りのバス停名までは覚えてません。
 前後のバス停名は
 崇正公立学校
 崇正菜站
 老圍
 振華花園
 南坑排
 昨日までにググった経路の画像記憶からするとこのバス路線しかない。そしてその路線中ではこの老圍が一番臭い。でもそれだけの情報だけで、つまり位置情報も地図情報も、ついでに目的地の名も知らずにバスに乗って成功率は──
1210丁度来たk66に乗ってしまいました。二階建てバス、今回は初めての乗車です。折角なので2階席へ。
左折。
えらく客が多い。いつも狙う最前列は団体で占められてる。
軽鉄の道を渡った。バス停・元朗大会堂。
バス停・安康路。
あれ?最前列の集団は北京語で喋ってるぞ?とすると観光客か?この方面で他に観光地はないんじゃないか?客層からしてお宮参りっぽくない気もするけれど……とにかくこいつらが降りるのを目安にしてよいのではないか?
バス停・元朗商業中心。かなりの客数が乗ってきました。街がザワついてきた。元朗の南西側はこういう空気になる。
バス停・富貴廣場 マンハッタンプラザ。大きく出たな!
今のところGM.経路の画像記憶に近い感じの方向へ進んでます。他方向から66Aというバスが同じく「大棠村」方向へ向かってます。

バス停・深桶村。──後方にも北京語の集団がいるらしい。
ビル街が遠ざかってきました。水路をもう一本渡る。
バス停・崇正公立学校。
北京語集団に動きがない。
 老圍。通り過ぎよう。
バス停・南大排。あれ?タイ語の仏教寺院表記があるぞ?バス停・華苑。雰囲気はこの辺なんたけど……。
バス停・大棠山路。ここで北京語集団を含めほとんどの客が降りました。もちろんワシも。
人の動きは南側すぐの十字から右折して東行。

大棠山地域の詳細地図

20分ほど歩いて、ものすごい山の中に連れてこられました。もちろんお寺はありません。
1300彼らは大棠郊野公園というところ、というかエリアを目指してたらしい。
この先に「元荃直道起点」というのがあり、地図を見るとその名の通り荃湾まで山道が続いてるみたい。つまり漢族の皆さんはピクニックが大好きなんですね。
1305帰路へ。

残るは、山道への入口から老圍方面へ歩く方法だけど──見てきた感じ、相当広い土地に村が点々とある感じで、要するにヘソがなく、仮に龍母廟が集落中心部にあるとしてもそれが読み取れそうにない。
途中に見かけてた「臨時巴士站」というところの列に並ぶ。行き先は朗屏、路線はK22special。何じゃそりゃ!
1320開車
なるほど。この集落の並びが荃湾への陸路入口だったわけです。位置的には一種の参道のように集落が続いてるとも見えます。香港史は海人だけのものではありません。
西方向の山地の眺めが素晴らしい。
バスはさっきのバス停手前で右折、結果的に右折北行。さらにロータリーのような場所、これがバス停・廻施路か。ここからが大棠線でした。暫く山道を進み、また村の連続になります。
うーん。古いような新しいような妙な村の風景です。
さっきのタイ寺です。徳蕪輪佛寺 HK Diamaram Templeとあり、あとはタイ語。まさか……これじゃないよなあ。
集落のゲート。南坑排と銘がある。
さらに同じく南坑村。沿線ではここが一番戸数が多いと思う。日本語「ウォーターウィーラーアバディーン」??
左手に「紅棗田村」。

ここで右に「老圍村」ゲート。
龍母廟が信仰の対象ならここまで表示がないのもおかしい……かどうかは土地によるしなあ。
──と当時嘆いてますけど、結果的に「大樹下天后古廟」は老圍村バス停の北東500mの位置でした。ただ当時「龍母」と勘違いして記憶してるし、仮にこのバス停に降りて辿りつけたかどうかは甚だ疑問です。
うーん。カゲもカタチも見つけられなかったなあ。完敗です。
ビル街が迫ってきました。
前席で、機械オンチらしい奥様に、旦那様が必死に……というか中国人的なドヤ顔でスマホのカメラ機能の使用法をレクチャーしてます。
元朗は、どうにも町のカタチが見えてきません。
馬掌路に入り水路を越えた辺りからまた全然分からなくなりました。元朗體育路(サイゼリア有)?このバスは臨時便だからか前方電光表示が動いてない。終点・朗屏まで行った方がいいか。
軽鉄ライン。あれ?天后前なのか。──とここの鳳意見村のゲートを見て思う。今日の村々の雰囲気はここと似てます。ゲートとフレームは古いけれど家屋は新しく、それでいて疎外の感覚が根強い。
1347朗屏着。

1355新俊皇
是日精選D.香煎小黄花魚飯$50 450
給仕のおばさんがしきりに「私英語が喋れるわよ!」感をアピールして話しかけてくる。まあ頼みやすかった。
店内には「鯛魚片米線」60HK$というのもありました。──街中にも米線に魚を入れたものを見ます。美味いのか?
でも今日は黄花魚がもう来ました。
今までで一番、日本の海魚に近い塩魚でした。
白身がホクホクで、かつ歯応えがよい。なのにサンマともブリとも違う。食感はやはりギザミに近い。
骨は食えます。エラの小骨もバリバリといけるので調子に乗って頭からかぶりついてみると、脊髄の頭部分にのみ岩のような固い部位がありました。でもそれ以外はほぼ食い尽くしました。
蒸魚じゃないんだけどオイスターめいたソースが底にあり、これを少し浸すと滅法美味い。
あと、レタスが敷いてあります。まるで醤に魚を浸さないようにしているようでした。それは不思議でしたけど、このレタスが醤を適度に吸ってこれ自体がかなりイケました。
隣の……TELの話し声からはタイかミャンマーっぽい女の子は蒸し魚を喰ってたので、どれかのメニューが清蒸だったらしいんだけど。

朗屏駅はバンコクに似て道の上を跨ぐように造られてます。
これは町を潰せなかったということでしょう。してみると元朗の町はこちら朗屏側が古かった可能性もあります。でも元朗側にも圍があるということは一方の極ではあったと思われ、やはり町が読めないのです。

1435MTR乗車。今日は美孚で乗り換えてみましょう。
途中の錦上路という駅はほぼ乗降がない。何のための駅なんだろう?
荃湾西を過ぎる。
西鉄線の座席の尻下は物凄く滑る。どうしたいんでしょう?

車内の電子新聞表示を見てると、日本で「能登地震」が起きたという。百人死亡二百人行方不明。

1505美孚から乗車。やっぱりこの乗り換えは歩く!
香港MTRは「小丸子」(ちびまる子ちゃん)を公式キャラに採用し「小丸子安全語録」というので車内マナーの向上を図っている。センスがフィットするんでしょか?

美孚〜荃湾区間の鉄道マップ

美孚から荃湾間は面白いエリアです。美孚の隣の荔景は今回エアポートエクスプレスから乗換えた駅です。車窓からはマンションが多いんですけどそれが複雑な地形のあちらにポツンこちらにポツンという感じで建ってます。次の葵芳という何か雅な地名の町でもそれなりの乗降客数があります。
気温19℃と車内表示。

さて。朗屏の事態にもめげずもう一本小公に乗ってみようかね。荃湾発81路です。降りるのはまたも老圍。この二つしか情報はありません。やはり目的地の名称も記憶してません。──30分に一度くらいスマホをチラ見しますけどフリーズ画面のままです。
──今度はメモに「龍母廟」と記してます。広東語読みは分からんから文字で通りすがりの人に反応を得れないか、と考えてたわけです。

フィールドノートにレスキュー用「龍母廟」記入済

荃湾駅のバス停マップで81路を確認。「老圍・圓亥学院」行きとなっています。
1530。何かスルッと乗れました。そんなに乗降が多い路線とは思えませんけど……。
もちろん小公なので次のバス停の電光表示とかはありません。その意味では朗屏よりさらに難易度は高い。皆さんの乗降とテメエの見聞だけが頼りですけど──まあこの路線が走ってる限り帰ることは出来るでしょう。
駅前では複雑なルートを辿ったけれど結局北の山手への道を登っ……え?右折するの?石圍角という地名のマンション街を抜ける。短いトンネル。左に寺。
Y字。あった!「龍母」へはこの道からは「不通」と書いてあります。
あった!丁度降りる声を上げた爺様がおられて、一緒に降りる。1540鐘記士多という店の前。
少し戻る。右山手への分かれ道、ここに看板を見たのです。「地蔵王殿」と「龍母佛堂」との矢印。同じく左は「西大寺」とあります。斜め前方には既に五重塔のような姿が。
山上を飛行機が飛ぶ。

おおっ!谷を埋める廟建築群!!
少し登ると五重塔周辺の建築が姿を現しました。これがひと繋がりで、バス停名の「圓亥学院」のようです。名称からして道観(道教寺院)ですけど……こんなにデカいの?
長州島で見た修道院といい、香港人にはこんな狂騒の町を造る一方で人里を離れて安寧を得るような憧憬も存在するのでしょうか?
地図で見た時から感じてたとおり、この谷は諸宗教が入り乱れたサンクチュアリを形成しているようなのです。
1546Y字。右の道でしょう。軽く選んだけれど──長崎級の坂道です。今日は山登りの日やね。
尾根に出た。乗用車が十数台泊まってる駐車場。ここらしい。
1551。山手斜面に見え隠れするように質素な古建築群。

第一ゲート
扁額「山角上龍母佛堂」
──これが施設名と考えてよいのでしょうか?
最右「風調雨順」
右聯「龍是蕩千秋泰」
左聯「母儀天下永留芳」
最左「国泰民安」
成語部分が媽祖とかなり似ていたり、同じだったりします。

登り口右に福徳宮。
右聯「浄土護山者千里」
左聯「安居衛道保郷隣」
祭壇には雑多な神像が多数並びます。

途中右に祠
「龍母佛堂創建人
 廖月英居士」
女性の写真が安直してあります。創建人の祠ですけど場所が半端です。なぜここに?

中段、S字にくねった階段の突き当りにお堂。
祭壇左にはやはり写真。中央は銘に「弥勒菩薩」とあります。真っ白な布袋様のような像です。
右には三柱。
右から
「轉心童子」(絵)
「龍太子」 (金像)
「薬王菩薩」(金像)
と並んでいます。

ここから左手に迂回するような道で本殿へ階段が続きます。突き当りがT字になっていて、左手が観音堂とある大きな重層建築。
右手すぐには拝みの献金場所のような社務所があり列が出来てます。その先に山下を見下ろすように本堂。対聯は手前、向かって左のみに
「列星諸神崇一體」◎と記してあります。どの神様も同じく尊く一体である、というような説明書きでしょうか。

本堂は広い。
▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓
▓      本殿 ▓
▓ 吕祖殿     ▓
◎         ▓
   (通  路)
   (供え物置)
▓         ▓
▓五神     昭高▓
▓祭壇     辰元▓
▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓
  (↓荃湾の展望)

かなり本気の信者が多いように見受けられます。ただ個人的な祈りを捧げるという空気ではなく、集団的な信徒という感じで、香港の一般的な宗教の拝みとも少し異なる印象です。
後方五神の祭壇は右から
「文昌先師大帝」
「諸天衆神」
「玉皇天帝神位」
「雲開菩薩」
「式曲菩薩」
と銘のある神像。道教と仏教の神が混ざってる?
右後方昭高辰元の銘のある神像には「太歳星君保平安」の文字があります。
正面右奥手本殿に座するのが本尊らしい。真っ白なお顔の龍母様でした。

    (亀甲墓)
▓▓▓▓ ▓▓ ▓▓▓
観音堂▓ 水場 ▓本堂
   ▓    ◎
▓▓▓▓

左手観音堂と右手本殿の間の空間には、裏と仕切られたような壁があり、ここが、俗な類似で言うと共同井戸のような水場になっています。信徒はなぜか近づかない。
その左手から階段が裏の高台に続いてます。そこには亀甲墓のようなものが見える。亀甲の正面にはホームベース型のプレートがあり、上側に十字のエンブレムのようなものが確認できます。香港の墓碑をあまり見たことがなく判断がつかないけれどキリスト教ではないでしょうし……。ただ配置的には最も重要なその位置に、誰も近づかないのは非常に奇妙でした。
1630までの服務時間になってます。1615に下山しましたけど、まだ参拝者はわんさか押し寄せてます。
入口ゲートの裏側に
「岸是頭回」
という文字が掘られてました。その向こうに荃湾のビル群が見えてます。意訳すれば「岸にあっても振り返って(山中のこの神域を思い返せ)」という感じでしょうか。
地蔵菩薩には一応別の参道があります。
右聯「地蔵顕赫僑民沾雨露」
左聯「法王荘厳閭里沐春風」
「僑民」という二字に拘れば華僑あるいは大陸からの移民の守護を念じているようにも読めます。

位置的には道観群より高い位置にこの龍母廟はあります。創建人は写真が残る時代としても、その元の拝みの対象は最も古い時代に成立している可能性が高いように思えます。
この谷全体を俯瞰してみると、こんな感じになります。

龍母廟(≒地蔵堂)と圓亥学院のエリア(GM.東西貼合せ)

龍母廟の下側の道は相当に深く山中へ続いているようです。また、圓亥学院への道もさらに山中へ伸びてます。宗教施設としては紫竹林という寺があるようですけど、これだけのサンクチュアリはどこかに核を持つ特定の宗教というより、谷全体、あるいはそのものを崇めてる感じです。
おそらくこの谷から荃湾は始まってます。

帰路、T字で小公を待ってると、行き違いが出来ない急坂で下からのタクシーと上からの帰路乗用車が角を突き合わせて大変なことになってました。
T字で待ってる人がいたので、ここかな?と待ってると手配した自家用車を待ってたらしい。丁度小公が来たので手を振ると、運ちゃんが「上で待て」と言うような手の仕草をして通り過ぎました。
他の参拝客の動きを見ても、どうやら81路の終点・圓亥学院前からの乗車になるらしい。この日何度目かの坂道を登って学院前へ辿り着くと、小公が3台も溜まってました。

ここからそんなに人が下山するのでしょうか?確かに門口から覗くだけでも一個の都市を造ってる感じです。
1640開車。小公は爆走して坂を下って……おいこんなS字路で50km出してるぞ?
一般道に出ると途端に30kmに減速。なるほど分かってらっしゃる。
トンネル手前に「老圍村」のゲートを確認。
トンネルを出ると途端にマンション群。なので想像は難しいんですけど──これが出来る前、ここが元朗-荃湾間の陸路の南口だったのではないでしょうか?
何度か見かける「痰咳」のバス広告の直後につく。これはWATSON、華潤堂、それからマツモトキヨシとドン・キホーテによる共同広告でした。
下車。千色の角に「Yay!阪神」という意味不明の文字。日本食屋のCFでしょうか?

ホテルの裏の賽馬會徳華公園(翌日朝撮影)

賽馬會徳華公園。既に日は落ちてますけど、宿の裏、Pacific Coffee前のこの初回から気にかけていた公園を最後の夜に本気で回ってみる気になりました。
荃湾の中央に位置するこの相当大きな緑地は、何かしらの心臓を持つような気がしたのです。
夜中にもこの公園には相当の人の姿があります。各所のベンチ、岩場には昼間とは違い、老人の憩いの場というだけでなく、若い層の姿もある。
これではないか?と思ったのが「義漳陳公祠」でした。祠は丁度工場中で入れないようです。ただ入口に見えた扁額には
「萬象更新」
の文字。万象は更に新しむ、というところでしょうか。
「義漳陳」が人名とすれば、そのもののヒットはありません。漳州由来の伝説的人物「陈元光」(闽南语:Tân Goân-kong;657-711年)、いわゆる「开漳圣王」(Khai-Chiang Sing-ong)に「漳」「陳」の字が対照するのでこの人の異称の可能性も感じますけど定かでない。

 もう一つ、「舊海灞村民宅」という法定古蹟もありました。移築したもののようです。
▓▓▓▓▓▓▓▓▓
▓①▓ ▓②▓ ▓
横に四間ある「長屋」らしい。①②の戸にのみ対聯あり。
①右聯「蘭室和風生静趣」
 左聯「竹亭朗日寄清[レ/I/ノ+口/矢]」
②右聯「吉祥如意全家福」
 左聯「富貴栄華[渊+I]室春」
 どちらも左聯に造字らしい漢字を含み穏やかな七文字に見えて何か含意がありそうです。①が国名漢字を含むのも同じくです。①右聯だけを意訳すれば「オランダ(≒西欧)や日本の風に染まろうとも本質には(彼らが染められない)静かでリアルな趣がある」というようにも読めます。
 荃湾という香港の片田舎の町は、案外にしたたかなのかもしれない、と感じるのです。
 1930スマホの電源落ち。充電して五回目のPacificCoffeeで公園を見やりつつ時間を過ごしました。
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