《’24.03十一次釜山慶州》경주순두부 慶州ビュッフェの日에서月城\十一次釜山三日目

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第三天@

《’24.03十一次釜山慶州》경주순두부 慶州ビュッフェの日에서月城 城東市場\十一次釜山三日目

献句
船玉の勇む音在りハンモック
【本句】髪の毛の伸びゆく音やハンモック 〔旭川東〕
D「普通の寝具で可。ハンモックでなくても?」「ハンモックのゆったり感」「音は無理?ハンモックを静けさだけで取っている。」「音は心の中の音」「髪の伸びる音とハンモックのギシギシした音に合わない?」
稲根「聞こえるはずのないだがハンモックでない音でもよい」

[本日合計]
支出1300/収入1200
    ▼13.0[②026]
    /利益 43
    /負債 67
[前日累計]
利益 -/負債 67
三月十八日(一休)
0803 맛나식탕
순두부찌개 スンドゥブチゲ400
1108 양북한식뷔퍼
一皿バイキング+ソコギ+パブ450
1900 パリス SILKY CREAM ROLL CAKE500
[本日合計]
支出1300/収入1350
    ▼13.0[②026]
負債 50/
[前日累計]
利益 -/負債 17
三月十九日(二休)
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第10図 慶州現況図〔後掲浅野ほか〕※ピンク字は引用者

慶州市の北には北川(闘川)が,また西には西川が流れ,さらに,また南には蔚山街道に沿うようにして北流し,やがて月城の南麓で大きく流路をかえ,西に向かう蚊川(南川)が流れている。これらの3河川によって南北と西を囲われ,東だけがひらいている,(ママ)この広大な慶州平野はこのような天然の要害に守られながら,同時に王都を容れるにふさわしい広がりをもつ地形といえる。
 新羅の王城は新羅王朝第五代婆娑尼師今(在位80112)以降慶州市の南部に位置する小高い台地(高差およそ50m)に営まれるが,今はこれを月城または半月城と呼んでいる(図10参照)。
 藤島によれば,新羅の王都・慶州は条坊制(井田の法)を以って整備されながら慶州平野に展開し,それは月城に逼つていた1),という。王宮もまた台地上に営まれた月城に加えて,その北麓の広大な地域に展開し,その広さは東西6坊,南北4坊を占めるものと推定されている2)。即ち,月城の北麓に営まれた宮城もまた都制としての条坊制に倣うかたちで整形を基準とする一区画を構成していたものとみてよいであろう。〔後掲浅野ほか〕

月城(げつじょう、ハングル: 월성〈ウォルソン〉)は、韓国の慶尚北道慶州市仁旺洞(ハングル: 인왕동)に位置した新羅時代の王宮となる王城である[5]。南川(朝鮮語版)(ナムチョン)北岸に沿って屈曲した月城は、三日月状の地形から、新月城(ハングル: 신월성〈シンウォルソン、シヌォルソン[6]〉)とも称され、後世の朝鮮時代には半月城(ハングル: 반월성〈パンウォルソン[7][8]、パヌォルソン[6]、パノルソン〉)と称されるようになった。王の住む城として「在城」の呼称も見られる。〔wiki/月城 (慶州)〕

※原注[5] 「歴史探訪 韓国の文化遺産」編集委員会 (2016)、84頁
[6] 東潮、田中俊明『韓国の古代遺跡 1 新羅篇(慶州)』森浩一(監修)、中央公論社、1988年 236頁
[7] 『韓国 自遊自在』日本交通公社出版事業局〈JTBのフリーダム 7〉、1989年、300頁
[8] 中村浩、池田榮史、木下亘『ぶらりあるき釜山・慶州の博物館』芙蓉書房出版、2019年、77頁

南川を自然の堀とした月城の南側には[41]城壁はほとんどないが[39]、低い丘につながる東・西・北側には土石などによる城壁が築かれており、敷幅約40メートル、高さ10メートル余り (10-20m[39]) であったと推定される城壁は[10]、やや高い土塁により囲まれる。現在に見られる城壁の最高所は、東南側の国立慶州博物館に面した箇所で高さ10-18メートルとなる。〔wiki/月城 (慶州)〕

家屋の門扉にハの字の対聯

全体が嵐山の空気を持つ町
0744まず宿から北行。市場へ。
맛나식탕スンドゥブチゲのおかず

やはりここだろう。
0803 맛나식탕
순두부찌개 スンドゥブチゲ400
今朝は酔っぱらいから少しずれた奥の席へ。キムチを出す台、調理場。ほかは座敷八席と四席テーブル三つ、二席一つ、計22人で満席という小店です。今のところ客は三人。ここのオバハンはいつ寝てるんでしょう?
맛나식탕スンドゥブチゲ

豆腐の味覚はあっさりとしてるけれど、少し大きめのものを含むとその濃厚さがはっきりとします。ここの料理は日常食、毎日食べれる絶品豆腐でなければならないはずです。
醤油ではなくチゲ、さらには青唐辛子がマッチします。
最初に「これがスンドゥブ?」と勘違いしたトッペギには、納豆汁で煮たような豚肉が入ってました。チョングッチャンじゃないと思うけれど、やっぱり豆料理だと思う。未知の美味さの何かでした。
さらにさらに魚。昨夕のは白身魚でしたけど、今朝のはサンマ。これも青唐辛子が絶妙に合う。
맛나식탕スンドゥブチゲに付いてくるお魚

(一つ前)월성동행정복지센터
국립경주박물관 졍류장
くっくりぶけんじゅばくむるこあく ちぇんしょじゃん
11,602,604,605,607

kakaoルート検索画面1
kakaoルート検索画面2(マップ)

電光掲示にはそんなバスないんですけど?
中央市場バス停
605一つ前동궁과월지
あれ?605が消えた?もう来たの?
0926 11番が表示。いきなりあと3分??──どうやら、路線によって、電光掲示にデビューする時間は様々、六百番代は「何分前」表示なしに「すぐに来る」と出てホントにすぐ来るらしい。
来た!0928、11番乗車。色々あったけど予定通りである。
市場北東角交差点で右折東行。
ここにも市場があるらしい。
T字で右折南行。この大きな施設は何でしょう?
遺跡地区に入りました。小山だらけ、前回の記憶通り。
下車地点のタバコ禁止等公園規制マップに描かれる月城

結局「ナショナルミュージアム」という英語で下車。
この並ぶ小山が月城だと思われます。
0938博物館北の小山群

上を普通に歩いてるオバハンが見えたので……日本だと普通立入禁止な低い柵を越えて登ってみる。
──運動靴じゃないと難しい道なので、念の為。
博物館側からの登道。(注:やや足場悪し)

石積が壊されてはいるけれど半月型はくっきり残ってます。
0945博物館側最南面の石積跡

0947博物館側南壁の内側斜面

0949東南側へ湾曲しつつ続く石積跡

0950南東部から南部の斜面上部

0953東面から北方向

0955東面から南方向を振り返って

0956半月内部奥の発掘中の現場らしいブルーシート

0957月城西から南に流れる川

1004博物館手前から再度南面を仰ぐ。20mほどの高さか。

正直、それほど軍事的な要地とも思えない。
10時になったので博物館へ。無料、撮影フリー(フラッシュ・三脚使用は不可)という大盤振る舞い。──広報目当てでしょうか?
1020発掘鉄器

鳥のイメージか?装飾具

Silla Stele from Jungseong-ri,Pohang

Silla Stele from Jungseong-ri,Pohang
1024
King Munmu Puts an End to the War
武烈王のレリーフ

King Munmu Puts an End to the War
武烈王のレリーフ1033
既に慶州のトレードマークになった人面文圖瓦當

人面文圖瓦當 1038

1052 600路で帰れそう。1059乗車。下車は成り行きで行こう。

帰路バス停での接近電光掲示

ワシにはまだまだ韓国のバスを乗りこなす実力はなさそうなので以下補習。
정류소  チョンニュソ 停留所
” 〇〇에 가요? ”「〇〇エ カヨ?」 〇〇に行きますか?」
” 기사님 내려요~! ”「キサニム ネリョヨ~!」 「運転手さん、降りま~す!」

確かに慶州の立地は京都や奈良にそっくりです。奈良は「倭の慶州」だったのかもしれません。
何とか市場とアナウンス。下車。
バス停・성동시장城東市場でした。市場内へ。

城東市場とオバハンのケツ

城東市場と大鍋

城東市場と布選び

양북한식뷔퍼 ヨンブク韓式ビュッフェのビュッフェ風景

1108 양북한식뷔퍼 ヨンブク韓式ビュッフェ
一皿バイキング+ソコギ+パブ450
フードコートみたいな場所の一店。最初は「慶州といえばやはりサンパッ」なのかと警戒してたけど、店名からは全く韓式ビュッフェらしい。
通りがかっただけで皿を押し付けてくる強引さ、というかここのフードコートの店は大抵そうでしたけど……一度は通り過ぎて戻って腰を降ろしました。
양북한식뷔퍼 ヨンブク韓式ビュッフェの取り皿

魚は二種類食べれたし、チャンジャも絶品。ニンニクの丸々酢漬けはなかなか他では食べれないし──。
양북한식뷔퍼 ヨンブク韓式ビュッフェのソコギ

だけれども、ここはとにかくソコギが美味かった。汁は二種選べてもう一つはテンジャン、後で気づいてああっ!!と思いはしたけれけど──肉が生々しい。きっちり固いから変な新種ではないらしい。
実はもう一店、チョングッチャンとタロソッとおかずで8千₩の店と迷ったんですけど……この市場は少なくとも中央市場と同程度に面白いと思います。
侵入路直前の位置にEDIYAを見つけ、アメリカーノしつつまた即席マップを作成。
昼下がりのEDIYAにて

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