西の広場半ばに水路。何かの象徴ですけど、想像できません。
今年の請王は9/28、送王は10/5
入口左に王船大爺という祠。船が収めてあります。南側に大爺祠。──そう言えば本殿に、迎王の主役・大爺はいませんでした。
瀬戸内と同じく眼が両側にある。
南行すると川沿いの船溜まり。1328
実際の漁船には眼はないようです。
1336東港黒媽媽食堂
黒鮪飯+魚肚湯(半)370
鮪は相当部分が缶詰みたいな醤油煮なんだけど、ほんの少し別の、何かコリコリした部位が混ざってて缶詰じゃないと分かる。
魚肚湯は先のよりさらに魔術的な旨さ。何なんだこの軽みの極の魚味は!これは大にすればよかった!
1411しんどいけど港側へ歩いてみることに。興漁街。
両腕を長く伸ばすようなこの漁船の装置は何だろう?イカ釣りの類にしてはランプがないから網だと思うけど。
左手に徳隆宮。西面。
左手に玉勅震靈宮。これはなぜか北面。東隆宮の方角でもない、王船の着く辺りを向く。
1426玉[上/日](卣?)共明堂。これははっきりと西面、つまり海と逆を向いてます。
文字が多くて分からないけれど邪府千歳とあると思う。「◯◯千歳」が各宮の枕言葉として定着してるんでしょうか?
祭(迎王?)の時の仮装写真が数点。何を象徴させてるんでしょう?
1437憤怒像が多い。左端が本尊。
と思えば手前はえらく情けない。
道はこの宮を避けるように左へ回って続く。1440
四つめの宮。これは西面、海を向く。
東聖宮。これには朱府千歳とある。
1448豊漁橋が近づいた。対岸北側に古いレンガの家並。
この橋が越えれないからか、橋の向こうは本格的な漁船を連ねる漁港。
1454延平路を北東行。
朝隆宮の道です。またランタンが下りはじめました。
1457福安宮
1502朝隆宮を過ぎる。
1505中山路に右折。
中正路をまたいでからその先の路地へ左折。これで東港市場のはず。
かなりデカイ。時間的にほぼ閉まってるけど朝は賑わうはず。
六合自助も閉店でした。右折。
──何でFacebookの写しをつけてるかと言えば、かなり疲れて気絶寝してしまっていたからで、要するに気力が持たずに三百年に一度を見逃した──とは口が裂けても言えません。
まあ、何だ、それはともかくだ。
新基街と同78巷の十字路から北へ伸びる路地あり。試しに入ると右へ湾曲。
1557護国佑氏
右聯「将威顕赫鎮新厝」
「大地霜威凌草木」
左聯「営中談笑静風塵」
「軍令厳明安海疆」
何か怖い対聯、よく見えない暗がりの御神体に、やや慌てました。
アパートの中の完全な私道内です。こんなところにこんな宮が……というよりこんなところになる前からの宮なのでしょう。北東に抜けるとほぼ宿の真正面に出れました。
どうやら──この町で美味い魚を喰うなら、早朝らしい。早寝を徹底できれば三食チャンスがあるということです。魚湯とか飯湯とか言われる未知のものがあるらしいんですけど──なぜか日本語サイトではほとんど扱ってません。ただし、台湾での扱いもかなりミーハーなものなので〔後掲瑪格、TVBS〕食文化としての注目はほぼされてない。
なので明日は6時出になります。寝よう。
幸い、トッケイの泣く饒舌な夜です。
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