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1044東へ折り返す。
海の「FANLIAO」ロードをまたぎさらに東の橋へ。
愛琴海岸というキレイな民宿。
何と!ここの船には眼があります!……いやこの船だけか。戯れに入れただけらしい。多量の籠を積んでる。
1101橋を渡る。
海側へ回って市場のようなところで一応見つけました。
も少し先に飯湯と看板を出す店もあったけどどう注文すればいいか分からないので。──その店ではバイクで乗り付けた客が数名待ってます。
1112(店名同)海鮮五宝粥 370
セロリの他大根、人参など野菜もたっぷり。複合的ないい味です。
旗魚
虱目魚
吻仔魚
小巻
蝦子
丸まり魚もいたからこのどれかです。
【同日夜の結論∶虱目魚=ミルクフィッシュ=サバヒー】(巻末参照)
ここの海岸は5m近い壁を造ってます。海はその上にいかないと見えないらしい。
この道だろうか?1140寺らしきものの手前で左折北行。抜けれました。
対面に保安宮。1144
8行中中央二行のみ転記。
右聯「保和◯易吾神只體天行道」
左聯「安飽何求何児眾須省過捫心」
右壇は神農大帝。背後に麒麟。
左壇は福徳正神。背後は孔雀。
1153集落を歩いてみる。保安路へ東行。
頴川堂という古い建物。
一本目を左折北行。1156。ad.保安路126
龍行大運の赤紙があちこちにある。
道が読めない。農会信用部から南北の道に出て右折北行。
ファミマの十字を左折西行。1205
1208橋を渡る。
1216、85℃で美式珈琲。
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一昨日もだったけれどこの一時間で蘇る。
さてBTへ……いや駅にしてみるか。ワシは鉄ちゃんじゃないから、ローカルな屏東線に乗りたくてたまらない訳では毛頭なく、単なる気まぐれである。
それにここ……日本の田舎の駅っぽくていいやね。いや、鉄ちゃんではないけど。
1402開 新左営行3074の鉄道を使ってみる。列車は来てるけどまだドアが開いてない。
1404なぜか遅れて開車。
やはり快適じゃ!しかもガラガラじゃ!
1409東海
1412佳冬
車窓の緑は豊か。ただ町並みはあまり見えない。海も遠いからね。
川を渡った。あれ?ああバス道は北か。
1417林邊
駅の周囲は広々してて、すぐにYoubike置き場はみつかりました。十台少し置いてあります。
けど?よく考えたら……Youbike登録のカード情報には悠遊卡を紐づけできてない。──これは紐づけのチャンネルがどうしても分からなかった。なら……どうやって借りる時に当方を認識できるんだろう?もしあり得るとしたら、位置情報だけでカードと紐づけするんでしょか?
炎天下で十数分、おたおたと電脳と格闘してやっと分かったのは──
自転車側にQRコードは出てるんだけど、日差しと汚れでとても読めない。その代わり、スキャン画面の下部の4桁の番号に、自転車側が毎回表示するコードを入れればよいらしい。──SNSに届くコードで本人確認するのと同じです。
さて?持ち出せたけど、これから向かう目的地、2km南のお社では、ステーション以外の場所で鍵をかけないといけない。でも物理的な鍵は見つからない──。
着いてから調べるのはあまりに怪しいので、道端でしばし車体をチェック。すると籠の中に伸びるチェーンみたいなのがありました。これしかあり得ないけど、どこにロックするんだろう──とスマホで調査〔後掲Tシャツ好きの気ままにトリップ〕。
ここにありました。
つまり荷物籠のワイヤーを前輪真下の穴に通すらしい。これを電脳が管理して、解錠の時はやはり4桁ナンバーを使うらしい。ふう……では現実世界に戻って出発!
1456信義路を南行。
陽炎の見える道。もし歩いてたら……とゾッとしましたけど、自転車道としてはなかなか快適です。
1508Y字、右へ。水利村標識と同時に林辺放索安瀾宮が見えました。
いや?これはお寺じゃないか?復興寺か?
ここの松樹とある神樹を一枚。1512
1514豊作路と豊漁路の分岐。右の豊作路へ。
──湖一周コースを走るチャリダーとすれ違う。結構いるもんだ。
1519到着。御経。
ええっ?なぜ戦艦大和の軍歌??──これは後方の人形劇からのBGMでした。おそらく日帝時代のストーリーだったんでしょう。
なぜか中央対聯が赤紙で隠してある。外側も、花束で読めない。
──どうやら、何かの儀式の途中だったらしい。道師が本格的に御経を唱えてて、そういう意味では大変貴重なものを見た……に違いないんてすけど。
1529村を一巡り。
海上におそらく小琉球。
よし解錠しました。オレンジボタンから同じ要領。
1543北へ。
誰も見てない人形劇
代天地王府。これは海面。そう言えば林辺放索安瀾宮は東面、海に90度横を向いてました。
集落は道の両サイドだけで、海方向には海際と二列あるけれど、そう厚くはないようです。
おそらく水利というのは村の東入口の用水路のことでしょう。ここが集落の入口、境神のような場所と考えられます。
陽炎の道をコウノトリが真正面から突っ込んできました。
「返却時は自転車の液晶画面が『還車成功 Thank You』と表示されることを必ず確認」しました。──これはガチャリとセットするだけでした。
1604返却。無事に済みました。
1620するっと9117Aが来ました。涼しいッ!
あっバス停は林邊から素直に乗ればよかったか。
林邊はやはりどうも一部、モザイク的に古い地区があるように見えるんだけど……帰路には見つけられませんでした。
あれ?大きな高架下をくぐった?今まで気づかなかっただけでしょうか?
1627左手車窓に一面の灌漑用の池。水車が水飛沫を上げる──これは水利村でも見た風景です。そんなに水不足に難儀してきた土地なんでしょうか。
左手遥かに鵬灣跨海大橋。1633中山國宅。あまり見当たらないけれど郊外住宅地、あるいはそれを創ろうとした跡でしょうか?
いずれにせよ、ここの「海王星会館」という建物がどうも気になります。
高雄焼肉飯の東手前のバス停は輔英医院とアナウンスされるようです。微妙に違う名前があるのが怖い。
1646土地銀行帰着。
ちなみに土地銀行のATMではJCB初失敗。
1654老方牛雑湯 炒沙茶牛肉300
沙茶味は台湾対岸の厦門のものですけど──久しぶりにいただきました。
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■解決編:五宝のどれが「丸まり魚」か?
⑤蝦子はエビなのでまず覗いて、残り四種を調べました。
①旗魚・②虱目魚・③吻仔魚・④小巻です。
結論として②虱目魚でした。なおかつ、文化的に最も面白かったのもこの「サバヒー」だったのでした。
①旗魚
旗鱼
名詞
日本語訳メカジキ,目梶木,カジキ,梶木,旗魚
〔Weblio/中国語→EDR日中対訳辞書〕
③吻仔魚
魩仔魚
wen3 zai3 yu2
〈台〉〈魚〉シラス
〈同〉吻仔魚 / 银鱼
〈備考〉台湾語「魩仔魚(but-á-hî)」が由来で、台湾語で言うことが多い
〔後掲中日辞書 北辞郎:検索 – 魩仔魚〕
④小巻
コウイカのことを「花枝 hua1 zhi1 フゥァズー」と言います。その他、「墨魚 mo4 yu2 モーユー」、「烏賊 wu1 zei2 ウーゼイ)」とも呼ばれます。〔後掲ニーハオTaiwan〕
ヤリイカのことを中国語では「鎖管 suo3 guan3 スゥオ グゥァン」と呼びます。
体調が15㎝以下のものを「小巻(小卷)xiao3 juan3 シァオジュエン」「小管 xiao3 guan3 シャオグゥァン」、15㎝以上のものを「中巻(中卷)zhong1 juan3 ゾンジュエン」または「透抽 tou4 chou1 トウチョウ」、「槍烏賊 qiang1 wu1 zei2 チャンウーゼィ」とも呼びます。
台湾の人は小巻を塩ゆでして刺身感覚で食べたり、「三杯」という醤油やゴマ油、しょうが、にんにくなどと炒めた「三杯小巻」、「三杯中巻」という料理を好んで食べます。
〔後掲ニーハオTaiwan〕
「軟絲 ruan3 si1 ルゥァンスー」はアオリイカのことを指します。「擬烏賊 ni3 wu1 zei2 ニーウーゼイ」とも呼ばれるそうです。〔後掲ニーハオTaiwan〕
台湾で最も多く調理されているのはこの「魷魚 you2 yu2 ヨウユー」かと思います。
魷魚 はスルメイカのことです。〔後掲ニーハオTaiwan〕
②虱目魚
台湾の国民的人気魚、サバヒーを探して
世界一の養殖量とも言われているサバヒー(虱目魚)は、ネズミギス目サバヒー亜目サバヒー科サバヒー属という、サバとはかなり遠い種類の魚。ネズミギス目というのがまずピンとこない。〔後掲デイリーポータルZ〕
どうやら、この日に「水源地」を見かけたつもりになっていた噴水の池は大抵このサバヒーの養殖場だったらしい。
台湾のみならず、フィリピンやインドネシアなどの東南アジアでも養殖されている、世界レベルの人気魚種。〔後掲デイリーポータルZ〕
サバヒーの特長はV字の尻尾。よって黄色いトレイに乗った左上の4皿がたぶんサバヒー。お店の方に「サバヒー?」と聞いたら、頷いてくれたのできっとサバヒーだ。
サバより一回り大きいくらいの魚なのだが、その売られ方が独特だ。お腹の部分がスパッと切られたり、さらにそこから側面の肉をそがれたりしている。〔後掲デイリーポータルZ〕
荒川惣兵衛氏(1898-1995)は名古屋の元英語教師で市井の外来語研究者だが、台湾の日本統治時代の影響が色濃い語彙も収録している。(略)さて、「サバヒー(虱目魚)」である。
学名 Chanos chanos
英名 Milkfish
北京語(虱目魚)shi1mu4yu2
閩南語:sat-bak-hi
これは、荒川惣兵衛(1967)には収録されていなかった。台南で友人が海鮮料理店へ連れて行ってくれた折、この魚の話になった。漢字を聞いて、日本語訳を調べてみると、カタカナで「サバヒー」と書かれていた。彼らに告げるとそれは台湾語だという。
(略)両目が脂肪性の膜で覆われているため、もとは「塞目魚」と言っていたのが、同じ発音であるため、「虱」の字を使うようになったとも(足立倫行『アジア海道紀行』(文春文庫))。〔後掲ことまな〕
もともと台湾では、台湾語を話す人と原住民と呼ばれる少数民族たち、それぞれ意思の疎通が難しかった。そこへ日本語が入ることで、共通語としての働きをしたと言われている。今でも「気持ち」「あっさり」「看板」「たんす」など日本語が外来語として定着している。
しかし、言語の伝播は一方通行ではなかったということだ。台湾語からも魚の名前など、日本語に定着したものがあったということはそれだけ、日本の人たちが台湾に馴染んで生活していたことの証と言えるのではないだろうか。〔後掲ことまな〕
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