m541m第五十四波m福清m石門 mm 三十九度の日照の音しづか

第二天

m541m第五十四波m福清m1.石門 2.橋下 mm 三十九度の日照の音しづか か苔清水 

本句

豆や断層揺らぐ音しづか
〔山形東◁28th松山〕
❛D❜ →岸本∶断層、揺らぐ、作った側の説明?
←日々刻々動いてる
→星野∶枝豆に込めた思い?
←土の上に成るもの。見えないものの上にある
→岸本∶不穏。しづかは色んな読みの可能性
←感覚が研ぎ澄まされて漠然とした不安
→実体験?
←私も囲む。でも自然災害の多さ
❛選❜ 岸本∶日々の暮らしの背景に不穏な底深い断層との取り合わせ。
長崎華人の里
・福清は
山あいの
静かな町です。
[本日合計]
支出1300/収入1370
    ▼13.0[③044]
    /負債 70
[本日累計]
利益 -/負債 700
九月十四日(天)
1148 大食堂 好味一厨
魚&魚&子芋 米飯 550
1640 誉道(協和店)
多分清蒸魚、西柿西鶏蛋、大根スープ、辛漬物、木桶飯550
1858 湖南双橋食品有限会社 爆品打卡 香鹵魔棒
梅見 370
[本日合計]
支出1300/収入1470
    ▼13.0[③044]
    /負債 170
[本日累計]
利益 -/負債 530
九月十五日(一)

 

0705出発。北の地鉄站・樹兜shudou──と思ったけどバスにしよう。古三座から。
宿のすぐ北の玉泉路沿いに水路があり高架がかかってるけどなぜか上がり口がない。
22路で火車站南広場へ。乗車時払い、一元。
樹兜から右折。やはりこっちが下町か。温泉公寓というのがある。

謎の「温泉公寓」──温泉アパート

福寿巷へ左折北行。水路で釣りをする人。街路樹はガジュマルだらけ。
右折東行。また川を渡る。これが前回の宿東の水辺か。バス停・地鉄斗門。左折北行。食堂多し。高架くぐる。
cotticoffeeという店が繁殖。
南広場手前でほぼ全員下車?0727南広場下車するも──駅はどこ?
ワンブロック東、BTの向こうでした。駅前は流石に好い店もあったけどチケットが先。

明天12点左右 泉州
今天現在   福清西

0800福州の新幹線改札前──あ、一応ですけど中国では飛行機と同じ行列方式(?)です。

G1609 0816開 広州南行がするりと買えた。これで福清西へ。
明日はD23311217発福州→泉州
二枚で93元、2500円かからないんだからまだまだ中国の交通費は安い。とにかく30分後に出発です。豆乳だけ買って侯車室へ急ぐ。
高德地图の電話番号登録によって前の「不正アクセス」時代のブックマーク(収蔵来)が消えてしまったらしい。出発前の作業がパーです。
やっぱりチケット感の薄いQRレシートのみの中国高鉄票

乗車。
たまたま前席の爺さんが福清西の到着時間を掃除のオバさんに訊く。掃除のオバさんなのにわざわざスマホで調べてご回答。福州南を経て0847着。
0815定刻発。すぐトンネルに入る。
0818福州→福清車窓

福州南前に大団地。地下2階が線路ほか交通路、3階の高さから伸びる高層ビル。この中州は未来都市になりました。個人的には住みよいと思えないけど。──福州からと同じほどの人数が乗ってきます。
0823福州南からの乗車客で賑わう新幹線車内

中州向こうの川を渡った。次は福清西とアナウンス。ちらちらと凄い集落が見え始めました。──そうか、明日、泉州への途中で下車する方法もあったか?荷物預かりがやや不安だけど……。
速度300km/h手前。速度制限でもあるのかギリギリ越えないスピードを保ってる。
電光表示に間もなく福清西、外気温30℃と。やや曇天。
0845定刻着。西の裏に派手な岩山。前のオヤジが足を踏んだ後、3度謝ってきた。
0846福清駅ホーム∶あんまり降りない。

0852福清駅出口。誰もいねーぞ?廃墟か?

凄え。何もない駅前。
バス停は高德地图では右折南側たけど、左折北か?
東側にも高山。中麓に巨大な寺。石竹山らしい。
芸術品みたいな福清駅

石竹山の寺院群を見上げる。

0859 823路乗車。0901開。川を渡り──西行?福清西站を時計回りに回って西行するらしい。線路西は市場。バス停・福清第三医院。──東西を勘違いしてました。西行中、中国海関、もう半ばまで来てる。
ここまで何度か「福新」と書いてました。急いで直す。
バス停・上鄭。通ってるのは清昌大道。
バス停・融橋観邸下車。0918
0978バス停・融橋観邸で下車

先にバス停裏に見えた自助式服装倉儲店というとこに寄って荷物にならないジャージに見えるムームーみたいなのを購入。75元。

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
高德地图(経路:バス停・融橋観邸~石门里)

0943自助式服装倉儲店脇のad.榕達路25へ入る

0940その西側路地から南行。ad.榕達路25。
0944榕達路25付近の壁の上

榕発路にぶつかる。左折東行。
0946榕発路へ入る

0948榕発路の寸景

道なりに南へ。0949榕発路46の先にバイクの行き交う道。ここは左折東行か。榕達路45?道の名前が戻った?
0949榕発路から再び榕達路へ出る角

0951多樂多便利店でまず水を買う

0951多樂多便利店。日が照ってきた。たまらず水を買う。飲みつつ高德地图を見直すと──便利店に入らず直進が吉??さっきのT字を右折南南西行ということか?
戻る。
1002T字の起伏に隠れるような亀甲墓

T字路──先は気づかなったけど──北東角に亀甲墓。沖縄のと違い戸口は塞がれてる。いや墓碑をのければ穴があるのか?
1003亀甲墓入口拡大

1006亀甲墓の先のY字

その先のY字を左折南東行。1005
1006Y字左の榕発路を行く

ad.榕発路61、遊氏祖庁という明らかな古宅。中に福字が見える。
1010遊氏祖庁。正面奥の「福」が……心の清い人には見える。

1014古屯路に入る。

ad.古屯路に!
対聯に草をテープで付けてるのは、どうやら風習らしい。確かコレ……広州にも、あったな。1016
1016対聯に草をテープで貼り付る風習

T字路を左折東行。祭祀活動の通告の赤紙。達筆で読めない。王氏宗祠理事会2025.9.15発──って明日だぞ?
ad.榕旺路14。右に折れたくなる路地があるけどXの指す地点は直進。1022
1021榕旺路14付近

1018達筆もあって内容が汲みきれないけれど特定氏族に向けての重要通告掲示らしい。時々見かけました。

1023榕旺路の軒先

1024榕旺路の軒先の対(片?)聯

売魚の文字を見てるとお祖母ちゃんが指差して笑いながら「何をしてる?」
1026ad.榕興路に。小店・榕福店のあるガジュマルの広場・榕門公園。よほどの吉樹扱いです。ここがまさにX地点。
1028小店・榕福店∶榕門公園北対面

目的地の大厝≒古い居宅を壊してこの公園にしたらしい。中国あるあるの一足遅かったパターン。
少し休む。
しめた!高德地图に「不正アクセス」時代のブックマークが戻ってきてました。──よく考えたら、この現象も広州で既に経験したな。
それなら……よしもう一箇所いけるかも。

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
高德地图(経路:石门里~融侨观邸(公交站))

東から出よう。1037左折北行。

1038公園北のY字の駐車場

1040Y字を左の路地へ。この地点が駐車場になってて、西側に古宅の片鱗多数。
1040西方に僅かに残る古厝

ad.榕興路10雲興東境と掲げる……これは金炉があるから祠か?1044──扁額の「境」字は境神を指すかもしれないけれど、この位置はいかにも集落中央です。
1045榕興路10「雲興東境」祠

この北側へ入ってみる……いや?道を間違えてるらしい。恵盛便利店の北に戻って西行。1049
1054榕学路からバス道への北行路

榕学路から北行へ。バス道。何か食えないかと裏道に入ると石門第一家や石門村衛生所などが隠れて賑わっています。
1055バス道裏道

1106バス道裏道の海鮮レストラン・石門第一家

ただお一人様のいい感じの店がないので……バス停・融橋観邸へ。──バス停名は違うけど?ここ?違う路線は止まったから──腰を下ろしてしまう。73路を待つ。暑いぞ!
1150バス停・融橋観邸後方の歩道より。とっても快晴!

タクシーがプップッとしてくる。いや待つぞ。823路が来て、これに乗れば西站に帰れるけど、いや待つぞ。
汗だく。今日ムームー買えといてよかった……。上半身裸で原チャ飛ばすオヤジ。あれ気持ちいいだろうなあ。
73Aというのが止まらずに通過。どゆこと?1128、中国海関で降りて一駅歩こうか?
なら73だけじゃなく806 823 21まで選択肢が広がる。
1234 823に乗る。あー死ぬかと思った。
1134、823路車内で空調に癒される。

1138バスの風に癒される間もなく中国海関下車。
1148 大食堂 好味一厨
魚&魚&小芋 米飯 550
大食堂 好味一厨の魚&魚&小芋

好味一厨のボラ?南蛮

ボラみたいな魚のぶつ切りを揚げたもの。アジ南蛮みたいな歯触りながら酸っぱくはなくジワリと味わい。
好味一厨の小芋サラサラ煮

小芋も何度か食べた記憶があるけれど、日本の出汁味だけでなく何かグニュッとした汁。一般に言う中華らしい調味料は一切感じないのに、どこをどうしてこういう味が生まれるんでしょう?
好味一厨の鮭のトマトdeちょい辛ソース

極めつけは鮭らしき魚の切り身を唐辛子まみれにしたもの──だと思ってたら、トマト味でした。トマト味でピリリと唐辛子ならイタリアーノですけど、これは安物中華によくある唐辛子の軽い酢漬けですから、味覚のコアは唐辛子。
中華料理のコリアン化──というとどっちもどっちで怒るかもしれんけど──とにかくそういう「暴走」を感じる料理でした。
しかもそれを、それなりに保守の色彩の濃い福建でとは……。

1218 后鉄埔を南へ。食堂街から問屋街と姿を変え続く。

1221后鉄埔を南行

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