※沖縄語→和訳:神聖な場所
(「しままーす」でメモしたはずですけど、他にヒットがなく、自信ないです……。霊力(せじ)が高い場所、か?)
目録
まるなが発よかつ阿麻和利市場
上の図に引いた直行する二線は、それぞれ全く独創ではありません。
青線は「龍神風道」と呼ばれます。次の4点(久高以外は黒指差)を結んだものです。──龍神風道はそもそもこの四島ラインを象徴するもの、とされるんだそうです。知らんけど。
②浜比嘉島:シルミチュー
③津堅島
④久高島
URL:https://okibluesky.com/%E9%BE%8D%E7%A5%9E%E9%A2%A8%E9%81%93_%E3%82%8A%E3%82%85%E3%81%86%E3%81%98%E3%82%93%E3%81%B5%E3%81%86%E3%81%A9%E3%81%86/
赤線はよく知られた線です。①首里城、②斎場御嶽、③久高島のライン。下記「追跡アマミキヨ」さんはここから踏み込んで、首里→久高は沖縄の冬至の日の出、及び十二支の龍の方向としています。知らんけど。
URL:https://mintun-exblog-jp.cdn.ampproject.org/v/s/mintun.exblog.jp/amp/239757302/?amp_js_v=a6&_gsa=1&usqp=mq331AQKKAFQArABIIACAw%3D%3D#aoh=16372946756125&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s&share=https%3A%2F%2Fmintun.exblog.jp%2F239757302%2F
最初に触れたとおり、この二線は垂直に交わります。その地点が、久高島です。
もちろんこれは人為ではない。青線の本島東海上の島の並びは、本島自体と同系の造山運動の結果でしょう。それが全く異なる自然の系・天体現象の冬至日照や中国由来の龍方向と垂直なのは、単なる偶然です。
ただし、龍神風道の存在は、このような広域の位置関係をうちなんちゅ、なかんずく久高人ほか海人は昔から頭に置いていたことを予想させます。
GM.(経路)
1143、まるなが発、北へ。
正午1前に16号を右折、一気に東へ。勝連城を見る。
1205、与勝中学校。タウンプラザかねひでの名前が──「よかつ阿麻和利市場」?
1213。海中道路西口に到達。
1222。平安座島に入る。風がややあり怖いけれど、路側は広い。交通量もさほどでないので……まあ何とか。
橋向こうを東側へ折れる。
1227、与佐次川と書かれた看板。この上が平安座東城になるらしい。丘陵状の台地の端。
──どうやら、この「丘陵」の上だったらしい。集落図を今見ると……。
ヒヤモザとアガリグスクの在りし島
西北西から東北東へ、櫛のような細い路地が並んでいます。
迂闊にも……気配すら気付けませんでした。立地的には糸満・真栄里の集落に似てますけど、この細短冊の形状は、まさに、台湾・北港朝天宮周辺街区の古史料で見たあのカタチです。

GM.を拡大すると、小さな拝所が幾つも浮かんできます。
ただ、糸満や屋嘉の収容所跡の町割にも似ます。碑後掲「戦世からのあゆみ」によると、平安座島も戦後収容所になった土地の一つで、人口八千の「平安座市」があったという。平安座の集落構造が、古くからのものか米軍による現代製なのか──見過ごしたから判定できずにいます。
「へんざ」と読む……と今知りました。古い土地です。
方言でもヘンザという。沖縄本島中部の東海岸、勝連(かつれん)半島北東方の平安座島に位置する。「おもろさうし」に「ひやもざ」「ひやむざ」と見え、「ペリー訪問記」の地図にファニア(Fania)と記されている。(略)集落は、15世紀初期に西城の下(西村渠)から海浜に移り、その頃から3つの集落が形成されていた。〔角川日本地名大辞典/平安座〕

島の中央部を北西から南東に丘陵が連なり、最高地点は115.6mの西城で、この辺りは古代集落の発祥地といわれる。東端にアガリグスクの聖地がある。両グスクの神体は螺殻である。この類の伝承は伊計島の伊計城、浜比嘉島(勝連村)の比嘉城・アマンジ祠・チンウガンにある。〔角川日本地名大辞典/平安座島〕
標高百mを越える最高地点に集落?──これは後に訪れる喜界島・城久に似てます。
海の蒼が物凄い。
護岸にアートコンクールと称し各学校に絵を描かせてるらしい。人出のため側道細し。
アカヒグチには漁港とタンク
1244、平安座島北側。巨大な石油タンクが並びます。元の集落はこちらにはなかったんだろうか?
航空画像で見ると、この石油タンク群の異様さが顕著です。米軍ルートでメジャーがゴリ押したんでしょうか。
宮城島へ入る。水道の宮城側はそれなりの規模の漁港になってます。ある程度の沖まで出る中型船に見えます。
間違いなく潤沢に補助金が注がれてます。平安座側タンクの運用会社は沖縄石油基地㈱、先に通り過ぎた「平宮護岸アートコンクール」をうるま市と共催してます〔後掲沖縄石油基地〕。
平安座島と宮城島間には、かつては、アカヒグチという潮汐の流れでできた1本の浅瀬のダーネグフ(寄り砂の盛上り)があり、平安座島から宮城島の桃原へは干潮時にはこのダーネグフ上を人馬とも歩いて渡れた。〔角川日本地名大辞典/平安座島〕
アカヒグチもダーネグフもヒットがなくて分からんけど──語感と書き方からして、前者が方言で、後者が専門用語でしょうか。
いずれにせよ、水道の「アカヒグチ」の現在の光景は、戦後に激変せしめられ、造られたものです。
〔日本名〕龍神風道
〔沖縄名〕果報パンダ(かふーぱんだ)、三天御座(さんてぃんうざ)
〔米軍名〕-(沖縄戦時:1945.4.7米海兵偵察大隊占領)
道の整備度は、水道部を離れた途端にがくりと落ちる。側道に雑草がはみ出してる。
1253。「ぬちまーす」看板で右折。
1258。「ぬちうなー」到着。GM.上は「ぬちまーす観光製塩ファクトリー」と記されてます。
ここに三天御座(さんてぃんうざ)、はなり獄、果報パンダ、そして龍神風道がある……はずなのですけど。
龍神風道から久高を見ず

2009年5月、ぬちうなー安全祈願のお祓いを御願いした際、ぬちうなー神主さんから「近くにとても強いエネルギーを感じます」と教えていただきました。ぬちうなー敷地内で最初に発見され、最もエネルギーの通りがよいパワースポットです。〔案内板〕
龍神風道。他のツアーガイドさんが解説してるのを盗み聞きしたところでは……久高島が浜比嘉島の影に隠れる形になってる。つまり直列してるらしい。
ただ──果報パンダの名があるからには古くからの聖地ではあるけれど、そうか、今世紀に「再発見」されたのか。沖縄では今も、聖地が創られているのです。
北側の小高い場所に登る。1319、三天御座(みてぃんうざ)。
天と地、そして海の、沖縄の3つの神様が三天御座に集まると言われ、ここから敷地内のあらゆる場所へエネルギーが流れるとされています。〔後掲たびらい〕
へえー。
1322トップ、果報パンダ。三天御座はこの頂上部の影に当たる場所です。
もう東に島影はない。
はなり嶽──これがこの丘の総称とある。
もっとも、これらは昔の由緒書きとかじゃなくて、ぬちまーすの敷地内案内らしい。これだけでは元々どうだったのかはよく分からない。でも海人にとっての重要な点ではあった、ということでしょうか?
はなり嶽を背に南行
全く分かりません。
「再発見」前から霊力高い場所だった可能性も感じるし、現状はやや無理やりな観光地だし、それでも微妙な手がかりはパラパラとあるし──本当に分かりません。
沖縄の聖地です。
1335、エンジンをかける。
藪の中の御嶽歩き以上の現世復帰感。頭の中、真っ白です。
再び南へ。
1357。海中道路東。
南の海は遠浅らしく、釣りびとがかなり沖に立つ。奇岩も並びます。
パワー汁!!がねのやぎを喰らえ!
ガーン!
券売機の「骨汁」ボタンに「×」マーク!
でも壁を見ると──「やぎ汁あります」の貼り紙が……そうか!がねの「やぎ」かあ!!
1412 がね食堂
やぎ汁500
がねで1500円なんて信じられない。でも一度食べてみたい!がねのやぎ!!!
ここは何だか……大食い食堂としても名を知られるようになったらしい。チキン何とか丼という凄まじいデカさの丼が入口にありました。
お味の方は……やぎ肉がプカプカ、というのでもなく、野菜一杯でもなく、まさにパワー汁!!という碗でした。
この時はそれでややガッカリしたんですけど、今から考えますと──沖縄のやぎ汁って元々はそういう、まさに汁物!という料理だったのかもと考えてます。肉プカプカが今風なのかもしれません。
17時丁度、既に馴染んだお宿、那覇・シーサーインに辿り着きました。
沖縄の聖地巡りは、疲れます。特に、今回は縁があったのか──迂闊にパワフルな拝所を巡ってしまいまして、辿り着いたというのが正確です。
なのに、というかそれ故に、なのか──入ったお部屋の裏道からは亀甲墓がもろ見下ろせました。那覇市内ど真ん中の古墓群を覆う藪の上を、紫の……昼顔だろうか?冥く艶やかな円形の花々が疎らに彩ってます。
MEMO∶海を臨む「ぱんだ」
インドネシアのスマトラ島北端に位置するアチェ州都を、バンダ・アチェ(インドネシア語:Kota Banda Aceh)といいます。映画「海を駆ける」の舞台になったので、映画内のインドネシア語パートで気づきました。
バンダ・アチェのバンダはペルシャ語のバンダール(Bandar、日本語で港の意)に由来する。
アチェ川河口に発展した港町で、かつては胡椒の積出港として栄え、16世紀以来アチェ王国の王都であった。〔wiki/バンダ・アチェ アチェ州の州都〕
同じ「Bandar」を語源とする地名には
マレーシア∶Bandar Baru Selayang バンダル・バル・スラヤン
インドネシア∶Bandar Lampung バンダールランプン (スマトラ島)
があります。
沖縄のパンダは「崖」を意味しますけど、「海を臨む場所」と広義にとると関連性を疑えないわけではない──と思えましたので、一応メモといたしました。