▼▲1149橋を渡り右折,大宜味集落へ。▼▲
湾に出てしまった。舟影がゼロです。
頭上のラッパから正午のオルゴール。森川子の宮。
鳥居。左手にガジュマル。中途左に柵のある祠。奥に庇の片方欠けた祠。
後方は学校,イビはない。おそらく(校地が出来る前の)海がイビです。
手前祠には石一つ。奥には石沢山。形もばらばら。
鳥居前の広場がモーアシビなどのためのパティオでしょう。
1209こども会館前右手隣の空地にも小さな祠。供物なし。ただ燃えカスあり。
塩屋湾を回ってみる気になりました。共同店から右手湾奥側へ。1213
1215屋古。蝉時雨のみ響く。「チョウの採取禁止」看板。
1219田港(たみなと)。入ってみる。
最奥,田港根神屋。
まず東屋。右脇から奥に道。奥へ進んだけれど本当に果樹園(シークァーサー?)だけしかない。
東屋にも拝みや供物,壇はない。ただ周囲の低い石積みが,ここに古くから何かがあったことを物語る。
つまりこの根神屋は,本当に湾と集落を見下ろしているだけの神なのです。
これこそ本物だと感じる。
帰路,ウフエ屋と記す拝所ひとつ。上にあるビニールハウスの骨みたいなのは,日除けをして宴会をするためでしょう。
1244塩屋湾最奥には二機のクレーン。「大保」という地名はまさに香港です。
地形が違うのか南湾岸は山道ばかり,おそらく最近までは北湾岸道だけだったのでしょう。これが東村との連絡路にもなってるらしい。1253。
1255津波T字路でようやくR58に戻る。左折西行。
1308源河。ここも気になるけれど雨がどうも迫ってる。
1315稲嶺三叉路を左に入る。北は晴れてるけど南は黒い。その境が頭の上にある。
田井等の交差点辺りは道幅がほぼ百メーター道路状態。ここが収容所敷地跡だと推測する。
名護に入ると,路側が水で溢れてる。どうやら集中豪雨が名護にはついさっき降って,今はほぼ上がった,という状態らしい。不可思議ながらとにかく雨にはかからずにすんだけど……だからこそ気がまだ晴れなので35km亀さん運転で名護にたどり着かと──
開いてた!!
1344オリエンタル食堂
ほね汁550
沖縄人もここの骨は濃過ぎて賛否両論らしい。
個人的にはコテコテ感がここまであるのが気に入ってます。山原で食えるのはここだけじゃないだろか?これだけそば屋があるのに,なぜなんでしょう?豚骨への依存度はむしろ中部より強い感があるのに。
山原のこの店がなぜ中部由来のこの料理を供するようになったのか,どうもよく分からない。でもメニューの並びでもスミにあるから,店もおそらく隠れた名物として売出してる感じです。
宇茂佐の森三丁目(→GM.)の「まるふく」へ行ってみたけれど,コロナ対策かGM.上の閉店時間より早く既に閉まってました。そば屋も同じと思われる。どうしよう──と帰りかけてたら。
二回目位の名護で通りがかりの弁当屋で買った弁当に無茶苦茶に感動した記憶があります。それ以来,沖縄でしばらく弁当にハマっていたほどですけど──買ってみるか?
最後に一つだけ残ってたヤツをゲット。ついでに隣にあった唐揚げ屋にも寄ってみる。
結構有名らしく,他の客は全て予約して受け取りに来てました。
福まん家名護本店
「元祖長崎 発祥の店 県民 あご出汁から揚げ」
「アゴだしと椿油でサクサク,つやつや」なんだそうだけど──
宿での実食結果。唐揚げは中津とかとは全然別物の爽やかな揚げ心地。変な言い方だけど,上品な天ぷら屋の鳥天みたいな歯応え。折角そうしてあるのにこれに,ニンニクむんむんの(宿でエレベーターの中に臭いが残ったほど)ソースがどっぷり。面白い味覚を創造するものです。
弁当は──なぜでしょう?記憶以上に旨かった。特に(写真手前の)ヒジキのイリチャーみたいなのがトンデモなかった。ハンバーグとか洋食系は和食のフワフワさはない。何か味覚のコントロールが名護は微妙にズレてるのでしょうか。
最後の屋部川を闇の向こうに感じつつ帰着。川音を聞きながら(階が高いし窓があるから,もちろんそんな気だけしながら)過ごした名護の最終夜でした。▼▲