FASE87-1@deflag.utinaR409withCoV-2_BA5#陽を罅ぜる花弁 今咲きしニーブイ\大浦アサギ庭榕樹

※七月の花冠ひらいて日をこぼす 興南B
※※ニーブイ∶野菜(葉茎菜類,ユリ科,本島北部(特に今帰仁村)で生産)
・1〜6月は葉と白茎を,9〜11月は花を収穫。→故に秋の季語に替えた。
・名称 (沖縄)方言名∶(沖縄本島)クワンソウ (宮古)シファンツァ (石垣)パンソー (俗称)ニーブイ{眠り草}
(日本)常葉萱草(トキワカンゾウ),又は単にカンゾウ (俗称)あきのわすれぐさ
・産地沖縄では,以前は家庭菜園で生産されたが,食用より伝統薬として用いた。滋養強壮や眠りを誘う薬草として。琉球王朝時代の宮廷料理にも重宝された。〔後掲くゎっちーおきなわ,沖縄CLIP〕
・生の蕾には毒性があり,食用には必ず熱を加える。〔後掲第一三共〕
※※※罅ぜる∶草木の実などが熟しきって裂ける。爆発させる。(クワンソウの花に爆ぜる習性はない。その花弁の見かけと毒性のエゲツなさから,爆ぜるイメージを持った。)
いくら観光客でも
日に二食
ヤギ喰うのは
反則です。
[前日日計]
支出1300/収入1200
    ▼13.0[364]
    /負債 100
[前日累計]
利益 -/負債 314
九月二十一日(三休)
1030まるみつ
百円そば(てびち)200
1309やぎとそば太陽
やぎ汁(脂3倍,フーチバー多め)450
1557南山
山羊汁(脂,よもぎとも多め)450
1900 なかむら製菓
くんぺん,紅芋タルト200
[前日日計]
支出1300/収入1200
    ▼13.0[364]
    /負債 100
[前日累計]
利益 -/負債 314
九月二十二日(四休)

 

いちち 五日目

原・名護湾のイメージ∶フィンランド多島海域(サーリストメリ)の一部(レンピサーリ周辺)〔後掲wiki/多島海〕※「多島海」は英語の archipelago(アーキペラゴ)の和訳として発見・創造された語。

海に岩場が散在していた昔の名護湾(のイメージ画像)。
 そこでは、これら岩場がそれぞれ「奥武島」だったのでしょう。霊場、あるいは墓の島でした。これらが埋立て後、市内に散在する御嶽っぽい丘になっているのだとイメージします。
 昨日、一昨日となぜか……腕時計を外したままでした。今朝は3日ぶりにこれをはめて南へ発つ。0736。遅くなった。
──次回以降のハマりように比べると、原付を転がしてきたにも関わらず、三日も居らずに退散してます。まだ「山原病」の症状が軽かったのです。
 なぜか熱がやや残る。傷の故か、あるいは脇腹に残る打撲のためかどうかは分かりません。
 さて、今朝はまずお詣りします。

名護を去る前にくさてのかみ拝む

西から名護中学校→名護幼稚園→名護小学校が並ぶ斜面沿いの道

755。初めて通ったんじゃないだろうか。名護中学校、同小学校前の道。生徒が旗を振りまくってるこの段差沿いの道こそ、多分古道です。
 護佐喜御宮の直下に原チャを停めました。
正面参道左手(西側)のアコウ

ず左手に、アコウの大木。
 根元に祠はないけど、何か祭祀の跡らしき灰。先走るなら、この神木が宮の基かもしれません。
護佐喜御宮本堂前

の、かなり豪勢な造りのコンクリートの祠には──何と賽銭箱のみ。神体はこの先の急階段の上で、そこには進めなくなっている。
 沖縄のでも、日本のでもない変な拝所です。
急斜面に張り付くような奥宮

り込んでみる。
 行けなくなってる奥宮は、傾斜面に埋め込まれたような配置。イビの森そのものから、祠がニョキッと生えて来たような構造です。これらが全て南西、つまり海を向いてます。
 護佐喜宮管理者と名護警察署の連名で「神域内での遊興や(飲酒)を禁ずる。」(ママ)と警告看板。よほど宴会が多くて問題になったんでしょか?それとも性格の違いからでしょか?
「護佐喜御宮」石碑裏表示∶「昭和二年十二月起工昭和四年三月竣功」(ママ)

段右手の「護佐喜御宮」表示の石碑には裏に何と──「昭和二年十二月起工昭和四年三月竣功」(ママ)。この碑に16か月というのはおかしいから、多分宮全体がこの時期に、ということでしょうか。
 あと、ここの祭神は「後手神」(くさてのかみ)〔後掲八百万の神〕。この神サマの名前でググると護佐喜御宮しかヒットしません。どのサイトにも「5か所の住民を後ろ手で護っている」というよく考えると理解不能な文句が頻出します。

功徳足りない絶景や 野分晴

🛵

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路∶護佐喜御宮〜R18〜大浦〜辺野古ルート)

て。功徳も積んだし安全運転で南行して大丈夫……かな?
 0817。オリオンビール工場前のT字を左折、R18への登りにつくけど──この道かよ?
 いきなりの高架。まあ山間で風はなかろうけど。ここだけの話(何度も書いてるけど)高いのが少しだけ嫌なのよね。これは功徳が足りなかったらしい、やっぱ。

名護中心部望見(次写真はほぼこの西側パン)
名護湾望見(前写真はほぼこの東側パン)

824。ここからの、名護の眺めは、いやあ誠に絶景ではありました。
 この道を戻るのは──もう怖くて戻れません。意を決しまして、進むことにする。交通量は少ないからね。ゆっくり行くにはベターなはずよ。……高くさえなけりゃね。

イボイモリ千匹 県道十八号

0832楽しい県道18号線

──「物注意」とだけ書いてある案内板(→画像)。動物の名を略してどーする?てゆーかそれは一番怖いぞ?「沖縄やんばるゴン」だったらどうしてくれる?
……って、ホントにいたら嫌なので、一応AIに聞いてみた。──存在するおるんかい!

?こいつか?
「たくさん」って──道路の向こうから百匹来たら嫌だけど、多分一桁台だろう。とりあえず安心。
「通行注意」という(趣旨はともかく)相当無理な警告看板

ボイモリ──ってどう注意すりゃいいの、そんなの。(──ないちゃー、かしまさんど)
 0843。トンネルと高架のコンビネーションポイントを通過。──高いじゃないか!コワイじゃないか!
 しかも……交通量は確かに少ない。でも少ないと思って、皆さん高速並みに飛ばしてます。
──県道18。少なくとも原付では二度と通らんぞ。
 0840。大川集落センター。

マングローブは禁煙です ウプラ

大浦マングローブ林

854、大浦マングローブ林の沈下橋。自然好きなら感涙ポイントだけどあいにく……。
 緊張感は途絶えたけど、ここじゃ流石にタバコは吸いにくいですね。
大浦マングローブの根っ子の降りる水辺

い。
 さっきまでタバコ吸いかけてた人間ですけど、香港で残滓をチラチラ見てきたマングローブの、完全な形を見るのは多分初めてだったと思います。
──マングローブは、写真だと意外なほど何でもないんですけど、現場での生々しさはゾクッとさせる強烈さを持ってます。
(再掲)原・名護湾のイメージ∶フィンランド多島海域(サーリストメリ)の一部(レンピサーリ周辺)〔後掲wiki/多島海〕

こは直線距離だと名護から10km離れてません。名護が多島海だったころ、そこには大浦同様のマングローブが広がっていたはずです。
マングローブ観察用の木橋が伸びてる。観光客誘致と自然保護の妥協点なのでしょう。

902、大浦集落。橋が見えた。
シュールな大浦集落表示。誰のデザインなのか、この筆致で統一されてます。

的地は特にない。引き込まれるように、集落に入りました。
 原付の音が物凄く気になる。静かな朝の集落です。
大浦集落ちょい覗き1

というのか……がっつりとした平明さを匂わせる集落です。
大浦集落ちょい覗き2

浦アサギ庭
〔日本名〕名護市大浦
〔沖縄名〕地名∶うぷら〔角川日本地名大辞典/大浦〕 あさぎみゃー
〔米軍名〕-

908、公民館。GM.には大浦農村集落センターとある場所だと思います。実際はパティオのようなスペース。
 大浦アサギ庭(みゃー)のガジマルは──

名護市指定文化財(天然記念物)(略)
アサギ庭を囲むようにアサギとニガミヤーが向かい合い,広場はエイサー・村踊り・ウシデーク・アブシバレーなど村の行事を行う大切な空間となっている。(略)

例のシックな「ウシデーク」解説。十五夜に行われる男子禁制の踊り(盆踊りではなく,久高と共通する神遊びと思われる)

民俗のほかは水没したムラで

(続)近年は南根腐れ病の感染により,樹勢が衰え,令和2年1月,惜しまれつつその生涯を終えた。
樹齢約110年 樹高約16m 胸高周囲約3.3m
令和2年(2020年)3月
平成18年2月15日指定
令和2年3月  解除

 すると、この訪問時(2022.09)の30か月前まで立っていたガジュマルだったらしい。多分天然記念物指定時点(2006年)で樹高約16m、胸高周囲約3.3m、樹齢約110年と推定されていたそうなので〔後掲みさき道人〕、約120年間ここに立っていた榕樹でした。

ガジュマル説明板中に掲げる最晩年の村衆とのお別れ写真

に「津波襲来の碑」。1960年5月24日にチリ中部地震の津波が数回に亘り襲来して「大浦橋が全壊 護岸も決壊 全家屋浸水」という(→巻末画像)。
 エネルギー量で東日本大震災の五倍、震源域長さ千km超と言われる観測史上世界最大級のチリ地震によるものなので、大浦及び本島東海岸がその時空上、常にこうした神威に晒されてきたのかどうかは未確定です。ただ言えるのは、大浦集落のインフラは1960年以降に再構築されたものだということです。
 多分そのことは、この地域が民俗伝承を維持し続けるエナジーの源泉になっているでしょう。極端に言えば、民俗以外に過去と繋がる媒介はないのです。
広場東の神屋(祭壇全体)

根屋とアサギ庭のありてウシデーク

広場東の神屋(祭壇のみ)

アサギ。
 方形東屋に祭壇一つ。供物はコップ二つ(多分清酒が入ってる)の間に塩の皿。神体は平たい石。
 神体前面に、米粒が更に供えてある。無造作に見えるけれど、何か一定のしきたりに従って供えないと、こういう姿にはならないはずです。
広場西「根神屋」全体
広場西の根神屋(祭壇のみ)

浦集落センター敷地内に赤い祠。「根神屋」と表示あり。
 鉢植えのほか,白磁,花瓶,ロウソクと手がかけてある。神体は長石三つ。
 知る限り、根屋にーやの場所がそのまま神アサギになり、かつ祭りの場として用いられ続けているのは稀だと思います。要するに、ムラを構えてから現在までブレがない。──あるいは津波で壊滅したから、このセンターに過去に繋がる全てを集約したのでしょうか。祠の新しさからは、後者のような気がします。
広場から北の集落光景

935、大浦橋を渡る。
 快晴、激しい陽光。
 ウインドブレイカーを脱ぎ、座席下に押し込みました。
🛵
「次々と来襲したチリ津波によって、大浦橋(全長100メートル)が橋の袖もろとも決壊、約70メートルも押し流された=1960年5月24日、久志村(現名護市)二見」〔後掲沖縄タイムス+〕

■レポ:いちゅなさん大浦人

※ いちゅなさん∶(沖縄語)忙しい
 どうも久志など名護市の東海岸には共通したことらしいけれど、大浦の年中行事は毎月どころか、多い時は十日おきくらいで連続するみたいです。東南アジアでこういう所が時々ありましたけど──

大浦の行事・活動一覧 昭和60年1~12月
1・1 新年祝賀会、ハチウガン
1・8 初常会 *毎月8日に定例会
1・28 ウニムーチウガン(旧12・8)
2・22 カーメー(旧1・3)
3・24 田植御願(旧2・2)
3・28 田植御願(旧2・8)
4・8 部落総会
5・12 ムラブー(部落内排水溝等の共同清掃作業)
6・2 田植御願(旧4・14)
6・9 アブシバレー
6・16 産業視察研修
▲三日崇・稲穂祭(由来記)
7・15 盆踊り
7・28 区民運動会
▲稲穂大祭(由来記)
8・10 青年会・成人会の懇談会
8・22 タナバタ(旧7・7)
9・15 敬老会・ゲートボール大会
9・24 ヨハビウガン
9・27 柴指
9・29 ウシデーク
10・13 ムラブー(水源地周辺の共同清掃作業)
10・吉日 ハルグル御願
10・22 菊酒御願
10・28 十五日ウガン
11・6 部落健康講座
11・25 タントイ(旧10・14)
12・12 ウンネーウガン
12・25 キリシタン、忘年会〔出典:「わがまちわがむら」←後掲Nagopedia〕

「大浦アサギ庭のガジマル」と供養祭に参加した区民ら=4日、名護市大浦〔後掲琉球新報2020.01〕

 どうも分からないものが沢山あります。繰り返し行われる田植御願とは、他地での親田御願のような稲の起源にまつわるものでしょうか?
「キリシタン」というのだけは調べきれました。薩摩時代には沖縄にも厳しいキリスト教禁令が敷かれ、宗門改め帳の提出慣行があったらしい。それが何をどう変節させたのか、現代の沖縄ではクリスマスに、その年に生まれた赤ん坊を祝う会に発展したんだそうです〔後掲 Nagopedia – キリシタン〕。糸満エリアではより原義に近い「キリシタンチョー」(切支丹帳)と呼ばれる行事です。

近世の大浦村の拝所として、「由来記」(1713年)に神アシアゲが記されるが、御獄の記載はない。神アシアゲの祭祀は汀間巫(ノロ)が司った。当時の月々の祭祀は、一覧表の「由来記」記事に見る通りである。
現在、集落の南の山上に大浦御獄がある。公民館の近くにアサギと根神殿内、その東側の山すそにハミガー・ウプガーという拝井泉がある。さらに、集落の北に離れて大川部落の入口にフェーシという拝所がある。また、御獄のすそ、海岸に突き出した岩の上には「海神」と記された拝所もある。〔出典:「わがまちわがむら」←後掲Nagopedia/大浦の伝統文化〕

 公民館のアサギと根神殿内については本稿内で見た通りですけど、それ以外は全く分かりません。特に、海域アジア指向の本稿としては海岸に突き出した岩の上の「海神」は興味深い。深いし、下記の通り実在は確認できますけど、位置は不詳です。

名護市大浦の「海神」〔Instagram/joukydc 2025.8.31〕

来る月も来る月もまた祭りの日

現在も続く伝統的な年中行事は、旧1月3日のカーメー、2月の田植御願、4月のアブシバレー、8月のヨハビウガン、ウシデーク、9月9日の菊酒、10月のハルグノレ御願、タントゥイなどがある。また、新暦の12月25日はキリシタンという行事もある。
芸能
大浦の村踊りは旧盆に行なわれる。以前は16日を正日にして3日間やっていたが、今は踊り手となる若者が少なくなったため、1日だけになった。戦前までは大川・二見も参加し、大川は棒、二見は狂言を得意としていた。大浦の得意とする踊りに、柳・かせかけ・ゼイなどがあり、戦後しばらくまでは組踊も演じていた。得意の演目は「村原」の名で親しまれる「大川敵討」であった。踊りはアサギ前の広場にバンク(仮舞台)を造って行なっていたが、今は公民館の中に設置された舞台でやる。以前は道ジュネーもあった。根神屋を出て棒方を先頭に集落内を回り、広場に戻って舞台をひと回りして踊りに入った。
村踊りの中日にあたる15日の晩には、エイサーもやっていた。それも今は途絶えたが、ティーモーイ(手舞い)を中心とした踊りで、各戸を回っていたという。今はアサギ前の広場にやぐらを組んで盆踊りを楽しんでいる。
旧8月の十五夜には、部落の婦人たちがウシデークを行なう。〔出典:「わがまちわがむら」←後掲Nagopedia/大浦の伝統文化〕

「戦前までは大川・二見も参加」していたのは、多分ウシデークも同じでしょう。つまりこのエリアでのウシデークは、大浦に集結して行われていた可能性があります。
 後掲Nagopediaにはウシデークの解説として、「神を招き、持て成し、共に遊べば願いが叶えられるという祭祀観」〔後掲Nagopedia – ウシデーク/ウスデーク〕から来るものと記します。この沖縄語名詞、語源だけは珍しく異論がありません。踊りの旋律をとる楽器・臼太鼓(うすだいこ∶巻末補論参照)です。
 上記の成り行きで、かつて道ジュネー(巡行)までやってたものの、ごく簡素化されたものが現在ウシデークとして残っているらしいのです。

銀鏡臼太鼓踊(宮崎県西都市大字銀鏡 西都市指定無形民俗文化財)〔後掲文化庁〕

 そうした文化のコアっぽいエピソードからすると、「ウブラ」という音だけの呼称に「地域の中心集落」たる「大浦」の漢字を当てたのかもしれません。

仮設∶琉球諸島伝統行事名

 自信はないのだけれど、何となく、名護市東海岸に残る「あっけらかんとした」伝統行事が、ややバイアス又はガラパゴス化が進んだと思われる八重山や奄美のそれより(何らかの意味での)プロトタイプに近い気がしました。上記を元に、伝統行事のタイムテーブルを仮設してみます。──このタイプのものは、大抵、物凄い量のバリエーションに溢れてて、素人には何が骨格なのか混乱してしまうものが多いので、この規模のものをとりあえずのホールドにしたいと考えたのです。

仮設∶琉球諸島伝統行事名
[正月]カーメー∶水に感謝する行事。(辺野古)区内の井戸や川など水源を巡り拝む。〔後掲琉球新報24.02〕
[二月]田植御願∶?(前掲。≒親田御願?)
[四月]アブシバレー∶「畦(うね)払い」=虫払い。害虫駆除の意味合い。草が茂るこの時期に草を刈り取り害虫を駆除すると共に、神々様へ御願をして、害虫による被害から守られるよう祈願した〔後掲沖縄県メモリアル整備協会/アブシバレー〕。具体の態様として、農作物を食べるカタツムリ他を木の葉の船で海に流す。
[八月]ヨハビウガン∶八重山諸島のものが有名。収穫祭。新しい年の豊作を神に祈願。旧暦8月の亥の日から3日間実施。特に西表島では盛大に行われ、島全体が神事となるため、観光客の入域が制限されることもある。〔yahoo AI回答、出典不詳〕
[八月]ウシデーク∶(同上)神を招き共に遊ぶ。外観は盆踊りに近い。
[九月]菊酒∶チクザキ。健康祈願の御願(ウグァン)。態様としては泡盛に菊の葉を浮かべて供えるだけのシンプルな行事〔後掲沖縄県メモリアル整備協会2025〕。
[10月]ハルグノレ御願∶?
[10月]タントゥイ∶旧暦10月吉日。立冬。種子取。八重山諸島で行われる稲の播種儀礼。小豆飯、ススキの根の箸、サンゴ、ホンダワラ等を神仏に供える。〔後掲沖縄の伝統的な食文化データベース〕

 二種の色彩が入り混じってる感じを受けます。一つは、元々(面積のある耕地と同じ農法では)極めて困難だった農業の収穫への順調な推移を祈願するもの。もう一種は、より底辺にある海神との邂逅を楽しむもの。
 大浦は、土壌としては名護市街や羽地と同じ沖積土壌です。農地としての歴史は、多分沖縄で最も古い土地の一つです。

▶〔内部リンク〕→FASE80-1@#かねの骨\ぼーゔぁーのないん/■レポ:漢那 花丁字は記されぬ煌めき/沖縄土壌4種:沖縄土壌-国頭マージ-島尻マージ-ジャーガル
沖縄県の主な土壌〔後掲琉球肥料〕

大浦のロケーション

 あまりに魅力的なので逆行してしむいました。大浦の集落としての基本情報を、最後にまとめます。

大浦は、方言でウプラと呼ばれ、大浦湾に面していることから「大きな浦」とも、あるいは「大川」(宮城真治:沖縄地名考)とも解されている。多野岳の南斜面を水源とする大浦川(流長5.30km)が南流し、大浦湾に注ぎ出る。大浦川の河口付近にはマングローブの群落がある。
集落は大浦湾の奥、小字ウラトミ(浦富)にあり、大浦川の河口左岸の沖積低地に立地し、碁盤目状の形態をなしている。県道70号線(名護国頭線)が大浦橋で南に向けカーブし、県道18号線が大浦川沿いに北の大川に向けて通る。ナハミチ(那覇道)が、集落の景観を東西に二分する形で南北に通る。集落の背後(東側)は、ヤーヌイヤーマと呼ばれる丘陵地となっている。伝統的には、公民館を挟んで南北に区分されている。
主な施設に、大浦集落センター・大浦共同売店がある。〔出典:「わがまちわがむら」←後掲Nagopedia〕

 東の丘陵ヤーヌイヤーマの「ヤーヌイ」をググると伊平屋の地名と出ます。
 中央に通る「那覇」道というのは、那覇へ行く道という字義に採るのは不自然ですから、那覇に因む何らかの政治力による建設ということでしょうか?
 下記のような屋取が大規模だったことを考えると、その際に何かのインフラ整備があったのかもしれません。因みに人口比は
行政区 人口/世帯数
4. 二見(ふたみ) 83/49
5. 大浦(おおうら) 111/54
6. 大川(おおかわ) 58/36
〔後掲名護市、令和7年11月30日現在〕

▶〔内部リンク〕→FASE85-1@\ 湧川・勢理客神アサギ/MEMO∶発見された新民俗用語「屋取」

近世史料には「おほら村」「宇富良村」とみえる。廃落置県後、首里、那覇、泊、中頭や本部などから士族が移住し北部と西部に屋取集落をつくる。昭和2年、前者は大川、後者は二見として行政区が成立。戦後一時期瀬嵩地区(市)に属する。大浦湾は景勝地として知られるが、戦前には山原船の出入りで賑わった。大浦川河口には県内有数のマングローブ林が広がる。〔出典:「名護市の小字」←後掲Nagopedia〕

「瀬嵩」は大浦の東隣の字ですけど、戦後に収容所が置かれた場所で人口が3万人を数え、一時的に「瀬嵩市」になって〔後掲名Nagopedia – 瀬嵩〕大浦もそこに吸収されたらしい。
 多分、その頃、占領までの時代まで、やはりこの大浦にも山原船が入っていたと記されます。

沖縄エイサー用締め太鼓〔後掲ヨケマン 図2. 〕

■レポ:臼太鼓は「みやきせん」のリズムか?

 臼太鼓の「臼」というのは、国頭郡恩納村で木の臼を太鼓代わりに叩いたことに由来すると言われます〔後掲ヨケマン〕。沖縄でブームとなった原初形態が「臼」だったらしいけれど、後の臼太鼓は「締め太鼓」と呼ばれるもので、臼を叩くのとは音の出る構造そのものが異なります。
 鼓は大別して、胴太鼓と附締太鼓(つけしめだいこ)があり、前者はケヤキなどの丸太をくりぬき端面に皮を張ったもの。胴の長いのを長胴太鼓(ながどうだいこ)、短いのを平胴太鼓といいます。対して締め太鼓は、両端の太鼓の皮を紐などで締め、この紐の締め加減で音を調節できるようにしたもの(上図参照)。ただし近年は、桶胴太鼓(おけどうだいこ)という、胴太鼓と締め太鼓の特徴を生かした大型のものも製作されてます。鉄の輪に皮を張ることで、これを紐でチューニングして使えるようにしたものです。
 臼太鼓踊りで用いる臼太鼓は、概ねその可動性ゆえに、大型の桶胴太鼓ではなく、締め太鼓を使うのが一般的です〔後掲ヨケマン〕。
 さて興味深いのはその分布で──

図9. 九州南部の臼太鼓踊り分布〔後掲ヨケマン〕

図9は九州南部における臼太鼓踊りの分布であり、人吉球磨盆地は密である。図にはないが奄美大島には「ほうらしゃ六調太鼓」という踊りがある。図10は沖縄本島北部の「臼太鼓」の分布で、音楽学の小林 公江氏の「沖縄本島北部の臼太鼓」をもとに筆者が作図したものである。やはり「臼太鼓踊り」は南からやってきていたようである。このような踊りだけでなく、後述する「牛深ハイヤ節」や「球磨の六調子」なども、これら南方の地を経由して球磨地方に伝わってきたと考えられる。〔後掲ヨケマン〕

図10. 沖縄本島北部の臼太鼓の分布〔後掲ヨケマン〕

 ヨケマンさんの論考趣旨は人吉球磨地方の臼太鼓の由来なので、本稿とは少し異なります。当面問題になるのは、牛深ハイヤ節と同じというならば、牛深など島原半島から長崎にかけての西九州に臼太鼓の残存が少ないことです。

▶〔内部リンク〕→m17f0m第十七波濤声mm熊本唐人通/熊本県 012-0唐人通\熊本\熊本県/■論点3:ハイヤ節はなぜ、どこから来たか?
「牛深ハイヤ節」をルーツとする「ハイヤ系民謡」の伝播先〔後掲牛深ハイヤ祭り〕

 また、ヨケマンさんも記しているように、この分布を一文化圏と見るには、中央にあたる奄美諸島付近に臼太鼓の芸能が薄いことは、仮説にとって致命的に思えます。
 ただそれにしても、臼太鼓の文化圏が九州では南半、沖縄本島では北半で途絶えているのは非常に興味深い。 
 後掲久万田は、沖縄本島の臼太鼓と奄美諸島(大島ほか喜界島・徳之島)の八月踊りについて、旋律の類似の他、何れも女性が主格に立つ集団太鼓輪踊りであることから、類似性を指摘しています。
 年中行事としての芸能は、基本的には一種のブームなので、簡単に変節するものだと思います。元々の単純な締め太鼓の技術とプリミティブなリズムの文化圏が、その後の新奇な音楽の構築で、一種の方言周圏論的な虫食いが起こった結果、奄美大島付近は抜け落ちたのではないでしょうか。
──とすると、もちろん最初にヨケマンさんが掲げた九州南半・沖縄本島北半も、九州北半(西半)・沖縄本島中南部での新しい音楽の勃興による虫食いと想定することも出来てしまうんですけど……感覚的には、女たちがゆっくり踊りながら神と遊ぶというセンスは、「みやきせん」海域のリズムに共鳴する気がするのです。

〉〉〉〉〉参考資料 

(ういき)
wiki/多島海
(うしぶ)牛深ハイヤ祭り/ハイヤ系民謡のルーツ「牛深ハイヤ節」 URL:https://ushibuka-haiya.com/about/
(おきなわく)沖縄CLIP/島の恵み、島の味 その36 クワンソウ
URL:https://okinawaclip.com/ja/detail/2189
(おきなわけ)沖縄県メモリアル整備協会 
2019/「アブシバレー」は旧暦四月☆「虫払い」の儀式とは
URL:https://www.oki-memorial.org/column/sendingawayaninsect0507
2024/旧暦9月9日はチクザキの日|菊酒で行う沖縄の健康祈願と拝み方
URL:https://x.gd/b4p7f (短縮)
(おきなわた)沖縄タイムス+プラス 2020年5月24日/避難経路を再点検/チリ地震津波で被害 名護市大浦/防災マップ作り備え
URL:https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/575282
(おきなわの)沖縄の伝統的な食文化データベース | [ID:1562] タントゥイ : 資料情報
URL:https://jmapps.ne.jp/okinawacyura/det.html?data_id=1562
久万田晋 2020「沖縄臼太鼓旋律のリズム分析試論-奄美大島八月踊り旋律と比較して-」『沖縄芸術の科学』第32号
※31号-33号of沖縄県立芸術大学芸術文化研究所 URL:https://www.ken.okigei.ac.jp/kiyou/pg336.html
※PDF URL:https://www.ken.okigei.ac.jp/_userdata/2020_bulletin/03_susumu-kumada.pdf
くゎっちーおきなわ!沖縄食材情報サイト/クワンソウ
URL:https://kuwachii-okinawa.com/agricultural/2453/
(だいい)第一三共株式会社/クワンソウ – e地産地消 – eヘルシーレシピ
URL:https://www.ehealthyrecipe.com/meal/chisan_chisho/detail.php?szid=1286
(なごし)名護市役所/人口・世帯数
URL:https://www.city.nago.okinawa.jp/about/population/
(なごぺ)名護大百科事典 Nagopedia 試行版 – 大浦 URL:https://sites.google.com/site/nypedia/home/area_kusi/ooura
文化庁/銀鏡臼太鼓踊 文化遺産オンライン
URL:https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/282120
みさき道人 “長崎・佐賀・天草etc.風来紀行” 2016.10/大浦アサギ庭(みゃー)のガジマル 名護市大浦 ( 沖縄県 )
URL:https://misakimichi.com/archives/5337
八百万の神 – 日本の神社・寺院検索サイト 護佐喜御宮
URL:https://yaokami.jp/1470016/
ヨケマン談義9-1 人吉球磨地方の伝承文化 9-1. 臼太鼓(うすだいこ)踊り URL:http://asagiri.conf.jp/blog%20post-9-1.html
琉球新報
2020.01 /樹齢120年超の大木を伐採 その前に区民が供養祭 「100年以上お疲れさま」
URL:https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1056068.html
2024.02 /辺野古で5年ぶり「カーメー」 水に感謝する行事 「断水、ほとんどない」潤沢な水源の地 名護 沖縄」
URL:https://ryukyushimpo.jp/news/region/entry-2835345.html
琉球肥料株式会社/肥料とは | 沖縄県下の土壌分布について(参照-沖縄県農林水産部編集-沖縄の農林水産業)
URL:https://ryuhi.sakura.ne.jp/dojoubunpu.html

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です