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▼▲0935橋を渡る。快晴,ウインドブロッカーは座席に押し込む。▼▲
地元ではこの橋の北側を「二見バイパス」と呼ぶらしい。
トンネルと高架盛り合わせを交通量の少なさに救われ抜ける。
T字路を左へ。R329,沖縄41km表示。
ダンプがエラく多い。辺野古でしょうか?遠く牛の鳴き声。
0957キャンプ前にはエラい数の警官。30人はいました。
辺野古集落へ左折。凄まじい下り道の途中を折れて……
1005辺野古 子のお神。
左手に壁。「鎮守建設寄附者芳名」とあるけれど名前がない。
コンクリート屋根,縦柱のみ少し大理石っぽい祠には祭壇一つ。神体は茶色と水石の石。供物なし。
ここが最高所でイビなし。
後背のさっきの急坂を自動車が突っ走る爆音。
GM.によると西のこんもりした森が「御嶽」らしい。
1025久辺郵便局前を右折。
1030まるみつ
百円そば(てびち)200
ここはホントにろくでもない。弁当売ってる脇に,萎びたソバに軟骨ソーキがたった二つ乗っかってるカップがあって,自分で汁をウォータークーラーみたいなのから入れる。今回は「熱いの入れましょうね」とオバアが会計の途中で奥で入れてくれたけど。
この汁がまた化学調味料そのものの安っぽさ。これを軒先の半分テントの庇の下の木の机で食う。
麺はとにかく粉っぽい。ただこれが汁を吸うとなぜかふっくらと,上等の餃子の皮のような小麦香を放つ。軟骨ソーキは骨まで食べれる。でもトロトロというわけじゃなく,しっかりした弾力を保ってる。二切れでそれは十分味わえる。
このカップそばを食べるためにやっぱり今回も立ち寄ってしまいました。
1054辺野古を後に南へ。陽光ますます強し。
沖縄37km表示。
1103宜野座に入る。沖縄34km表示。
干潟に来た。1109。
1120役所の道を左折,すぐ右折。
R329を陸橋で跨いで宜野座ヌル殿内。1129。
宜野座ヌ古島遺跡
(略)別称「大川(ウッカー)グシク」とも呼ばれ,宜野座村で唯一の石積を伴うグシクであり,周辺には古い集落の様相が残され,「宜野座ヌル殿内」を中心に「大川按司屋敷跡」,「根屋(ニイヤー)跡」,「獅子安置小屋」,「神アシャギ」など旧家の屋敷跡や祭祀施設が集中しています。
一般国道329号宜野座改良(1工区)事業に伴い,本遺跡の一部の現況が変わってしまう為,沖縄総合事務局北部国道事務所と宜野座村教育委員会で遺跡の取り扱いについて協議し,宜野座村教育委員会が2002年〜2009年に遺跡の記録・保存を目的とした発掘調査を実施しました。(略)
本遺跡からは奄美系の土器,鹿児島産の黒曜石,徳之島産のカムイヤキ,中国やタイの外国産陶磁器,中国の古銭,佐賀県産の肥前系陶磁器など宜野座地域以外から持ち込まれた遺物も出土しています。(略)〔案内板〕
発掘写真コメントには「約300年前の地層からは,明治36年の地籍図に記載された『石畳』が確認されています。」とある。
右手に入ると,コンクリートの倉庫建物の中に祭壇が安置されてる。ただ周囲は確かにイビらしき石積みの取り巻きがある。
右手高台にも現代建築の社。右手祭壇に白磁のコップ類と祭壇三つ,神体は石数個。
正面のガラスケース入の中には丸っこい石一つ,造花四。
その奥の藪に勇壮なガジュマル。その根に石柱があるようにも見えるけれど,もちろん供物は見当たらない。
本殿右手に本殿とは逆に東の海を拝ませる向きの石と壇がある。やはり台風でかしいだらしき花瓶を立て直して拝む。
▼▲正午の鐘を聞いてからエンジンをかける。宜野座音頭?(→おそらくコレ∶YouTube)みたいなのが流れてきた。▼▲
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