2011-02-14 23:17
あの恐怖の春節から2年後,わしはまたランタンフェスティバルの長崎へ来てしまった…。
列車を出ると――♪あ~あ~長崎いは~今日はあ~雪いだったあ~!!
って雪だよ!?
しかもとても念入りに,ビュンビュン吹き付けてるよ!?何で長崎で吹雪やねん!?
今回も,初手から不吉な長崎。呪われてるとしか言いよーがない!何だか…わし,よっぽど前世に長崎で悪逆非道じゃったんちゃうか…。
路面電車を待つ人たちの寒そうな表情に,思わず罪悪感。スミマセン…長崎に災厄を呼んだのは私かも知れません…。
[MS→WP移行時に呪いにより(推定)破損]
▲ランフェス名物(?)恐怖のハリボテ 微笑む豚
何も言えない。何でここまで不吉な顔を作れるんだ?
こんなん撮ってるから呪われたに違いない。
邪気の吹雪を押して観光通りの南,「ツル茶ん」へ。
前回見かけたトルコライスが気になってたんで,朝早いから大丈夫だろ,とこの有名店へノコノコ入ってしまいました。偶然ながら,前回写真を撮った店でした。(→この看板の店)
由緒あり気な喫茶店だなや。メニューは幾つか種類があったけど,まずは基本の「トルコライス」を注文。人当たりのいい奥様が「ハーイ」と厨房へ。
客は半分は観光客っぽい。壁の有名人サイン紙からしても,ほとんど観光名所みたい。残り半分の長崎市民の会話を聞いてると,どーも料理の名前ってより取り合わせの形式らしい。「洋食合わせ技」って語感か?
この「トルコ」名,由来は色々説がある。曰く,トルコ起源料理説。曰くトルコとの架け橋記念説。フランス語のトリコロール起源説。長崎に昔あった店の名前だって説。明治からあった「土耳古めし」が起源って説。さらにトルコ接頭語説ってのがあって,わし的にはこの辺が一番納得かな~って実感じゃの。
やって来たお皿は,カツカレーとスパゲティとサラダのワンプレート版って感じ。サラダはサウザンの分かりやすい味だし,スパゲティもナポリタンの給食味。そしてカレーは――
「何か懐かしいカレーやねえ」と臨席の大阪おばさんがしみじみ言ってはるのに同感。昔の食堂カレー。
それらがベストマッチかと言えば,全然バラバラ。
要はお子様ランチ的に,典型的な洋食メニューを合わせて盛っちゃいましたって皿。洋食のさわち料理。沖縄のアルファベットランチにも通じる構成。
さて,トルコ接頭語説に戻るけど――その主旨は,1980年代に「トルコ」を名前の頭に付けるのがなぜか「新しい」とする感性があったから,というもの。今も残る名称としては,トルコライスの他にいわゆるトルコ風呂があると言う。完全に伝説の域らしいが,その頃新宿十二社(西新宿五丁目附近)にあったトルコ風呂が「トルコライス発祥の店」」なる看板を掲げてたとか,創始者は松原三代治なる人物で当時新聞掲載もされたとか。
まあ要するに,トルコライスなるものは当時「最強洋食コンビ定食」として君臨したわけで,その名残が洋食先進国長崎に残存しとるんだと思う。
美味くはないんだが…次回もやっぱり食うだろな…。
(→Wiki:トルコライスの由来→
1.4 発祥と由来の諸説)※wiki上でも喧々諤々あるらしく、従来と項目が変更になっていました。2020年には上記項目及びリンクに変更
さて時は建国記念日の3連休,福山龍馬の放映直後,ランフェス真っ最中の長崎。
ツル茶んに行き来した10時段階で,観光通り辺りはかなりの人出。電車からチラ見した中華街はもっとものすごい人口密度っぽい。
この観光エリアに背を向けて歩き出す。
って?そもそも今回の長崎行き,ランフェス見に来たんちゃうのん?って言えば,それとは全然違う2つの目標で来てます。
パン。それから芋。
だからまず向かったのは,銀屋町三丁目のマルコポーロ。
この2年,俄かにパン・ホリックになって各地のパンを食い漁り,果てはイタリアとアメリカでまでパン三昧してしまった始まりの食体験は,ここで初めて惚れたハードパンでした。
もっとも,2回目以降,そんなに美味いとは感じなくなってたんで2年空けてしまってたけど,ここまでパンに溺れた上は,まあ敬意を表して訪問せにゃなるまい。
たどり着くと,変わらぬ佇まいでした。そう広くない店内に,やや雑然と並ぶパン。そんなに客であふれた人気店っぽくもない。
でも記念だからな…とハード系のライ麦タイプとパケットタイプ,デニッシュ系と惣菜系とを各1点ずつ購入。
レジや帰り際にチラシ類をチェックしてくと,ヨーロッパ各地,しかも東欧や北欧系のパン作りをマスターしてます的な売りらしい。
――後で食ってから懺悔する。
美味いッス。
クリアで腰の据わったパンです。日本人が工夫しましたってパンではない。そのタイプの店には有り得ない味覚。小麦使いのパースペクティブ自体が全く違う。
殊にデニッシュ系は,京都・新大宮のマウジーのウィーン菓子を思い出した。他では有り得ない味。おそらくヨーロッパ本番の味なんだろけど――よく分からん。凄さは分かるが,まだわしは,ここのパンを完全に味わえ舌を持ってないらしい。
2年経ってやっと分かった。とんでもないパン屋だ。
ここのがパン溺愛の原体験になったことに,改めて納得しました。そして深く感謝する次第です。
(→マルコポーロ公式HP[旧googleHP]→
長崎市 パンのマルコポーロ ※2020年確認現在、こちらのexciteページがホームらしいです。
)
眼鏡橋を渡る。
2年前より…明らかに増えとる。
ランタンもハリボテもとんでもない数だ。
ただ,「わし好み」の,つまり不吉で笑えるタイプのハリボテが…どうも少ない(冒頭の豚さんを除く…ありゃ怖かった!)。大人しくなってしまった印象です。
この後お会いしたオッサンの話だと,このハリボテ,全部中国で作ったのを持ってきとるそうな。とすると,何か分かる気がする。中国人の職人のセンスが今風になってきてしまったのかも知れん。
2年前あった,今からすると訳の分からん目出度い故事来歴に因んだモチーフじゃなく,今風に「カワユイ」「キレイな」イメージキャラへの移行。
それはともかく…芋だ!
日本に広く広がる芋食文化に長くハマりっ放し。中でも冬の高知でゾッコンになったのが干し芋。
その歴史は――一般に知られるのは,江戸中期の1824年に現在の静岡県御前崎市,栗林庄蔵という方が開発されたとされる。地元での呼称は「蒸切干し」。広がったのは日露戦争時に軍用食とされてからで,故に「軍人イモ」と呼ばれた。全国区で圧倒的に有名でシェアも広いは茨城産も,生産が始まったのはこの時代以降。
けど,この静岡起源説の矛盾については,既に多くの指摘がある。その最大の証査が,長崎の芋製品を代表する「かんころ餅」。
干し芋を餅と混ぜたもので,その古称「甘古呂」は天保年間の資料に名がある伝統食。佐伯市の「かんくろだんご」や,かんころ餅の粉と小麦粉を混ぜて作っためんをゆで上げた大分の「いもきり」,四国なら東山が伝統食としてあるわけだから,その原料の干し芋が静岡で「開発」されましたって言われてもねえ…。まあ,コロンプスがアメリカを「発見」したんだぞ!ってのと同じで,要は文献正史にデビューしましたって意味?――って,こんなにフォローしたくなるほど入れ込んでる西日本の多彩な芋食文化であるわけで,この多彩さがまた,語らずとも歴史の古さを雄弁に証明するわけで(まだ言ってる)。
僅かに長くなったかもしれないが,ここからが本題である。
築町の亀屋饅頭でかんころ餅買いました。
前回目を見張ったこのガラスケースだけのチッチャい餅屋のかんころ…端正で澄んだ,なのに最後でポッと花咲く芋甘さ。好いわあ!
同じく築町脇の路地でいつも買う八百屋さんのみたいな,粘土かよ?と思わせる淀みある甘さも珍味的でいいんだが,ここのはこの伝統食の凄みを語り尽くしてる。
これ,広島に帰ってから,パケットと併せて食いました。パケットに合うほど,淡い凄みのある芋味ってこのかんころ位なんじゃないか?
以上,本題でした。
[MS→WP移行時に呪いにより(推定)破損]
▲亀屋饅頭のかんころ餅。店名通り,普通の饅頭も惹かれた。桃饅頭,ソーダ饅頭,ブルーベリーあん饅頭と創造性もありそう。
あと,季節の品として「長崎ちまき」ってのも並んでた。灰汁を練りこんだ伝統のある品で,鹿児島の「あく巻き」に似てるのが興味深かった。買い損ねたけど。
[MS→WP移行時に呪いにより(推定)破損]
▲万才町の紅灯記 外観
既に昼が近い。
中華を一店回りたかったけど,とても中華街に近づく気になれないぞ。どーしよ?
中華街から道を隔てた群来軒に寄ってみた。江戸町のこの店,「本日は予約客のみ」なる無情の貼り紙。
けど,それでも前回行ったちゃんぽんの名店,古川町の共楽園よりはマシで…店が視界に入ると同時に絶望。ものすげー行列やがな!?
やっぱ今日はダメか!?…諦めるか?
待てよ?
神戸人はホントに美味い中華は南京街以外の場所へ行くと言う。長崎も中華街以外の中華が本物って可能性もあんじゃない?
でネットで探してみたら――かなりヒットする!ちゃんと電車から近いとこも多い。中でめぼしいのを2軒拾って出かけてみた。
まずは万才町へ。行ってみると県庁のあるオフィス街のド真ん中。長崎って何か官僚主義的な臭いが鼻につく気がして,それ自体はヤなんだけど,こーゆーエリアの店は淘汰が激しいから本物が厳選されてく。
期待出来そう…と入った紅灯記さん。
おすすめメニューになってた香港風ねぎ焼きそばを頼んでみた。
当たり!
相当本格的な広東風味付けです。滷味は薄くあくまで中華出汁で柔らかくまとめてある。つまり,バン麺に酷似。「中華丼が美味いよ」と相席のじーちゃんからアドバイス。確かに炒めや煮物になると広東本場に近いハイレベルだろな。ただ,このバン麺食えりゃとりあえずわし的には満足じゃ!
この相席のじーちゃん,このオフィス街で働いてた方で,定年後もここの味が忘れ難く通ってますってことでした。それ程の味!
ちなみに万才町の地名は,南蛮渡来の漫才が日本で初めて演じられたことから来ており,いわば知る人ぞ知る日本コメディアンの聖地…とゆーのは嘘で,明治5年に明治天皇が行幸した際のお祭り騒ぎに由来する。明治帝が初めて近代に接した行幸だったみたい。
味をしめて,今度は思案橋から路地に入る。この辺りの細い迷路のような道行き,長崎に来たら必ずうろついてます。
あった。天天有。ロケーションや外観に似合ったドヤッとした店内のカウンターに陣取る。
メニュー作りから判断して皿うどんを頼む。
大当たり!
あんは,上海でも広東でもない甘さと出汁旨さの混交…福建の味なのか?店の乱雑さに似合った下品な味のようでもあり,上品な軽やかさもあり。
長崎下町中華。まだまだ知らない顔をこの町は持ってそう。
[MS→WP移行時に呪いにより(推定)破損]
▲茂木のオロンをお寺から見下ろす
パンに戻る。
話に聞いてた万屋町のリトル・エンジェルズ。観光通りからすぐ近くのの裏通り。ケーキ屋の風情だけどタルトが有名っぽい。
本格派ってゆーより,自分流にちゃんと解釈された美味さです。
亀屋饅頭の向かいの築町・アビのパンにも寄ってみた。奥にイートインのある広い売場に,惣菜系中心のパンが並ぶ。
町のパン屋さんの味…としてかなり絶妙な美味さ。ここも凄いぞ?
どーも長崎って,洋食を咀嚼してきた年季がモノを言ってる。それぞれ独自の味覚を紡ぎ出してんじゃ。
となるとここに行かんわけにゃいかんばい!導かれるよに茂木行きのバスに乗車する。家並みを纏う傾斜面を抜けて峠を越え,反対側の海へ降りてく。
茂木のバス停。2年前は朝イチで,えらく寂しい印象だったけど,登校生の姿はあった。でも本日は,昼過ぎでその姿もなくて,誰もいない漁村。
元祖一口香の老舗っぽい建物の脇から入ると目に入る,風にはためくフランス国境。
オロンだ。
さすがに客は多い。数点購入。待ち切れず,見上げた山側すぐの寺でクロワッサンだけ食ってみる。
スゲ…。
このパン――語るべき言葉がない。
マルコポーロの「まだ理解できない」どころじゃない。何が凄いのか,付いてけない味だ。ただ…前回は分からなかった凄みだけは,それだけはバッチシ分かった。
遠く,長く,確かに響く空気のような軽妙な振動。
このパンを理解したい。味わえる舌を持ちたいと思った。
味覚の余韻に浸ったまま,揺られる市内へのバス,最前席にて呆然。
眠気を誘う昼下がりの油断…を待ち構えてたかのように,長崎はついにその恐怖の牙を剥く!
正面ガラスには,車両の少ない曲がりくねった道路の下に広がる長崎市街。平和な景観の前方車窓に,何か顔みたいなのが近づく?
てか,顔やがな!?
しかもムッチャ不吉なタッチの顔やがな!?
前を走るバスの後部面いっぱいに…あ,あの恐怖の眼鏡オヤジの顔!!坂道で車間が詰まる度にその顔が視界前方を占める,この戦慄!
恐るべし長崎!
[MS→WP移行時に呪いにより(推定)破損]
▲商店街のキャラの座を奪い,さらに増殖するメガネオヤジ