※本句 龍淵に潜む銅山斜坑底 今治西
※D 開成「銅山斜坑底と動きを持たせず名詞だけなのは読者を信頼し過ぎ」今治西「リズム感。閉山を表現。だからこそ龍淵に潜む」
[前日日計]
支出1300/収入1270
▼13.0[①151]
/負債 30
[前日累計]
利益 -/負債 197
五月一日(一休)
1133やぎとそば 太陽
やぎ汁(脂3,小鉢イリチー)450
1246ちゅら浜食堂
骨500
▼▲
0913 0945大南 onBusNo.77
(名護十字路)
1017 1048石川市場前
借り物:垢すりタオル パンツ 乳酸菌錠剤
0834宿を出る。
大南のファミマに自転車を置く。タバコ買うとお姉様が明るく「ハリケーンポテトを一緒にいかがですかあ」いやそのセット売りは強引だって。
小雨ぱらつく。






0900大南バス停で77番を待つ。ヤマカワの斜め向かいでした。
こんな感じに名護と那覇(大抵は空港終点)を延々結ぶバス路線は,平日で西海岸経由なら日に27便,今から乗る東海岸線経由でも20便が走ってる。補助金路線だからこそでしょうか,それともそんな長距離を結構乗る人がいるのか?まあ今から乗るんだけど。
……0913 0945 1010 1043 1118 1248 1333 1405 1435 1523 1708……
しかもえらく間隔が半端
帰路の時間には注意しないと。
0915乗車。リンドンは今日は開いてる。そういえば前田食堂も明かりがついてた。
客4人なのに金髪姉ちゃん単独者が二人乗ってきとる?
世冨慶から左折,山越路に入った。
0932二見入口で3人とも下車?山の中だぞ?ここに何がある?──ああ,カヌチャビーチの最寄りなのか。
1025石川市場前下車
かねひで(≒石川市場)裏にてんぷらと沖縄ぜんざいの店すず。数軒隣に渡口児童公園。地名?ここが古い港だったのか?
ad.石川二丁目7。何か味わいある一角です。どこかから三味線の音色。

道は意外と捻れてます。路面も継ぎ接ぎ。
太陽対面の高台に「石川戦没者刻銘板」1328柱とある。
隣に石川之宮。
位牌に左から「石川地組の祖 美里の子 霊位」「石川之殿(地頭) 霊位」「ヤマツミの神(山の神)」「浜崎ヨリアケの御嶽 神名 マネツカサの御威部」「綿津見の神(海の神)」
内部には位牌と湯呑多数。
右隣の地べたに小さな祠。松ぼっくり。
俄に大粒の雨。
1133やぎとそば 太陽
やぎ汁(脂3,小鉢イリチー)450
イリチーが意外と旨い。じんわり来る血液香がクセになる……と書くとヤバいけど。
■レポ:▼▲
石川伊波にある「伊波グスク」は、14世紀北山王権争いに敗れた今帰仁一族の今帰仁王子が築城したと言われる。今帰仁から美里に逃げ落ちた際、美里の豪族「美里大主」に見出され大主の娘を娶り、伊波グスクを建て伊波按司と名乗り親族とともに勢力を拡大していった。
また、その頃南部を起点に力を付け始めていた尚巴志に自身の娘を嫁がせ、強力な連合軍を組み共に北山制圧を果たした。それは伊波一族(今帰仁一族)にとって悲願の仇討ちでもあった。〔後掲HUB沖縄〕
参考資料
HUB沖縄(つながる沖縄ニュースネット)/独特な雰囲気の「石川」が戦後沖縄の中心地だった理由
URL:https://hubokinawa.jp/archives/17795
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