ウミユリが群生して道を彩る。▼▲
奥間ビーチが遠望できる。遠浅でそれが岩(珊瑚礁)だから船舶にはかなり危険に思えます。1129




やんばるの暮らし今昔という図絵の中に「やんばる3村集落マップ」あり。
沖に潮干狩りの一群。
1204与那集落へ。
与那共同店 の方へ進む。
与那川を新与那橋で越える。
竹編みのような垣根。
共同売店でファンタグレープ。おや?この前の普通に家のようなのがノロ殿内?
横手には泡盛とオリオンビールを山と積む。
祭壇は三間。左が黒い位牌,中が香炉,右に七福神の額。
ここはホントに今もノロが住んでる,あるいは営業してる場所じゃないのか?
1222新与那トンネルへ。
1259自転車返却
60%にならなかった。ということは,今日の位燃費,つまりバッテリーの充電容量があれば奥まで行き着けるのかもしれません。
1304便が1307には来たので乗車。なぜかたちまち空はかき曇り,朝の天気に戻りました。本部半島が煙ってます。カフーが無理をかけたのかもしれません。
1400名護十字路。1609のNo.70為又(びいまた)行き確認。
少し腹ごなしに歩く。アーケードから北へ。
1416ad.城一丁目9-15
1419ad.同13-10
1420同南方向
1422同
1424名護
1435さくら食堂
スタミナもやしそば(小)500
すき焼きの残り汁付け沖縄そば,という決して良い趣味の味覚ではないんだけど──このさくら食堂のを食べるとこの「発明」が大したものだということが実感できます。
1961年の頃の名護市場通り写真1523
今日,野菜市場の隣にぶるぶる震える手でもやしのヒゲを取ってるおばあの姿を見ました。変わるようで変わらない,名護の姿でした。
1606No.70を待つ。スマホを打ってると,背後に立つ三十もつれの男。さっきからエラく周囲をうろついてる。あまり背後に長く付くから「何かありましたか?」とギリッと睨んで見せると,眼を澱ませて無言で立ちすくんでる。沖縄によくいる「変な人」で,今日は行きと帰り,それぞれ出くわしたことになります。
よくいる,というのは沖縄には精神異常者が多い。ノロやユタの流れで,それを社会が完全に排除しないで,普通に生活してる。
ほらね,今朝と同じくNo.70に一緒に乗ることになりました。
このバスがちゃんと北部合庁前で右折するかだけど……ほら右折した!OKよ!
東京を七つの丘の町と言うけれど,名護にはいくつ丘があるのやら。のっぺりしてるようで複雑な,シマからシマへ渡るような町です。
為又の辺りはエラく郊外タウンが多く,俗に為又タウンと言われてるらしい。ここも何かあるわけじゃないんたけど。
1619為又下車。宿へ。明日はいよいよ発つ。