先ほど元朗駅に着いた際、駅の周辺マップを改めて撮影しました。
[26]東頭村[25]蔡屋村[28]英龍圍[21]大圍村[27]黄屋村
なぜかこれだけの密集地に、あまり言及したものがない。でもこの圍群と昨日の南の圍群が元は連なっていて、中央の川か沼地かのエリアが埋められて現市街になってると想像されます。要するに、元朗は元、これら圍群の土地だったはずです。
先ほどG2から出た際、歩道橋脇に喫煙所。一服しつつまずはよく村を見る。駅裏すぐは駐車場。ここが新築平地になっていて、その先、陸記士多の道(五和路)より奥へは敷地五列ほどで山になってる。左手東側に丘、あの向こうが天后宮。西側にも丘、その先が黄屋村でしょう。問題は南北の道。地図上は何れも行き止まりになってます。
ただ入口に「一律厳禁進入本村範圍,如違報警處理.」とある。これは五和全て、各所に掲示されてました。安易な潜りは止めとこか。
公厠で顔洗ってゲートへ戻る。
1223「十八郷五和 東頭村」ゲート。右聯「東◯呈泰象和風瑞雪松筠茂」左聯「頭角賜花翎玉樹芝蘭社稷光」
奥を見透かす限り完全に圍の形状。ただし家屋は今様に建て替えてある。人の出入りは頻繁。
ad.東頭村四號。さっきの喫煙所対面。1230
ここに南北の道。どん詰まりに貼り紙が見える。これは宮に参ると言えば入ってもいいのではないか?と判断しました。左折南行。
ベンチのある公園。南西角に「井頭神位」と牌のある祠。
1234南一枚。東一枚。
1235東一枚。
ad.120號。
右に右聯「多福多財多平安」左聯「新春新景新氣象」
1238突き当りの興福堂。森をバックにしてる。洗濯物干場。監視カメラあり。
上「五福臨門」右聯「神顯威靈施四境」左聯「廰呈霭瑞遍東頭」
右に「一九六捌」、左に「歳次戌申」と銘。「捌」は八の大字で単に建築年次でしょう。
中は金柵で入れないけど覗けます。
中は位牌のみの形。ただし左手には「天后元君座鎮」の文字。どこかでありました。
1248。あれ?右側から奥へ抜けれるの?
いや、東からの車道がこの裏で尽きてました。ここから西へは金柵で進めません。
え?雨?
1250。北へ下って引き返す。
大きな声は洗濯物を取り込むオバハンのものでした。
もう一度注意深く見たけど西へ抜けれる気配の道はなし。「井頭」公園で雨宿りがてら3分だけ腰を下ろす。
いや?もう一つ祠がある?井頭の北、やはり上は「五福臨門」。位牌は「本境社稷大王之命導神位」井頭より少し大きい。やはり線香がある。これは北の駅方向を向く。
先の井頭はやや斜め、後方にフェンスがある。覗くと桁のない穴。古井戸でしょう。ここの神さまだったらしい。
休めなかった。1259五和路を西へ。
陸記で雞骨草を飲んで西へ。1305
ad.蔡屋村になりました。
道が左へ屈折。ここの小店に「英龍圍更練團」とある。英龍圍練りまくり団子というところなので、ここからが英龍圍でしょうか。──後から考えるとこの屈曲は英龍圍後方の角地だったかもしれません。まず圍が設けられた後で、その間が五和路になったと推定されるからです。
……と思ったらこの南に蔡屋村ゲート。
右聯「東勝廬疊賡濟陽鮁渉衍籍戸盈源頭水」左聯「蔡屋櫛比鄰廬峯操劳翕居庭透金秋風」
ゲート内は蔡氏家祠。ということは圍の入口関所ではないようです。
1316
左から家祠-ガジュマル-村公所と並ぶ格好。ガジュマル前には機械式の車両ゲートがあります。
まず家祠。右聯「謙能受盖」左聯「和必致祥」
特に右聯は分からない文字です。
ゲート裏には謙和堂の文字。家祠の別称でしょうか?右聯「謙遜豈無能見事不妨退一歩」左聯「和平宜有道存情何吝譲三分」
中は入れない。物凄い数の位牌!
東隣の二村とどうも手触りが違います。
ガジュマル樹下には二祠。左は方形と三角の石が御神体。
右は上「天后聖宮」右聯「天恩浩蕩深如海」左聯「后德巍峩厚比山」
家祠右脇の道をダメ元で南行。1330
ダメ。やっぱり横へは抜けれません。
戻って西へ。1340
五和路が右に屈折。地図だとこのまま朗和路に出るしかない。とにかく右へ北行。1345
いい生活道です。ad.英龍圍になってる。
ad.117に一軒だけ古い門構え。立ち退き拒否でしょうか?
駅下。大圍村の住所表示。「門龍躍鯉」とあるのは養魚場でしょうか。
橋横ガジュマル樹下に先と同じ三角形の御神体二つのレリーフで上「神光庇佑」右聯「社佑一團皆吉慶」左聯「稷扶号境盡平安」方面
樹下後方にもう一つ祠。上「合境平安」右聯「公公十分公道」左聯「婆婆一片婆心」北西面。1356
その後方に英龍圍ゲート。右聯「英賽上世」左聯「龍起南陽」
やはり最奥に祠が見えるけれどここはホントに入り難い雰囲気。左手に告示牌とバスケットゴール。告示牌後方はかなり古風な家屋が、屋根の崩れたままになってる。
ということは──この背後の池に、全く魚の音がない。よく見るとほんの少し魚影はあるけれど──多分これは風水を考慮した配置です。
1405大圍村ゲート。右聯「大道縦横四方翠竹繁榮成千里」左聯「圍廊直通八面青松茂盛已萬年」
やはり3m先に圍のゲート。直進した突き当りに赤い灯が二つ見えます。
ここもきちんとした、つまり圍であり続けてる圍と感じます。
ただ一つ、英龍との境界は存在しないのでしょうか?
住所表示から考えて──さっき通過した五和路が境界だったのでしょう。
雰囲気は十分分かりました。
五和路とあるのは、多分かつて「五」が「和」してなかった時代が長かったからでしょう。未だ緊張関係は持続してるのではないでしょうか。
池の北側向こうに英龍圍ゲート。右聯「英才輩出南陽大地添錦繡」左聯「龍騰華厦吉水山河氣萬千」
駅から山上を見ると既に亀甲墓が見えてます。この山は元々、墓の島だったのではないでしょうか。その周囲に様々な素性の人家が築かれ、圍を成した。名護に似た風景です。山上に構造物がない異様な光景はそれを物語ります。
68Xで深水埗に抜けてみようか。968は大欖隊道経由と書いてあるのに68Xには書いてない。どこから抜けるんでしょう?
あと5分が8分に増えた?なぜ?
68-シリーズは荃湾、青衣他に抜ける人気路線らしい。
B2は深圳湾口行き?
15062階最前席。
やっぱり昨日の高速か。分岐を九龍方向へ。大帽山方向です。料金所。
兩地牌服務とあるのは広東との往復のことでしょう。
やっぱり大欖隊道経由かい!
荃湾で降りず真っ直ぐ九龍へ向かっただけでした。
墓の岡!いや違うか、青衣じゃないもんな。港沿いです。葵埇らしい。
1529美孚轉車站。ここで地上へ降りる。思ったより町です。
ライチ角。iCBC-吉野家-牛奶冰室と並んだ先にMacのマーク。
1541 北河街で下車。所要35分。
荃湾と同じ無人に近い状態だけど……ここは大丈夫そうでしょ?隣のタイ料理屋の泰式黄咖哩猪頸肉飯56HK$というのにも余程惹かれたけど──香港ならパキスタンカレーじゃなきゃ!
1550(深水埗)生龍清湯腩
咖哩安格斯牛腩飯(大辣)450
レシートにもちゃんと書いてあるし、「大辣」も通ったし!
咖哩安格斯牛腩飯(大辣)
来た〜!!パキスタン牛腩カレーです!
まず染みこんだカレーとともに肉の旨味を噛み締めるべし。この際、ジャガイモは細切れ、出来ればマッシュした状態にしておくべし。
肉片が数を減らした頃合いをみて、カレーを一気に白飯にぶっ掛けるべし。掛けたら白米と混ぜて混ぜて一体と成すべし。肉を知るパキスタンの叡智・スパイスと米を知る広東の結晶・牛腩湯を心ゆくまで米に吸わせて馴染ませるべし。
大辣の場合はホントに辛いので、舌の状態をみてマッシュ状ジャガイモを程よく合わせるべし。
上から目線で解説してるようですけど、これは全て過去の自分からの指示なので気にしないでお召し上がりください。ちなみになぜかこのパキスタンカレーは必ずしも香港人に定着したわけではないようです。地のカレーとしては南アジア最高峰と信じるパキスタンカレーと、肉汁文化としては最も発展した広東湯の合体は、香港でしかありえないのです。
──もしスープの都・福州とか羊湯の古都・西安でこういう現象が起こったなら、飛んでいくと思いますけどね。
この後の公和壹品廠の豆漿は、当然に一気飲みでした。夏のキンキン豆漿。──これ、クセになりそうだなあ。
二回目のランドリー洗濯をいたしました。

名店餅屋の蛋撻の底に薬草。もしかするとシンガポールのカヤかもしれないけれど、食ってるうちはそれを思い出せませんでした。でもカヤよりもう少し青臭かった記憶です。
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