一浪して京大医学部に入ったものの、大学紛争で教養部は閉鎖されており、入学してしばらくは独りで語学や哲学の勉強ばかりして過ごしました。まだ秩序のないザワザワした時代の中で、自分は精神科医に向いていないと思うようになったのです。実は当時の精神科は大学紛争の中心でした。医局制度や患者の人権の在り方を問うて、先生だけでなく医学生をも巻き込んだ激しい抗争が続いていました。そんな現場で患者さんに向き合うのは荷が重い、臨床から少し距離を置いてゆっくり将来を考えたいと思ったわけです。
そんなとき大学の講義で免疫学に出会いました。免疫は体内の異物を認識して排除するしくみであり、細菌やウイルスによる感染症から自身の体を守るために不可欠なものです。一方で、その過度なはたらきが疾患の原因になることを知りました。免疫細胞が異物に過剰反応することで起こるアレルギー疾患はよく知られていますが、それに留まらず、免疫細胞が自己の組織や細胞を異物と見なして攻撃してしまうことすらあるというのです。関節リウマチや1型糖尿病などの「自己免疫疾患」と呼ばれる病気です。これは、免疫が見きわめる自己と自己でないもの(非自己)の境界が、時に大きくゆらぐことを意味しています。免疫を通して自己を考える、そこに哲学に通じるものを感じ、惹きつけられました。
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なぜ生後3日目のマウスの胸腺を取ると免疫細胞が自己を攻撃し始めるのか? それは、自己を攻撃する免疫細胞がマウスの体内に始めからあったためではないか。胸腺には、それを抑える未知のT細胞が存在するのではないか。まずそう考えました。
免疫反応を抑える細胞があるという仮説は、東京大学の多田富雄先生らによって既に提唱されていました。「抑制性T細胞(Suppressor T cell)」と名づけられたその細胞は世界中で注目を集めており、当時は学会に行けば抑制性T細胞の話で持ちきりなほどでした。ですから始めは僕の仮説もそれで説明できるかもしれないと考えたのですが、彼らの理論はどうもすっきりしないのです。彼らによるとそれは非常に特殊な条件下で見られるものであり、「ある抗原を使って免疫反応を誘導し、何日目かにT細胞を調べると抑制能を持っており、抗原特異的な抗体産生細胞を数えてみると減っている」といった具合にとても複雑で曖昧な結果でした。
いっぽう、マウスから胸腺を取ると自己免疫性の炎症が起きるという、僕の目の前にある現象は明瞭なものです。免疫反応を抑制する細胞があるとするなら、それは彼らの言うような特定の条件でしか見られないものではなく、体内に常に存在していると考えなくては説明がつきません。そこで、自分の手の内にある確実な現象を礎にして理論を組み立てていこうと考えました。たとえ流行の理論であっても、目の前の現象を説明できないのであれば取り入れる必要はない。科学は最終的に一般性の高い理論を出した方が勝ちや。そう思い、自分の考え方、自分のやり方で仮説を追うことにしたのです。
まず、生後3日目のマウスから胸腺を切除して炎症を起こさせ、そこに正常なマウスの胸腺から取り出したT細胞を一式移植してみました。すると炎症が治まったのです。やはり胸腺から出るT細胞の中には、過度の免疫反応を抑える細胞が含まれていると考えてよさそうです。当時最先端だったモノクローナル抗体の技術でT細胞を分類してみると、僕たちの実験で免疫反応を抑えているとみられるT細胞はCD4(注1)という表面分子を持っていたのですが、抑制性T細胞はCD8という表面分子を持つとされていました。学会を騒がせている抑制性T細胞とは別物だということが分かったのです。4年かけてここまで明らかにしたところで、学位をとるために京大に戻りました。けれど飛び出した病理学教室に今さら帰るわけにはいきません。ジョンズ・ホプキンズ大学の教授を兼任していて不在だった石坂公成教授の研究室に居候を決め込み、これまでの成果を博士論文としてまとめました。抑制性T細胞とは違う細胞ではあるものの、免疫を抑える細胞はマウスの体内に常に存在している。この事実に対する確信は深まっていました。
注1 CD4 :ヘルパーT細胞やマクロファージ、単球などの免疫細胞が共通してもっている細胞表面抗原。
〔JT生命誌研究館「ゆらぐ自己と非自己―制御性T細胞の発見」季刊 「生命誌ジャーナル」89号 URL=https://brh.co.jp/s_library/interview/89/〕
