いきなり団地内へ。西沿いを南へ。
1542宣传栏(情宣看板)のT字を左折東行。
▼▲1545ad.聚龙大街。──この名はそんなに一般的なのか?「聚む」とは、たくさん集まる。、充満する、いっぱいになる、といった意味。「龍が充満する」という語感は、つまり風水的な極度の充実点、という感じだと思います。
左の道に「洪德西」。1547
北へ戻ってみよう。1549。北への道は「洪德里」に変わる。一枚だけ撮って右折、ad.聚龙北后街15
聚龙北后──つまり龍の気の充満点の北後ろ、とある時代には捉えられていたエリアです。
突き当たり手前の左手、ad.聚龙北后街一巷を北向き一枚。
突き当たりを北へ左折。三巷からいずれも行き止まりらしい。いや?四巷は抜けれる?右折東行
1555新龙里のT字。左手からZ字の一本巷へ東行。
16時を回る。岐兴东约でトイレを借りる。この道が通りよいけれど、東行は確からしいので戻って龙光里へ右折、道なりに東へ。1605
学思想強党性重实践建新功という文字。それはそうとケツ痒くなってきた。
T字を右折南行。1607
党群服务中心から左折東行。龙光里社区居民会方向へ。ad.兴福里に。車道に出るT字を右折ad.龙和路。1615
华福饼家隣から、龙凤街へ東行。1620
ad.は龙和里となっています。T字を右折南行。1624ad.龙导通津9
十字。ad.龙马里。西、北の賭博、東を一枚ずつ。1627
いや道は水松基──とメモってたら暇そうな老夫婦が大声で何を書いてる!と怒鳴ってくる。──いやどうも……怒鳴ったわけではなくそういう地声だったらしい。田舎の漢民族の声は元々太い。住所の記入だと説明すると、何を同意したものか、ご夫婦で手を振って見送っていただけました。
将軍直街へ直進する十字を右折南行。1634ad.七间直街。
1640ad.仁和直街。やっと都市に戻りました。
海珠区妇幼站から91路に乗る。
一駅前の文明路で降りて店をのぞいていったけれど、文徳路に入るまでは、騎楼がステキなだけで観光地でしかなかった
文徳路の快餐屋も、やや見かけ倒し、魚に関しては焼きが一種あるだけだったのでスルー。
で、再訪しました。
1819 盛园美食餐庁
豆腐焖魚腩饭 450
魚腩炖饭を指差しで頼むと「买完了」(売切れ)だという。そんな人気なのか!!そこで「豆腐……」を言うとこれはあるという。
■水煮魚饭
酸菜魚饭
■豆腐焖魚腩饭
魚腩炖饭
西兰花炒魷魚饭
咖喱叉烧炒饭
トイレがないと聞いてガーン!訊くと、交差点の向こうの銀行の対面の2階──とお兄ちゃんが丁寧に教えて下さったのはいいけれど、遠すぎ!しかもその2階は女性専用区画が半分を占め、その手前ギリギリのエレベーター前の脇道が男便所で、結果ノゾキ魔扱いされつつ用を足して──戻ると配膳を待ってくれてたらしく、着席数秒で、どーん。
見た目はあまりパッとしない。
一口食べると──豆腐だ。もしかすると魚味の豆腐では?と戦慄した……けど流石にそんなことはなく、半分は川魚っぽい骨の多い魚身でした。
酢豚のトロミのようなスープにまぶしてあるんだけど、流石に魚の脂が染み出していい味を出してます。麻辣や塩胡椒はほとんど感じないまろやかさ。どうやら豆腐の滋味も影響してるっぽい。しかもこの魚、川魚らしい臭みを持ち、そのクドみが豆腐かトロミスープかの影響で──抑えてある、のではなく、何か別の魚料理に昇華してる感じなのです。
改めて味わい直してみると、豆腐もまたこの魚臭さの影響で別の何かに昇華した感じです。
この魚煮込み料理は、香港では清蒸以外は見れず、貴州では辛煮込以外は知られず、広州でしかないように思う。明日の候補は──
魚腩炖饭
西兰花炒魷魚饭
スタバが明日まではなぜか早く閉まる。他のコーヒー屋も早仕舞いなので、最終夜だし宿でビールを頂くことにしました。
【再訪シミュレーション】
バス停・万福路
(182路∶7站15分)
→中大北門西
(徒歩400m)
六圣宮
(徒歩684m∶滨江東路)
→バス停・珠江泳场
(121路)
→→海珠桥底→堑口马头→宝岗大道北→宝岗大道中→海珠区妇幼

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