上還,蓮香楼。
我が生涯初の飲茶は47.5HK$。日本円で約7百円でした。
エラく豪勢な入口をくぐるといきなり階段。厨房があるのか,1階には客間なし。そんで2階に上がると…ワーン!と凄まじい,耳を塞ぎたくなるよな唸り。
人間のお喋りの声って,50人分位重なるとあんな音になるんやね。やっぱり思うんだが…漢民族って喋ってないと死ぬんとちゃう?
とにかく座る。
何かお茶をって注文取りのオッサンが来たから,まあ今日はプーアル茶かなあ,って玄人っぽい表情で注文をかましとく。とにかく唯一聞き取れたのがプーアルだけだったとも言うけど。
ワゴン車が来てセイロを2つ押し付けられる。頼んでないし!?ひょっとして,既にド素人ってバレバレで売りつけられてんのか?露骨にそうとしか思えない。3つ目,4つ目と押し付けてくるのを必死の抵抗で拒んだのは,私の長い中国経験値に起因するものと評価してほしい。
レシートには小・中・大の区分があって,中と大にハンコが押してあったから,きっと高目の料理なんだろう。
一つ目のセイロは餃子3つ,も一つには肉ジャガみたいなのが載ってた。餃子はエビ,野菜,豚肉のそれぞれ違う中身で,皮が透明でプリプリと歯に絡んで美味い。肉ジャガは,何か中華クラゲみたいなのに鶏肉,豚肉の蒸しものみたいな奴で,あっさり京都風の味覚…だけど後からこってり味が染みてくる知らない味わい。
みんな蒸し魚とか粽とか食ってるけど,どう頼んでるんでしょ?そーゆーワゴンはいっそ来ないんだけど??
その辺の謎が謎を呼び全然システムが把握できないんだが,初回から欲張り過ぎるのはお釈迦様も戒めておられる。今日はこの位で勘弁してやることにして,飲茶初体験のお店を後にした。
極めて順調な滑り出しであり,とても満足している。
いや,正味の話。
飲茶の空間ってこんなにエキサイティングだったんかい!
台湾でも何軒かこの手の店は見かけたけど,実は入ったことがなかった。要は,喫茶店でもなし定食屋でもなし,一体何をする場所なのか…どーも想像できなかったんです。
この初回の蓮香楼,今から考えたら――何で入ったのか?よく分からん。
飲茶そのものに興味なかったし,まあ香港来たんだし一度位は行ってみる?ってほどの不真面目さで地図にマーキングはしてたんだが,この日の行程にも特に予定はしてへんかった。
でも初回の印象は劇的やった…。
全然分からんかったけど,要はその位異質な食文化空間!そう,おそらく,飲茶って料理形式のカテゴリーとゆーよりも,この空間の呼び名みたい。
調べると,早い時間からやってるとこが多い。香港早餐のヒドさも手伝って,以後朝食に飲茶へ通い詰めました。
最終日に再度,蓮香楼の手厳しい洗礼を受けるとも知らず――。
翌日。中還。
載ってないガイドブックはないであろう。香港飲茶の名店中の名店,陸羽茶室に突入。
店内のオーラが芳しく発酵してる。
木目調の調度。天井にゆったり回るファン。薄暗い白熱電球。それに照らされた鏡光がたおやかに妖しく揺らめく薄い空間。中華服の白を着込んだ古めかしいスタイルの給仕数名が,きびきびとテーブルの間を動き回る。
今日は,この飲茶空間をたっぷり吸収して帰ろ。
手書きをコピーした味わい深いオーダー用紙に,丸2つつけて渡す。
家郷蒸粉菓 32HK$
棗[土尼]雪[酉禾]餃 32HK$
茶はやはりプーアル茶にした。
このプーアル,流石の美味さ。ふくよかな発酵臭が存分に生かされ,濃さも絶妙に丁度いい。
何となくだけど,飲茶ってんだからお茶を純粋に,存分に楽しむ。日本の本来の茶会と同じよに,そーゆー場として香港人は味わってるんちゃう?少なくともわしは考えたいよな気がする。
さてお茶うけ。32HK$は一番安い値段のランク。さて何が来るか?幾らにつくか?
来た。
蒸粉菓は一見餃子。だけど口にすると…酒饅頭の外側みたいなムッチリした蒸しパン状の皮が口内にとろける。中の具には筍など粽風のドッシリした野菜系でまとめてあるらしく,肉汁は感じられない。菜包の具に似た穏やかな味覚。
[酉禾]餃は,[酉禾](中華パイ)なのか餃子なのか不明だったけど,見かけはデニッシュ系。ただ中には棗のあんがずっしり入ってます。「雪」が何を意味するのか分からんけど,この果実味と酸味を合わせ持つあんがデニッシュに斬新にフィット。
どちらも極めて極めて上質な味覚。なるほど…これが飲茶の味覚なんやね!日本じゃお茶うけに甘味だけに特化してるけど,漢民族の感覚では茶はあくまで食事の際の飲み物。上質なプーアル茶には餃子系の受けも確かにバッチリ合う。いや素晴らしく合う!
満足じゃ!
給仕に指をこすりあわせて見せる。
通じたみたい。この「Bill Please」の仕草はインドと同じでいいらしい。
ビルを突き出す給仕のオヤジ。さて?幾らですかあ?
──94.6HK$。
高い!
覚悟はしてたけど…バカ高い!朝飯の粥の4倍,今日の宿代の半分以上やんけ!お茶そのものがやっぱり30HK$くらいするってことみたい。
渡した100HK$札が,5HK$硬貨になって返ってきました。
だけど。この上質なおやつ…止められまへんな…確実にまた来るな,飲茶…。
外へ出ると麺粉15HK$とかの看板に囲まれて,ホッと現実感を取り戻しました。いかん!このクオリティの高さは,アルコールも無しで泥酔しちゃう危険域の美味!!
てことで現実リハビリ…屋台の露天テーブルで10HK$のミルクティー飲みながら,こいつ書いてます。
さらに翌日。
この日は2軒回ってしまった。
旺角。朝一番で倫敦大酒楼の3階へ。
かなり広い。結婚式場2つ分位はあるか?これが3フロアあるの?大儲けやな!
えーと,どれにしよ?鮮肉蒸餃子?[タ己/鳥][央/鳥]水晶飽?上湯饅[食屯]?上海素菜飽?…と物色してたら,値段に目が行く。──高いやん!
「特」や「頂」マークのは20HK$とか30HK$らしい。それと,みんなオーダーじゃなくワゴンからピックアップしてるんじゃない?
どうも飲茶って,素人がうかうかしてたら金かかってしょーがないし,その割に大した味覚には出会えない,さりげなく世知辛い仕組みになってるみたい。
上海素菜飽なら「中」だったんで,これだけオーダーして,ワゴンからピックアップしたお粥と併せて2品としてみました。
粥は皮蛋痩肉。でもちょっと違うのは…シェン菜とかとにかく香味野菜の香が纏わせてある点。なんで,痩肉の野生味が転じてとても上品に仕上がってます。
上海素菜飽はぱっと見,日本のコンビニでお馴染みの肉まん。皮も普通に思えたけど,噛んでいくとやはり中華饅頭の迫力がある。それと,全く日本にはありえないのが具。椎茸がメイン,高菜みたいな野菜を加えてある。調味料でじゃなく素材のフレーバーで食わせる品。
何より!お茶が良かった!
プーアル茶だけど,昨日までの2軒みたいに超高級ってことしか分からん味じゃない。おそらく,わしの舌のレベルで知覚できる,分かり易い形の美味いお茶。
発酵臭が程よく鼻をつくお茶で,こいつを一口,また一口と楽しんでたら1時間たっぷり座っちゃってました。
隣の客,座るや否や小碗を少し大きめの茶碗の中に入れ,上からお茶を注いでクルクルと器用に洗い流してます。仕草的に,これが飲茶のマナーってゆーか,そのためにあの大きめ茶碗があったんかってゆーか,まだまだ奥の深い世界らしいっす。
さてお値段。
占めて33.7HK$。
おお!!街の食堂の1.5倍程度,日本円にして500円程度でこんなランクのが満喫できるか!
ちなみにこのレシートをお持ちになった給仕のお姉様,値段を「サーサンゴーチャン」みたいに発音しはった。「三」は日本・北京・広東とも「サン」に近い発音らしい。けど…ダメだ。やっぱ北京語と全然違う。
この昼前に深[シ川]で2軒目の飲茶。駅前ビルの5階の丹桂軒。
案内のシステムはムチャクチャ理不尽だったけど,客席と料理出しはまあマトモ。
メニューの表記は大陸風の漢字・簡体字に,あえて香港の繁体字じゃなく英語を付してある。この辺り,大陸側も意固地です。
沙[ロ父/多]牛柏葉
Steamed Ox Stomach with Satay Sause
五香[歯減]水角
Deepfried Glutinous Dumpling with Spicy Meat
スイーツっぽい黒芝麻糊西米露も頼もうとしたが止めた。いずれにしても何だか見当ついてないから,量が凄い可能性もある…。
やって来た2品は意外に少量。けど,満足感から言えば十分。
沙[ロ父/多]牛柏葉は,牛の臓物のサテソース(の部類だと思う)煮込み。臓物も,センマイみたいな何か分からん部位。食感は鳥皮なんだけど…?これが,潮州風だと思う。何かうっすらした滑らかな味覚で魅了してくる。生姜と唐辛子の味は理解できたけど,一体他に何が入ってるんだ?
五香[歯減]水角は揚げ饅頭。ただし中に,滷味の効いたミンチ的な具がぎっしり。台湾でも滷味のスイーツ的な使い方には出会ったことがない。これが…意外に合う!滷味と言ってもシナモンを強くして調整してあるみたい。
それと,これは無料のお茶うけですが,ピーナッツとちりめんジャコを一緒に煎ったもの。台湾で時々,このちりめんジャコをうまく使った意外な小皿に出会ったけど,日本の酒のツマミ風じゃなくチャンと調理されてる。
昼時を迎えて益々とんでもない人出で…資本主義の香港じゃ少なし客を睨みつけることはないけど,共産圏では給仕の仕事は客の回転数を上げることみたいで,大陸お姉様が露骨に圧力的な目つきで睨んで来るし…ひいい~ゴメンナサイ,席,空けますう。
さらに翌日。銅鑼湾,タイムズスクウェアから少し北にある鳳城酒家へ。
濃湯[サ/見]菜水餃 8.8HK$
香煎軟腸粉配皮蛋痩肉粥 12.8HK$
フロアは一階のみ。格調はあるけど歴史の圧力は適度って感じの,後から振り返ると一番居心地いい店だったかも。
水餃は漢字通り野菜たっぷりの水餃子…かと思ったけど,濃湯の文字が気になってスープを飲んでみる。
牡蠣?とにかく貝類で出した濃密な味のスープ。
中から溢れる肉汁プラス野菜出汁に,外から染みるこの牡蠣のスープがジョイントして,口の中ではえもいわれぬまろやかで複雑な味覚が生まれる。
香煎軟腸粉配皮蛋痩肉粥の「配」は,2品のセットって意味だったらしい。英語の「with」,イタリアンの「con」の代わりみたい。
香煎軟腸粉は,漢字からは全く分からんけど棒状の水餅みたいな奴で,唐辛子ダレと胡麻ダレがついてて――あれ?これ…要は韓国のトッポッギちゃうの?
飲茶 de トッポッギ?そんなんありかよ?しかも粥に合わせる必然性が分からん。でもこれが,意外とプーアル茶にも粥にもマッチするんだわ。韓国のより水っぽくてわらび餅に似た食感。
粥もなかなか。だけど,ちょっと量が多かった。
これでプーアル茶こみでトータル29HK$。この位に豪華な店内でかなりお得だし,料理は面白いし…鳳城,なかなかいーんでないかい?
にしてもまたプーアル茶,ポット全部飲んじゃった。トイレが心配じゃ…。
最終日,ってゆーかもう香港発のフライト時間まで5時間ほどって時点で,蓮香園に再突入。
日曜日の昼前,まさに飲茶タイムだからムチャクチャ混んでる。やむなく相席の大テーブルの奥の奥の席へ。夫婦一組とお婆さん一人,さらに後から老夫婦一組との同席。
座ってから気付く。とても出入りできんじゃないか?ワゴンに近付くのすらすげえ難しい!
「ポーレイ茶」と広東語を真似て頼んでみたら,ポットじゃなく茶碗で来た。
茶葉だらけで飲み辛い。大陸中国風に茶葉をフーッて吹き吹き飲みながらめぼしいワゴンを待つ。
ガンモドキの中に餃子の具が入ったようなのがゲットできた。
美味い…。
けどそれを味わってる暇がなかったんである,今回は。
トントンと白服の給仕が肩を叩く。見上げると首を振って小さい茶碗を指差す。
こっちで飲むんだけど,ド素人め!ってことらしい。
え!?でもどーやって?茶碗から茶碗にどう注ぐんだよ?
とりあえず平静を装って,皆さんの振る舞いを観察してみる。──片手で茶葉の入った碗を持ち上げてザザッと小碗に注ぐらしい。
やってみる。うまくいかんどころか,全然ダメ。片手なんてとんでもない。両手でやってもダラダラと碗の外にこぼれ落ちちゃうぞ?
何度かやってたら,隣の夫婦がわしの茶葉の碗を取り上げる。こうやるんだよッど素人!――ってことで,急遽開催されましたテーブル同席の全員による飲茶作法の虎之穴講座。「人差し指を手前へ!」「違う!親指と中指で両サイドを支えて!」「後ろの蓋に空間を作るんだよ!」とそれはそれは容赦なく厳しいご指導ご鞭撻を賜りまして,何とか注げるところまでに成長しました。
ただ,どうも蓋の押さえ方とズラし方の加減が難しい。あんまりがっちり蓋を押さえると,当たり前だけどお茶は出ない。お茶が注がれる適度な空間,特に後方に空気の入る空間を作るべきなんだが…次回まで毎朝練習いたしまし出直してきます。
ただこんなのは,どーも飲茶の10級位の初歩の初歩らしい。つーか,この位覚えてから飲茶に来いよ!ってレベル?
この庶民派の店では大多数が「洗茶」をやってる。大きな碗の中で,湯とか茶を使って小杯から箸から取り皿まで全部クルクル回して洗う。ラニングシャツにトレパンの兄ちゃんでも,雑談しながらクルクルやっちゃう!!
この手捌き,指捌きは実に見事。虎之穴洗礼直後の人間からすると神業グラスであるが,飲茶デビューしてる香港人にはごく当たり前の技術らしい。
最終日になって今さら何言うとんねん!!なんですけど──つくづく,この土地は一つの独立した文化圏なんじゃねえ。飲茶の手捌き,作法…いや,恥ずかしさより先にホント,惚れ惚れしてしまいました。
というか。最終日にやっと,飲茶なる香港人の食文化の存在に気付けるレベルにたどり着けました…っちゅうのが掛け値のないところ。
「食事は裏通りで飲茶にしましょ」みたいな軽くてオシャレなもんじゃなく,これはこれで香港人の生活感の核心なんであり,重い形式みたいなんでした。