外伝10 弗 弗the previous day弗 Have a crashing victory

 夏休み前の役所仕事をヤイコラと片付けまして。
 バックパックを背負いこんで,とりあえず目指したのは天神Bivi。新幹線で九州入りし博多駅前の宿に荷を放り,渡辺通り行きのバスに飛び乗る。
 Bivi1階の麹屋ってパン屋のウワサを聞いて来たんだけど…既に夜9時間際,さすがに閉まってた。
 懐かしき天神,中洲をぶらついて長浜ナンバーワンに立ち寄る流れになった。
 博多ラーメンに狂ってた時期には,かなり買ってたお店。相変わらず客足は多い。
 うーん…。
 豚骨ラーメンとしてはやっぱ最高にまとまってる。ただ…もう,ちょっとわしには,少なし…月に一度でいい。脂がキツ過ぎて嫌みに感じてしまう。今は日本の普通のラーメン自体がちょっと…って味覚になっちゃってるらしい。
 この旅行直後に訪れた鹿児島でも同じ。こむらさきはもう喰う気にならん。満正苑の酸辣湯麺はウマかったけど,よく味わうにはラー油がキツ過ぎる。以前はインパクト不足に感じた「のりー」や鷹の素朴でシンプルな味の方がシミる。
 九州でラーメンに見向きしない味覚になってしまった…これ,減量前のわしには信じがたい事態。
 半減後遺症の味覚の変貌過程,来るとこまで来たって感がある。まだまだ半年程度で同じ店の同じ皿が別物に思えるほどに進行中ですが――さてこの舌が,21か国目にして,恐らく最も非人類史的な,それ故に間違いなくわしにとって最も難解な国を,どう映し出すんでしょう?

 20か国も回って,まさかと思われるかもしれませんが――
 英語はトコトン苦手だ。
 あれはもう,体質に合わないとしか言いよーがない。
 言葉は単なる記号じゃない。土地の感性やリズム感を,どうやったって根底に宿してしまう。英語のその類いの基底に,何とも馴染めない。
 ただ,今回は逃げようがない。きっとアメリカ人は英語をしゃべってるはずだろう。遅蒔きながら直前ひと月ほど,入浴時と通勤時に英字新聞を暗唱した。
 その中で触れた記事に,こんなのがありました。

Japan Knocked Out of World Cup
Japan’s 2006 World Cup came to a miserable end on Thursday as world chanpion Brazil had a crashing victory over it,coming from behind to win 4-1.

 古い記事だが,サッカーファンには記憶に残る悪夢の2006WCブラジル戦。要は「日本が惨敗」ってだけなんだけど,この表記――
「Knocked Out」に次いで「came to a miserable end」。「レ・ミゼラブル」のミゼラブル(惨めな)です。挙げ句の果てに「crashing victory over it」ときた。
 日本だからってのもあるかもしれんが,こと勝負事に関しては容赦ない。厳しいって以上に,明らかに面白がってる語感。「crash victory」の語感を日本語に無理に直せば「粉砕勝」みたいなとこ?
 中世の民衆にとって処刑が最高級の娯楽だったみたいに,社会的な勝敗はアメリカ国民にとって,日本人の感じる何倍も興奮する出来事みたいに感じられます。
 このいささかやんちゃだけどそれ故に強烈なファイティング・スピリッツ。これが,前の大戦じゃ日本帝国がヤラレたパワーなわけだし,その後も始終戦争やってる原動力なんでしょう。
 米軍って基本的には弱い軍隊だと思う。なのに勝とうとする感性はムチャクチャ強い。だから原爆でも劣化弾でも何でもアリの執着ぶりで最後には勝っちゃう。敵の3倍いないと戦わないとか,後に戦略論の基本になってく考え方もこの辺に思想的根っこがある。
 個人レベルでもそう。この安心してパワフルでいられるという感性。マネジメント議論一般にも通じるけど,恐らくここがこの国のあの強烈でしぶといパワーの源。
「お前らにはできない」と言われたことをアメリカ人は必ず成し遂げると言われる。けど,違うんだと思えてきた。「お前らにはできない」と言われたからこそ出来てしまう。
「集中戦闘力」というか,そういうパワーを体質的に持ってるみたい。

 お馴染みのはずのアメリカの歴史も,も一度チェックしてみたら。
 少しそれるけど,ペリー来航時のアメリカって…分裂直前の一番危ない時期だったんやね。
1848 カリフォルニアで金鉱発見
1850 カリフォルニア州昇格,連邦参加
1853 ★ペリーが浦賀に来航
1852 「アンクル・トムの小屋」出版
1854 反・奴隷制を目的として共和党結成
1860 リンカーン大統領選出
1861 南部同盟政府樹立・連邦脱退
   南北戦争勃発
1863 奴隷解放宣言
ゲティスバーグの戦い
 太平洋側までを含めた大陸国家像がやっと見えかけた新興国を襲った南北分断の危機。
 なるほど…開国させたっきり,アメリカは幕末史に登場しない。あの国にしちゃあ手ぬる過ぎる。太平洋の向こうの日本攻略なんてやってる場合じゃない時期に中途半端に出しちまったチョッカイだったから,あの程度で済んだわけやね。
 しかし――この南北戦争史だけ見ても,かなりギトギトしてる?世界史の教科書上のアメリカって,清潔過ぎてつまんなかった印象なのに…一枚上っ面を剥がすと,こりゃあ…。
 歴史っても…意欲に(1492)燃えたコロンブスから取っても500年余,国としては,いななこう(1775)闇(-83)に向かって独立だべい(米)から250年,帝国化した時点を米西戦争に求めれば百八枚(1898)からだから200年ちょい。そんなに薫陶のある歴史じゃないだろ…と侮ってたんだけど。
 それに,今のニッポンの現代的な部分を寄せ集めたら,それがアメリカになるよな,その程度の起伏の歴史かなと思ってたんだけど。
 でも,こりゃあ…違う!
 想像以上に特異な社会集団やど?しかも,アジアの従来経験じゃあ…ちょっと推定不能な肌触り――。
 連想してしまったのは――意外なことにインド古典マハーバーラタです。神も人間も善悪入り乱れての大戦争絵巻。
 とんでもない悪役や俗物がわんさか登場する一方で,とてつもなく高潔な理想論をかざすヒーローが繰り返し現れる。しかも,善玉が晩年には悪玉になったり,生前は悪玉として叩かれまくってたのに死後は善玉として祭り上げられたりする。政治状況にしても生活者の実態にしても,怖ろしいほどのダーティーさときらびやかなノーブルさでカラフルに織りなされる絵巻。逆転,反転,暗転,爆発と,とにかく派手な展開がブッシュ・ジュニアやオバマまで連綿と続いてる。わざとやってるとしか思えない劇的な社会ストーリー。
 教科書のアメリカ史がツマランのは,この劇的な出来事群が,ごく最近の出来事だからでしょう。そのまま書いたら…対中国より遥かに国際問題になる。
 今のアメリカを知ってるから安心して見てられるけど…途中,危うい曲がり角をこれほどかいくぐってきた国もないよな。もし――独立時の13州が分離してたら?一時は明らかに独立してた南部が南北戦争で勝ってたら?大陸横断鉄道があんなに早期に作られなかったら?当時は酷評されたロシアからのアラスカ購入をしてなかったら?
 そして,ハワイに続いてフィリピンや沖縄を領有してたら?
 最初に書いたペリーにしてもです。あれがあと15年ほど遅くて,徳川政権か薩長かの伸長にアメリカが本気で介入してて,北海道開拓とかだけじゃなく明治政権自体に影響力を持ってたら――英仏独みたいなスマートな支配じゃなく,ハワイみたいに露骨な制圧に掛かってたはずで。あの時期にアメリカ合衆国日本州が出来てて,日露戦争が米露戦争だったら…今のよな形態のアメリカが存在したとはとても思えない。
 その歴史を辿ってきて,なんでこんなスーパーパワーがあの場所に存在して来れたのか…冷静に知れば知るほど不思議でたまらん。南アメリカやアフリカ,南アジア,東南アジアと同じ状態にバラバラの国が乱立して時々争って…となるのが,むしろ自然だったとしか思えへん。いや,過去形じゃなくて,今の状態もそん位にはグチャグチャの群雄割拠状態なわけで。
 例えばインドネシアやパキスタンが,どれだけの努力で一つの国であることを維持してるかを考えてみるといい。
 ラッキー過ぎる。あれだけ好き放題に荒れ狂った歴史の中でも崩壊せずに,その特異な形質を留めてられるほど,「神の御加護」があり過ぎた歴史の国です。あの国の,よく考えたら幼稚なパワフルさはその辺から来てる。お坊ちゃん育ちなのね。
 だけどその分,ひねくれた性格がなくて,吹っ切れてる。
「昔のものはすべて放棄し,新しいものは,自分の受け容れてきた新しい生活様式,自分の従う新しい政府,自分の持っている新しい地位などから受け取ってゆく」。その吹っ切れたスタンスが,まさにアメリカってことみたい。
 そのスタンスは,国の規模があるラインを越えた後は,国をまとめる引力にもなったろう。楽観主義者に結局は一番ラッキーをつかむのと同じで,ラッキーの自己実現運動みたいな動態が星条旗の国の実像らしい。
 短いと言ったっても8世代ほどもの歴史です。しかもあの巨大な国土。あれで,星条旗の元に一つの集団としてまとまってきたってのは…これは国側の努力だけでは説明がつかない出来事でしょ?
 恐らく,あの国民は自発的に集合してる。日本を含めた歴史の長い国での,一種の諦めとして帰属感が,自発的なものに置き換えられてる。それも,何か大きなレベルで。
 目の前の日常事象にいくら不満タラタラでも,猿谷さんの言う大きなカッコにそれぞれが同調してる。
 それが何かは行ってからの楽しみに残すとして――まあありきたりに言うところの,自由主義とか民主主義とかいったもんだってのは想像できる。今んとこ誰も正面から否定できる人間はいない現代最大の「信仰」。そうした理念の第一人者として旗印を掲げてる,この一点からこれだけの帰属意識が発生してる。
 逆にこの理念に疑いが持たれた時期には,アメリカの国力はてきめんに衰亡してる。全体主義が世界の趨勢かと思われた大恐慌以後。公民権闘争時代。覇権主義が世界から非難されたイラク戦争前後。
 このシンプルな構造が,建国当初から貫かれてる。行政機構や生活様式以前に,この構造そのものがアメリカなわけで,そのリングを共通意識としてるからこそ,奴らは安心してグチャグチャに群雄割拠してられる。
 根源的に,アメリカってのは「運動」あるいは「ムーブメント」の一種と言った方がいいんかも知れん。
 現地に触れた時の違和感は何度となく味わってきたけど,事前情報段階でこれだけ違和感を感じるのは初めてです。それも,どうも調べれば調べるほど膨れ上がる違和感。
――「アメリカナイズ」「アメリカ型食生活」がどーとか常々口にしてる割に,日本にアメリカ自体の素描って存在してないんじゃないか?逆にアメリカしか知らない日本人も含めて。
 そのうち諦めた。
 こりゃあもう,行って見聞するっきゃなさそうだべ。

 中洲に,ダイエーが去年くらいに作ったグルメシティってのがある。
 まあスーパーなんだけど,24時間営業なんで,ついでに寄ってみた。正月の韓国行きの時にたまげた品を再度購入。
華味鳥のかしわ飯のお握り 2つ入り
博多地鶏の鶏肝甘露煮
 あと,旬のものってことで根菜の酢の物を付け合わせてみた。
 おお!スーパーで売ってるのと全く違う!
 いや,スーパーで売ってんだけど…今まで食ったかしわめしとは全然別物。軽やかに甘い脂と澄んだ出汁が米粒を宝玉に変えてる。鶏肝甘露煮もムンムン来るレバーの赤身肉味の背後で,軽快な醤油味が香ってく。
 博多通の自信が崩れ落ちる。博多,小倉のかしわめしは有名だけど,今まで美味いと感じて来なかった。こんな味覚を見落としてたとは…。
 我が舌は,やっぱ完全に新しいレベルに入りつつある。こんな時期に「世界一メシのマズい国」に渡る…さて,吉と出るか凶と出るか?やはりもう,行ってみるしかないんである!