6時15分。
早めに待とうと宿のロビーへ出ると,既にタクシーが来てました。コーヒーの紙コップ片手に,タクの運ちゃん割と平然と「ほな行きまひょか!」
薄暮の中,ニューオーリンズ空港へ走る。
今度の荷物チェックはやたらに甘かった。ベルトもコインも持ったままでも探知機は鳴らない。やはり役人仕事は属人で動いてますね。
早く入り過ぎたんで,時間潰しがてらフードコートで朝飯。Jester’s Grilleってお店。
Sousage gravy & biscuit $5.25
Coffee SM $1.85
あえて訳の分からんメニューを頼んでみた。――ビスケットをもう一度食っときたい気はするけど…ソーセージ?しかもグレービー?取り合わせとして…有り得えんやろ?
来たのは…おお?そのまんまやん!
▲ルイ・アームストロング空港のSousage gravy & biscuit
ビスケット2つの上にソーセージの切れ端混じりのグレービーソースがどぶどぶにぶちまけられてます。ちょっとしたシチュー状態。朝からドロドロや!500kcalは鉄板。
ビスケットは例の南部の柔らか系だけど,当然甘い。グレービーソースも,胡椒少なめ塩たっぷしの小麦臭ムンムンってとこが日本と少し感性違うけど,まあブラウンソース。ソーセージもこの街で毎食出くわしたサラミ系強烈味。
クドい!濃厚の三重奏!
気味の悪いほどのコテコテさだけど,これが食ってるうちに恐ろしいほど馴染んでくる。濃厚な味で,コントロールがあんま必要ないからか?ビスケットがメインなんだから南部で生まれたコンビネーションだろけど…。
考えてみれば,単純な食い応えって意味では,500円でこのボリュームはお値打ちとも取れる。少なし南部の食感覚はこの位に安易な面もあるってことか?
持参した田村明子さんの「ニューヨークは美味しい!」(角川ONEテーマ21)に,アメリカ人にとってのカムフォートフード(comfort food,食べてホッとする食べ物)は?っていう記述があった。
ミートローフ,マッシュポテト,グレイビー,マカロニ&チーズ,PBJ(ピーナッツ&ジェリー)だと言う。
最後の2つは今後一度は食ってみたいが…「高カロリーで誰でも食べられる単調な味,そして簡単に作れること」がアメリカのカムフォートフードの条件だと田村さんは指摘する。今朝の朝飯はまさにそんな感じ。
ここまでの正味3日間で食う限り,アメリカのファーストフードってかなりちゃんとした味もある。それ自体は,開拓時代を起源に持つ彼らの食文化のスタイルであって,肥満大国の震源じゃないと感じる。アトランタのファーマーズバスケットのファーストフードもこのスタンスでした。生の食材しか手に入らない状況下で,その新鮮さをいかに美味しく頂くかってスタンス。
震源は,田村さんが挙げた安易な食感覚みたい。まさに今食ったグレービーみたいな…お安く,お手軽に美味を生産する忙しい現代人好みのスタンス。
両者は似てるけど,根っこは全く違うんだと思う。ただ,似てるからこそ移行しやすかったってのも事実だろう。
お安くお手軽スタンス自体は,日本も含めて現代世界のどこにもありふれたものだろう。ただ,ビスケッツのグレービーがけなんて日本人センスからは普通「気味が悪い」と感じるはず。その辺の感覚的予防装置が働いてないとこがアメリカ食文化のリスクみたい。
アトランタで飛行機を乗り換える。
コンコースBの先端辺りに着いた。ニューヨーク行きDL2116便はT03発。空港内トレインで移動して,乗り場までしばらく歩く。
今,T03のそばのスタバでエスプレッソのドピオを購入いたしまして,隣の喫煙所で飲んでます。
$2.25,180円ってことは日本の半額以下?台湾や香港のスタバより安い?味はちゃんとしてるし,何でだろ?アメリカのドメスティックなスタバって,海外のよりはるかに庶民的ってこと?
auケータイのアンテナが立った。ニューヨークはまあ通じるはず。
ニューヨーク行きの機内に乗り込む。
人種がにわかに多様になる。ニューオーリンズからの便は白人だらけ,アフリカ系もアジア系も皆無だったのに。
ちなみに隣の席はインド系の青年。報道関係のお仕事をニューヨークでやってるそうだ。
雲の切れ間からニュージャージーの沃野が見えてきた。と,その向こうから蜃気楼のように,ビルの塊みたいな物体が浮かび上がってくる。一つの有機体に見えたその塊は,近づくにつれバラバラの棒に限りなく分離し,次第に白っぽい角柱の輪郭を見せる。
マンハッタンの初鳥瞰の印象は,そんな「軍艦島」に似たものでした。周辺域との隔絶が極端というか…規模はともかく構造的に,中央アジアの砂漠中に建つオアシス城塞都市みたいな…。
世界の中心かどうかなんてどーでもいい。都市規模的には上海やソウルやバンコクほどバカでかくはなく,むしろ箱庭的な可愛さみたい。
けれど――旋回しつつ近づいて来るこの街に,どうにも戦慄を感じ初めてた。
ここは…何かヤバい街だ。
アジアの大都市も相当ヤバいが,どうやら全く経験のないヤバさがどす黒く累積されてる。アジアで言えばカルカッタみたいな臭いの…。
予想以上の戦慄に襲われながら,ぐんぐん迫り来るJFK空港を凝視している昼下がり。
空港着が15時40分。でも地下鉄乗車は16時近くなった。
このJFKも広い空港で,空港鉄道で結ばれたターミナル群の集合体って形態。アトランタもだったけど,ハブ空港ってこのタイプが主流なんだろか?とにかく,バゲッジと空港脱出だけに思いのほか時間がかかってしまう。
1週間地下鉄乗り放題のMETROカードも購入。さていよいよ,音に聞こゆるニューヨーク地下鉄ぜよ!
ケネディ駅にはパッカーやスーツケース姿がわさわさしてて浮ついた空気やったけど,これも待たされたCトレインに乗り込むと――ううう…こりゃあ…確かに独特!!
ディープサウスみたいなアフリカ系だらけなら緊張がシンプルなんだが,イエローもアラブもインドもメスティーソもありとあらゆる人種が,スーツ姿からブルーワーカーからストリートギャング風情なのからバラバラの社会的クラスのオーラで,思い思いの立ち居振る舞いをしてる。例えばイエローにしても,日本人っぽいカサついた覚めた表情,チャイナっぽい落ち着きのない騒々しい集団,コリアンっぽいドスの効いたしぶとそうな眼光と多彩なこと極まりない。この,マジョリティのない異質物が平然と隣り合い,せかせかとすれ違い続けてく緊張感とゆーか空気の濃密さとゆーか…これは,吸ったことのない空気だと思う。おそらく,地球上この街にしかない瘴気なんちゃう?
とりあえずバックバック死守体勢を取ってたけど,不測の危険事態が勃発する雰囲気は感じられん。周りにスーツケース抱えた姿が割と無防備にペーパーバックス読み耽ってたりしとるし,5回に一度は襲われるとかそんなハイリスクはなさそう。少なし中国のバスやインドの列車,イタリアの地下鉄よりは安全臭い。
後で調べてみると,ニューヨークの地下鉄が犯罪の温床だったってのは最早ある程度は昔話になりつつあるらしい。80年代移行,次の点が改善されたためだと言われてる。
1)メトロカードの普及→構内に不審者が侵入しづらくなった。
2)公衆トイレの閉鎖→犯罪発生率の最も多かった場所が,物理的になくなった。
3)ペイント車両の取替→イメージ一新
4)ホームに「Off Hour Waiting Area」を設置→人気の少なくなる夜間などはこのエリアで待つことを勧め,駅員から見渡せない客を減らす。
ふーむ,なかなか努力してはりまんなあ!香港の地下鉄にトイレが無かった理由を今更ながら実感しました。
それはともかく…2)トイレ廃止じゃ!半減の後遺症の超ド級頻尿なボクといたしましては…これは痛かった!
公園にも同じ理由で公衆便所はない。加えてニューヨークは,ホテルもほとんどがトイレ使用お断り。コンビニにもないし,スタバとかにはトイレ行列が出来てて20分待ちは固い。ひいい~どーすりゃいーのよ!頻尿者に人権はないのか!!国際頻尿者連盟は直ちにアメリカを提訴すべきである!!
便所でフリーズさせられるよりいーだろ?って鉄板で棄却されるけどさ。
ただし,この時のわしは違和感を帯びた怖さでパニクってたのか…。
最寄り駅まで地下鉄を乗り継ぐ予定でいたところ,車窓(郊外ではまだ地下に潜ってない)の住宅街を眺めてると,ふと別の不安に襲われる。
何か…この人気のない住宅街,ヤバくね?
最寄り駅で降りると,Utica Av.にあるホテルまでこんな住宅街の中を曲がりくねって進むことになりそう。迷う可能性も高いし,道を尋ねる→フリーズ→ドキュン→パタン…っていう展開はないの?
…とか血走った眼で地図を走査してたら,このCトレインの停車駅にUtica Av.ってのがあるのに目が止まる。同じ通りの名前ってことは,道沿いに歩けば着くんじゃない?大通りっぽいから危険は少ないだろ?
決断しきらないうちに「Utica Av.」とのアナウンス。気がつくと,手がバックバックを引っ付かんでました。
後に地図を精査した際,このUtica Av.って通りは北はクイーンズから南はコニーアイランド近くまで,ブルックリンを南北に延々縦貫してることに気付いて,この時の判断の無謀さに我ながら呆れちゃいましたけど…。
とにかく,このUtica Av.って駅から,初めてのニューヨークの街に出てしまったわけです。
大学の前みたいでした。
とにかくUtica Av.の標識を見つけ,道なりに南へ歩きだす。
広い道だ。人通りは多いから危険そうでもないけど,その分バックバック姿のイエローを皆さん二度見してらっしゃいます。
けど,こうなったらたどり着くしかない!ペットボトルの水片手にガンガン歩く。汗だくだ。
歩行速度と地図上の雰囲気から,やっと気付く。こりゃかなり遠いで?それにこれ,沖縄の道路に似て…アメリカの道路工事の発想で,かなりのアップダウンやど?
何より!途中の道路は車両の通行量こそ多いけど,歩行者は少ない。住宅街,しかもあんまり裕福そうじゃないっぽい。アフリカ系の率も高いようだ。これって,それなりに危険とちゃう?
とってもビビッてきましたけど…歩き着くしかない。
3つ位丘を越えた頃,どうやら地下鉄駅Crown Hts Utica Av.に着く。滞在中,最寄り駅として使うことになった駅だが…どーもアフリカ系だらけ?
ここからさらに丘を下り,ネット予約したRadisson Hotel Utica Centreにたどり着いたのは,Utica Av.をスタートして1時間を回った頃。
予約は無事入ってて,程なくチェックインできました。部屋に入ってまずしたことは…小便!あ~死ねかと思ったあ!
ちょっと動く気になれなかったけど,ホテルのキャッシャーでJCBカードが使えない。こんな郊外なのに1泊1万円超える宿なんで,現金をゲットする必要があった。
周囲には,スーパーとドライブインが見えるけど,CDはありそうもない。
もう夜が迫ってたけど…再度街へ出る。
Crown Hts Utica Av.駅までは徒歩15分程度。けど,暗がりのこの界隈はやや危なっかしい感じ。帰り道は大丈夫?
とにかく4番トレインで西行。Atlantic Av.でBトレインに乗換えて,さらに西へ。
ふいに,車窓から濃い残照が流れ込む。地上に出た?あ,古い地下鉄だから川底を通ってないわけか。
つまり,ブルックリン・ブリッジを渡っているらしい。進行方向に見えてきた,血液のような夕暮れを滴らせた構造物群が――マンハッタンの島でした。
再び地下に潜る。Grand St.下車。
ロウアー・イーストサイド。チャイナタウンとユダヤ人街,リトルイタリーの中間地点の駅で…マンハッタンではそれなりに危険度高い街らしい。我ながら,何で初めてのマンハッタンでここを選んじゃうかね?
でも結局,最終日まで一番入り浸ってたのはこのエリアでした。
CDはマンハッタンならあちこちにあった。適当に見つけたとこでドルを財布に詰めたとこで,Ludlow St.を北へ。E-Houston St.に出る。
ニューヨーク一食目。カッツ・デリです。
時は夕食時。
入り口にたむろする悪そうなヤング集団,カウンターの向こうで殺気立って包丁振り回してる職人気質の料理人,初めての巨大ダイナーの客席,ビビりの余韻で圧倒されっ放し。
ここはパストラミ・サンドで有名だけど,何か変に強がって「わしはエッグじゃ!」と強調してみてました。結果,コレを食ったんだけど――
美味かった~!
疲れた心身にジーンと染み入る美味さでした。塩も胡椒も大してきいてないのに,ハムと卵の素材を上手に生かしてあって…って書くとありきたりに聞こえるんだけど,ユダヤの料理の奥深さだけ,とりあえず思い知って…。
とにかく,美味かったあ!
20時15分,まだ地下鉄4番の中。
ロウアー・イーストサイドからの帰り,行きに乗ったBと同じだと思ってDに乗った。アナウンスがないから,とにかく2駅乗ったら,予想外に長い。着いた駅の表示が…36ave?どこだそれ?
地図で見ると,どうやらものすごく南まで来たらしい。ブルックリンの南?それはいわゆる,ブルックリンでは危険と言われるサウス・ブルックリンじゃないか!!
よくよく路線図見ると,DはBと違ってDeKalb ave.をすっ飛ばすらしい。仕方ないから折り返したりしてたら…こんな時間になっちゃた!初日で宿周辺の危険度が分からんのだが…帰り着けるかな明智君?
結果的に,何事もなく帰って来て…宿でカレー食ってます。
これはCrown Hts Utica Av.から宿への途中,Rite Aidってデリに6$って表示が出てたもの。定員も客もインド系かアラブ系だらけの店。
よく観察するとこの界隈,確かにアフリカ系が多いんだが,中華やムスリムの食堂がスポット的に出現する。
このカレーも,奇妙に本格派でした。カレーは日本や欧風のとは隔絶したスパイシーさなのに,肉入り。ナンやチャパティじゃなくサフランライス。
アメリカ的にファーストフード化してんの?