油煳干青∈外伝12∈辣∋拾弐月参拾号 成都二日目∋糟酸麻蒜

 救世主ネオはマトリックスの地下鉄駅に閉じ込められるが,成都駅地下の店も目下,全部閉まったまま。照明だけが滅法明るい地下鉄構内です。
 朝7時過ぎにリュックを担ぐ。鉄道駅地下の火車北[立占]から乗車,2つ南の文殊院まで。所要2元。
 プリペイドカードが発行されてるようだが,窓口購入は出来ない模様。天府カードと言うらしい。
 車内アナウンスには全て英訳が付される。観光客を意識してんのかしてないのか…共産国らしいバランス感覚ではある。
 地鉄(地下鉄)は升仙湖から世紀城までの南北線一本のみ。近く天府広場で十字に交わる東西線が開通予定。
 車内を眺めると――服装は全く日本や韓国と変わらない。女性のセンスがちょっと派手って位の違いか?でも旧世紀末のこの国で珍しくなかった「何てセンスだこいつ?」みたいな人は既に皆無。基本は黒が多いみたい。以前は気になった体臭もかなり薄い。
 構内と車内には広告用テレビ設置。
 最近の竣工なんだろう。地鉄車内はWifi。座席の皆さん,携帯でガンガン話してます。とてもウルサいです。
 そんな感じで迎えております2日目朝です。

 8時,錦[糸糸]街,錦江之星(成都文殊坊店)にチェックイン。179元。
 錦江之星連鎖酒店,英語名JINJIANG INN(ジンジャンイン)。このチェーンが,中国で最初に設立されたエコノミーホテルチェーンになる。現在は,7天連鎖酒店,如家快捷酒店,それからまだ上海など沿岸部中心だけど漢庭連鎖酒店も競争チェーンとして凌ぎを削る。
 錦江之星は1996年設立,1997年初店舗オープン後,10年後の2008年段階で340店舗を数えるに至った中国最大手のエコノミーホテルチェーン。
 このチェーンの利用は今回が初めてだけど――朝にも関わらず部屋に入れました。6階,単人房。シャワー・トイレ付,アメニティはバスタオル,ボディソープ,湯沸かし,インターネット回線,テレビ。この辺までは日本のビジホもどき。まず不自由はない。
 エレベーターは上りのみルームカードを差さないと動かない形式。安全面も対外的には万全の海外仕様。
 バス停はすぐ前に文武路東[立占]が最寄り。泊まり客は早餐18元。隣に軽食屋。朝は麺類が主に出てるみたい。
 錦江之星を出た頃,辺りがやっと曙光に映えてきた。微妙な体感時差に少しけだるさを覚える。

▲武候祠錦里の三合泥

 再び地鉄文殊院駅から南へ4駅,華西[土覇]へ。ピンイン(読み方のアルファベット表記)huaxiba。
 通勤ラッシュの満員電車。
 目の前の席に座ったお姉さん,電子書籍をスゴい速さで読み飛ばしてます。
 お姉さんの並びをチェックしてくと――セルフォン扱ってるのと報看(新聞読み)してる方が半々。スーツ姿じゃないから日本のサラリーマン列車みたいな不気味さはない。
 壁面の路線表示が到着駅に応じて点灯してく。織り間違いの不安感は全くない。
 ただ駅の出入りでは…爆破を恐れるのか,飛行場みたいな荷物のX線チェック機が全駅にある。あれを乗り降りごとに通させるのは止めてほしい。

 成都,武候祠錦里。
 何か歴史的な街並の場所だ。しかしまあ,やたらと頭悪そうな髭面デブと山羊さん髭の物騒そうなオヤジが立ってる。銅像とかだけど。
 成都二日目にして初めて気付いたと言うとキレる御方もいらっしゃいましょうが…そう言えばちょっと三国志の舞台だったよな,この街。なるほど,張飛さんと関羽さんでいらっしゃいましたんですね。
 そもそもこの場所の名前「武侯」ってのは諸葛亮孔名の諡号「忠武侯」のことだったらしい。武候祠ってのは中国のあちこちにあるから気にもしてなかったけど,この人を祀る霊廟なんだね。ただしなんだかんだと諸葛亮以外の蜀漢ゆかりの武将やら家臣やらも祀られた上,主君の蜀主劉備や劉禅も合祀されるようになったみたい。もっとも,劉禅は「亡国の暗君」と嫌われて南宋代に廃祀。まあヒドい。
 祠自体は入場料60元。とても入る気にならんのでパス。
 ――って,じゃあ何しに来たんやねん?という疑問もごもっともであるんだけれども,「食いに来たんです」って答えも既に予想されてるとこでありましょう。
 この「錦里」が門前町みたいな意味らしいから面白い食いモン探しに来たわけですが…完全に観光客向け施設でした。ただまあ,名物じみた色んな小[口乞]は揃ってます。
 まずは
三合泥 7元
 ボールにドバッと盛ったアンみたいのをお玉でひとすくい。容器にバシャッ。さあ食え!!見た目はお世辞にも良くないが…。
 ベンチで口にする。――見た目に相反し,いい!自然な甘味をカシューナッツの香りが追いかけてく。
 底味は何だ?いい意味で甘味を鈍くするような,小さな白い粒が混入してます。
 調べるとメインの原料は糯米,黄豆,芝麻。小豆やカシューはあくまで味つけ程度,柱になってるのはこれらの穀物系の腰の座った甘味らしい。
 続けて
三大[火包]5元
 必ずやるらしい。きなこの入った鍋底に,3つの餅をぶつける。わしが本日一人目の客だったっぽいが,その音がムチャクチャに派手で,ドラがドンドンドンと鳴ったような効果になり,じゃんじゃん(と言ってもガキ中心だけど)客が寄ってきた。中国人の心性を読んだ売り物です。
 さあ,そんな大人気ね三大[火包]ですがお味は…!!?
 こっ…これは――全然タダのきなこ餅!?
 黒砂糖の蜜が底に溜まってますが,まあ黒蜜漬けのきなこ餅…ってわざわざ成都まで来なくても食えそうな気がしてきたけど…きっと気のせいでしょう。
 一つ誉めるとすれば,餅にほとんど砂糖が効いてなくて米の自然な甘味が生きてること。日本の田舎のぼた餅が近いか。
 もうひとつの特徴として,黒蜜の中に沢山の硬い粒が入ってることでしたが,噛んでも噛んでもジャリジャリするだけで味が分からない。かなりの確率で…砂?黒糖に多量混入してるらしいが,安物使ってるっぽい。
 最後の一品は
雪梨湯 6元
「潤肺止咳」と注釈が書いてあるレトロな浄水器みたいなマシンが目を引くお店。 写真撮るやつは多いみたいでケータイ構えたら手で遮られましたが…。
 まあ試しに頂いてみます。
 あ…杏の一粒入った砂糖水であることよ。
 それ以上は特に何てことないし…咳にも影響はないんだが…まあほどほどに温まったから好しとしよう。

 そこからぐいぐい歩く。大方は結果的に南西方向に踏破したことになった。
「洗面橋横街」という変わった名前の界隈へ。ぐんと西藏人の密度増す。特に仏具屋か服屋が独特の空気を醸す。ただ,食い物にはどうも見分けつかず。西藏料理のレストランはあるが敷居が高そう。入りやすそうなメシ屋とついに巡り会えず歩いただけになった。
 決して自分たちの暮らしを謳歌してる空気じゃない。圧政に喘いでる気配はもうないけれど,乞食が多い。特に女性。すがりついて来る覇気もなく,ただうつむいて座り尽くす。かなり貧しい雰囲気が漂う。
 洗面橋横街を延々歩く。資本主義の国に比べたら寂しい通りだけど,旧世紀末なら自由市場の空気だけがこんなんだった。
 上海とかの沿岸部だけじゃない。この国の気配は,あの時代とは似ても似つかぬ姿に変わってる。

 省体育館の駅から地鉄で天府広場まで北上。正午過ぎ。立ち客3割。この時間でこの程度の利用率ってことは,こんな高値と使いにくさでも完全に市民の足として定着してます。

▲洛帯毛婆婆涼粉の招子熱涼粉

 成都最大の繁華街,その名も春熙路。
 ガイドブック的には,天府広場の東側に伸びるこの歩行者道がそうだってことになってます。
 わざわざ地鉄駅を地下に収納して維持されてる天府広場は,野球場5つ分位の緑地のど真ん中にケザワヒガシさん(又は毛沢東)がデップリと立ってるだけ。昔ながらの共産中国の景観です。
 つまり共産党公認の「これが経済発展後の中国也。」印のエリア。春熙路も同列みたいで,石畳の金のかかった広い繁華街のあちこちを国内観光客がマップ持ってウロウロという風情。
 ただし,新興都市の例に漏れず,こういう場所が都市機能の核にはなっていきます。少し周辺にはやや地元密着型の店舗もちらほら。
 まずは観光客エリアで一食。尚都美食広場の洛帯毛婆婆涼粉。
招子熱涼粉 7元
 市内3店展開のチェーン店。デパチカではあるけど独立した空間になってる変な構造の場所。
「招子」は当店推薦みたいな意味。「熱涼粉」は日本人的には熱いのか涼しいのか分からん文字面だけど,「涼粉」が仙草(涼粉草)を重曹で固めた寒天を麺状にした物。元は北京の夏の食べ物。――ちなみに転じて「歌手のファン」もある。「他是凉粉」は彼のファンの意。「美味しい物」の代表格から転じたものか。
 で,うんちくはともかく肝心のお味だけど――やはり「麻」な味はそう。ただ,奇妙だったのは…この決して弱くはない「麻」な味と平行して,粉の柔らかいプニュプニュ感とその中からうっすらと漂う米甘さが感じられたことでした。
「激辛」を含む濃味が繊細な味覚を壊してく…みたいな通念的な現代食批判を信じ込んでたわしからすると,これは驚きでした。――何で「麻」と「辣」と同時に,ほとんど豆花に近いような薄い粉を味覚しうるんだ?
 いや!よく考えたらおかしかったんである。それを意ったら麻婆豆腐そのものが美食として存立しえない。
 可能性としては――日本の中華のそれはともかく,本場の麻辣味ってのは,むしろ薄い淡白味と並び立っていける味覚としてあるんじゃないか?…ってこと?
 つまり,本来の麻辣味というのは,辛いけれども淡く薄い。
 刺激的な味=「食害」たる濃味ではない?
 そう考えるのは,韓国のナクチポックムやインドのカリーの,激辛なのに繊細で深い滋味みたいなのの存在とも整合します。
 具体的な仕組みは――ラー油感覚というのか…麻も辣も爽快感として作用してる。味覚の構成感覚としては,辛味である前に香りとアクセントとして活きてる。だから甘味やマロミと十分に両立する。
 つまり,麻辣のカップリングそのものが日本と異なるということです。日本の麻婆豆腐の,麻辣なのにダシと塩の濃い味を思い出しながら,とりあえずそこまで思い至ったんでした。

▲71号豆湯飯総府店の豆湯冒飯+招子豆腐5+71号伴肺片

 71号豆湯飯総府店。
 もう一度たどり着ける自信はないです。ネットでもヒットしないがローカルなチェーン店臭い。
 ふと通りがかった裏通りのビルで,通行人がふらりふらりと入ってく建物の奥を見やると,えらく人の詰まってる空間の気配があって,何だ何だ?と人民の流れに付いてくとレジの人だかりが見つかったんで適当に選んでみると。
豆湯冒飯 3元
招子豆腐 5元
71号伴肺片 8.5元
計16.50元
 250円弱…にしては大概な量になってしまいました。学食みたいなテーブルスペースでガッツく。
 看板らしい豆湯は…口に含んで何だか最初混乱した。コーン?いや…これは…突飛すぎて思いつけなかったが…ひよこ豆!?インドのダール(豆カレー)の豆?中華で使うか!?と思いかけたけど――四川の発想は確かに正当中華よりインドに近いかもしれん。
 この素朴な豆の味わいが,野菜系のまろやかなスープの中に味を出し切ってる。これが粥になった米の甘やかさと合わさって…何というふくよかさを作り上げてしまうのか!
 71号の名を冠してるだけあった肺片。美味い!ちょっと焦げを帯びさせたラー油が,ものすごく上手く内蔵肉の淡白な旨味と併走してく。ここに,やや多めのカシューナッツの煎り香が軽やかにかぶさっていく。上手い!と拍手したくなる味わいです。
 招子豆腐は,麻婆豆腐とあまり変わらなかったかな?本来,四川で豆腐と言えばコレがメジャーなんでしょうか?
 肺片と合わせて食うと最初はっきり分かったが…辛みのタイプと麻辣のバランスが全く違う!辛いと辛いだけじゃない。綿密に使い分けられてるんである。
 つまり,「どのくらい辛いか」という一次元尺度は,四川的には明白に未熟な舌の証査。
 どんな辛さがどう伸びて,どの辛さとどう絡まるか,そんな二次元,三次元の辛さ認識を前提にした料理群なんだと思われるわけで――例えば豆腐の麻辣は,辣が射すように細くて(おそらく焦げ味を抑えてる),しかし麻よりメインを占めてる。麻は香り付けの域をに出ない。これによって,ニガリのないつるつるした豆腐そのものの旨さが味わえる。
 これによって,麻辣みたいに極端で強い…と思われた味が,内蔵肉のボイル香や豆腐の歯触りを殺さない。むしろ,麻辣をちゃんと味わえて来ると,ある意味でそれら元味を強めさえしてくれる。
 そのバラドックスは,この辺のコントロールによって演出されてるようです。麻は正直まだ理解しづらいが,比較的分かるのは辣。――肺片みたいな淡白な赤身肉そのものの場合は,その純化の過程で失わせた脂身の旨味や焦げ味を,少し長く高熱で作ったラー油が,いわば代替補完してる感じです。豆腐の場合は,繊細な大豆味に対しても脇役として出過ぎない細い辛みを,低温で作ったラー油で併走させて,同様にリストラクションしちゃう。煮物で渋みを引いてダシを染ませる発想にも通ずるかもしれない。
 この3品,「主菜」「副菜」「煮物」の各リストから店が自慢気なのを取っただけあって最高の取り合わせだったんですが…いかんせん量が多過ぎた!もう,一口たりとも食えそうにありません!

▲文殊坊中庭で頂く竹叶青

 この四川で遭遇できた食の一つが,以上の麻辣。
 もう一つが「中国茶」でした。こいつに出くわしたのもこの日。後者は章を譲りますが,いずれも1年以上尾を引くことになるインパクトでした。
 歩いて分かったけど,文殊院は,錦[糸糸]街のすぐ北。夜歩くと,いい感じにライトアップされてて,それは無国籍な幻想的エリアになっちゃってます。


▲金[サ/平]果餅屋の麻香[酉(ノギヘン)]×+老婆餅