外伝06@明潭@(@_52A_@) 第二日@写真集・日月澤一周(前半戦) (@_52A_@)

 日月澤一周。
 この壮挙について記すに当たり,このルートのイメージをより正確に持って頂くため,特に詳細な地図を掲げるので頭に入れておいて頂きたい。
 これにより自転車での一周のイメージを読者にも共有して頂き,まさに自らペダルをこいで行くようなリアルさを実感できるに違いない。スポンサー各社の要請を受けて(ないけど)特に掲げるものである。
 そのマップとは---これである!!

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└┐■ 日月澤 ■│
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道│■  ■■■│
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 ■が量感たっぷりに湖水域を表しており,細線は道路である。これでもう,読者の頭には日月澤の二次元情報が鮮明にインプットされたに違いない,そうに決まった。

 冗談はさておき,自転車を借りましてこの偉大なる湖一周の冒険に乗り出したのは10時15分。
 1日300元。店名は「潭の恋」,2秒で赤面しそうな看板をデカデカと掲げた恥ずかしい店でした。自転車の車体とかにもこの店名がドーンと表示されて---たら絶対借りたくないので確認すると,とりあえず無かった。よかった……と安心して出発!!


▲日月澤メインタウンのゲート(上記マップ中◎[→夢の日月潭周遊マップ凡例【A】の位置])。ものすごい観光地になることを,当初は想定した?とすればとんでもない読み間違いの,のどかなチープ感の観光地です。
※後日談:てゆーか……もろ「聖母宮」って書いてあるじゃないか!なぜこの山中に聖母(媽祖)が出てくるのか,って疑問は浮かばんかったんかい!!→怒りの余り巻末レポ

 右側通行の自転車はどうも違和感が濃ゆい。
 だけど300出しただけあってチャリはいい。がっちり大型のマウンテンバイクです。路肩の配慮はあまりないから自動車には気をつけんといかんけど,道も舗装はキチンとしてて,走行自体にはまず問題ない。

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└┐■ 日月澤 ■◎
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道│■  ■■■◎
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 日月澤西岸(◎[→夢の日月潭周遊マップ凡例【B】の位置])を駆け抜ける。
 宿から見えた楼閣の立つ小山を過ぎると,木漏れ日揺れる林の中を蛇行する道。アップダウンはそれなりにあるけど,走り始めってこともあり,立ち漕ぎ程度で難なくクリアできます。
 道路は片道一車線になったけど,交通量はそんなにないし,見通し悪い蛇行路だからか暴走車もあまりない。
 一時間もせずに林は尽きた。ということはもう宿の対岸か?軽いじゃん。日月澤,ヌルし!!わははは…。
 まだ東岸を知らないわしは,早くも勝利宣言じみてきてました。

伊達[召耳]の埠頭
at…
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└┐■ 日月澤 ■│
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道│■  ■■■│
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 北岸の町,伊達[召耳](◎[→夢の日月潭周遊マップ凡例【C】の位置])の埠頭に着いたのが11時20分。
 現在その波打ち際に座し,対岸の宿辺りを眺めております。
 そののどかな眺めの中に,誰かが吹き鳴らすサックスが響いてる。伊達[召耳]旅客中心って施設から聞こえて来るんですが…曲がさっきから日本の演歌だぞ!?今は与作を吹いてるぞ?それ,サックスで吹くか!?まあ吹いて違法ではなかろうが,台湾人は違和感ないのか!?
「結構起伏だらけのサイクリングコース…つうか単なる車道の側道だからなかなかに怖い」とか,この時点でも書いてますけど,後半は…そんなもんじゃなかった。
 ところで「[召耳]」ってのは民族名で,元々この場所をテリトリーにしてた人たちらしい。今はまあモロに観光地だけど,それは要するに少数民族の閑静な里を外資が食い荒らしてるとも言えるわけで,当然それ以前に生活してた人たちがいたわけで。
 湖は――広島の聖湖に似た荒々しさを残しながら,陽光に水面を揺らしております。


▲伊達[召耳]のバザール

 町の中心は観光客で賑わうバザールでした。

 観光地やがな。
 少数民族衣装の皆さん,ホントに少数民族らしい容姿の人もそうじゃない人も混じって賑やかに。食いものも沢山あるけど…観光地だしなあ。
 でも何か食いたいし…となるとやっぱり少数民族の皆さんから買いたいし…となるとどっちにせよ観光客やがな!
 で開き直って恥ずかしながら買ってしまったのは
竹筒飯70元
「[召耳]族創意工夫料理」との表示。豚肉100元を勧められたが…百!!?謹んでお断り。この飯も竹の小樽に入ってて,十分に観光客だけどね。
 他で「筒[イ子]米[米ソ/王/心]」という字が見えたが,こちらが本来の呼称っぽい。
 えーと?あと,飲み物だけど?
日月潭紅茶30元
 こっちも民族服のお兄さんが売ってる。観光地やがな!寄付代わりに買ったけどさあ,こんなんさあ,美味いわけが…。


▲レストラン「原住民」
 もう最後にするが…観光地やがな。

▲浄水場の鹿。
 単なるお飾りじゃなくて,[召耳]族の民話に出て来るこの土地の聖獣らしい。勇者がこの鹿に導かれてこの土地を開いたみたいな話らしいが…もののけ姫のシシ神様に似てると思うのわしだけか?

 バザールで観光客に混ざって食うのも恥ずかしい。日曜休みの浄水場の脇で食う。
 えっ!!?
 捨てたもんじゃない!
 竹筒飯もいい。
 ダシの釜飯じゃなく,かと言って中華スパイスとも違う,何か知らないキノコか山菜が奇妙な高貴さを醸す。脂はそれなりにラードぎらぎらっぽいが,飽きさせないいい味です。
 しかし,驚いたのは紅茶である!!
 旨いはずがないんだが…美味いよ!
 何だこの生々しい香気!これまで飲んだ紅茶と全く違うクリアな味覚。濃いわけじゃなく,明度が高いというか…。
 今売り出し中の逸品らしい。日本まで持ち帰って酔いしれた品になったのでしたが…。
日月澤紅茶
 旨いもの食うと…あーあ,天気もいーし昼寝でも…いやいかんいかん,途端に気分がダラけてきました。こんなんで私はゴールできるんでしょうか?

怒濤の後編へ

▲後日のお仕事:過去のあまりのずさんなお仕事に反省し,懺悔の心から,一応添付するちゃんとしたマップ
原図出典:ブログ di Luna/[海外旅行] 台中・日月潭旅行 日月潭編(行き方・観光名所他)

■怒りの巻末レポ:慚愧祖師,北極玄天上帝,天上聖母,月下老人???何を祀っているんだ日月潭龍鳳宮?
 まず維基百科の記事を掲げます。文字は少ないが,ワシには極めて特殊な状況の宮に見えました。
 記事中の写真の「聖母宮」はこの「日月潭龍鳳宮」のことを指しているのは確からしい。また,日月潭で最も古く信仰を集める社だということも疑いはない。
 分からないのは,何を祀ってあるのか,ということです。

日月潭龍鳳宮,又稱日月潭龍鳳宮月下老人祠或龍鳳宮月老廟,是台灣南投縣日月潭國家風景區內一間近百年歷史的寺廟,主祀慚愧祖師、北極玄天上帝、天上聖母,為當地居民的信仰中心之一[1],該廟之月下老人祠亦為日月潭風景區的著名景點。

※维基百科/同ページ
 つまり,「聖母宮」の名前通り,媽祖を祀ってもあるようなんだけど,神格としては「慚愧祖師」がメイン。それに北極玄天上帝と月下老人まで絡みついて,何が何だか分からなくなっている。ただし,月下老人は湖中の小島(拉魯島)からわざわざ移されたもので,要するに由緒もあるらしい。

該廟採用龍鳳造型的立體浮雕,與一般彩繪門神的廟宇不同。此外,原拉魯島上的月下老人祠遷移至廟門左側,成為龍鳳宮另一個熱門景點。[2] [維基百科同]

 なお,これらの記事の原典は次のようになっていました。
參考資料​[编辑]
1.^ 謝明修. 暢遊日月潭文武廟 集信仰、文化、旅遊於一身. 經濟日報. 2009-02-01 [2018-04-05]. (原始内容存档于2018-04-06).
2.^ 龍鳳宮. 台灣好廟網. [2018-04-05].
 なので,[1]の経済日報の記事を読んでいくと,これが最も詳細につづってありました。長文ですが記録として転記させて頂いておきます。

日月潭是台灣面積最大的高山湖泊,位於南投縣的魚池鄉,如果說臺灣最美在南投,日月潭可謂「南投之珠」。日月潭由日潭與月潭構成,環潭公路長33公里,沿途可見山光水色與許多著名的廟宇,其中以日月潭文武廟最為鼎盛,主祀關聖帝君、至聖孔子、文昌帝君,公稱為「文武廟」。

文武廟位於日月潭北邊山腰處,清未時期先民入境開墾,在水沙連潭畔(今日月潭)建有「龍鳳宮」與「益化堂」,是古時日月潭地區民眾的信仰中心。龍鳳宮主祀慚愧祖師與玄天上帝;益化堂奉祀三恩主、關聖帝君、孚佑帝君、司命真君、文昌帝君等,這兩座廟宇乃是日潭文武廟之由來。西元1969年文武廟重建,以「北朝式」格式建築,這也就是今天文武廟所見之輝宏建築格局。廟的方位採「坐東向西」背山面湖,主要建築為一埕二庭三殿,磅礡氣勢大有盡攬江山的格局。殿前兩側巨大的的雙龍弄珠、朱紅色石獅雕,雕刻技術精湛,是前新光人壽的董事長吳火獅所捐獻,因此在地民眾習慣戲稱那石獅為「吳火獅」,值得欣賞瀏覽。

文武廟分三殿,前殿二樓為水雲宮,為樓閣式建築,主要作祭祀之用,祀開基元祖及文昌帝君等,中殿祀關聖帝君及岳武穆王故名曰「武聖殿」,是文武廟群築中最大的建築,高度達21公尺,為正方型的殿堂,乃是為彰顯帝君之神威。後殿大成殿,則祀至聖先師孔子等,是全台唯一開中門的孔廟。在廟埕廣場,各種活動和慶典都在這兒舉行,其中以每年的農歷六月十三日,關聖帝君聖誕最為熱鬧隆重。

新的一年文武廟按例舉辦點光明燈與安太歲活動,由於近年來不景氣失業率上升許多家庭生活困難,所以廟方另推出文昌筆、天祿神鈔、祈福風鈴、姓名上碑平安等福氣祈福品。讓旅客暢遊日月潭時,祈願聖神於不順遂的年代裡,保祐大家平安、國運昌隆。

※経済日報/暢遊日月潭文武廟 集信仰、文化、旅遊於一身
 読むほどにさらに訳が分からなくなる。維基が記すよりさらに混沌とした信仰実態らしいのです。まるで……そう,沖縄の信仰のようになっている。
 そもそも,維基も経済日報もメインに据えている「慚愧祖師」の信仰というのが,台湾中部独特のもので,少なくともワシは初めて聞きました。とても今のワシの手に負えませんので,知識のある方のために見つけた論文のリンクとその冒頭部分のみ転記して当面筆をおきます。

陰林山慚愧祖師信仰,隨大陸閩粵移民渡臺,守護保安。來臺後,成為以中部為主的區域性信仰,尤其集中於南投縣。觀閩粵志書所記載的慚愧祖師,是佛教高僧的俗世崇拜。臺灣的慚愧信仰,基本上沿續其禪師崇拜,實質上則高度融合道教法派,使其功能化、世俗化趨勢增強,這主要是先民因應了臺灣特有的艱困環境而衍生出來的生存需求所使然。也因此而出現了源於民間的《陰林慚愧祖師真經》。歸納臺灣地區慚愧祖師的神格有四:拓荒保安的移民守護神、防番之神、靈醫天尊、靈乩能神。其中移民守護神的角色,可視為唐山過臺灣的一項標誌;為台人所推崇的防番之神,極可能是由防倭之神轉化而來;靈醫天尊為其本色神格;靈乩能神亦頗常見。慚愧祖師在臺灣多元神格的變異與演化,可以是臺灣移民開發史上的註腳,也是庶民俗神信仰在地化的實例。

※林翠鳳「臺灣慚愧祖師神格論」/提要部