{=外伝13新加坡*二日日その2及び写真集}

▲街並み。ゲイラン通り沿い。

▲同じくゲイラン通り沿い。なべて二階建てで,かつ家屋としてはかなり床面積が広いが,どういうニーズの建物だろう?
 とか思ってたら,どうもカトンのこれら建築群はシンガポールでも相当重要なヘリテージらしい。→プラナカン様式
 中庭があるらしいから,空から見るとロの字が並んでるように見えるのだろう。香港の民間城郭「ワイ」の小型版に思える。

(本編続き)
 東西線で一時帰還。ちょっと昼寝するつもりが遅くなった。
 チャイナタウンに再出撃。行き先は一路チャイナタウンコンプレックス。夜は賑わう観光通りを通過するのに手間取る。
 どうしても[保/火]飯を腹に入れたくなったんである。このフードコートに店があると聞いてました。
 台湾や香港並みの巨大フードコートです。ここはいい。何というか食の欲望が生々しい。しかも中華だけに店の種類が半端じゃない。
 一回りチェックした後,19時40分,想定外の店に腰を下ろす。源発瓦[保/火]飯。
1940源発瓦[保/火]飯

──歩き方にあった本来のターゲット「本記」が見つからないけど,代わりにかなり地元客の入ってるこの店を見つけたという流れ。
[保/火]飯8S$ 600(1500)
西洋菜排骨湯2S$
「30分から60分お待ち頂きます」と表示されとる通り,本気で待たせられました。何せお爺さんとお婆さんとバイトの若衆の3人がボソボソと作ってるだけ。ん?…頼んでしばらくして見つけた貼紙がさらにもう一つ?「繁忙時には90分待ってもらうこともあります」ですと?!!
 とか隣席に来て「遅い!」とイラつく典型的な中国人ジジババ客──シンガポールのバス料金,老人は1割になるんだとの事。78歳,日本語を僅かに話せるのは昭南島時代の記憶なのか,各国を船員で回ってたゆえか?──に言ってたら,幸い(?)60分と少しで来た。
 お?おおおおお!!?美味いし!しかも広東のとまた違うし!
 焦げ味をより意識した炊き方です。最後の二度炊きを強火で行ってるか?…この遅さは,単に人数不足じゃなくてそういう手前か細やかな技か,とにかく調理のテクゆえのものなのか?
 でもその一方で,本来の広東らしい,米粒そのものの淡い甘味を確実に残しててる。この本来味とアレンジ味のバランス感がちょうどいい。心地好い狂いっぷりというか。
 鶏肉(細かい筋のある部位),中華ハムと青梗菜が入ってるけど,これらは後付けで入れてるみたいです。主役はあくまで米。インディカ米なのにふっくらしてて,鶏肉,ハムのダシが微かに効いてるだけなのに,パラパラしてるからピラフのように軽やかです。
 確かにこのレベルの精巧さで炊くなら,この位の時間は納得です。
 広東[保/火]の食べ方にもだいぶ慣れてきました。店特製のオイスターソース,これを使わないのはこの店でもあまりにもったいない。鍋底に垂らすと同時に混ぜ返して,米粒を剥がしやすくするとともに,お焦げの味わいをグレードアップさせる。…うん,いい焦げ具合!
 わしのウマウマ顔にさらにイラつきを倍増させてた隣のジジババにも鍋が来たところで…。
 一時間半温めたフードコート場末の座から尻を上げたのでした。

▲カトンの道並み その1

▲カトンの道並み その2。見事なばかりにプラナカン様式の家並みが続いてます。

 21時になった。フードコートの店のほとんどはどこもまだまだ閉める気配はありません。ならば,この感動を中華デザートで締めねばならぬでしょう。
雪花飛昌記冷熱[舌甘]品
椰糖紅豆雪1.5S$150(1950)

▲雪花飛昌記冷熱[舌甘]品の椰糖紅豆雪

 雪花としての精度は台湾の比ではないが…このCPはスゴい!これで小豆のほか仙草,コーンまで入った複雑な甘さを食わすのは,さすがに行列を作るだけはある。ただ,雪花としての精度ゆえにすぐ溶けるからメモとか写真はほどほどにすぐ食わないと…こんな風にタダの泥氷水に化しちゃうのでありまして,これがまた困った状況なんであります。
 そこで気を取り直して,フードコートを出た道端のこちらで締めました。
名師涼茶
羅漢果涼茶1.5S$
 この変な漢方茶文化はシンガポールにもあるらしい。
 期待通りに素晴らしく…マズい!
 意外にも,てゆーか下手に甘味も併せ持つところがまた,漢方苦さをいやらしく倍増させてます。いいねえコレ,やっぱし!

 帰りに気づいたけども…MRTチャイナタウン駅の漢語表示は「牛車水」なんですね。
 調べてみると──マレー語の車(Krela)と水(Ayer)の漢文直訳。昔,チャイナタウン周辺で牛に車を曳かせ水を売っていた事に由来するらしい。
 1820年代以降,イギリスの植民地となったシンガポールに,中国大陸からも大量の移民が流入,現在のチャイナタウンに多くの人々が住むようになった。
 とは言えまだ開拓中のシンガポール,インフラ整備がまだ十分ではない。
 とりあえず飲み水の確保のために,移住者たちは安祥山 (Ann Siang Hill)という場所から牛車で水を運んできていました。これが「牛水」または「牛車水」の名前になって今に残っているらしい。
 マレー語でも”Kreta Ayer”(クレタ・アヤ,牛車水の意)と呼ぶ。クレタ・アヤ・ロードなど,今でも地名が残っていて,つまりこのネーミングには草創期の先祖の苦労(と一言で済ますと笑われそうな難行)を偲ぶ「プラナカンの矜持」に近いものが籠もってるみたいですね。
 ところで,水の引き出し元のAnn Siang Hillにも当然街があったわけで,現在も昔ながらのショップハウスが建ち並ぶ場所になっているらしい。…って既に次回のターゲット候補が登場か?

▲夜になるとこんな感じ。ゲイラン通り。

[レポ]プラナカン
■大意
欧米列強による統治下にあった(現在のマレーシアを中心とする)東南アジアの各地域(ヌサンタラ)に,15世紀後半から数世紀にわたって移住してきたマレーシアに根付いた主に中華系移民の末裔
■用語
Peranakan(インドネシア語)
別称:ババ・ニョニャ(原語は福建語と推定。普通話表記は「峇峇娘惹」。ただし,中国人と他の民族との混血の意が強くなる。)
※マラッカ地方ではニョニャ・ババと逆読み。
■定義
欧米列強に統治下にあったマレーシア周辺に移住した中華系移民の中でも,厳密には,現地の風習を受け入れたグループを言う。
■社会階層
シンガポールにおいては,エリート層を形成。志向としては,母国・中国よりむしろ旧宗主国・英国との結び付きを重視
■参照→wiki

[レポ]プラナカン様式
■概要
プラナカンが形成した,中国・マレー・ヨーロッパの文化をミックスさせた独自の生活スタイルの中で,特に建築文化を言う。
■規模
シンガポール内の保存指定建物は7091戸。うち約6500戸がショップハウス
■形態
一階が店舗や事務所,二階が住居に供される「ショップハウス」と呼ばれる形式
・純粋に住居に用いるものは「テラスハウス」とも
・西欧様式としてはネオ・ゴシック様式やバロック様式などと共通部あり
■特徴
(外壁)明るいパステルカラー
(間口)狭く奥行きが深い。
(規模)数件が繋がった状態で建てられる。
(軒先)玄関前の通路がアーケード状になっている。
(中庭)風通しと採光を考えて設置
(その他)よろい窓や瀟洒なレリーフを施したもの多し。
■沿革
プラナカン文化の発祥地であったマラッカでは,オランダの植民地時代に,家屋税の課税標準が建物の幅だったため,これをできるだけ縮小する家屋形態として,間口が狭く奥に細長い形が好まれたことが始まりとされる。
■思想
中庭,換気口,雨水貯水場などは風水思想に則って配置