外伝05O‥SEC_Range(“汕頭入”).Activate Category:サウスイーストコート編 Phaze:五日目

[前日日計]
支出1500/収入1860
負債 360/
[前日累計]
     /負債 276
§
→9月20日(火)
0900祗園太鼓100
1632蘭州拉麺
羊肉泡[食莫]12元 400
1703龍興longxing面包餅食
ダンダー
カステラ200
1800日々香
叉焼飯10元 400
1856周記蒸筏飯 550
[前日日計]
支出1500/収入1650
負債 150/
[前日累計]
     /負債 126
§
→9月21日(水)

§§予習
§宿:Days Inn Shantou Railway Station Zhuchi Road Branch
7天連鎖酒店汕頭火車站珠池路店       No.64, Zhuchi Road, Longhu District, Longhu, Shantou, China 515000
龍湖区珠池路64号, 龍湖区, 汕頭, 中国
§潮汕→汕頭のバスは汕頭東一線 (高速直達專線)
 汕頭汽車客運中心站→廈深高鐵潮汕站汕頭
客運中心站→帝豪酒店(金砂東路)→明珠廣場外企航空→花園賓館→五礦物流城→水果批發市場→廈深高鐵潮汕站30分鍾一班
§老街は外馬路の総工会というバス停の付近。騎楼あり。:2階が道に突き出していて、アーケード状態
§騎楼の中心エリアは小公園の周辺。見逃せない通りは永平路、永安路、永和路、永泰路、升平路。これらの通りは、中華民国初期、勢を凝らした騎楼建築が並ぶことで知られ、「四永一升平」と呼ばれていた。
§南海路の総工会には,3・9・12・17・19・23路あり。汕頭火車站から12路で乗換なし。小公園には2・5・7・14路。火車站から2路で乗換なし。
§汕頭-広州行き長途汽車は汕頭汽車客運中心站発。7時15分~21時30分 日65便 15分間隔 所要時間5時間半(460km) 150元

夢にまで見ちゃいないけど 潮州入り。
 ついに潮州に入るんである。
 この高揚は,香港のダウンタウンで「潮州□□」という無数の漢語表示を視覚し続けた方には共通してるとみえて,歩き方を始めガイドブックにはほとんど触れたものがないにも関わらず,ネット上に一定数のプログが存在することから伺い知れるところです。上記情報はこれらから引っ張ったもので,何とか謎の潮州の輪郭が旅行の行程を組める程度には掴めました。
 それでも全然予想外の道行きとなりましたが。

 早朝6時40分。一昨日に降り立った福新路口のバス停から,同じK2路に乗車。
 バスタオルを巻いて寝る作戦が功を奏してか肩の痛みは鈍痛化。天に雲見えず。台風はどこ行った?と電話したくなる快晴です。
 つくづく旅行運の恵みに包まれた行程でした。台風マラッカとも出会うことなく,この日もとにかく翻弄される一日になっていきます。

 K2路は一路,火車南站へ。六一路を折り返して南下します。
 この時間でも立ち客がいる車内。巨大化を続ける街にバスしかないというのはこういうことなんだなと痛感する。
 福州は総じて新興開発都市でした。ところどころに古めかしさは感じられるけれど。しかし食生活については明らかに他と比重が違う珍重さを持ってる。うーん,舌上にも脳内にも不思議な後味の街でした。
 7時22分,南站到了。一服して構内へ。

 8時5分,新幹線の席に着席。
 7車11B…なかなかシブイ席です。3人席のまん中,腕かけなしの左手は太ったオバハン,横は丁度窓枠。──まあ見えにくくても絶景は絶景であろう。寧波→福州南ルートで坊さんもまん中座りであったぞ,あなかしこあなかしこ。(?)
 始発駅なので8時13分定刻発。

 福州を出てすぐ,数キロもあるらしき大河こ潟か分からない水面を見る。それも右手に?意外だったけれど工場の立ち並ぶエリアなんで,何かの区画整理でそうなったんでしょう。福州の街は,南北にではなく東西方向,つまり谷間に沿って西に登るように伸びているらしい。そうでなくては2百万を超えてさらに増える人口を含みきれまい。
 8時19分。早速トンネルに入る。
 トンネルを抜けると既に街ではなかった。不規則に山影が織り成す中を緩やかに縫うように中国新幹線は進み始める。
 山肌にはやはり亀甲墓が転々と見えてる。ビルは農村の文革アパートばかりになってきた。この辺り,資本主義的計画経済は実に現金なものです。
 8時36分,ハン江到了。「ハン」の字は──電光表示にならないほど複雑怪奇。
 思いがけず多数の乗客。文革住宅ばかりだけど新しく建て替えられてる形跡多し。西に数百メートル程度の山塊迫る。名の通り三角州に出来た瀬戸内山陽によく見る街の作り,緑も目立つ美しい街。少しすると高層ビル群もにょきにょき立ち並び始めた。
 両脇,左のオバハンと右の小粋な兄ちゃんがどっちもスマホで大話を初めて…サラウンド状態。おまけに,日差しに苛ついたらしきオバハン,いきなり「ガッ」と左手の窓の庇を全面下ろしてしまった。
 ひいいっ!何の罰だ?
 9時8分,泉州到了。オバハンが降ろしたのと反対側の東側は完全に山肌。鑑真漂流地です。  
 オバハンが小用か何かで席を立ったとこで,最後に残ってた祗園太鼓をかじる。旨旨~!
 日が上がったからだろうか?皆様が一つ,また一つと左の庇を上げてくれはり始めました。ありがたやありがたや。てゆーか,オバハンも上げろよ庇!
 オバハン動かず9時47分。厦門北到了。まだこの辺りの開発は進んでないままみたい。南の中洲は全然見えないが,南方へ連なる高層ビルの山脈は見てとれる。西方の山影は遠いけれども高い。
 10時5分,前方に地平を妨げるほどのコンクリート塊が見えてきた。[王章]州。厦門の新都心的な位置付けで新造してる都市か?
 両隣とは別に,右席のババアの喋りもまたなかなかのもの。喋ってないと死ぬ生物かと認められる。これと,そこまでじゃないけどスマホ喋りを止めない右のオバハンとのサラウンド・オバン・喋リングには,怒りというより──ほとんどギャグだな,こりゃ。こいつらを一基日本の新幹線に乗せたら,何が起こるのかとても楽しみです。

 10時25分。
 頭頂部にだけ葉っぱを残した香木群が散見される。
 [シ章]浦が近づく。ピンインが「Zhang1pu3」で「ジャンプ!」と聞こえる…いやいやそれより,こここそ全く意味の分からん駅です。開発の糸口も見えない。もちろん回りは森だらけ。なのに結構乗降客はいる???
 Googleマップで見てやや納得。そうか,路線上通せなかったんだろう,この東近辺に大規模な湾が2つもある。このエリアには既に相当数の人口がいて,政府的にも開発を有望視してる模様。つまりそこへの連絡駅らしい。
 西の緑の山麓に「[王章]州科技学院」のドでかい文字。中途半端なエリアはエリアで生存競争に必死なわけです。
 日本の自治体は,急成長期にもバブル期にも,これほどの緊張感を持って闘ってきただろうか?
 10時59分。[食戈/元]平到了。大都市ではないが,文革アパートでもない。何というか,急に南方色が濃くなったように感じる。植物相からだろうか,水路の細かさからだろうか?でも明らかに厦門までと違う風光になったと思う。

▲潮汕[火占]前。何もないけど陽はうららか。

 11時20分定刻,潮汕[火占]にて下車。
 この駅は,海側の潮州と山側の仙頭,二つの街の中間に出来てる。滞在地としてどちらも検討したが潮州にしたが,この造り,仏山を連想させます。漢人って現代都市を新造する時は,以外に集住を嫌うんだろうか?
 11時33分。駅前の汽車站(バスターミナル)でチケット購入。えーと?南の潮州に向かうには…汕頭東一線を待てばいいんだな?18:元。
 されど二線のバスしか見えない。どーなってる?票は買えたわけだからここでいいはずだけと?
 11時40分。東一線のバスは来たけど,なぜかドアが開かない。運ちゃんも外をうろうろしてるんで,何人かが訊ねてる。その都度に運ちゃん,笑みを浮かべて無言で首を振る。その様子はやたら威厳があるんだが…どーゆーこと?時刻を教えるでもないし,意味分からん。
 12時10分。ついにたまりかねた客の一人が空のバスに乗車,それを皮切りに待ちわびた客がどっと乗り込んだ。当然わしも乗車。そういうある意味バスジャックに近い状態になった後,もさもさと運ちゃんがやってきて席を回る。え?淡々と検札を開始?客のジレを待ってたのか?それともそういうスタイルの運ちゃんなのか?全く理解不能なんだが,12時21分,ついに発車。──潮汕到着後1時間,無駄な時間を過ごさせて…頂く余裕がないんだけどね。他にもバス会社はあるみたい。だからだったのか,高鉄快線じゃないローカル路線に地元っぽい客がやたら乗ってたのは!

 站周辺は思いっきり整備されてる。庭園のような風光です。
 皆さんについて降りた北広場からぐるっと南へ回って一路東行。日差し強し。
 12時54分,まだ走ってますが,そろそろ降車客が出始めてます。

 何気にゾッとする。
 バスターミナルの二つ前のバス停で,わしともう一人を残して全乗客が下車。ここは…バス停の名称は明珠広場?
 バスはどんどん人気のないエリアに入ってく。ハイウェイに入った?かなり高いぞ?で──ロータリーをぐるりと回って站へ降りていく。これ,アメリカの空港回りの雰囲気だぞ?つまり…生身の人間が生きて糞して歩いてるオーラが感じられない!
 何かが…とんでもなくヤバい!
 ターミナルに降り立つ。
 茫然。人間がいない。いやもちろん十数名程度の旅支度の人影はあるんだけど,他の大陸の都市のようなごった返す人の群がない。ここ,仮にも百万都市のメインターミナルだぞ?
 とりあえず,本当にここから広州行きバスが出るのか,すごく疑わしくなってきので,一応掲示物やら電光表示やらで傍証を求める。1時間に一本程度は出てるらしい。この人数で?
 予約した七天は駅前。ターミナルから見てワンブロック,すぐ南に隣接した火車站の対面の道を一区画進んだ場所でした。
 ところがこういう雰囲気なんで,駅前なのに誰も道を歩いてない。バイクタクがしきりにクラクションを鳴らしてくるので,いっそ乗ってやろうかと思ったけど…いやいや,大した直線距離じゃないはずなんである。
 火車站まで歩き着く。隣接してはいるけど,規模が想像と違う。それはそうと,火車站の駅前広場なのに誰も道を歩いてないし小店の一軒もないのはどーゆーこと?
 人の流れで道を読めない。この駅前ハイウェイをどうやって横断すりゃいいんだ?
 どうもこれしかないらしい,と見当をつけて,站前の地下道に歩み入る。横幅25メートルほど,かなり巨大な地下通路なんだけど,一台バイクとすれ違った(地下道なのに!)のと,ここに住んでるらしい貧民の寝姿以外は見えず。
 この整いすぎてかえって恐い感覚──何もかもアメリカン!

 幸いにも道は正しかった。13時50分,七天にチェックイン。
 しかし…うーん。どーすりゃいいんだろ,ここから?
 昨日調べた情報の中に,潮州の老街の最寄りのバス停は「小公園」だというのがあった。中国バスにはやたら強くなってるGoogleマップで最寄りのバス停を探すと──黄山路。七天から露地に入ったとこで,小公園に停まるのは2路。
 どーせこのエリアには何もない。アメリカンな駅からの道には街工場が何軒かと雑貨店のみ。動くしかないのだ。
 14時13分。黄山路のバス停を見つける。無人。何か雰囲気が変だ。表示を見ると,改造のため2路停車は廃止されました,みたいな事が書いてある。
 2路のルートをイメージしてみる。七天の前を通って西行するはず。西へ歩いて次のバス停を探してみよう。
 と,割と悲愴な覚悟で歩き出したんですが,ホテルの対面に珠池黄山路口というバス停があるのに気づく。今度は待ち客がある。停車駅表示を確認。2・4・6路で間違いない。
 さっき降りた客運中心站には,2路で3駅乗れば行ける。終点小公園までは16駅。一律2元。金砂路という道を半分は走るらしい。「線路方向」というのが付記してあるのは分かりやすいが,そうでもしないと分からんということでもあろう。

 この後,しばらく待って2路に乗る。
 ぐんぐん西へ。道だけがだだっ広い淋しいエリアを進む。
 金砂路。6路も通ってるのを確認。
 〇〇大酒店名のバス停が4つも続く。確かに両側にはそんな建物しかない。これは…相当異常な街です。作られた街…というのは分かってるけど,何をどう計画して作ろうとした街なのか分からん。
 ふと──分かった。これはシンガポール,あるいはクアラルンプールです。帰って来た華僑が中国本土に再建しようとしたシンガポール。

 20分ほども揺られた頃,バスは唐突にハイウェイに登っていきました。
 高みから左にぐるりと回って下降。すると一気に左右に,バンコクの中華街みたいな古びた建物が並び始めます。
 ???どーゆー接続だ?
 まるで時空を転送されたみたいな急変で潮州老街は,とうとうその姿を現したのであります。

 終点の一つ出前の金風[土云]東という妙な名のバス停(8684公交参照)で,皆さん降りるので下車。
 このすぐの場所にロータリーがあって,その概ね西側が老街の核となるエリアでした。
 ここを,たっぷり2時間は歩いたことになる。歩き終えた後でもブロックの全体像が分からなかった。というより,完全に迷ってしまい,Googleマップまで見たがなんせランドマークがほとんどない。要は,潮州は老街で純粋に迷子になってました。
 素晴らしかった…というには劇的に過ぎる。この風景を何に例えて,どう受け止めればいいんだろう。

 廃墟,というのが一番近い。外観的にはそうなんだけど,そこに今も当たり前に暮らしてる普通の中国人がいる。ちょっと濃すぎて近づけないけど,前世紀の,そして全盛期の通りに生きて食べて茶を楽しんでいる人達が暮らしてる。
 けれども奇妙なほどに殺伐なものを感じない。それどころか奇怪なくらい居心地がいい。危険も感じないのが奇妙な廃墟。
 悲愴感すらない。逞しさとすら認め難い。
「入るな危険」と書かれた建物の向かいの軒先で茶碗を洗ってる主婦がいて,寄り添い歩くカップルがいる。
 一つ表に出れば学校帰りのお出迎えの件の大騒ぎが繰り広げられてる。
 当たり前に生活し続ける真っ直ぐさというか,この人たちの,直球的な眼であることを棄てる気さえ持たない…つまりただ当たり前に生存している。かの強さの根はどこにあるものなのか。
 生々しい廃墟。あの風光は,今も脳幹にこびりついて離れない。

写真:老街1 老街2 老街3 老街4

 迷子になったまま,茶葉を買った。
 老街にも食べ物屋らしい店舗は見かけたんだが,あんまりにも濃すぎた。工場みたいな打ちっぱなしのコンクリの家屋,壁にメニューもない。それでいて大抵誰かが昼酒でくだをまいてる。ここに北京語で会話する明らかな一見客が露骨な観光メニューを頼んじゃうと──危険というより,このある種の崇高な気だるさを冒してしまうような触りにくさを感じた。
 ということで,朝の「祇園太鼓」一つしか胃に入れてない。あとは,涼茶を2杯飲んだかな?
 さしもの小倉銘菓も変換エネルギーとなると限りがある。目あての老街で食べに入ることも敵わず,本格的にくらくら来はじめた。で,茶葉を買った,というのは,やはりクラクラして頭がどうかなってきてたとしか思えない。鉄観音の量販店みたいな出店で,中国入り後初めて買う茶でしたが,なぜそれをここで買ったのか未だに分からん。
 で,ついに根負けしたのか,結果的にでも正しくリスク対応できたのか,クラクラゆえにこれもよく分かりません。とにかく,ふと見つけた清真飯屋に入ってしまう。ここのメニューに,かつて留学中,究極のバワープードだったコレを見つけ──。

▲蘭州拉麺の羊肉泡[食莫]

 16時半を回った。蘭州拉麺にぽつねんと座る。
羊肉泡[食莫]12元 400
 客は一人。奥で坊主が何やらこっぴどく怒られてる横に,ホントに回族らしい風貌のおかみさんが碗を持ってきた。
 正真正銘の回族のお店です。
 そして,西安以来久しく食べてなかった。[食莫](モ)である。やったあ,パオモだ,ヤンローパオモだ!──疲れるとヒトって退行するもんですね。
 ことり,と碗を置く腕。
 ああっ!きちんとした[食莫]です!
 やや春雨が多すぎるような気がしたけど,濃い,スパイスのないカレーみたいなスープに,食べ進むほどに[食莫]の生地が溶け出して絡んでいく。羊肉の臭みを容赦なく帯びた脂,スープ,ゲル化しかけた[食莫]の絡まりが,碗の底の近づくほどに渾然として魅力を示してくる。
 この臭い汁は,味わうほどに口の中に充満する。味蕾の根っこを震動させるというか,ぐいぐいと深まっていくこの執拗な肉味って何だろう?
 それから[食莫]が固形から汁に溶けていくこの変化と汁の変質。麺からの溶け出しを計算に入れる料理はいくつか思い当たる。長崎ちゃんぽんの唐アク,肉燕の煮汁。この[食莫]は,それらの並列に置くというより,オリジンにあたるのでは?という何の根拠もないイメージが浮かんだ。
 中国のユダヤ人,回族が,中華料理のある部分が,地域を越えて刺激しあい融合しあう媒介になったということはないんだろうか?
 久しぶりの本格的な[食莫]に,空きっ腹もあってムショーに感涙した,とおそらくそれだけなんですが,この一食,ホントに旨かった…。

▲ 龍興longxing面包餅食のダンダーとカステラ

 降りたバス停を見つけたのは17時過ぎになりました。
 宿に帰ろう。身体的には疲れたし,老街のインパクトと迷子で精神的にもクタクタ,ちょっとこれは帰るしかない。でも帰っても何も食うもんはないし──とバスに乗る前に立ち寄ったのが龍興。
 斎藤 龍興(さいとう たつおき)は、戦国時代の美濃国の戦国大名。道三流斎藤家3代。美濃一色家2代とする説もある。
 信長に岐阜城を追われた龍興は,道三の大望を却って奮起させ海外雄飛,潮州に到りてパン屋を開いた。
 かどうかは定かではないが,潮州のローカルチェーンらしき龍興longxing面包餅食。
ダンダー
カステラ200
 品揃えは豊か。髭パンの類には台湾か香港系の影響もあるか?鶏尾包はなし。
 宿で賞味せば──なかなか宜しい。アンデルセンや向陽坊に似たふっくらな味わい。小麦の香りがポッと花開くというか,中国茶の硬質によくマッチする端麗な粉もので,この夜のお茶は意外に寂しくはなかったのでした。
 17時11分,2路で帰路につく。
 この老街はハイレベル過ぎた。この一言に尽きる。
 そう,潮州料理のふるさととして訪れたこの街で,潮州らしい中華を食べないまま,ついにタイムリミットを迎えようとしてるわけで──軽~く言っちゃえば,大失敗。

 というわけで2路バスは,黄昏の濃さを増す潮州を東行していきました。
 車窓を流れる老街をまじまじと眼におさめ,ハイウェイに上がって新市街に入ってしまうと,途端に眠気が襲ってきます。うとうととして目覚めれば,もう火車[火占]は近づいてます。
 ん?この辺り…確か潮仙からのバスが止まって,たくさん降車があったとこじゃないの?
 中山路とある。この辺りは,それでも一応の猥雑さは匂えるような通りになってる…ように見えました。
 僅かに身体が回復すると,潮州飯を食えずにいるという悔しさも息を吹き返します。ここを過ぎるとあのコミーに閑散たる駅前通り。間違いなくこれが最後のチャンス!
 指が降車鈴のボタンに伸びる。
 ただ,車内にはここに至ってもかなりの人が乗ってます。ってことは?見た目,普通のおじさんおばさんです。新市街のどこへ行くんだろう?

「萌萌小屋」なる店を,降りてすぐ発見。
 おっ?ケンタッキーとマクドナルドとピザハットがずらりと並んでるぞ?見た目の賑わいとは違って,外資の多い,日本的な,とまで言わなくても台湾的な繁華街です。
 場所は,国際大飯店のワンブロック前辺り…って詳しく書いても,わざわざここを目指して来る方はないだろけど。
 時計は17時49分を指す。とっさに降りてみたバス停は珠池衛山路口。
さっきの潮汕からのバスで最後にどどっと客が降りた明珠広場というバス停の辺りです。
 汕頭中路のロータス前が賑わいの中心点みたい。とりあえずここを目指し,さらに交差点まで通り過ぎてみる。これを右手駅側に折れた途端にシンガポール化するのがすごいとこ。

▲日々香の日替り定食 叉焼飯

 18時ジャスト。日々香という店に入る。
叉焼飯10元 400
 そんなに客が入ってるわけではないようだけど…ここを逃すと潮州らしきものを全く食べれない!…はず!ということで,入店すると──にこやかなお姉ちゃんがやってきてご案内。少なし誠実に作ってくれそうな店です。
 さっそくテーブルに置かれたワンプレート。
 高菜のような漬物のほか,叉焼,それとこれは麻婆か?それらがご飯に乗ってる…だけ?
 叉焼は七,八片。赤みがかった紫というのが近いか,しかしそれがグロテスクに見えない不思議に安心できる紫色です。口にする前から香ばしい香が既に立ち上ってくる。
 口中に投ずると,その燻製の香が嗅覚を擦るように軽やかに流れるとみるや,端正にして重厚な赤身肉の味が舌上に柔らかく延び広がる。食感自体は結構固いので何度も噛む。肉が寸断されていくごとにこの肉香が延びては薄まりを繰り返していく。
 この中に白飯を投ずれば,これはもう何杯でも進んでしまう。旨いから,というだけの意味ではなくて,変化する肉の香が白米の甘みの上でかの蠕動を止めない。
 逸品です。もちろん保存料や着色料の気配はないし,肉味の僅かな不安定さはそれが自家製であることを物語る。
 あんまり広東の焼味には感じ入ったことはなかったんだけども…。
 そう,やはりこれは広東そのもの。肉で言えば,肉汁や野性味ではなく,さらに韓国の出し殻肉の高貴さでもない。肉の香味というか滋味としか言いようがない。──福建とは明らかに味の思想に断絶があります。
 それとこの麻婆豆腐。キリリとキマる唐辛子辛さを穏やかに受け止める濃厚な肉汁,完全なる広東四川です。この10元の一皿でこのお店の上質さは見てとれようというもの。
 とうっかり書いてしまったけど,やはりこれは出汁ではない。唐辛子の辛味と日本的な肉汁を合わせたようなしつこさは全く感じない。四川で感じた唐辛子を香り香辛料の一つとして設計した中に,四川では加えてない肉の滋味までを加えていく。挽き肉に期待するものが違うわけです。
 ただ,福建との接続で言えば,香りを主攻面に据えるところは共通してる。何というか,攻め方が違うんだとも仮想できる。福建は湯で,潮州は素材に直接纏わせる香りで攻める。ただ後者は,具体にどうやってるのか全然想像できんので雲を掴むようなイメージに止まるんですが。
 当たり前の飯がここまでハイレベルなのか,たまたま入れたここがラッキーなヒットになったのかは分からんけど。明らかに潮州と言える一膳に,とにかくありつくことはできました。この日のハチャメチャさからすれば,本当に幸運だったと思います。

 さて明珠広場から宿までは2路のバス停なら2又は3駅。
 明日もこの街にいる気は既になくなってたので,最後なんだし歩いとく?みたいな気になった。もちろん食い物その他の店は期待してませんが,ここを歩くのも街の実感には近づけるかということで。
 やや意外でした。夜になると,昼ほど共産チックな風景ではないらしく疎らながらギラギラと漏れるネオンの波をくぐって東行する。
 途中,どうもGoogleマップ上に該当の場所が見当たらないんだけど──南側に細く斜めに抜ける小路を見つけました。なかなか賑やかそう。今日は何回目となく裏切られたわけだし,裏切られついでにまあ寄ってみますか,とトコトコっと踏み込んでみますと。
 うーん。それなりに賑わう商店街で,雑踏の気配も一昔前の自由市場。好きな空気なんですがいかんせん飯がない。やはり今日はこんなもんか。帰るか…と大通りの方に引き返すと。
 あるじゃん!一件飯屋!それも数軒あるぞ?

 駅前大通りに平行する路地に,ちょうど大通りには背を向けて一軒飯屋群は並んでました。どれもメインは持ち帰り,メニューはないけど客が多いんで「ワシにもそれくれ」と言えば買えそうです。
 その中でやや客のもぐれつき方の激しい店は,店内でも食べれるようでしたがかなり満席に近い。これは期待度高いぞ?
 前の客がそうしたのにつられるような形で,プラスチックケースにご飯とおかずをついでもらう。おかずは4品を選べるシステム。
 18時56分,7時になる直前になって三食目の目処がたつ。おそらく店の名は周記。
周記蒸筏飯 550

▲周記蒸筏飯の(おそらく)周記蒸筏飯

 酔っぱらいサラリーマンっぽく,ナイロン袋を下げての幸せな帰路になりました。いやホントに,今日こそは我が中国旅行中,最高の不作になるか…と途方にくれてたのが2時間前。
 どうもこの街の構造というか勘所というか,どこが何色なのか,さっぱりイメージできませんが,とにかく翻弄された末に何とかなりました。
 部屋の扉を閉めるやさっそく箸を構える。
 煮豚と同じ汁で煮た豆干が中心になってしまったようです。けれど──これは満席になるわけだ。
 焼味ではありません,もろ汁物のぶっかけです。汁は香港の[イ十]味のような真っ黒け。
 この汁が,一口ごとに圧巻。色の割に辛さ甘さもスパイシーさも決して濃くはない。濃さで言えば薄口醤油並みです。これは香港[イ十]味に共通してます。
 特筆されるのはこの煮汁の滷味。やはり強くはない。脂も感じないし出汁としても極めて淡い。なのにスッと落ちる絶妙の深み。キレのいいフォークボールのような深み,と例えたら訳分かんないけど実感には合う。
 この煮汁が,豆に煮染ませてある。絡ませてある,なんてもんじゃない。芯まで浸透切ってしまって,元とは別のものに成り果ててる。それでいて豆の地味が損なわれてるわけでもない。明らかにワンランク上の美しいばかりに芳しい豆味に昇格してる。それが技巧的でも嫌味でもなく,いい具合の昇華なんである。

 あーしんど。
 しんどかった(あ,「疲れた」の広島弁です)けど結果的にスゴい充実の半日でした。思わず滞在を伸ばそうか,と躊躇した瞬間もあったほどですが…やはり潮州は歩きにくい街ですので。
 広東と福建の断絶の相,その実感は感じとることができた。
 イメージとして,福建は中華圏の南部戦線上ですが,広東は開拓地の性格を僅かに残してる。かつてこの地に林立してたであろうワイは,対インディアンの砦でもあったんでしょう。
 えーと?潮州編のまとめにかかるつもりで大風呂敷を広げたかもしれない。風呂敷を纏めれるビジョンもないんだから広げなきゃいいんですが…。
 福建のウェットさに対し,どうも広東はドライだ,という温度感というか血の通い方を感じる,ということです。食で言えば,福建が旨味を重ね着させてくところを,広東は旨味の核が丸裸になるまで剥いてくような 。
 あのアメリカンな駅前と老街の生々しさ。
 始めに在った広東の風景。