GM.(経路)
ワシは修文街にどこから入った?
三回目の南墙湾巷東行。1614。
今回は雨は上がってる。
なぜか韓国系のファッションショップが目立つ。いや…目立つどころかこの…失礼ながら一見みすぼらしい道に15軒はあるぞ?
ここまであると「売れるのか?」とはツッコミにくい。
「そうか,この南にも道があるんだ」とメモって,1627,修文街へ東行して入ってます。
けれど地図上ではこの道は行き止まりになってる。どこから入ったのか?
でも隣の旅館の位置から考えるとおそらくはここ(GM.)。
長沙府学宮の南側の道だと思います。
ただ,上の写真には屈曲地点に小さな井戸址があります。道というよりも家の間の共用パティオのような場所かもしれません。まあ,この老城ではその両者に大した違いはないんでしょうけど。
老城中心のパティオ:西文廟坪牌坊
やはりそうです,西のパティオに出た。ここで北を並走する本道・西文廟坪巷と合流する格好です。
この配置は,このパティオ──表示を見ると「西文廟坪牌坊」と書いてある──から東西に二本,梯子状に出ている形です。おそらく昔は南北にも道があり,老城南西角の中心だったのではないでしょうか。
ただ今は,北側の国学讲坛とある祠が物干場になってる。1634。
麻雀室にお母さんを呼びに行く
南北への道を推定したのは,ここの北側にもやはり地図にはない路地があったからです。
潜ってみると社区らしい。結局,通り抜けられずに迷走する羽目にはなりました。
通りに麻雀室。下校時間中の小学生位の女の子がその部屋を覗く。お母さんを探してるらしい。
結局,社区の東側であろう壁沿いに北へ進むしかありませんでした。1645。
あれ?泉嘶井巷に出た?
泉嘶井巷自体が地図にないから,もう勘だけで歩く。
え?なぜか学院巷に出て来てしまった?
1653。大分暗くなってきました。
黄昏のファッションストリート:学院巷
ではこの学院巷,今回はまっすぐ南行してみよう。
ファッション街はこっちにも続いてるらしい。台北の師大みたい──とまで当時のメモには書いてしまってますけど,そこまでは言い過ぎとしても,何か自然さのある好い通りだったのです。
この店なんか──まあ個性的です。
色々書いてるのはいいけれど,消火栓にそんな落書きして誰かに叱られないのか?一応,共産圏だぞ,ここ?
「不思議なエリアです。古さと新しさ,滅びと創造が互いに慰めもなく混濁してる。」
──とか後から恥ずかしくなるようなメモを残しちゃってますけど,その位,この時間,この季節のこの学院巷は好かった!
学院巷は地図上,南墙湾巷にT字にぶつかって途絶えてるはずですけど,実際はそのまま南へ抜けれました。当時は違和感も感じてないほどでしたけど,上下の写真を見ると確かに少し私道っぽくもなってます。
1704,南門口に戻る。五一へ地下鉄で2駅。