Range(粉嶺).Activate Category:香港九次 Phaze:崇謙堂

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)
※石庐南側細道入口以降はルートが取れないので略

fanling:187,028人

▲粉嶺の地勢。GM.航空写真より。

嶺は地勢としては香港ではない。
 もちろん租借時期からも新界に属すけれど,大埔北の山地の完全に北に当たる。深圳のある平野の一部です。英国が緩衝エリアとして国境線を引き直さなければ深圳郊外だった地域。
 もっとも,英国の租借がなければ深圳という町も出来なかったかもしれませんけれど。

龍塘から乗り込んだ東鉄羅湖行きは結構な満席。
 立ち客もいる。深圳行きの人だけが客ではなく,途中駅でどんどん乗降あり。
 沙田までは町にモールがそびえてたけど…そんなにこのエリアの人口はあるもんなのか?
──今調べると,北区人口は香港全体の4%。そのうち2/3の20万弱が粉嶺に住む。多くはないけど密度は高い。
※ 2016中期人口統計/粉嶺@中原樓市片區
総人口 7,336,585人/北区315,270人/粉嶺187,028人


炭駅。1109。──どんな名前や。とメモってるけど,まあ炭鉱があったんでしょう。
 ここになると熱帯の農村のような風情になりました。しかも谷間を走ってる。
 1114「大学」駅を出ると右手東側に海。その向こうに高層アパートが連なる。対して左手西側には山並み。別荘地のような造りの建物も。
 1118,大埔墟。ここも山あいにちょっと開けた扇状地のような場所…に最初見えたけど,いややはり東側には前回歩いた町並みが小規模ながら広がる。
 かなりの高度が上がってきたぞ?半島付け根の尾根なのか(大刀刃山系)?道路やトンネルなどインフラの工事現場目立つ。家屋は古い。
 右手に高層アパート群。
 1127,粉嶺着。アルファベット表記は「fanling」。アナウンスはフェンリーと聞こえます。

道の名も風景も全然

▲粉嶺市内の地図

…にかく北東へ向かおう。
 航空写真のポイントが全て,データはほぼない。向かうしかない。
 地下道のロータリーみたいなとこで迷う。「よし沙頭角公路の東側に出た。」とかメモってるけど何が「よし」かも分からない。さらに北東行。
 1150,楽業路越ゆ。ここまでの町並みは全く面白くない。
「龍躍頭文物徑」を指す道案内あり。左折東南行。

▲1215楽東街。ホントに面白くない光景

全街。1159。全く面白くない道名だけど風景もまた全然。
 右折東北行。物流のビル並ぶ。右手に大きな山並み。一つ東の道に出ると右手に川。麻笏川。北東行。
 1209,楽東街に出た。唐順興家禽(香港)有限公司。右折東南行して川を渡る。

広東省宝安県布吉郷からの伝道移民村

▲1218崇謙堂村の小さな菜園

岸に「崇謙堂村」と矢印がある。──維基が「Tsung Kyam Church」と記す建物です。
 左手へ北東行を選ぶ。公厠。向かいに読めない祠。廃物回収箱。
 道はにわかに細くなる。
 粉嶺崇謙堂。隣に崇謙堂村民信箱。
 少しだけ村に入ってみる。

▲1219崇謙堂村集落内

いぞ!
──とメモってる。
 それが伝わる写真としては,上下2枚は自信がありません。ひっそりと,打ち捨てられたように,でも脈々と棲み続けた息吹きのようなものは強烈で。写真に撮るのも憚られるような圧力を感じてました。
 圍ではない。次の記事からは,どうも広州からの流民が教会を中心に作った開拓村のような場所らしい。

▲1229北の三叉路から集落全景。右手が教会・崇謙堂

※ 維基百科/崇谦堂村
「1903年凌启莲退休后偕同家人由广东省宝安县布吉乡来到新界粉岭购买田地发展农业并在该区传教。当时崇谦堂村现址尚为一片禾田,凌牧师掷资购买田地并建造村屋数间,以安置佃农。」

※ 香港地方大典/崇謙堂

▲1221崇謙堂村を抜ける辺り

オルガンのバラード,洋館・石庐

かなオルガンのバラードが,何処かの屋内から幻聴のように流れる。
 1226。「石庐」とある洋館廃墟に着いた。うろついてみるけど入れないらしい。

▲1224洋館「石庐」のかつてのゲートらしき佇まい

館北に丘がある。
 地図によると,あの北麓辺りが目指す圍地名の場所のはずです。
 洋館の東から回ろう。

高みにまとわりつくように

▲1231洋館東の細道

ントに通っていいのか?という細い崖上の道をたどる。
 丘の東から北へ,高みにまとわりつくような集落。いつ道が途切れてもおかしくない雰囲気で,それでも頼りなく続いてる。

▲1234丘の集落の細道

れた。1237。
 でも完全に方向を見失ってました。
 今の崖の集落が老围?いや?この出口にある城壁みたいなのは──まさに圍だけど,本物の城だぞこれ?
 でも間違いありません。これが老圍!

▲1235丘の集落の家屋

■資料:粉嶺の地名由来とロケーション

 日本語から考えるとヘンテコなこの名前は,地理的に「粉嶺低地」の方が先に出来た呼称という。「代涵盖上水部分和古洞的大片地区」と説明されてるけど,「粉」の語感がどうも分からない。でもとにかく地形を表現してるらしい。
 平原地形としては香港では珍しいもので,元朗と並ぶものという。
※ 維基百科/粉岭低地
「粉岭低地是香港第二大的平原地形,仅次于元朗平原,位于新界大陆的东北部,属梧桐河流域,平原中部有少量低矮丘陵地貌,地区行政上属于北区,具体范围即梧桐河和龙山的西面,大刀刃山系的北面,鸡公岭至白石凹山岭的东面,大石磨的南面,涵盖粉岭、上水、古洞和蕉径的平原地貌,自数百年前已有大量村族在此定居,农畜业发达,1940年代末有大量来自中国大陆的难民在此落脚并形成大量寮屋村落,其中部于1980年代发展成粉岭/上水新市镇,并将在2018年后向古洞和梧桐河畔扩展。」
※ 同/粉岭
「甚至常以“粉岭”之名指代涵盖上水部分和古洞的大片地区,故此在地理学上该地平原名为粉岭低地。」

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