Range(元朗).Activate Category:香港九次 Phaze:元朗西邉村

元朗が圍の集在地とは分かってるんですが…難易度高過ぎです。


~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
①(→西辺圍公所)GM.
②(→玄関二帝宮)GM.
③(→山貝村)GM.
(経路)
[前日日計]
支出1500/収入2190
負債 690/
[前日累計]
    /負債 1060
§
→二月十日(天)
0910大榮華酒楼
ポーレイ茶
発財好市粥
発財好市焼売370
1250金記冰記
情懐沙哆鮮牛飯70HK$,550
1654金龍冰室
是日午餐G咖哩牛腩配3.6炒蛋500(1420)
1900長州糯米糍
芝士,紅豆,花生450
1910康年餐庁
掌破崙
鶏尾包400
[前日日計]
支出1500/収入2270
負債 770/
[前日累計]
    /負債 290
§
→二月十一日(一)



港は割と寝坊な街です。
 特に安宿は早朝に弱い。分かってはいたけどやってしまった。
 0800,花園酒店にようやっと荷を置く。昨朝と同じく無人だったので呼び鈴を押すと,オーナーが他所にいたらしく,わざわざ出勤を早めて来てくれたらしい。
 昨朝と違い,部屋が空いたら荷物は入れといてやるという。やはりここは常宿にしかるべき宿です。

夜から,聯通SIMが「WLAN」の文字を出さなくなった。仕方ないからauSIMに入れ換える。やはり何か金盾様のお気に召さなかったのか?
 車厘哥夫を覗くと「初十啟市」と貼り紙。10日,つまり今日から営業なのか?はてまた10日まで休みます,の意味なのか?
 今日までは大陸中国人が多いはず。やはりマイナー中心に攻めるべきだろう。
 0815,太子から4駅,美孚へ。

朗駅に西鉄線が入る間際,北の圍が目に入る。
 この围の位置は何を意味するか。围を作った居住「解禁」後の侵略者たちが最初に占拠した辺りが,深圳から少し入り込んだ山裾だったんでしょう。当時は九竜先端は地盤も整備されてなくて使いにくい場所だったか,現住の漁民,即ち敵である海洋民族側の居住域だった。
 つまり,元朗-上水・粉嶺のラインは,陸と海の両勢力の最前線だった…のではないかとイメージするんですけど。
 0852,元朗下車。北側のふたこぶの山の裾に…あれは亀甲墓の集合体か?
 J出口に英龍围,大围村,黄屋村とある。

▲大栄華で飲茶

はともあれ西堤街へ,もう足が位置を覚えてしまってます。
0910大榮華酒楼
ポーレイ茶
発財好市粥
発財好市焼売370
 どちらも「好市」モノですけど,どういう意味か定かではない。良い市場の…とそのまま取るには使われ過ぎてるし。
 それはともかく…何と,この時間で榮華腊味飯が売り切れ!どんだけ人気やねん!
 それで頼んだセカンドベストの粥でしたけど──一口啜って,手が止まってしまった。

▲大栄華の発財好市粥

の香り満点です。
 海苔とホタテだろうか。それに何かの白身魚の身をまぶしたようなものが溶けてる。
 もちろん和風の出汁の発想ではなく,もっと深い層──広東層とでも呼ぶしかない深度で味をまとめてる感じです。
 匙が止まらない旨さ。

▲大栄華の発財好市焼売

売はハムめいてる。なぜかこれにはピンと来なかった。けれど,魚肉のハムとしてはやはり上質です。
 今回の大栄華は,しかし全体のバランスという点で至高でした。──「好市」でまとめた,つまり下世話な度合いが揃ってたんでしょうか?それとも香り主体の品が揃ったから?
 海鮮粥,ハム焼売,それにやはり香港庶民のお茶・ポーレイの相性が,何ともさりげなく素晴らしい!
 飲茶って,技巧的でヌーヴォーなのもいいけど,こうベタベタなのが,本流なのかなあ。

朗から上水への小型バスはかなりの便が出てる模様。番号17番。──でもこの日もまだ乗れずにいます。それよりもこの時は,北面のX地点の引力に惹かれました。
 0959,歩道橋を渡り入口を探す。
「元朗舊墟 Yuen Long Old Town」とある北東への小道を入る。南邊围変電站の脇を過ぐ。

▲1005侵入

うでしょう?この上の写真の,拒むような,つまり路地好きを引きずり込むような淫靡な引力は。
 観光地などではない。本気の生活の現場です。
 それは下の写真の圍入口門の偉容からも伺えます。

▲1013西邉围入口

門口」と住所表示。圍の,という意味でしょう。
 1007,エメラルドグリーンの十八郷西邊围村公所。その奥にCPC YAO DAO SECONDARY SCHOOLの白い建物。公所の前にあったのが上の写真の西邊围の入口でした。
 この門は流石にくぐれませんでした。外部の者が迂闊に通れる空気じゃない。一礼して行き過ぎるしかなかった。
 さらに奥へ。

▲1017圍北際の小径

校に突き当たる。1015。
 おそらく西邊围の北側に出たのでしょう。
 右折東行。
 空き地のような,妖しい雰囲気。後で見るとここはGM.上は存在しない道でした。
 1018,玄關弐帝廟(→巻末小レポ参照)。
 1020,外人…はワシもだけど白人の歩く車道へ出た。どこの観光地か知らんけど,ワシの目的地もこっちです。しばし群れに紛れ左折北行。

▲1025西側山裾の道

朗舊墟路」というのがこの南北道の名。もろ観光客寄せの命名です。
 車道の東側右手に細い道が並走してる。観光道が出来る前の古道と見て入ると,まあ何もないんだけど蛇行はやや雰囲気がある。

▲1027山肌に奇妙な遺構

貝村という大きな石門。
 観光客の流れはもっと先らしい。何があるのか興味はあるけれど,ワシの目標地点は西,山を回り込んだ辺りとXに出てます。
 右折して入る。久しぶりに聞く孔雀の鳴き声。
 果たして山側に遺構増える。墓も現れた。集落基部だと思う。

▲1028行き止まりになってた路地

■小レポ:西辺圍は誰が造ったか?

 弐帝廟については中国語wikiのほか,幾つも記事がヒットする。18世紀創建の文化財で,清朝康熙・乾隆帝を祀ってる。
 唐突です。皇帝を祀ってる?
 ここは,本当は何を祀ってる場所なんだろう?
 それについて,気になる表記が維基にはありました。
──西辺圍は錦田劉氏以外が開き,居住してる。現在は林氏が多く住み,これが廟を管理してる。
 こういう仮定が作れます。──先住民と海賊の跋扈する九竜半島に長く血を流して食い込んだ錦田劉氏が,遷界令で泣く泣く故地を離れた。令解除後の復帰のどさくさに,何らかの中央権力の肝いりで他氏族が住み着いた。当然,劉氏と新勢力との間に血みどろの確執があったでしょう。
 台湾の天后宮が泉州系の縄張りの標識であったように,新勢力が「この地は我が土地である」,さらに「それは清朝中央の意向である」と旧勢力に誇示する印籠のような廟が,この居住区中央の建物なのではないか。
──というより,香港に永く住む氏族の人々が読めば,そう解釈しか出来ない表記なのではないか。
※ 維基百科/玄关二帝庙
「锦田邓氏并无捐献,可见西边围是由邓氏以外杂姓开拓及居住,现时则林姓居多,二帝庙由西边围管理。」

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