方角を失ったまま湖水集落へ
実は──この記録を起こすまで南北を真逆に捉えてました。
元朗の町は西鉄駅から南に広がる。この日迷いこんだ方向は元朗駅の北側,深圳側でした。
余りに山がちなので美孚から越える山系と勘違いしてました。元朗は海際とは言え,天水圍から南東に入り込んだ半盆地に当たる。
元朗駅北はこの盆地のどん詰まり,養魚場の連なる湖水地帯だったのでした。
※ 跑遊元朗十八鄉 (87) - 山貝村七星塘魚塘壆地界
山への道が何本かあるけれど少し危なそうな気配。1030そのまま北へ。
1035,方角を失ったまま集落の小路に入り込んだ。
圍ではない。かと言って村という風情でもない。
新興,と言っても一昔前にできた住宅のように見える。
先の観光用のページから伺う限り,養魚場で働く人たちの住む住宅街なんだろうか。
林氏家祠前駐車場
不思議な集落です。
人気がないのに生々しい。廃墟のような体で生活感が迸ってる。
一筋一筋に個性がある。
住宅街にしては,けれどさらに古い家屋の跡が目立つ。
元々村落はあったものの,近代化の中で廃れかけてしたところを,養魚場の労働者が再興した,そういう集落と見るべきでしょうか。
林氏家祠前の駐車場に出る。1040。
廟は門を閉ざす。
林氏──西辺圍の創設をした氏族です。その分村がここにもあった,ということでしょうか。
「湖水」岸から丘を越え元朗駅へ…抜けれるか?
行く手に池。1044。
この「湖水」に当時は呆気に取られました。海の方角でもないのになぜこんなに水が豊かなんだ?──確かに養魚場としてはあまりに機械類の少ない,ローカルなものでした。
上がれそうな山手への道。迷う。方向は南東,おそらく駅方向。
地図ではもちろん抜けれるように書いてはいない。でも…丘の上に出るように思えます。そして丘の向こうは…「湖水」の田園風景のここからだととても想像できないけど元朗駅のはず。
登ってみるか。
香港でまさかの亀甲墓?
駅から見えた墓地でした。
丘の下からは,とても想像できない広さと高みです。
香港ってこういう墓制だったってけ?(→巻末小レポ)
元朗市街の代わりに,亀甲墓群の丘から見えたのは──絶景。
眼下に池数枚(実際は養魚場)。その後方に2つの山。さらにその向こうに…高層ビル群?
方向は北東方向──地図を開く。
深圳か?
絶景はともかく…とすれば丘をまだ半分程度しか回ってない。だから元朗が見えないんである。
けれど駅から亀甲墓は見えたんだから…という予断のまま墓中をさらに進む。
すると──墓一面。丘の北東からおそらく南面までを埋める点々とした亀甲墓が,ある場所まで来ると一望できました。
不思議なのは…そして今重要なのは,日本の墓地によくある参拝路のような細道がまるでない事。よくよく観察してみても,一番遠くの墓までは藪が隔てて行けそうもない。
湖水に響く猛犬大合唱
諦め悪く,山裾の「湖水」にも目をこらす。はっきり繋がった畔が,どうも見つからない。
実はそれでも畑の中を辿ってみた。けれど,少し行くと明らかな私道になる。そのうち犬が吼え始めた。
すると…ここらは猛犬の巣なのか?侵入者の臭いを感知したそこら中の犬が唸り吼え──それを機会に,もう退却を選んでしまってました。
想像するに──日本との違いは,組合管理や総有も含めた公共的要素は薄く,私有の漁場や墓地のモザイクのような土地所有だった点なんじゃないだろうか?
撤退は集落内部ではなく広い道の方を歩く。
気分が萎えてたから,というそれだけですけど,この道沿いにも古い痕跡は幾つも見当たります。
香港の村か。これまでの記憶を辿っても…難解です。今のワシが見つけそうなところは,何かしら既に観光化あるいは商業化されてるし,今回のようにたまたま普通の村を見つけてもまるで取りつくシマがない。
611路,山貝路~同益街市というミニバスに乗る。1111。
路線図を見ると──町を回って火車站へ行く。ちょうどいい,一休みしよう。
と思ったけどバスは駅へ直行でした。1121,西鉄線乗車。
九竜へ帰る列車の窓から,毎回見る南側の高い山。裾野にはやはり亀甲墓が並んでるようでした。
■小レポ:沖縄の墓制と中国南部の永久
これだけ御嶽で沖縄墓と出会いながら,墓制の多重制を押さえてませんでした。
香港など中国南部との関係で言えば,次の2点が結論です。
1 沖縄の墓制は3つに大別出来る(下記詳述)。うち最も最近,17世紀以降の貿易時代に普及したのが亀甲墓制。
2 亀甲墓制は中国南部,特に福建に源を持つとするのが通説。よって,同根の台湾や香港の墓制に類似している。
沖縄墓制の大別は次の通り。概ね,①破風墓が王族の③掘り抜き墓(現在「ガマ」と称されるのは多くがこれでしょう)が庶民の古い墓制で,海洋王国時代以降に中流商人から普及した新しい墓制が②亀甲墓,という時系列になるようです。
①破風墓
読み:はふばか
由来:家屋
特徴:「破風」と呼ばれる三角形の屋根
対象:琉球王国の王室。王墓である「玉陵(タマウドゥン)」に利用。
現状:当初は王室にのみ許されたお墓の形。琉球処分と沖縄県設置を経て解禁,沖縄で最も広く見られる墓制になった。
規模:遺骨収納スペースだけで4~8畳。戦時中は防空壕代わりに使われた。
②亀甲墓
読み:きっこうばか,かめこうばか
由来:台湾・香港に多い唐墓。琉球王国が中継貿易で栄えた時代の名残を示す。
形状:女性の子宮の形に由来しているともいわれる。「母体回帰」の思想との関係か?
③掘り抜き墓
読み:ほりぬきばか
特徴:元からある自然の洞窟を利用したり,砂岩に横穴を掘ったりした墓
機能:風葬の風習がやりやすいように設けられた。
規模:元々あった洞窟を利用したものであるため巨大。都市以外では,破風墓と同じく戦時中には掘り抜き墓に隠れた。
※ 終活ネット/沖縄のお墓の形についてその種類や特徴、現在のお墓事情まで全て解説|終活ねっとのお墓探し