/※5431’※/Range(揚州).Activate Category:上海謀略編 Phaze:彩衣街の葬送

三次揚州,二日目の本歩き。都合上,アングルが似た写真が重なりますけど,行程は濃ゆいかった!
[前日日計]
支出1500/収入1670
負債 170/
[前日累計]
     /負債1158
§
→四月二十九日(一)
0921蒋家橋餃面館
鮮肉鍋貼
虾籽餃面550
1049東園小館
秘製鴨股飯+蘇北老鶏湯+素菜のセット650
2025达味坊 渡江路緑豆餅 質量重优信誉永恒
干しブドウ入りオレンジクリームロール250
[前日日計]
支出1500/収入1450
     /負債 50
[前日累計]
     /負債1208
§
→四月三十日(二)


~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)
※実際は大東門橋まで小秦淮河の西岸を進めました。

ジャイアンツっぽくて危険な雨衣で

▲0833銅像に雨。竜に乗るのは史可法だろうか。
※ 二次揚州/東関ほか東北角参照
km平米を指定しといてで恐縮です。
 0812,37路バスでまず北行しました。
 痩西湖というダイエット遊記らしいバス停で下車…と予定すれど文昌閣が思ったより北だったので,というか降り間違えて下車。──とかメモってる。恐るべきことに,当時,名勝・痩西湖の存在すら認知してません。
 北方のXらしき界隈を,航空写真で見つけての再チャレンジでした。

▲0836像さんのケツにも雨

いが悪いので雨である。
 ただあまり悪くてたまらなくはないので小雨である。
 ライカムイオンで買った超軽量レインコートを既に装着。真オレンジです。日本だとジャイアンツっぽくて場所によっては着てたら殺されるけれど,中国だから大丈夫。東行。

▲0840川辺の道

割と好い河辺を南下

阜西路に出た。0831。
 ホリデイ・インの角を右折東行。何か観光用の施設が立ち並ぶ。東関まで900mと表示。
 0839,南へ川筋。このまま行っても観光用緑茶臭いので川の西岸を右折南行。

▲割と雰囲気のいい河辺の道だなあ。

ターゲット前のほんの一歩きのつもりだったのか,全くボケてました。
 この河の風情──そう,かなり観光化度は高いけれど,小秦淮河のここは北端域でした。

▲0842河辺,もとい小秦淮河の柳の道

のせいもあるか?好い川辺です。──とか当時は呑気にメモしてます。
 確かに,写真で見ても小東門橋辺りの自然さは薄いけれど……
 船着き場跡もちらほら──とも書いてる。下の写真のような情景です。もしかすると洗濯場かもしれないけど……いずれにせよ往時の生活の痕跡は随所に見られる。

さりげなく大東門橋

▲河沿いの小さな台場

度はこちら,西岸にアヒル……かガチョウかがいる台場。
 野鳥ではないだろう。飼ってるんだろうか?逃げないものなのか?

▲0846堀端にアヒル

っと東側への橋がなかった。ようやく0850,東へ渡る。橋の名前は大東門橋。
──って甘泉路のが小東門橋なんだから,同じ河だと気付けよ!とツッコミたくなります。
 東行。彩衣街とある。どっと人の流れが増える。

北柳巷北口の坂

▲0851彩衣街にバイクの車列。手前の橋が大東門橋……のはず。

うやらここが航空写真で見つけたポイント。
 思ったよりすごいエリアです。
 家並は左右に凹凸を作ってるし,文化街っぽいけど生活者はいる。ただ観光客も増えてきた。

▲0855文化街のお店

れは路地に入りたいぞ。思わず右折,北柳巷の坂に入ってみる。
──そう,坂だった記憶がある。GM.でも確かにここの北入口は屈曲してます。僅かに高い地勢を越えてる。堤防か,あるいは城塞でもあったのだろうか。
 でも当時は,とりあえず公厠(トイレ)に駆け込んでます。低い壁だけのニイハオトイレ。

北柳巷を塞ぐ楽団

▲0858北柳巷を南下

東エリアの迷路感はなく真っ直ぐ見通せるけど……好い路地です!
 観光客はいない。道は緩くうねり,家屋も石造りの古風な風情。この軒先なんか惚れ惚れします。

▲0858古美術屋らしき軒先をバイクが激走

時を回る。通りをおもむろに大音量の楽団が塞ぐ。葬式にしては賑やか過ぎるけど……何かの儀式だろうか。
 かなり南まで来てる。ここから東へは抜けれないだろうか?
 百度地図の航空写真で見ると,下の図のプロットした辺りにいたはずです。
▲北柳巷辺り

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