/※5481’※/Range(蕪湖).Activate Category:上海謀略編 Phaze:夢の蕪湖古都

「蕪(かぶら)の湖」と書くこの不思議な町の初日。失意に気絶寝してます。
[前日日計]
支出1500/収入1670
負債 170/
[前日累計]
     /負債 348
§
→五月四日(六)
1100茆阿姨馄饨店
芥菜鮮肉大馄饨250
1214鶏毛山鍋貼400
1411古早味 原味250
1414永禾
雪菜焖肉園木桶飯550(1450)
[前日日計]
支出1500/収入1450
     /負債 50
[前日累計]
     /負債 398
§
→五月五日(天)


ホリデイ・インから30分で

宿を出ると時を同じくして,6時の時報のアラームが鳴りました。
 1路のBRTが動き初めてたんで一瞬乗ろうかと迷ったけど,やはり通りかかったタクに手を上げました。予期せぬロスで乗り遅れは怖い。
 曙光の島のビルディングの光が眩しい。
 この島は確かにある時期には要害だったのでしょう。大きさ的には重慶並。でも城壁を含めそれらを完全に一層して「マンハッタン」化してしまった。ただし気分としてのみは老城の自覚が残ってて,それが他よりは自尊の念を形成してる。そういうことでしょう。
──と当時はまとめてるけれど,老城の形成史をようやく追った今となっては別の感想も持ってます。この老城は,配置や形状のレベルでは自然現象と密接に関わりを持つけれど,細部は最初から人造です。何しろ島中央の川を閉塞して人間の土地にしてる訳ですから。むしろその人間の営みと,そんな大転換をやらざるをえないように強いた自然の猛威に思いを致すべきです。

0分強,15元で着きました。
 駅前の陸橋とその南の汽車站を見てようやく思い出した。あ,ここだったのか。この辺りを前回は新幹線の時刻までさ迷ったんだよな。だから,昨日の快餐横の老乡鶏が前回のあそこなんだ。
 改めて変貌ぶりに驚く。全然違う構造になってるから気付かなかったんである。土地はそのままここにあった。
 で,宿を出て30分後──
「候車:二楼4候
合肥站 K5601 芜湖站
Hefei→Wohu
2019年05月04日07:00開01車046号
¥23.5元 新空調硬座」
 0629,もう車内にいる。改札はもう始まってた。始発,というかここから芜湖だけの区画車,要するに都市と都市を結ぶ専用路線らしい。
 ともあれ久しぶりの硬座です。

スーパー硬座で行こう!

▲0813スーパー硬座!

期待してたのに,何と出発ホームも改札も高鉄と同じところでした。
 乗り込んだ座席は横3-2の構成や窓際に突き出たテーブルは懐かしき硬座と同じなのに,座席が日本の新幹線風に青のカバー,背もたれには白いクロスがかかってる。
 何だこのリッチな硬座は?
 百度で調べると,最近の硬座は高鉄に単に置いていかれるだけでなく,進化してるらしい。昔の硬座は「老式緑皮車」と呼ばれ,これはその二世代後の型式「新空调硬座」。確かにこの車内,写真を撮ると,見た目には日本の新幹線に見えなくもない。

老式绿皮车通常采取的是非空调客车的硬座,也有部分绿皮车被改装为空调车,其硬座车被称为“空调硬座”,因为这样,新设计25系列车型就被称为了“新空调硬座”。

※ 百度/硬座
 所要90分程度。約100km。
 スマホの7時の時報「Dの風」が鳴ると同時に開車(出発)。「え?動いてるの?」的なソロリソロリとした動き,これは硬座のままです。

▲コンパートメントも落ち着いた雰囲気

湖。0755。チャオフーと読むらしい。大きい町ですけど賑わいはない。→巻末参照
 ここで客は半分降りた。車内はにわかに空く。今,試みに隣の2号車に言ってみたらもう無人に近い。つまり合肥からここまでのみ行き来があったらしい。
 この町の平地を過ぎると,連なりはないけれど山が増えてきた。──巣湖と長江を隔てる太湖山の山嶺です。
 後ろ席の赤子が「ママ~」と連呼してる。けどママは「ママ生気!」(怒ってる!)とのみのたまい,放置状態。何とかしてくれ。

緑萌えたつ蕪湖への道

▲蕪湖~上海付近地図

明日,蕪湖からさらに上海までが残り250kmほど──この距離が問題だよなあ。
──そうか。長兴(湖州)経由はどうよ?つまり芜湖から長兴まで硬座で行き,そこから高鉄で上海へ入る。
 要するに芜湖から上海の高鉄が混む可能性があるのは,南京・鎮江・無錫方面を通るからです。長江沿いを通らずに太湖の南を通ればよい。
 それならいっそバス路線なら?これはそちらを通るはずだから……鉄道できざむよりはバスの方が目があるかもしれない。
 蘇州や杭州まで高鉄でとりあえず行っても,そこからのバス等が満杯の恐れは強い。
 よし決めた。もし①高鉄が取れないならすぐ②バスを当たろう。

手南側に水路が続く。良い感じの川辺の家屋も多い。
「0835到!」(……に着くよ!)とネクタイ姿の男が叫んどる。でも乗務員じゃないぞ?何かの食い物を売りにきてるらしく「15元」とかわめいてる。そんなんやっていいのか?試食を配ってくれてるけど誰も受け取らない。──韓国なら半分は受け取ってくれるかもですけど,ここ中国だからね。商売になるんだろか?
 0836長江を渡る。流石にこの下流域では巨大です。
 東の対岸へ。緑と水路に満ちた町です。遺構はあまり見えないけれど,ワシ的にはもう古い遺跡や文化街なんてどーでもいい。
 しかし…緑多過ぎね?都市なのか?まだ車窓には畑や原野が続いてますけど?
 0845到了。おいおい,物売りの時刻より全然遅れとるがな?

~~~~~(m–)m蕪湖編~~~~~(m–)m
~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)

夢の蕪湖へいらっしゃい

商」とは日本の「近江商人」と同じくらい「えげつない商売人」の代名詞です。
 それを誇り高く掲げた銀行の看板に,駅を出てすぐ出くわす。それは広告になってるのか?
 いずれにせよ,太湖山地を越えて,微州を自認する土地に入ったわけでした。

▲0854蕪湖駅に微商銀行の広告

れた取れた!
 0902。上海行きはお見込みのとおりかなり混んでて,明日の夕方17時前と無茶苦茶に遅いけど──とにかく鉄道票を取った!
 ということで……元々行程になかった蕪湖滞在の始期と終期がどちらも予想外に動き,結果まる2日の時間が取れてしまった。しかも──この二階か三階かの售票処から見渡す限り新緑眩しい小山が3つ並んでる……だけ!ただ南西にモール一つ。その向こうは工事中……という優雅な町に見えます。
 過ごせるのか,ここで2日も?
 まあ来ちゃったんだ。とにかく宿へ荷を置こう。

蕪湖駅東口は交通至便


日は,朝イチで駅に荷物を置けば,ギリギリまで歩ける。駅構内一階に小件寄存(手荷物預り所)を探しあて時間を訊いとく。0730営業開始。没問題(ok)!
 駅前にはほとんど店はない。なのにバス停までにいきなり茶の物売りにタカられた。ただし中国語で。
 火車站東広場の横手には芜湖站公共東枢紐というバス停あり。11路線ほど発着。
 でもここは東広場?方向違うがな,西へ向かうんだぞ?
 少しうろついたけど地下からは西出口がないぞ?止むなくインフォメで訊いてみる。すると「座公共車」とのご指示。つまり?西口から歩いては鉄道乗り場に行けない。バスでしか来れないということ?
 なので0930,10路で五一小区へ6駅!ひええ,駅から歩ける宿のつもりだったのに…。
 車内はいきなり結構な満員です。バスは動きだし,站東路から弋江路,そして站南路口……と駅から時計周りで線路をまたぎました。
 いや?どこを走ってるんだ,これ?赭山中路という全く読めない道。少し町になってきた。良かった。ただコンビニとか飯屋とかは見当たるとは思えん。ましてカフェなんて。
 西への直線に入ってやっと道が理解できむした。バス停・世紀花園→公路局→五一小区。で0945,無事に下車。

▲0946宿の前のバス停…は広告板が抜けてる!

おおっ,のどかなり!
 10路のバス停はJ1の目の前でした。それは良かったんだけど……表示が工事中でわからん。けど見てると4路,6路,9路,30路と相当のバスが止まるみたい。車道は交通量がかなりあって対面のJ1には渡り辛いけど。
 南に観覧車。近くに停車場所のおる緑色の自転車は──芜湖公共自行車でした。
※百度/芜湖
「将在芜湖设553个租赁站点,共投放12000辆公共自行车」

予感に怯え喰うワンタン湯


濯をしてあれこれ調べてたら遅くなった。
 1040。枠だけバス停から百度地図で調べて30路に乗る。
 九華中路をまっすぐ南行。
中国農業銀行あり。
 バス停・チュエシャン公園。……電光表示が汚れてて読めへんで。右に席を移るも,あれ?バス停の名前表示がないぞ?
 北京路との交差点。少し賑やかになったか?大潤発を視認。
 バス停・中医院。道が混雑してきた。左手東側に公園。右手には少し市場じみた通りが見える。
 微商銀行。もうこの辺のはずだけど……どうも雰囲気が薄い。左折。環城北路。道が曲がり始めた。やはり工事中が多いぞ?
 さらに右折。
「芜湖古城」と看板表示。ははあ,文化街の工事中なのか?「安徽置地 献礼江城」というのは花園(マンション)の広告っぽい。
 とにかく……1054,花街下車。

▲1056旧城!…のはずだけど

に東外街を見つける。
 ということはこの西側の工事中の道が,目指した東内街?
 どうも黒い予感がある。それに怯える格好で,ま,まずは……流行ってそうな店でまず腹ごしらえとするかねえ。
1100茆阿姨馄饨店
芥菜鮮肉大馄饨250
東外街との交差点の南東角

▲まずは朝ごはん

理的には浙江です。何が違うか?
 醤が,単純に加えてあるのではなく香りだけが付いてる。そういう感じ。日本人,特に名古屋人とかにはこっちの方が,上海より親しみ深い味覚かもしれません。
 西の工事現場から──昼休みらしきヘルメットとジャケットの群が寄せてきた。あまり柄がよさそうに見えぬ皆様,敷居をまたぐなり「大碗!」とか怒鳴っておられる。メニューで注文しろ。

どこまでも伸びる老城の古徑

▲1120老城東の交差点

あて!
 1122,突入。
「中国・長江南 一座珍若完璧的城央古城」との看板。ここをどうしようとしてるかは,大体分かった。
 北に崩れかかってる標札は──「安徽第二監獄」?文化街にする前は結構ひどい扱いの地区だったんではないかい?
 入ったその道が,そもそも直進できず。青い壁で行き止まりになってました。壁には「征収地快 注意安全」とのかすれた文字。──素早く撤去,安全に注意……。

▲1135いい家屋が取り壊し真っ最中

といって脇道もない。
 1131,ようやく一本,右折北行する道を見つける。進むと……おおっ古びた社区!
 奥まで道は続くけど,ある地点から先は抜けられない。西に壁があって,はっきり立ち入り禁止になってる。
 青壁の道まで戻る。1135。
 さっき工事員が帰っていってた北の道へ。これも工事現場で行き止まり。さっきの監獄の西らしい空気です。
 つまり,この東内街は完全に命脈が断たれてる。

工事現場のオヤジしか通らぬ都市

▲1137この道もやはり工事原場で止まってる

やおや?さっきの大碗オヤジの群れが,昼休みがおわったのかな,その壁の向こうへ入っていきますな。
 そう言えば,さっきから出会う人は全て住民には見えない。全員が工事現場のワーカーで,要するに今わしがやってるのは町歩きじゃなく工事現場に侵入してるらしい。
 生きてる町の臭いがしない。

▲芜湖市第二中学の実名入り合格大学の掲示板

饨店の交差点までもどり北行。
 1143,環城北路を左折西行。ようやくヘルメットじゃない人の流れを見ながら,北側入口を探す。
 1147,バス停・「勝利」。典型的な文革地名です。
 大きな看板。「項目施工許可公告 芜湖古城(一)期」──2018年7月付けとなってる。
 北門は見つけた。でもここも「北門浴室」より南は工事中です。
 1201,微商銀行まで来た。
 諦める。

蕪湖古城の雄大な眺め

▲1153蕪湖老城の観光センターになる建物らしい。

まりの気落ちに当時メモは全く残してないけれど──トイレを借りる名目でこの文化街中心(センター)に入ってみてます。
 たまたまトイレは二階奥。文化街が出来てないんだから客ももちろんいないベランダに,喫煙所があったから一服。そこから南が見渡せました。

▲1210観光センターから南東方向

事現場そのもの。
 老街を生かすような気配もなく,一から「復元」しようとしてるらしい。
 ここが古城域だったことは逆に明白ですけど,もう開発前に何があったのかすら窺い知れない壊し方です。

まあ素敵な歴史観光都市

▲観光センター内のレプリカ

内にあった鳥瞰レプリカ。
 完成「予想」図なのか,かつての明清の蕪湖の「再現」なのか,がまず分からないけれど,ここのスタンスからして,そのどちらともつかない「観光イメージ」っぽい。
 歴史の無駄遣いとでも言おうか,ですけどとにかくここが旧・老城に間違いはなく,それが昨年からは存在しないことは確認できました。

▲蕪湖古城付近の工事現場表示(百度百科)

──湖は,県の名前としてはBC109年に確認される。城としては,孫権が223年に鳩毛山に築いた城郭(鳩茲邑)が起源とされ,宋代には現在地に置かれた。その後は廃れていたらしいけれど,遅くとも清・順治代の1658年には修築されて商業都市として賑わい,万歴代の書「歙志」に全国の大都市の一つに数えられるに至る。
※ 百度百科/芜湖古城
※ wiki(日本語)/蕪湖市

鳩毛山焼き餃子は美味しいな,と

▲ヤケクソ食いの鍋貼!

ころでこれで帰路につくと何しに来たのか分からない。
 せめて……北門辺りで食べよう。
1214鳩毛山鍋貼400
 焼き包子かよ?自分たちでも「几个包子」とか言ってる。
 それはともかく味はやはり醤の香りが豊かです。発酵臭に巧みなのか?パクパクと一気に食べてしまった感じ。
──この時は意識してなかったけれど「鳩毛山」です。このエリアではこの古称を誇らしく使用する慣習があるんでしょか?

▲巣湖の衛星写真図 ←※捜狐/安徽巢湖是中国第五大淡水湖,传说是玉帝干的坏事

■メモ:巣州が巣湖になった物語

 ピンインはchao2hu2。「ちゃおふー」と漢字の割に音はファンキーな響きです。
 前章で南肥河が流れこむ先として何度も目にした場所。長江に繋がるラッコ型の巨大な淡水湖です。
 湖南東の丘陵が長江沿岸の平野との境,という捉え方もあるらしい。巣湖はいくつかの断層帯の交点にあって,うち最大なものは郯廬断層帯(郯廬断裂帯)。中国の東部を南北に走る中原域最大の断層で,山東半島と遼東半島を形成し,1976年の唐山地震を引き起こしてる。
 巣湖はその南端に当たります。

▲郯廬断層帯(郯廬断裂帯)の位置図
※ 江娃利「中国大陸における主な活構造帯の定量的研究、及び強震予知についての検討」第27号:日中の地震・防災研究,2008年12月

①「陷巢州 涨庐州」なる伝説──魚になって寝てる方が悪い

「陷」という漢字の字義は中日とも同じで,「陥れる」のように他人の不幸を招く意味ですけど,原義は「陥没」と同義で大地などが落ち窪む,です。
 まさにハマッてしまったのが,この湖の形成についての伝説「陷巢州 涨庐州」です。
 大まかには内陸版のアトランティス伝説です。この6語で成語になってるらしい。以下,やや長くなりますけど一般に伝わる伝承をwikiから抜きます。──なお,★は後述の捜神記との重複部,★★はさらに呉記との重複です。
※ wiki(日本語)/巣湖

東海の彼方にある竜宮には竜王が住んでいたが、その息子はにぎわう巣州の町が見たくてたまらず人の姿になって巣州へ遊びに行った。竜王の息子は疲れて路上で眠り、巨大な魚の姿に戻ってしまった。★翌朝街路の上には大きな魚が転がっており、巣州府の役人はこれをばらばらに解体してしまい、住民みんなで平らげた★。

──まあ,やむを得ない話です。道に落ちてる魚を食べちゃうのはやや衛生面で問題はあるけれど,それ以外は,魚になって寝てる方が悪い。

悲しんだ竜王は、まだ魚の肉を食べていなかった焦という一家の父と母と娘の夢の中に現れ、その肉から息子を復活させる方法を教えた。焦家がその通りにすると三日後に魚肉は小魚に代わり、竜に変わって空へと戻って行った。

──いわゆるクローン再生ですね。なぜ焦さんだけ食べなかったのかは語られず,他の伝承にも「あまりにデカいから」(神異を感じた?)みたいな理由になっててよく分からない。とにかく,日本ならこれでめでたしめでたしです。ところが……

竜王は焦家の人々の夢に再び現れ、★礼を述べるとともに息子を一度殺した悪者たちもろとも巣州を地震で滅ぼすと告げ、巣州府の前に立つ獅子の石像の★★目が赤く変わったら★★あなたたちだけでも逃げなさいと伝えた★。

──この報復の発想はなかなか中国的です。血縁者を食べるのは確かに報復に値するけど,結果的に蘇生したわけで,そこまでするか?と首をかしげる執拗さ!

焦一家はその後毎日巣州府の前にかわるがわる獅子像を見に行ったが、これを怪しんだ役人は彼らから巣州が滅ぶと聞くと大笑いして追い払い、ある日★★豚の血を獅子像の目に塗って焦一家の反応を見ようとした★★。

──ハーメルンの笛吹を連想する展開です。中国らしいのは,預言者を笑うだけでなく,積極的に攻撃しちゃうところ。バリエーションじゃなく,最古の呉記からあるパートです。

焦一家は像の目が赤くなったのを見て慌てふためき、「巣州が沈む!巣州が沈む!」と人々に告げて回った。たちまち空はかき曇り巣州の街は大地震とともに陥没して悪者たちはみな波に呑まれてしまい、★★巣州は大きな湖に変わってしまった★★。

──預言を告げられた人々の反応も書かれず,「にわかに」異変が来襲する。異変の具体は全く書かれないし,大雨や地震というのも原典にはない。「ただ何となく滅びた」ような書き方がむしろ強烈で,それを象徴する語はただ一文字「陥」なのである。

焦家のおかげで多くの人が助かったが、しかし焦家の娘は逃げることができず死んでしまい、悲しんだ焦家の母も自ら湖に身を投じた。竜王は母とその娘を哀れみ、★★湖に浮かぶ二つの島(姥山島と児山島)★★としたという。

──このパートは各伝承にある。つまり町を滅ぼした湖の浮島になぜ女神の祠があるのか,という説明です。生存者家族とこの女神の関係も多様ですけど,女神祠の存在だけは古くからあるらしく,完全な継ぎ足しパートではない。
 にしても……浦島太郎もびっくりの無茶苦茶なストーリー。バカリズムならば「ここからどういう教訓を得ろと?」などとツッコミまくるでしょね。
 でもここでは,とりあえず,「陥巣州……」説話の持つ,浦島太郎どころじゃないやるせない物悲しさを感じとって頂きたい。
 では「★」部分の原典はというと──

②-1 三国志「呉記」──亀が出血したらここは湖に沈む

 どうやらこれが一番古い記述らしい。正史にしては成立年代は不明瞭な書だけど,3世紀末と見るのが妥当な文章です。

巢,作剿字音,亦渭“焦湖"。[老/曰]老相侉侍曰:居巢昙地,昔有一巫妪,預知未然,所況吉凶,咸有征验。居巢門有石龟。巫云:“若龟出血,此地当陥為湖。"未几之同,乡邑祭祀。
有人以猪血置龟口中,巫妪見之,南走,回願其地,已陥為湖。人多頼之,力巫立庙。今湖中老姥庙是。

※ 寧业高「解析”陥巣州"与”漲芦州"链秘」安徽《志苑》奈志2012年第5期友表
①予言能力の高い巫女(巫妪)がいた。
②「巢門」に石亀がいた。この亀が出血したら「此地当陥為湖」(ここは湖になって滅びる)と巫女は予言した。
③ある人がその亀の口に豚の血を塗った。巫女は南へ逃げ,予言通りになった。
──つまり竜王やその息子や息子をたべなかった家族やらが,いわば巫女に一人称化されている格好です。報復じゃないから,巣州は,あえて言えば①巫女の言を信じず,②亀の口に豚血を入れた,この二つの悪事によって滅びたことになり,益々理不尽です。

②-2 搜神记/卷二十「龙儿救姥」──突然「僕は竜の子」と言い出す童子

 一般に流布してるのはこの書のストーリーらしい。4世紀,東晋・干宝の著とされる民間怪奇説話集(→wiki/搜神记)。

古巢,一日江水暴涨,寻复故道。港有巨鱼,重万斤,三日乃死。合郡皆食之,一老姥独不食。忽有老叟曰:“此吾子也,不幸罹此祸。汝独不食,吾厚报汝。若东门石龟目赤,城当陷。”姥日往视。有稚子讶之,姥以实告。稚子欺之,以朱傅龟目。姥见,急出城。有青衣童子曰:“吾龙之子。”乃引姥登山,而城陷为湖。

※ 搜神记/卷二十「龙儿救姥」
※※上記参照 凤凰网/安徽频道/“陷巢州”传说略考

──これもなかなか興味深い。呉記との違いを列挙してみます。
[~①]「一日江水暴涨」:呉記にはない,長江が大増水した記述から始まってます。
[~①]「港有巨鱼,重万斤,三日乃死。合郡皆食之」:魚を食べたから滅んだ,という原因が追加されてます。
[①]「一老姥独不食。忽有老叟曰:“此吾子也……”」:主人公たる「老姥」(老婆),加害者たる「老叟」(老人・通常は男)と魚の正体「吾子」が分化してる。結果的に湖の社に祀られるのは主人公になってます。
[①~②]「汝独不食,吾厚报汝。」:主人公=祭神がその他の巣州人と差別化され,恩返しされた理由が初めて記されます。
[②]「若东门石龟目赤,城当陷。」:亀が生物ではなく石像に変わってます。それとともに,出血の赤が目の彩飾の赤に転じてる。
[②~③]「有稚子讶之,姥以实告。稚子欺之,以朱傅龟目。」:主人公が忠告したのは我が子で,この子が亀の目を赤く塗る役になってる。町の一般人は登場しない。我が子すら信じてくれず,むしろ主人公を欺いて災厄の直接原因になってしまったという,とことん救いのない話になってます。
[②~③]「有青衣童子曰:“吾龙之子。”乃引姥登山」:突然,青い衣の童子が登場,「僕は竜の子だよ」と老婆の手を引き山へ登って助かった,という結末。目を赤く塗った実子はどこへ行ったのか,竜の子は誰やねんとか,色々ツッコミどころ満載で益々滅茶苦茶な破局説話になってます。
──現代の口承に至るも,結局何が巣州及び巣州人を「陥」れたのか,直接の異変の正体は語られない。ただ,間接の原因(魚を食べた,亀を赤く塗った)の記述が重ね塗りされてもっともらしくなっていく傾向が窺えます。
 それと,長江増水→大魚→亀→竜と水への畏敬又は恐怖のイメージが連続していきます。呉記よりもそれはさらにダブルイメージになり,増幅してる。
 最後に,災厄後の湖の島に神が祀られた。その神の正体と災厄との関係は,物語の形成期には全く分からず,物語の変遷を経て何とか合理的に位置付けようとする努力を感じます。
──どうでしょう?訳わかんないでしょ?物語のイメージする核が,物凄くボヤけてる。なのに,途方もなく物悲しい。でいきなり「陷为湖」で終わる。何じゃそりゃ?である。

②-3(柳田国男「島の人生」)下甑島での話

 後に知ったのが,鹿児島県甑島に伝わるこの話。なぜこんな飛び地に類似伝説が残るのか,全くわかりません。海民伝承の類型の一つなのでしょうか?

唐国の万里島に金剛力士の石像があって,その顔色が赤く変わるとき島は滅ぶと伝えられていた。ある男がこれを知りつつ力士の顔を赤く塗ったところ,たちまち山岳鳴動して島が海中に沈み,住民はことごとく溺死した。その石像が薩摩の野間の岬に漂着して,そこで永く崇信されたと。しかし,この話は既に野間では伝承されていない。[坊津町郷土誌編纂委員会「坊津町郷土誌上巻」昭44,坊津町]

③「陷巢州」文化研究会??

──というのが2016年,つい数年前に立ち上がってます。ムー大陸やアトランティス伝説と同じく,巣州の実在が考古学的裏付けを得つつあるからです。
 それは今世紀初頭,巣湖の渇水期の調査に端を発してるらしい。

2002年的枯水季,考古人员开始了对巢湖北岸的发掘,经过一番精密、仔细地考察和发掘,一座文明古城的遗址出现在巢湖北岸一带。

──巣湖北岸,ということは丁度この時にスーパー硬座で通った辺りらしい。遺跡が発見されたのである。

既然水底有这样一个庞大的古城遗址,那么当地老百姓不可能毫不知情。谨慎的考古人员又开始走‘访当地居民,发现很多百姓家中都有从湖边捡来的文物,且数量竟然多达260多件。
在这些文物中,最早的是新石器时代的玉斧,最晚的是东汉王莽时期的钱币。其中光是铜钱的品种就有蚁鼻钱、秦半两、汉半两、汉五铢以及东汉王莽时的大布黄千、大泉五十。

※ 网络榜/民间一直传说“陷巢州,长庐州”.近年来,人们在巢湖湖底发现大量古遗迹,证明这个传说是有可能的,即巢 2020-05
──発掘については上記サイトその他に専門的記述があるけれど,それよりも。土地の住民が既にコレクションとしてたくさんの……上記サイトによると260点の文物が再発見され,それは新石器時代から王莽期に渡るものだったという。
 一応これを事実とすると,「陥巣州……」は後漢代以降だったことになる。さらに,呉記が記述しているのだから,三国時代より前,つまり1~2世紀に時代が絞られます。
 なお,これに先立つ1985年には巣州東岸で華夏時代の遺跡が発見。トーテム崇拝の非中原的な文物が発掘されてます。
※ 人民中国/凌家灘 五千年の時を経た地下博物館
 そして2016年──

在巢湖市政协、文化部门、中垾镇的积极支持下,由企业实体推动的“陷巢洲·焦姥文化园”项目已经应运而生,3月6日,焦姥·“陷巢州”文化研究会将举行成立大会,同时举行首届学术研讨会,并举行12米高汉白玉焦姥女神像奠基大会,今年清明正式落成。

※ 捜狐/巢湖要复活1700年前“陷巢州”历史 2016
──高さ12m白玉製の「焦姥女神像」を建てるのは止めろ,と言いたいけれど,とにかく巢湖市政府の肝いりで大々的に文化再発見の動きが発動されてます。
 お祭りと観光化以外にも,ひょっとしたら新しい発見がそのうち出てくるかもしれませんけど,ここではそれは当面あてにせず,もう少し「何が起こったのか?」を考えてみます。

④ 成語後段「……涨庐州」について

 最初に触れたように,この物語は「陷巢州 涨庐州」という六字の成語で伝えられてる。
 前章までで触れたように,「庐州」とは合肥の古称です。そして「涨」は水面が盛り上がること。前章の合肥城の4回の移転のうち,3回目の環境変化の段で引用した「水経注」に同じ「涨」の表現が出てます。

北魏郦道元《水经注》云:夏水暴涨,施(今南淝河)合于肥(今东淝河),故曰合肥。这是一种说法。

※ 再掲:百度知道/合肥地名的由来
※※ Phaze:東菜市でお買物/■レポ:四つの合肥城とその浮沈/③ 肥河の水利と円環の連結

 合肥の第三次城域移転と唐城建設は,三国時代の第二次城域の後ですから,「陥巣州」の2~3百年後でしょう。
 けれど「陥巣州」がイメージする,訳の分からない都市の水没と水への恐怖,得体の知れない残土島の神,そしてそれらを何とか理解しようと続けられたらしい努力から逆算すると……。
 巢州から庐州,つまり合肥から巣湖までの陸域は,紀元後数世紀に渡ってじわじわと水位を上げていったのではないでしょうか。
 例えば巣州を南端とする郯廬断層帯が破局的な地殻変動をもたらしたとすれば,1~2世紀ならば何かの記録に残ったはずですし,「陥巣州」の物語にももっと明瞭に異変の光景が描かれたでしょう。何よりこの物語が執拗に問いかけ続けるような「異変の原因探し」は行われなかったでしょう。
 その原因は,水経注が語るような夏水の増水だったのかどうかは特定できない。ただ徐州が黄河南遷に喘いだように,この淮水域は簡単に河川経路が変転する地域です。
 その得体の知れない増水は,南肥河に満ち,合肥域を水浸しにしながら,まずその下流,断層により沈下していた巣州域に溜まり湖を造った。──それは町の住民から見ると,さしたる天変地異もないのに都市が「陥没」したように見えた。
 さらに数百年,じわじわと水位を上げて合肥域にも水が「涨」った。──より高度の高い土地へ移転した合肥の町からはそう見えたでしょう。
「陷巢州 涨庐州」は「巣州は沈んだのに庐州は盛り上がった」という逆方向の対比表現で書かれてますけど,水位上昇として捉えると同じ出来事です。ただ,巣州は沈み,合肥は高所へ移った。町の変遷のベクトルが後世から見ると逆の動きになっただけです。
 今でも十分理解不能ですけど……当時はもっと,根元的に意味不明な滅びだったはずです。「陥巣州」物語の独特の物悲しさは,「訳の分からない滅び」とそれに対する必死の理解,という双方向のベクトルを基調にしているように思えます。
 レヴィナスの他者論に似た問いかけです。──「他者は理解されえない、言い換えれば包括されることが不可能なものである」