/※5501’※/Range(上海).Activate Category:上海謀略編 Phaze:南翔野菜小龍

この日の夕食ヘジャンククを食べたのは24時前。9ポイント+@の激しい最終日の上海となりました。
[前日日計]
支出1500/収入1470
     /負債 30
[前日累計]
     /負債 428
§
→五月六日(一)
0806南翔饅頭店
伝統鮮肉小龍
野菜小龍
茉莉白毫370
1130庄屋街馄饨店
荠菜鮮肉大馄饨(小碗)250
1400よもぎもち250
1502筷将軍
でか肉団子
卵と切り干し大根みたいなのの炒め
セロリ,パプリカと小エビの水煮
白米飯550
2322ウエンタンカムジャタン
ベクヘジャンクク400
[前日日計]
支出1500/収入1820
負債 320/
[前日累計]
     /負債 108
§
→五月七日(二)


~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)
第一ポイント[B]南王医馬弄 合兴会
第二ポイント[C]南翔饅頭店豫園店

I♥️SH&Crystal Liu

亦菲はやはり美しいぞ。
 人民百貨の看板はなぜか見る度に,この人の別の広告になってます。
 0715,南京東路から歩き始める。1500リミットとして残り時間は7時間45分。

▲朝0724の南京東路

大成に時令大青粗[米団](今が旬!ヨモギ餅……というニュアンス)が出てた。これ買って帰りたいけど朝イチではなあ。それにリュックの容量がなあ。
 ここに朝飯コーナーが出来てる。今ガラガラ!チャンスだけどあえてスルー。ターゲット近辺に食堂があるかもしれんのだ。
 Giordanoの「I♥️SH」がその対面にででんと掲げられとる。
 TISSOTの広告も派手派手です。

▲0720「I♥️SH」

朝ご飯 食わぬと生きれぬ生物だ

わったなあ,やっぱりかなり。
 広告が覇を競ってる感じ。でも香港の路線と少し違ってきてる気がする。露出度だけでなくセンスを競ってる風になってきた,と思う。
 そこでも,その前でやっぱり太極拳やってるってのは上海だなあ。

▲0725南京東路も朝は太極拳

てさて,本日のヴィジョンです。
 上海の時間をやや無理に確保したのは,百度地図の航空写真で新たにXを狙える可能性が出て来たからです。実際,歩き飽きた気がしてた上海の円環の老城内をくまなく航空写真で見ていくと,未踏のドット状エリアがかなりある。
 その中から厳選してノミネートしたのが──この9箇所である!

~(m–)m 本日の9ポイント m(–m)~
1□ 合興坊:GM.
2□ 南翔饅頭店:GM.
3□ 沛国里:GM.
4□ 鳴波浴室:GM.
5□ 嘉草网咖:GM.
6□ 薬王廟遺址:GM.
7□ 安徽阜陽麦香円饅頭:GM.
8□ 花夢煙雑店GM.
9□ 孔家弄:GM.

翔が入っとるんかい!
……とはツッコまないで,そこはまあ,人間は朝ご飯を食べないと生きていけない生物だから。それに復活したあの店の,朝の穴場時間はやはり捨てがたくて。
 いや,それはともかくじゃ!残りは我がX鑑定眼(何だそれは?)がこれぞと睨んだ8箇所である。
──いや,結果的に少し,というか見方によって,というか半分以上は空振りだったんだけどね。
 でもとにかく,この最終日8時間はこれらを歩き尽くす気でおりました。奇しくも老城内に円環を描く形で並んだこのポイントを,仏教的な観点から時計周りで歩きます。
 では参らん!

心機一転,上海老街に震える


京東路站から地下鉄10号で一駅,豫園。0735。
 忘れてた,この駅は,10号の乗り場が結構遠いんだった…。
 0741。1号出口から出て河南南路を南行。前回折れた呉家弄も過ぎる。あれ?ここ工事中なの?バス停「河南南路複祐路」の東側辺り。
 けれどその南の道・紫華路はまだ無事でした。左折東行。初めての道です。

▲0748紫華路。右手の,ひび割れに増築したような赤の家屋が印象的。

字。0749,右折して侯家路へ。
 この二本の道は上海老街ではよくある光景。でもよそからすると,特に蕪湖で老街を求めてなかなか得られなかった後の眼には,やはりなかなかの感動です。

▲0749侯家路。何気に騎楼です。

第1ポイント:福建軍馬医・王医馬の合兴会

面二本南の南王医馬弄に左折東行して入る。
──このエリアには「王医馬」名の路地が4本交差してる(南北にただの王医馬,東西に北・中・南名の道)。
 上海老城の路地名の3パターン,家名と官職名,他と同じ文革命名のいずれとも思えない。
 これは人名でした。
 馬乳を初めて普及させた清代福建出身の軍馬医で王医馬と呼ばれた,本名不詳の名医が医院を開業してた場所だという。
 阿片戦争で戦死し,愛国英雄とされるけれど,どうやらそれ以前から上海老城人に名士扱いされてたようです。
※ 新浪博客/上海老城厢王医马弄的史迹传说_王重阳

▲0752南王医馬弄の細い路地。両脇の小さな下水路が古さを物語る。

海老酸奶というのを売ってる店が目立つ,とたまたまメモしてる。これは馬乳ではないから,穿って考え過ぎかもしれないけれど,ローカルな感覚としては共通する由縁かもしれません。
 第一ポイント「合兴会」はまさに取り壊し寸前。
──ただ,ここにあった「合兴会」という建物も,王医馬の支店。4本の同名を冠する道にもそれぞれ医院があった(あるいはある)という。医院名として仁辅里,营福坊,敦俭里が前掲サイトにありました。

▲0754第一ポイント脇まで来てた工事現場の青い塀

第2ポイント:豫園南翔

園に入る。0756。
 建物群内部はいつも迷う。でも感覚でたどり着く。第二ポイント。
0806南翔饅頭店
伝統鮮肉小龍
野菜小龍
茉莉白毫370

▲0816南翔でお茶

ューオープンしてた。それも丁度8時から開店。
 とりあえずトイレを借りると3階にしかないというから結果ざっと建物を見れた。完全に新しくなって陝西南路と同じ感じになってしまってる。
 食後の代金は微信で払った。値段は香港の陸羽並です。給仕の娘さんも太極拳やってそうな真っ白な中国服。
 さてブツの話です。茶は流石に絶品。白茶が欲しいけど上海では辛いでしょう。
 しかし白毫です。染みます。

▲そして小龍!

街頭の菜包が小龍に

っぱりここは鮮肉だと思う。豚肉の餡がきれいにまとまってて,決して暴走せずに,旨味が灯のように点って消えていく。
 基本は湯包だから,肉汁の溢れ方も厳か。暴力的な飛び出方は決してしない。老舗の流石!と言わせる抑制がかっちり効いてる。
 もう一つの野菜の方,これは最近の作だろうか,意外な旨さでした。韮とシェンツァイと白菜だと思うのですけど,ここから汁が溢れる感覚があまり湯包にはないものだと思う。
 それとこの──

▲野菜小龍どアップ

り!山芋でもないから,野菜の中の何か知らないものなんだと思う。これが蕩けるような食感に繋がってる。
 野菜の臭みのような個性は,同じくコントロールされてあまり感じない。じわりと染みるような野菜の軽い蒸し物。街頭の菜包でよくある味を,こういう形で洗練させる方向性も面白い。健康志向か新奇の流行かはともかく,現代の上海的な動きに思えます。
 白毫の,五煎目位から際立ってくる渋味,それを口に留めつつ退出。

に南翔階下は白人だらけ。ここは朝駆けが必須です。
 少しだけ豫園の東門から安仁路に出るゲートを探しみたけれど,やはりない。一度外から入る人を見かけたんだけど……。
 やはり南から出て第三ポイントを目指す。

~(m–)m 本日の9ポイント m(–m)~
1■ 合興坊:GM.
2■ 南翔饅頭店:GM.
3□ 沛国里:GM.
4□ 鳴波浴室:GM.
5□ 嘉草网咖:GM.
6□ 薬王廟遺址:GM.
7□ 安徽阜陽麦香円饅頭:GM.
8□ 花夢煙雑店GM.
9□ 孔家弄:GM.

■資料集:呉語「嗲」(「底」「刁」)「作」そして「鮮」

 当たり前だけど,今回はマイナー都市巡りだったから土産らしいものに恵まれなかった。なので,この豫園周りで定番の「上海女人」クリームを購入してみた。
 この商品をググると観光客のキャピキャピコメントが予想以上に猛烈にヒットする。だからこのお手頃な商品は豫園に溢れてるんだな,と納得する中,変な中国語の記事を見つけた。
 钱乃荣という特に呉方言研究で名高い言語学者が「上海闲话」に記した「看上海女人」が底本になってるらしい。
 結論から言って,ワシには見当もつかない話ばかりでした。でも,この件の不思議さだけでもご紹介できればと思います。
 あと,あまり品の良くないサブカルチャー系の分野の話です。原理主義的にジェンダーな方は不快感をお持ちになるかもしれないのでご遠慮ください。

① 上海女人は「嗲」を発する

它原来的意思,有人说是“故作忸怩之态,娇滴滴”;也有人说是“形容撒娇时的声音或姿态”。如:“伊讲起言话来嗲声嗲气。”有的妹妹不撒娇也有天生的“嗲劲”的。

※看懂新聞/看懂上海 2017/上海女人的“嗲”和“作”
※「本文节选自:钱乃荣《从“上海闲话”,看上海女人》部分图片来自网络」

──「嗲」の本来の意味は,曰く「しとしととしたなまめかしさで,忸怩たる状態にする」,また曰く「嬌を振り撒く声や姿態の形容」。例えば
「伊讲起言话来嗲声嗲气」──伊は甘えた声色で話し始めた。
「有的妹妹不撒娇也有天生的“嗲劲”的。」──女の子の一部は媚びを撒かずとも天性の「嗲劲」を持っている。
 分かったようで分からない。日本語の「粋」(九鬼周造『『いき』の構造』)をもう少し官能的にした感じでしょうか。

上海姑娘的“嗲”包含着“可爱、俏丽、伶俐、素养、台型、时髦、摩登、浪漫、迷人、小资”种种元素,从说话的声音、站立的姿态、交际的灵动都会散发出来,令人感动。[看懂新聞]

──「可愛い」「怜悧」「人(男)を迷わす」「令人の感動」などなど様々な意味を含む。
 というわけで,上海女人の発する「嗲」の正体は謎である。ただそのようなものを発するらしい,ということで良いのである。問題は,この言葉はどんな類いの文化なのか,ということである。

②「嗲」dia3≒dear「親愛なる」:英語起源説

「嗲」のピンインはdia3です。この音から直感的に想像されるとおり,かつては英語由来説が割と信じられてたらしい。

据报道,“嗲”字本来来源于英文单词“dear(亲爱的,可爱的)”,主要用于形容女子和小孩撒娇的声音或态度。

※ 百度百科/嗲娘
 女子供の様子に関わる共通性と音の類似から,英語の「dear」(親愛なる)を語源とする外来語だとされたのです。
 その位,それは話者本人たちにも意識されない,空気のようなものだったわけです。
 けれど,言語学という学問は史料が無定量なこともあって,いい加減な理論を許しません。英語起源説はほどなく否定されます。

“嗲”在其他地方的方言中也有撒娇的意思,如江苏南通的土话,这对于嗲的来历是否为DEAR就有一些争议了,因为南通历史上和南面的上海不通(苏通大桥建了才通的),是古代的犯人流放地,语言和古汉语很接近,不会去赶什么时髦。另外,南通话中的爷爷读的是“diao diao”,是轻声,而不是“嗲嗲”。南通海门话里用“diadia”的轻声表示“爸爸”,也不是“嗲嗲”。[前掲百度百科]

 決定的だったのは南通の土着方言に「嗲」用法があったことでした。応用表現として「爷爷」(お爺さん)を「diao diao」(イントネーションは軽声)と読む。まあ南通の海門地区では爸爸(父)を「diadia」(同軽声)と読む(いずれも「嗲嗲」とは書かない)。
 なぜそれが英語説を否定するかというと,南通エリアは現代になって蘇通大橋が架かるまで上海サイドとは不通だった。(知らなかったけど……)南通は古代から犯罪者の流刑地で,そのために言語が古漢語のまま残っており,そこに英語が入ったとは考えられないからです。
「嗲」用法が古漢語に由来することが意識されると,他地域の類似用法が次々に指摘されていく。

合肥人日常生活中,也说“嗲”这个字,所表述的意思更加泛化:一 表示漂亮:例 1你这件事办得真嗲(漂亮)。 2 指穿着艳丽、好看。就可以说:“你这身打扮够嗲的”。[前掲百度百科]

──合肥人は日常生活でやはり「嗲」字を使う。ただし表現の語義は更に広い。
1)「漂亮」(綺麗だ):例「你这件事办得真嗲」(あなたはこの事件について潔白です)
2)「好看」(見ばえが綺麗): 例「你这身打扮够嗲的」(あなたは化粧をして十分綺麗です)
 こうして,「嗲」が呉方言(呉語)の独自性を代表する語であることが認識されていきます。

“嗲”是吴方言区最具代表性的词,由它衍生出的词汇独具特色。如上海和无锡方言中的“嗲声嗲气”、“嗲得很”、“侬嗲啥”,常州方言中的“做嗲”、“就嗲”、“嗲个”、“嗲事体”……[前掲百度百科]

 絶句。上海の用例,「嗲声嗲气」(甘えた声色),常州の「做嗲」(何をしてる),「嗲个」(いくつ?)くらいしか分からん。「嗲事体」は何事だ?という感じか?
 と……とにかく,呉語中に用例が多数見つかったことで,今通説的になってるのはここまでみたい。

在“嗲”的起源方面,学术界没有统一的定论,有人认为它源于苏州,有人认为它源于上海,更多的人则认为它源于常州。在这里笔者支持大多数人的观点,认为它源于常州。而常州话中的“嗲”最多的意思就是表示“什么”,与北方话中的“啥”意思相近。[前掲百度百科]

──「嗲」起源問題について学界の統一見解はまだない。ある者は蘇州,ある者は上海起源とするけれど,最も支持されるのは常州起源説である。常州話法中「嗲」のメジャーな語義は「什么」(何?)で,北方話法中の「啥」の語義に類似する。
 ただ,素人考えですけど──英語の「What」並びでシンプルな語に議論を単純化すると楽だろうけど,上海の訳の分からない語義は説明不能になる。訳の分からない方が,普通は古く,先祖なのではないか?
 この「訳の分からなさ」をもう少し挙げてみます。

③「嗲」語義の魑魅魍魎性

 以下は「吴语协会」と称する自語として呉語を自認する団体のもの。

“嗲”是不是褒义词?不完全是。试着去说一个姑娘“嗲”,看她有什么反应。多半会白你一眼,或者“骂”你一两句。因为,当面说人“嗲”,有调侃的意味。背后说一个姑娘“嗲”,也多少有点不以为然的意思。
称小姑娘“嗲妹妹”,她也不肯欣然笑纳的。称一个男青年“嗲妹妹”,更是有嘲笑的意味。

※ 吴语协会 Wu Chinese Society/上海话里的“嗲”
──「嗲」は褒め言葉だろうか。いやそうとは言い難い。試みにある女性に「嗲」を使って話してみるとよい。彼女がどういう反応をするか?大抵はあなたをの言葉に白目をむき,ある娘はあなたを呪うでしょう。おおよそ,他人に「嗲」を使うと,それは「调侃」(バカにする)意味になります。言い替えるとある女性に「嗲」を使うのは,幾分なりとも納得し難い意味になります。
──年下の女性に「嗲妹妹」と呼ぶと彼女は笑みを凍らせるでしょうし,男性に対し使うと嘲笑する意味になります。
 使い方の難しい,微妙な語義なのです。ある種,日本語的です。
 それと,次は民間歌謡からの研究らしい。そもそもこの「嗲」字自体が当て字と推測される。つまり,意味と音の方が先にあった,漢字以前の語義です。

冯沅君在《吴歌声中几个字》中写到“底”,“不独可以作为疑问形容词,也可作疑问代名词,吴声歌中的‘底’大都属于后者”。顾颉刚《吴歌·吴歌小史》里收集的常州民歌里《嘭嘭嘭》唱:“嘭嘭嘭,做刁得?磨竹刃;做刁得?劈蔑蔑。做刁得?箍蒸笼。做刁得?做花花团子。做刁得?娘家去。娘家那块?娘家天上……”,此处“刁”与“底”所指相同,也表明表示疑问的代词“底”在常州话里读音接近“刁”,现在通常写为了“嗲”。[前掲百度百科]

 民間冯沅君「吴歌声中几个字」では,音の近い「底」字が使われる。
 常州の歌謡「嘭嘭嘭」では「刁」字がそれと推測されてる。
 中国語の分かる人は上記太字部をもう一度見てほしい。漢字で書かれているのに,まるで中国語ではないような異様さ。
「嗲」字は,こうした純・呉語圏の語義なのです。

④ 呉語「作」そして「鮮」

「嗲」字について調べていると,他の語義にも接触することになりました。
 当然です。呉語が単なる中国語の亜流たる方言でなく,一個の言語体系ならば,一単語であるはずがない。
 一つは「嗲」と並び上海女人の独自性とされる「作」です。ですが……これは本当に意味が分からない。
 ただ,中国語ではかなり初期レベルの「作」という漢字の字義を,中日辞書でよく見るとちゃんと末尾辺りに「装う」等の項があるはずです。
 読み方によっては恐ろしいこんな解説があります。

“嗲”和“作”是上海女人的两大特色。“嗲妹妹”的“反面”就是“作女”。“作”是女子折腾男人使男人颇为难的武器[看懂新聞]

──「嗲」と「作」は上海女人の二大特色である。「嗲妹妹」の「反面」こそが「作女」である。「作」は女が男を振り回し,男を使うための相当に難しい武器である。
「嗲」が男性の能動を誘う他発的な運動とすれば,「作」は自発的な攻撃,というようなことを言ってるらしい。
 まあ男女の駆け引きはさておき,その文化的な面ですけれど──

“作”,也是一个典型的上海方言特征词。它的写法是代用的,并没有早期北方话书面语上的出典。[看懂新聞]

──「作」もまた典型的な上海方言の特徴たる語である。その書き方(漢字)は代用的なもので,初期の北方の話し言葉にはなかったものである。
 おそらく,こういう頻度の低い語彙として現代中国語の一部になっている呉語は相当数あるのだと推定されます。
 はっきり言われているもう一つの語に,「中国」独自の味覚概念として紹介されることの多い「鮮」です。──この日の南翔で頂いた「鮮肉小龍」の「鮮」。

上海人说食物的味道有个“鲜”字,这也是市民阶层中追求享乐细腻化而在吴语中产生作常用词流行的,原来在普通话里也没有相应的词。[看懂新聞]

──呉語の常用詞が全国に流行して,今や中国語の単語になってしまっているけれど,元々の普通語には同じくなかった言葉である。

この「鲜(xiān)」の表現、ここでは「新鮮」ではなく、魚自体の味について意味を表しています。
本当の意味は「素材自体の旨味がよい」そんな表現になります。
肉や魚など、素材の旨味が引き立っている場合、また素材本来の味を活かした料理などを食べた際に、「很鲜的(hěn xiān de)とっても素材の味が活きているね。旨味が引き立っているね」
そんな感じで使われる一言です。

※ 今すぐ!中国語/意外と知らない。味覚の表現方法。素材本来の旨味【鲜】
 つまり,日本語の「うまみ」にかなり近い。
 第五の味覚の「発見」とされ,日本人の十大発明にも数えられることのあるコレは,呉語圏からの伝来に日本文化のルーツがあることを考えると,実は「再発見」だったのかもしれません。
 ではその呉語は,最新の見解ではどう捉えられているのだろうか。

⑤ 呉語圏幻視

吴方言,又称吴语、吴越语、江南话、江浙话、浙江话,属于汉藏语系汉语族。它是中国境内最古老的语言,其形成的历史可以追溯到春秋战国时代,距今已有约2600多年的时间。[前掲百度百科]

──(前半略)中国国内で最も古い言語である。その形成の歴史は春秋戦国時代に遡り,すなわち今から2600年余を経ている。
 これは言語学的にもそれに近い見方らしい。

宋の時代にはすでに体系化していたため、それより早期に誕生したといわれる。

言葉と文の成り立ちから考えれば、呉語こそが古代漢語の正統な継承言語と言えるかもしれない。呉語には、古代語の音が多く残っている。しかしながら、現在の呉語は体系的にまとまっているとは言い難く、内部で細分化が進み、それぞれの差異化が進んでいる。

※ 令和漢語センター/中国語の七大方言
 ここで言う「古代語」は他の専門文献では「中古漢語」と呼ばれるのは──

中国音韻学上、南北朝時代後期から、隋・唐・五代・宋初にかけて使用された中国語の音韻体系。南北朝後期、隋から唐代初期の中古音を前期中古音、唐代中期から五代・宋にかけての中古音を後期中古音に分ける。中古音で重要なのは前期中古音なので、その中心となる時代から隋唐音と呼ばれることもある。

※ wiki/中古音
 紀元前とかじゃなく割と新しいのです。では随唐の中国語がなぜ中古漢語として現代中国語と差別化されるかと言えば,宋の次の時代から元・清の巨大な北方民族の支配を経ているからです。
 例えば,現代中国語に対する呉語の音韻学上の大きな特色は,現代中国人が最も不得意な濁音が存在することらしい。濁音は中古漢語には存在した。
※ wiki/呉語
 なお,随唐も厳密には異民族王朝です。この時代の中国語を中古と呼ぶのは,漢代以前の上古漢語と差別化するためです。
 米国占領下及び属国下での日本語や韓国語と,同様どころかもっと巨大なスケールで,中国語も随唐300年と元清350年の被支配の時代を経ています。
 その上でなお古代の痕跡を留め続ける「嗲」を含む呉語の生命力に,改めて驚くのです。

「/※5501’※/Range(上海).Activate Category:上海謀略編 Phaze:南翔野菜小龍」への4件のフィードバック

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