m031m第三波m闽星の毛虫に突かるる倭虫かなm大路街

南の中洲の城門?

門兜まで2号で一駅,0751,1号に乗換えて終点・福州火車南站まで12駅。
 終点4つ前に城門という駅があった。なぜここに「城」がある?
──地下鉄会社の解説では,3C末に城門建設が提案されたことがあって,地名がそうなったけれど結局造られなかった,という。

西晋太康年间(公元280—289年),尚书郎郭璞为晋安郡太守严高择址建福州城时,拟设城门于此。虽然他的建议最终未被采纳,但“城门”的名称却保留至今。[1]

※ 維基百科/城门站 (福州) [1]地铁1号线 9站名起底-搜狐.mt.sohu.com. [2016-09-09].
 史料も危ういし年代も古い。伝えはそうでも,この中洲に本当に何者かの城があったのかもしれません。

▲福州南東中洲と「城門」鎮の位置

莆田は広い 蒲田くんは強い

822,南站到着。南門兜から所要30分。
 ちょっと早い。进站前の一服に屋外へ出ると──ホントに雨が振りだしました!凄いぞ万寿橋の小姐!じゃなくてもうちょっとだけ持ってくれよ,空。ただもう止みかけてます。勢い水ならば好いけれど……。
 さて本日の票読みです。
「福州南站 D3337 莆田站
Fuzhounan → Putian
2019年09月15日09:55開 02车16C号
¥30.0元 折 二等座
限乗当日当次车」
 終点は深圳北,東海岸を6百kmほど突っ走る新幹線です。

▲シンゴジラの第二形態・通称「蒲田くん」の人気は根強い。──いやだから漢字違うって。

田の予定,というより目標行動範囲は,広い。
 まず火車站から老城は北西へ約10km。23路が結び,沖縄X視点からは中心部にかなりいい町並みがありそう。
 媽祖生誕地とされる湄洲岛(Meizhou-dao。莆仙语:Bí-ciu-dô̤)の対岸船着場の文甲码頭までは南東に30km。362路が往き来してるけど汽車站以外の老城を必ずしも通らない。
 ということで昨夜は大変に迷った。──どこに泊まればいいのか?
 でもとにかく,交通の要地に宿を置かないと辛そうです。結局,考えついた方法は,老城から2kmほどの汽車站そばに宿を確保すること。J1ですけど,自信がないから一泊だけ入れてます。
 明後日17日の泉州離脱は今日と同じ9時を目処にしよう。そうすると莆田は2日弱の滞在になります。
▲蒲田くんでケチャップノズルを造った人がいるらしい(youtube)。いや大したものである。

車するとすぐに,切通を抜けトンネルへ。
 右手西方は丘が見えてる。トンネルの間に河。福州のあった北側の河原の西の端にあたるらしい。
 莆田は次の駅。そうか,こんなに近いなら硬座という手もあったか。
 トンネルを5つほど連続して抜けながら,スピードを増す。
 洗剤を通路に撒きながらモップがけのおばちゃん。いつも思うけど……なぜ今掃除する?
 1004,左手東側から山並みが迫ってきた。またトンネルに入る。抜けると西側に高層ビルが連なった後,これが東に移り,落ち着いた町が続くようになる。その向こうには穏やかだけどまた山並み。それが,東からのと行く手で交わっている。
 そこからは山また山になった。その合間,小さな村が連なって現れる。
 1018,平地の町になった。ビルは一部にしか見えない。
 でも……えっここなの?1024,莆田到着。何というか,広々とした町域らしい。
編開幕栞

~~~~~(m–)m莆田編~~~~~(m–)m



凡例 :福建省莆田市

やはりあるのだ 炝肉は!

▲駅前赤服軍団

青団(中国共産主義青年団)莆田学院委員会という赤Tシャツの集団が,莆田駅前ではという奉仕活動中でした。
 いや感心感心。習近平が嫌ってるとはいえ,まだまだこの組織は政治エリートの母胎です。いや結構結構。
 それはともかく,バス路線,特に今回基幹となるのをチェックする。
23路:火車站→文献歩行街
36,201,382路:火車站→市公交東站(莆田汽車站)
362路:莆田汽車站→文甲码頭

▲莆田市火車站-老城-湄洲位置図

045,バスに乗車。201路にした。5元。市公交東站下車でいいはず。
 莆田駅周辺は全然空き地。道は駅前の五塘路から左折北行。左手にとんがり山。
 莆兴路。キレイなビル街になった。
 目の細い顔が目立つ。
 右折?霞美路。左手に岩山。採石場多数。方向は東南。T字だけどどっち?あ,左折北西行です。
 三叉路を左へ。もう結構町になってきた。
 1057,バス停「六一路口」。どうも路面が悪く,かなり揺れる。
 新幹線高架下をくぐる。
 道は右に曲がる。ほぼ北行。バス停黄石工芸城。
 道は荔港大道に入った。片側三車線。行く手に「市区」との表示。上の高架は高速か?
 1103,左折。また道の名が書いてない。
 右折。百度地図では天妃路です。だらだらとした町が続く。
 道は良くなった。けれど路上駐車が物凄くて通れる幅はほぼ片側一車線。
 店に「炝肉」の文字。やはりあるのだ!
 1108,小さな川を渡る。新度村と表示。
 1112,東坝村。よし大きな川を渡った。岳公大橋。もうすぐです。左手にモール。右折。荔園南路。
 市公交東站下車。1120。

▲1221莆田汽車站。ここの正式名称が「市公交東站」ということではなく,市内中心に前者と市外中心の後者が合体した施設らしい。

85℃ スタバ 蒲田くん

129。
 J1カウンター前で待ってる。目の前は工事中でズタズタだけど場所はいい。対面がすぐBT。さっきのバス停もすぐで,その間には少ないけど店もある。
 連泊を決める。部屋に荷を置いて──先に湄洲観光を?とも考えたけど,文甲のバスの最終が1830となってる。南40kmの郊外です。余裕を持って明日に回すことにする。
 ということは,今日,市内の要所は押さえておきたい。さてポイントはどこだろう?
 日本のタバコを吸い終える。

▲1223。21路のバス路線表

205,対面,バスターミナル前へ。まず足を確認する。
 左手東側が莆田汽車站,右手西側が市公交東站らしい。福州と泉州,どちらもの空港へリムジンが出てる。
 文甲行の始発は0618。直達は「暫時」とあって窓口は閉まってる。時刻は分からんけど泉州直達というのもあるようです。
 1223。21路と303路が歩行街へ行くようです。バス停名は市公交東站。
 一票制1元(夏2元)とある。季節で違うのか?
 この先のBT前でどんどんバスがUターンしてくぞ?どっち向きのに乗ればいいんだ?──いや,どうやら北側から乗るようです。

▲蒲田くん。なお,第二形態以降を「蒲田くん→品川くん→鎌倉さん」と呼ぶ。……だから蒲田じゃないって!

229。結局2元らしい。21路で西行。バスのエアコンが涼しい…。
 宿の文献路からマンションストリートへ。
 いや?角の丸まった低層の建物が増えてきた!シンガポールのような建築です。
 八二一中街を越える。
 バス停歩行街。スタバあり。次辺りかな,降りてみよう。
 あれ右折?85℃。どうやら福州よりカフェは多い。道は北大北街。
 1236,バス停・兴化宾館で下車する。はい,申し訳ないけど全くの勘です,はい。

~(m–)m 本・次編の行程 m(–m)~
GM.(経路)
※途中はもっと複雑に歩いてるけれど経路が全く取れません。

2019年 最後の夏の坊巷

▲百度地図の航空写真。上辺の道が梅園東路。見事なドット状地区ですけど,右下の工事中表示になってるのが坊巷です。つまり,2020年現在はもうありません。

▲1238北大北街から坊巷への入口。角が丸まっています。

の辺りの路面は,微かだけれど周辺の見える範囲内で最も高く盛られてる。西安の感覚だと古い街区のはずです。
 西行かな?坊巷に入る。

莆田デイゴ・ストリート

▲1240坊巷の煉瓦造りの建物

020年現在,この坊巷は征収(再開発)地区となり,上記画像にあるとおり百度地図上は通行止めの道です。
 坊巷は,沖縄人なら琴線を震わせるであろう美しい別称を持つ。
「刺桐巷」即ちデイゴ・ストリートです。

“坊巷”古称“刺桐巷”,黄仲昭《八闽通志》称之为“刺桐花巷”。不难想象,那时因为巷道列植刺桐而得名。明弘治莆田志记为“方巷”,因有长官方廷范居此,遂以姓号巷。(略)
史载,“坊巷”为官宦名臣恋居之地,亦就是早期陈、方、林等家族入城定居的发祥地。后来还有翁、邱、宋等人家入迁。

※ 莆田文化网>莆田文史>“坊巷”思远

▲1242高層ビルの見下ろす坊巷

た「方巷」との別称も有す。地方長官だった「方廷范」がここに住んだ由緒からという。
 以来,坊巷は「官宦名臣恋居之地」,地方の有力者が住すことを恋しく思う場所だったという。初期には陳・方・林などの家族が,後期には翁・邱・宋家が入居した。
 妈祖の姓名「林」が出現してます。「翁」という珍しい姓も元・沖縄県知事翁長さんに通ずるかもしれません(巻末残照)。

▲1243坊巷の路地

巷の途中から脇道を何本か覗きこんでます。
 雰囲気は凄い。
 ただ迷路にはなってない。かつては一応の都市計画に基づいて造られた盛り場だったように見えます。

▲1245坊巷の路地2

坊巷を右折北行 勘頼み

ットで見ると一応の観光地ではあるようだし,近年整備された形跡もあるんだけど,まだまだそれなりに猥雑さを残したいい通りです。

▲1246大路街に入る。ちょっとパティオ状のT字。

やぶさ2のリュウグウ着陸がこの2019年で,3億km彼方へ30億km飛んで目標地点数十cm幅に着陸!と興奮してましたけど──思えばこの莆田坊巷も信じがたいラッキーさでした。
 味方はXスキルだけ,昨夜まで皆目分からなかった町で,ほぼ一直線にここへ下車できてます。
「いきなりだな。凄いな。」としばらく写真を撮りまくってた坊巷だったのでした。
 1247,T字。大路街。右折北行。この界隈の散策,もう少し続きますけど──次章冒頭では,ここが老城のどこだったのか?というお話から。

▲1247大路街。中央部はランタンの列が並び,やや観光地めく。

■データ:「翁」姓の偏在性

 3代前の仲井眞・沖縄県知事は久米三十六姓で,蔡氏家系であることを公言し,その親中姿勢を「日本初の中国福建人系知事」との言葉で表明してます。でもその後任にあたる翁長元知事はそれほどそれを表には出さず,むしろ愛国派の傾向がある。
 だから,福建との繋がりは明確なものではありません。
「翁長」姓そのものはやはりはっきりしないけれど,沖縄での「翁」姓は,明確に現れてくるのは王国時代末頃。中国の由緒は深そうで,唐名もありますけど,同じく明瞭ではありません。

翁氏 永山殿内(おううじ ながやまどぅんち)は、唐名・翁寿祥、国頭親方盛順を元祖とする琉球王国の士族(首里士族)。王国末期に中城間切津覇村(現・中城村津覇地区)の脇地頭を務めた。五大姓(名門)の一つ、翁氏の大宗家(本家)。

※ wiki/翁氏永山殿内
 では中国での「翁」姓はどうかというと,やはり珍しくはあるらしい。百家姓中ではの200番目。
 地域的な偏在が強い姓のようで,分布は主に福建省や台湾。台湾の2005年内政部統計では,同国内で47番目に多い姓とのこと。
 ジュディ・オングの台湾名が「翁倩玉」です。
※ wiki/翁 (姓)

「m031m第三波m闽星の毛虫に突かるる倭虫かなm大路街」への3件のフィードバック

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