m047m第四波m天后宮 冥く囁く濤声やm東大路

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)
※迷いこんだ路地は経路取れず

東大路785巷の竹束ね

▲スタバのある莆田繁華街

田随一の繁華街・文献路である。
 と言っても莆田です。スマホストリートにはなってたけど,やはり半端な盛り場というところ。
 1654,三信金鼎広場という円柱型モール。ここに沃尔玛やピザハットあり。昨日のスタバもここです。この辺がまあ一番繁華街っぽい地点かね。

▲1645再び路地裏へ(東大路785巷)

う一本だけ入って見よう,と思ったのでしょう。南側,目についた東大路785巷という路地へ右折してみる。
 ランタンは続いてるんだけど……得体の知れない通りでした。問屋街という訳でもなく,この風情は台湾なら宮へ続く道なんだけど,祠らしきものも見えない。

▲1647竹束ね。東大路785巷

はやや斜めに伸び,1648,八二一南街へ出る。
 この地点,現代的な車道のド真ん中に三ツ又の大樹が残る。こいつの地下茎はどこの水を吸ってるものやら。

▲1648ビルの谷間と三又樹

2店目で分かったふりですけど炝肉

た辺りの車道脇は閑散としてましたが,なぜか食べ足りてなかった炝肉の店があった。
 最初に票を購入し,自分でカウンターに碗を貰いに行くスタイル。なかなか本格派っぽいぞ!
1656天久王炝肉
炝肉+米飯300

▲チャン肉発見

間がよかったのか客はちらほらのみ。けれど汁は驚嘆でした。
 炝肉のハムっぽさが,バス停の店よりも,一層狂暴味を増してる。フワフワの衣をまとった中身がドギツい。

▲絶品チャン肉どアップ

にもその陰影の濃さは出てて,美しくもがっちりした味わいになってる。ただ,それでいて淡白な味覚もある。この微妙なバランスが実に炝肉です。……なんて,まだ2店目で分かったふりですけど,臓物度が高いんだと思う。
 グルメプログにも載ってる店でした。こんな見つけ方をよくできたもんです。
※ 手机搜狐-美食频道-莆田天久王炝肉 | 火遍吃货圈的炝肉全面升级!

最後に水路を覗きこむ

▲1713ビル街の水路

肉店の脇に小さな橋が見えた。覗きこむと,幅の割に深い水路でした。
 さっきの二重橋の川なんだろうか?この十字街近辺の水路は複雑で,暗きょも混ざってるから地図でもどうも断定できない。
 この橋を挟み天久王の斜め対面,バス停・西社小区へ。1719,通り過ぎかけた150路に乗車,市公交東站まで2駅。
 もう汗だく!ここのJ1の熱水は熱かったな。今晩はズボンを熱湯消毒しよう。

▲宿にて頂く向陽坊の小ロールと中国茶

■メモ:「莆」字 アラブ由来説

 最後に一応,異説として掲げておきたいのが,「莆」姓の由来がアラブ人が人名の前に冠する「アブ」である,とする説です。これ自体がどうもマイナーなので,莆田の地名までそうだという主張は見つからなかったけれど,可能性より,そうだったらまさに海のシルクロードの匂いがする,その魅力からです。

蒲姓又“是由Ahu的读音而来,而阿拉伯的人名之前,多加 Abu一字,中国读其音为‘阿蒲’,后省其‘阿’,则视为其姓‘蒲’了。”

※維基百科/蒲姓/原典:《回教徒与中国历代的关系》
──「蒲」姓は「『Ahu』の音から来ており,これはアラブの人名の前に加えることが多い『Abu』の一字に由来する。中国語で『阿蒲』をこの音で読ませ,後にこれを省略して『阿』あるいは『莆』になったとみられる。

マルコ・ポーロの来た町。泉州の特記情報は,ほぼこれしかありまへんでした。
[前日日計]
支出1400/収入1450▼14[115]
    /負債 50
[前日累計]
利益  -/負債 777
§
→九月十七日(二)
1516糖炒栗子
四果湯150
1534稲楽米 DOREMI
青魚水煮
いりこのピーナッツ和え
大腸湯450
1639远芳小笼包
小笼包+牛肉羮400(1000)
2000向陽坊
カステラ250
[前日日計]
支出1400/収入1250▼14[115]
    /負債 150
[前日累計]
利益  -/負債 927
§
→九月十八日(三)



本歌:朝霧や尖塔多き街に住む〔弘前〕

泉州行きエヴァンゲリオン

▲朝の莆田・侯車大庁。乗車専用

時ジャスト退房。バスターミナル(BT)へ。
 結局,莆田の2つのBTは,右が切符売場と市内バスの発着,左が市外バスの発着のみ,という分担になってた。しかも右BTの売場は湄洲行きだけが裏手になってて,さらに普通便は夏だけ,どちらも朝は閉じてる。歴史があるんだろうけどやたら難しい分掌です。
 侯车室に入る。対面の男が大音量で視てるのは,どうやらテレビ版「七月和安生」らしい。
 左右隣の乗り場とも福州火車站行き。多いなあ。物理距離はやや遠い省都福州との方が,泉州よりも経済距離は近いらしい。
 泉州行きはあの紫の,エヴァンゲリオンみたいな車体だろうか?

マルコ・ポーロ以外出てこない

718,20分発のバスにまだ乗ってない客の番号がアナウンスされてる。へえ,一々呼んでくれるのか?
 0724,検札開始,上車(乗車)。バスに乗るのにパスポートをチェックするのは勘弁してほしい。車体はやはりエヴァ初号機でした。会社は宇通客車とある。
 あれ?まだ3人しか乗ってないぞ?0730。ちなみにわしの座席番号は「1」,つまり最初の一枚?そんなに人気ない路線なのか?
 0731,おっとりと4人目が乗ってくる。
 0734。いーのかこのバスで?不安になってきたけど訊く人もいない。
 0736。黒Tシャツの運ちゃんがトトトッと乗ってきて扇風機をぱんぱん叩いた(意味は不明)後,無言で出発。恒例の「安全帯!」係の男も乗ってきて一言叫んだだけ,チェックもなかった。

々と不安である。
 元々,今回の福建行きの端緒は台湾での「泉漳械門」に興味を持ったからなので,今から訪れる泉州と漳州は外し難かった。
※ 台湾6訪編/(@_65_@) 第二日@台湾/再六訪 鶏籠美麗/昼の基隆夜市(@_65_@)/■小レポ:台湾のきらびやかな福建神廟
 でも,泉州は調べてもマルコ・ポーロ以外出てこない。漳州に到っては何も出てこない。行ってみないと分からない状態で,どちらも空振りは覚悟してました。
 とにかく前夜やこの車中はかなりネットを検索してます。一応巻末にはまとめておきます。

仙遊へ 木兰渓の川辺道


756。西行を続けてる。
 延々続いてた高層マンションの列がようやく尽きてきた。緩くアップダウンを繰り返す片側三車線,名前は荔華東大道とある。表示のあった莆浦高速というのに向かうのか。
 0809。大きな蛇行する川の南岸を走る。百度地図(以下「BD.」と略)によると木兰渓──って莆田市内を流れてたあの川です。
 左手南方から高い峰,BD.西柳山が迫りこれを避けて道も川も右へ蛇行。好い山里の雰囲気です。
──ということは高速に乗る気はないな?このまま一般道で行く気か?確かに,0817現在もあちこちで客を拾ってやっと車内は15人ほどで埋まりはじめました。
 いや,気に入った。
 中国にあまりないゆるゆるの蛇行道です。これを他省の人は福建の山深さというのでしょうけど,これは瀬戸内人からするとむしろ住みやすい,つまり落ち着いて住める地形に見えます。
 台湾の基隆南西辺りの谷を思い出す。
▲アニメ「マルコ・ポーロの冒険」主題歌「いつの日か旅する者よ」……いや,泉州→マルコ・ポーロ繋がりで……

821。仙遊県という漢字が増えてきたか?
 0823,ロータリー。ここが中心部らしいけど誠にのびやかな空気。4階程度のビルしかない。最近の開発があまり及んでない雰囲気。
 ここで左折した。向かうは概ね東南方向です。福昆線を通って海際の高速沿いへ出るらしい。ということはこの仙遊までの客を載せるための一般道行だったのか?
 先ほどまでの一般道の谷はさらに続いてるけれど,ここから南では園庄鎮という,より山がちな一帯になってるようです。なので,交通はこれを避けて東西に別れている形。
 0832,長い下り坂。ほぼ南行に転じてる。既に仙遊のエリアは離脱しかけてるらしい。
 茶店の文字はほぼ紅茶と鉄観音。
 右手西側に山は見えるけどやや遠く小粒。連ならず単独峰が林立する印象です。
 片側三車線。沖縄のR58みたいな道です。
 0838,界山鎮人民政府との表示。
 軒先の黒板に荒く書かれてるメニュー表示は「泉州面線糊」?(巻末参照)

▲百度地図(航空写真)莆田→泉州地勢図

丰泽区客運站かな?

847,アップダウンも激しいけど路面も荒くなってきた。まさに一昔前の中国バス・ジェットコースター。現代中国にも道路巡視員はいないのか?
 大体中間地点。2時間半だろうか?
 0852,再びロータリー。道名は兴港路とある。
 晋江牛肉湯という看板も目立つなあ(またまた巻末参照)。
 ──そうか。雰囲気が変わってきたのは……ここからがいよいよ「闽南」,いわばディープ・福建に入るわけです。
 0908,恵安に入った。さっき咸饭の有名所として調べた町です(巻末参照ね)。繁華街という感じの場所はなさそう。道沿いに長く町がある風。
 0912,三本道の交わるロータリー。北に金樽大酒店。川。西に結構深くマンション群が続いてる。

▲マルコ・ポーロの冒険:マルコと中国女性チエンヨ

922。BD.では直線距離は泉州まで残り20km。さてどこに着くかな?バスだと到着地がよく分からない…のが楽しい。出来れば先に火車票(列車チケット)をゲットしたいんだけど。
 さっきから目についてた洛阳という名の川を渡る。大きい。これが湾の最奥になるらしい。さてここを…まっすぐか。町中へ下車らしい。つまり北の高鉄方面じゃない。
 公園のようなロータリー。経済程度の高さが感じられる。
 酷6酒店ってホテルチェーンがあるのか?速8から苦情はないのか?
 ごちゃごちゃした町並みがない。ゆったり,かつ整然としたアメリカ的な町の造り方です。花園も目立つ。
 緑に包まれた丘が多い。町と道はそこを縫う形状で続く。
 終点は丰泽区客運站かな?高架を降りた。でも運ちゃん,イヤホンマイクで大声で話しっぱなし,そういう情報はくれそうもない。
 いや違うか?北西へ向かって町に入り始めたぞ?
 田安大橋で右折北東行。続いて宝洲街へ左折北西行。泉州新車站か?間違いなさそうです,右折して温陵路へ。
 0959下車。所要ほぼ150分。

~~~~~(m–)m泉州編~~~~~(m–)m

※凡例:[泉]泉州▲マルコ・ポーロの冒険:サブキャラ集。

アブラギリの陸橋を渡って

ずバスターミナルで確認したのは,次に向かう漳州へのバス路線。高鉄を予定してるけど一応です。7便:0740,0840,1015,1120,1320,1510,1640発。
 1016,汽車站の西口でバス待ち。さっきの602路は通り過ぎやがった。今ここに10人ほどが日射に晒されながら待ってる。バス車内でまだ飲んでなかった水を,ここで飲み干してしまった。熱!
「加油」と電光表示されたバス?あ,これは「頑張れ」の意味じゃなく給油所行き,つまり回送ってことか。
 憮然として対面を見てると……××布艺という店名の店がずらりと14並ぶ。なぜ?

▲1049晴天下,緑に包まれたJ1前の歩道橋が印象的でした。

040ふう~!28路乗車。炎天下,25分ほどの待ちが記憶に色濃い。4駅,東湖公園まで。──宿はまたJ1。最寄バス停は東湖(K1,K3等)のほか,東湖影院(203路等),東門(17路等)と多彩な行程が利用できる。
 女神が群れ飛びラッパ吹くロータリー。──ここも後日,記憶に残る場所になりました。
 道は温陵北路。
 歩道橋の交差点。
 左手に邮政儲蓄銀行,続いてエメラルドグリーンの円柱ビル。
 前方に山。バス停・九一路口,次のはず。
 1047,東湖公園下車。
 路線図を確認。K1が高鉄站まで6駅で行く。
 紫の鉢植えの映える陸橋を渡るとまっすぐがj1でした。
 1056,入室。

▲1050泉州J1到着!


▲マルコ・ポーロの冒険「いつの日か旅する者よ」──スペシャルサービス(?):youtube動画でどうぞ!

■メモ:直前にかき集めた泉州データ

 当時は金盾下なので日本語wikiは見れなかったけれど,今見ると東方見聞録の泉州名「Zaiton」の解説がありました。なお,これを除いて以降の記述は当時コピペしたものです。

居住人口は約865万人(2017年)で、福建省で最大の人口を持つ。かつては海上交易の中心地として繁栄し、イブン・バットゥータやマルコ・ポーロはこの都市(ザイトン、イタリア語:Zaiton[1]、閩南語:刺桐)の繁栄を記録に残している。ザイトンは街路樹のアブラギリがある街とアラビア人が命名し、ヨーロッパに伝わった名前。

[1] マルコ・ポーロ、『東方見聞録』
※ wiki/泉州市

 J1前で心に染みた「緑」はきっとこのアブラギリだったんでしょう。

泉州の基礎の基礎データ

简称泉、鲤,别名鲤城、刺桐城(略);辖鲤城、丰泽、洛江、泉港4个区,晋江、石狮、南安3个县级市,惠安、安溪、永春、德化、金门(待统一)5个县和泉州经济技术开发区、泉州台商投资区。

※ BB./泉州
 金門は中国の行政区としては泉州に属する。「金门(待统一)」との表記がいじらしい。

主要方言为闽南语,少数讲莆田话、畲语。[前掲BB.]

 言葉も莆田とは異なる。闽南語は台湾の標準言語です。

宋元时期,泉州一度成为世界第一大港。泉州是联合国唯一认定的海上丝绸之路起点[前掲BB.]

 複数の文献でも確認できたけれど,泉州の最繁栄期は,マルコ・ポーロの訪れた元代の一つ前,宋代だったらしい。

祖籍泉州的华侨、华人750多万,港澳同胞76万,分布在世界各地129个国家和地区。归侨、侨眷250多万人。在台湾,有44.8%的汉族(约900万人)祖籍泉州。[前掲BB.]

 現人口870万とほぼ同等の人口が香港を含む海外にいる?これと台湾の9百万は別だろうから,「泉州人」の3人に2人は大陸中国の外にいることになる。

除了外观上的红瓦大坡屋顶、燕尾脊以及清水砖或出砖入石的外墙面具有显著的闽南古建筑特色外,这种骑楼建筑正是源自于泉州华人华侨侨居地的南洋,并成了泉州传统地方建筑的重要组成部分。[後掲百度百科/闽南]

 何と!あの騎楼という建築様式は元々は泉州が発祥なのか!
▲騎楼のほかにも「出砖入石」という廃物利用のような独特の壁がある。
※ 手机搜狐网/技艺传承 | 闽南出砖入石-红砖瓦砾交错

闽南エリアはどこだ?

闽南地区(Hokkien),包括泉州、厦门、漳州三个地级市

※BB./闽南
百度動画
 これから動く泉州→漳州→厦门の三地方市が,「闽南」というエリアだと百度は記述する。
 けれど,この福建の地域区分には学説が様々で,用途によって諸説あるのが現状です。福州と泉・漳州が異なるのは誰にも実感できるけれど,その境界がどこか?となると明確な線引きができない。
 福建は谷毎にもっと何十にも分割された地域の集合で,それらを束ねる中位のグループは実在しない,というのが本当のようです。
 ただ,移動してみた実感としては,莆田と泉州の間には大きな断絶があるように感じました。その意味で,百度の見解通り,本稿では泉州以東南を「闽南」と呼んでいきます。
※ 李紅梅「清代福建省における経済発展と貨幣流通」
▲福建省全図。黒塗りが山系を示す。

見えない土地・恵安県

 仙遊と泉州の間で通りすぎた恵安についても調べてます。

闽南著名侨乡和台湾汉族同胞主要祖籍地之一。素有“海滨邹鲁”、“雕艺之乡”、“建筑之乡”、“渔业强县”、“食品工业强县”之美誉。

BB./惠安县
 海浜,彫刻,建築,漁業,食品工業……やはりつかみがたい土地です。

净峰斗尾港是大陆至台湾西海岸的最近港口之一,可供30万吨级巨轮自由出入,是规划建设中的中国四大中转港口之一。[前掲百度]

 净峰斗尾港に「中国四大中継港」を建設中?ここにそんなバーゲニングパワーがあるんだろうか?

崇武海岸则被国家地理杂志评选为“中国最美的八大海岸”之一。惠安为极具实力的县市,其综合竞争力位居福建省第三位,2010年位居全国百强县(市)第廿九位。[前掲百度]

 中国で最も美しい「八大海岸」の一つ。総合競争力は福建省第三位。2010年の全国百強県市中第二十九位。
 数字はやや痛い感じもするけれど,とにかく郷土愛とヤル気を感じさせます。

あるようでない?面线糊,咸饭

 泉州の名菜らしいこれらの料理についても残します。

面线糊(mī-suànn-kôo)起源于福建泉州,是福建闽南地区和台湾地区的风味小吃,呈糊状,是由细面线、地瓜粉制作成。(略)
一般为早餐食用,也可以当做点心和夜宵,就着油条跟马蹄酥吃。

※ BB./面线糊
 糊状になったビーフン汁?新奇な食材はないのにどうも想像しがたい代物です。ただ台湾で名物視される「面線」というのはこれを略した呼称じゃないかと思う。
 さて,そんなんがあるなら他にも……と探しててこんな記述を見つけてます。

推荐菜 咸饭加牛排 牛排 咸饭 牛肉羹 牛筋汤

※BB./晋江牛肉馆(仙阁里店)
 これ自体は推薦メニュー,というだけですけれど,「咸饭」──塩辛い御飯?二度も書かれるところをみると基本メニューのようなもんじゃないか?ということで……咸饭をさらに調べると──

咸饭是福建闽南地区的传统小吃,属于闽菜系。大部分闽南人都会做,为米饭的一种煮法,种类繁多,有南瓜咸饭、萝卜咸饭、芥菜咸饭、芋头咸饭、五花肉咸饭等。(略)
咸饭是饭的一种而不是粥的一种,小小一碗米饭能做到清凉,实在令人称奇,不愧是有着浓郁海滨风情的地方。

※BB./咸饭
 写真やレシピからは炊き込みご飯のようなものに受け取れます。

■基礎資料:泉州城域図

▲泉州城域図

今日の泉州市中心部にあった 泉州城跡であるが、ほとんど全ての城壁と城門は撤去されてしまっている。しかし、西側の臨彰門やその付近の土塁は残されており、遺跡保存の努力が伺われる。また、旧市街地にあたる路地名や地名にも旧時代の名残がしっかりと刻み込まれていた。 城北路、北門街、県后路、二郎巷、東街、西街、菜街、濠構乾、新門街、新門后街、徐門街、西湖・東湖(かつての堀川跡)、臨彰門、南外宗正司遺跡など。また、旧市街地のあちこちで廟が残されており、地元市民の根強い信仰心と郷土愛に感心した。

※ BTG『大陸西遊記』~福建省泉州市
 この時泊まったJ1のあった東湖というのは,東の城壕の跡らしい。とすると宿前の車道・温陵路は城壁の撤去跡を利用したものでしょうか。