(@_65_@) 第二日@台湾/再六訪 鶏籠美麗/昼の基隆夜市(@_65_@)

マトリョーシカの並ぶカステラ屋:群豊

▲南滎路の北側はちょっといい感じ。翌朝(→71南滎路)歩くことになる界隈です。

の海側へ引き返しながら,昼からやっとる夜市に突入しました。
 最初に足を止めたのはここ。言っとくけど,調べてたわけじゃない。でも通りすがりの雰囲気で即決。
1343群豊古早味現烤蛋糕→GM.(愛三路34,)
紅茶と胡桃(新作)250→67:画像
 なぜか売り場のボックスに7人のマトリョーシカがいる。ロシアの臭いはしてないけど…それはともかく,見た目は,何ちゅーか元気のなさそうな色合いしてます。
 けれど!その夜に食したところ──
※ 小屋創作/基隆古早味現烤蛋糕
「最近古早味蛋糕很夯 連基隆也陸續開了二家 分別是蛋蛋仔和群豐 兩家蛋糕店的價格及經營模式差不多 但是群豐的種類比較多」
──つまり「蛋蛋仔」という店も有名らしい。

▲愛三路の交差点にて

まじい!
 空気感が凄い!フワフワの生地です。香りは淡く小麦味も端正なのに,この包みこむような極めて上質な香りは何じゃ?
 お茶に素晴らしく合う。これに合うクリームやジャムがあればいいけど,この淡麗さではなかなか存在し得ないだろう。
 紅茶と胡桃の味つけ,というのもこの軽妙な生地にはいい取り合わせです。よくぞ!と拍手したくなるマッチング。最近大陸で拡大しつつある「台湾古早味」,ホントにここが震源地なんだな。

小レポが大変なことに:奠済宮

▲市場の真ん中の廟

三路に右折東行。すると,ここが紛れもなく基隆夜市の場所でした。
 えっ?いや,実はこの位置すら調べてなかったのよ。
 なのに左右にいきなり屋台が連なり始めたんで,お宮で一服しつつ様子を見ることに。

▲何が描いてあるのか,とにかく派手な壁画です。

済宮(→小レポ:台湾のきらびやかな廟/(直接関係部))というお宮でした。
 ──実は今になって,このお宮のことを調べてて小レポが大変なことになっちゃいました。この廟には,一階に漳州系の開漳聖王,二階に泉州系の田都元帥と,かつては噛み殺し合った二柱の神様が合祀されてたからです。…が,それは後のお話。

▲本気でお参りする人も多い宮らしい。

別惑星の食い物?:呉記

済宮に向かって左手の繁盛店に入る。
 土間に椅子と机を撒き散らしたような簡素な店です。でも,今ググっても,基隆のメシを語るサイトには必ず出てくるこの店。この時間だからかろうじて席があったんでしょう。
1427呉記[金鼎]邉[走座]
[金鼎]邉[走座]
魯肉飯370

▲謎の市場飯

色に光る七色の味覚のスープ。複雑な出汁に加えて,練り物かららしい魚の汁が染みだして,何が何だか分からないのに震えるほど美味です。
 湯に加えてどの具材も煌めくように美味い。特に,蝦羹の旨味には絶句。

▲碗の縁。こんな漢字です。

[走座]がこの麺の名前らしいけれど,このプルプル感,無茶苦茶食べにくい丸まり方!旨い,とかそういう次元じゃない,何だか別の惑星の食べ物みたいで感激するしかありませんでした。
 この周囲には,この謎の3文字の店が多い。後で見ると,土地の人の意見では対面の「刑記」という店と呉家が賛否両論の二大有名店らしい。しかしいずれにせよ…何の料理なのか全く分からん!→小レポ:アプリでも漢字が書けない[金鼎]邉[走座]
 仕方ないから,当時,壁の表示を書き写してます。でもこれがまた「???」で。「[金鼎]邉[走座]的12種配料 金針,高麗菜,肉羹,金勾蝦,香菇,[金鼎]邉[走座],蝦羹,小魚羹,筍[糸糸],蒜酥,芹菜珠,鱿魚」

謎を呼ぶ「揚さかりんとう」:金興

▲オバハンの肉厚背と昼の夜市

は,廟口向かいから少し西手の豚足汁の店「蝦仁[火庚]」,ここが一番楽しみにしてた店でして,廟で時間を経て再度赴いたんですけど…どうしても列が減らない。
 主義的に,行列してまで食べるのは「普通」メシじゃない,と思ってるので──残念ながらここはパス。
 しかしまあ,この屋台軒先で食ってる面々の旨そうな顔の憎らしさよ!
※ 食べログ/豬腳 蝦仁焿

▲てかてかオヤジと昼の夜市

さかりんとう」と日本語で書いてある店がある。「さ」が余計なのか,あるいはこれまた福建独自とかの深い事情があるのか…はもう調べてません。
 ここも目標にしてた店だったので立ち寄る。客で賑わいはありましたけど,まあまあ意外に空いてた。
1505『金興蔴米老』※揚さかりんとう
パック250→画像2枚
 この旅行中,というか帰国後までちびちびと食べてました。──旨いです!まん丸な形で,全然「かりんとう」じゃないですけど。

▲金興蔴米老の「揚さかりんとう」?? ※帰国後撮影

類が多様な中で,外が白ゴマ,中にココナッツクリームみたいなのが最高でした。
 赤い包みが独特で,かつ丈夫なので,今も衣類入れとして重宝しとります。そういう意味で,一番後を引いたのはこれだったかもしれません。

▲最高だった白ゴマ皮のココナッツクリーム包み(ネーミングは超適当) ※帰国後撮影

※ KAO空食客/金興蔴粩- 百年老店 祖傳手藝 古早味傳承回憶回味 基隆廟口不可錯過的美味@基隆廟口

真っ赤なウナギ・ハム:圳記

▲謎の赤い魚飯

と言えばコレもまた不気味でした。
1509愛四路 圳記紅燒鰻羹
紅燒鰻羹,魯肉飯370
 小さな屋台の狭い机で食べました。
 うなぎの天ぷらなのか?赤いのは浸けたものなのか?全く分からないけど未知のうなぎの旨みです。

▲赤い魚ハム

がまた…不気味です。
 うなぎの出汁に加えて,この赤みに由来するんでしょうか?ハムのような出汁が滲みこんでる。韓国なら,まさに部隊チゲにも通ずる。唸るしかない味でした。→巻末小レポ:ドス赤い肉と魚

▲屋台に積まれた謎の物体

肉飯については,[金鼎]邉[走座]のが最高!と書くプログも見かけましたけど,ワシはそっちはごく普通に思えました。
 けれどここ圳記の魯肉飯には,感動しました。ゲテ物好き的に,ですけど…卤肉飯としては,これまで食べた最大級の変化球です。
 無茶苦茶に魚臭い!
 おそらくうなぎでしょう。けれど,ということは豚肉ミンチにうなぎの煮汁を絡ませてあるのか?「魚香魯肉飯」とでも呼びたくなる「迷品」,勇気があれば是非!

南中国お馴染みの甘味の和音:三兄弟

▲スイーツ!

りに変なのが多かったもんで,普通の台湾スイーツが食べたくなった。
 有名店らしい。先の「圳記」のネット記事で「三兄弟の隣」とか書いてあったほどです。
1525三兄弟
H1:蜜芋頭+冰糖蓮子+奶園+豆花250
 16種類のメニューあり。芋と蓮子の入ったのを選ぶと招牌と同じになってしまった。
 久しぶりだったけどタイのとも違う淡い甘味が良い。具の自然な甘味が,やはり自然に和音を作ってるようなスイーツです。

いう訳で,夜が来ないうちに回った基隆の夜市,凄さが断然実感できました。
 規模とか風情がどーとかじゃないんです。変テコさが半端じゃない。しかも単にビジュアルだけでなく,文化的にじわじわ来る。台湾の深みを実感できる,底無し沼のような怪しさの夜市で──まだワシも,その底まで全然行けてません。再訪を誓うべき場所となりました。

■小レポ:台湾のきらびやかな福建神廟

 台湾の廟の雰囲気に以前から違和感があったけれど,今回,そういうことかと合点しました。
 福建土着の珍しい神様が祀られた台湾の廟は,信仰の対象というより,戦勝記念碑です。
 最古の記録は1751年,台北。直近のものは1865年,嘉義。短くとっても一世紀は続いた「泉漳械鬥」という事実上の「内戦」で,勝利者側が敗者側の邸宅を廟に建てかえることで,そのエリアの所有を宣したという。
「泉」は福建省泉州,「漳」は同漳州。「械鬥」は古い言い方らしいけど,「機闘」と同義で同族集落間の戦闘を指す。
 中華民国が本拠を写す前からの台湾人,いわゆる本地人(閩南裔)のルーツのうち最も太いものに,泉州と漳州の2つがある。両者は福建の隣接地域だけど,福建でも互いにアイデンティティを主張する土地柄らしい。
 台湾への入植は,漳州からが最も古く,オランダ統治下に行われたらしい。現本地人の35%がこれにルーツを持つという。農業労働力として必要とされたからか,農村に多く住んだ。
 対する泉州からの移民は,オランダ統治後の鄭氏政権成立前後。というよりこの時期の泉州勢力の首領こそ「閩南武裝海商領袖鄭芝龍」(南福建の武装海賊の首領・鄭芝龍),つまり鄭成功の先代です。現本地人の45%。台湾を占拠した軍事力を背景にしてか,都市に多く住んだ。
 おそらく,鄭氏政権(1662年 – 1683年)下では,漳州勢力は泉州勢力の風下に置かれたでしょう。清朝の統治に移り,泉州側が叩かれた後,清側の支配力も弱まった18世紀に,両勢力の戦闘が開始されます。数百人の犠牲が記録され,廟の下から未だに多量の人骨が出てきてたりすることからも,現実の戦闘規模は相当大きかったと推測されますけれど,正確なところは明確でないようです。
 また,泉漳双方が単純に二大勢力だった,ということではなく,あくまで村単位だったらしい。潮州出身者の村,同じ泉州出身者同士の別族の争いなど,複雑な対立構造も多かったようで,例えばルネサンス期のイタリアのような状況だったみたい。
 ただ,日帝統治下に入るまでにこの「内戦」は終結してる。ここで話はようやく基隆に戻りますけど──奠濟宮は1873年創設。漳州系の開漳聖王を主神としているから,ここは泉漳械鬥では漳州勢力の支配地だったのでしょう。けれどこの建物の2階には泉州系の田都元帥が合祀されてる。つまり,創建段階では分かりませんけど,日帝統治下で基隆が発展した時代には,その中心にある奠濟宮において,廟はもう勝利記念碑ではなくなったと考えられます。──ひょっとしたら,このタイプの「泉漳合祀廟」は珍しい例なのかも?と推測しますけど,それ辺はデータ不足です。
 いずれにせよ,「台湾人」又は「本地人」というアイデンティティは,不幸にしてそれほど歴史が古くはない。それは,日本の統治,さらに新しい勢力「本省人」(現台湾人口の12%)が入ってきてからのことのようです。
 ただそれすらも平和な時代というのとは程遠くて──→さらに小レポ:二・二八事件
※ コトバンク/機闘
「中国の前近代社会での村落間の武器を持っての闘争。明清代の華中,華南の農村,とりわけ同族村落は,閉鎖的排他的な傾向が強く,個人的な報復行為ばかりでなく,村落全体の利害にかかわる水利,地境,墳墓などの争いについて,法に訴えないで武器を取り,実力で解決しようとすることが多かった。これが械闘で,華南では特に盛んで,福建の 漳州や泉州,広東の潮州などがその中心であった。その資金は族田からの収益や寄付金などでまかなわれた。」
※ 道教廟の世界/奠濟宮
「主祭神は、漳州系福建人の守り神・開漳聖王。開漳聖王は、唐代に漳州を平定し、開墾した陳元光が神格化された神様です。」
「創建は1875年ですが、戦時中に米軍の空爆により焼失。戦後に再建が始まり、正殿は1964年に再建されました。」
「2階の中央には芸能神の田都元帥。田都元帥は泉州系福建人が多く信仰する神様です」
※wiki/泉漳械鬥
「發生在18世紀中到19世紀末的臺灣(臺灣清治時期),祖籍福建的兩大閩南語族群(泉州人與漳州人)間的武裝衝突。」
「清代官員李逢時(生卒:1829-1876,字泰階,噶瑪蘭廳人)於1860年代,特作七言古詩〈漳泉械鬥歌〉(略)『天意冥冥不可解,紅羊換劫總堪駭。殺人如草死如眠,骷髏屯積血飄灑。(略)』」
「械鬥發生後,勝利者常常霸佔落敗一方的房屋,並改建廟宇信仰。」
※ /漳州裔臺灣人
「總人口約佔臺灣閩南裔人口的35%※※」
「歷史上,漳州人移民臺灣可至少追溯至荷蘭時期的閩南倭寇首領顏思齊,他曾率領漳泉人於笨港登陸並從事開墾。」
「傳統上,相較泉州裔偏向聚居於城市,漳州裔則多散居於鄉里間。泉州裔在航海與經商上取得優異的成就,漳州裔則在農耕開墾方面有著重大貢獻」
「開漳聖王為漳州裔最具代表性的鄉土神,開漳聖王廟分佈臺灣各地漳州閩南人開發的地區」
※ /泉州裔臺灣人
「總人口約佔臺灣閩南裔人口的45%※※」
「泉州人的首次臺灣移民潮可追溯至閩南武裝海商領袖鄭芝龍以「三金一牛」獎勵並招募墾民。隨後,鄭芝龍之子鄭成功於臺灣南部建立東寧政權,部份泉州人跨海加入鄭氏,是為第二波移民潮。」
「龍山寺主祀觀音菩薩,泉州晉江(泉安)視為鄉土神」
※※戴寶村,移民臺灣:臺灣移民歷史的考察,臺灣史十一講
※ 痞客邦/伍之六、臺灣民變-3-臺灣械鬥

■小レポ:台湾二・二八の君が代

 この事件の事はさすがに知ってた。38年間の戒厳令の端緒になった事件です。
 ただこの時の台湾人の象徴が「日本」だった点が,今回驚いたことでした。
 言っとくけど,自虐史観論者の言うような単純な日本回顧の念は,台湾人にはなかったと思う。「狗去豬來」の語が現わすように,日帝はやはり獣的に見えてます。そんな単純な話ではない。それは前レポ「泉漳械鬥」と合わせて考えて頂ければ当然にご理解頂けると思います。
 ただ,他に象徴がなかった。だから「台湾人」は,軍艦マーチで参加を呼びかけ,君が代を歌ってデモ行進し,日本軍服を着て反抗した。
 その結果,例えば基隆では「粽」事件が起きた。「粽」は,本地人の掌を針金で貫いて束ねた状態を表現したもの。「粽」はトラックで港に運ばれ,海中に投げ込まれた。その殺害の規模は2万8千人とも言われる。
 この折の「台湾人」の心境は察して余りある。「外敵」に反抗しようとした時,自集団の象徴が日本以前にはまだなかった。だから「犬」のものではあれ,日本を象徴にせざるをえなかった。
「台湾人」たる象徴の欠如の認識とともに,台湾人が誕生し,長い戒厳令下を経てそれを今やっと公言できる時代になった。かくして1988年以降,ようやく本当に台湾の実体が形成されつつある。そういうことなんだと思う。──映画「悲情城市」は,李登輝が本地人初の総統に就任した1988年の翌年に発表されてます。
 台湾は,その苦節を経た新しい人々です。それをこそ誇るべきだと思う。
※ wiki/二・二八事件
「当時の台湾人たちは、「何日君再来」を歌ったり、「犬去りて、豚来たる(中国語:狗去豬來)」(意味:犬〔日本人〕が去れば、今度は豚〔中国人〕が来た。)と揶揄した(犬〔日本人〕はうるさくても番犬として役に立つが、豚〔中国人〕はただ貪り食うのみで、役に立たないという意味が込められている」
「1947年2月27日、台北市で闇タバコを販売していた女性(林江邁、40歳、2人の子持ち寡婦)を、中華民国の官憲(台湾専売局台北支局密売取締員6名と警察官4名)が摘発した。(略)取締官は今度は民衆に威嚇発砲したが、まったく無関係な台湾人(陳文渓)に命中し死亡させた後に逃亡した。」
「「君が代」は国歌として全ての台湾人が歌えたため、本省人たちは全台湾人共通の合言葉として「君が代」を歌い、歌えない者(外省人)を排除しつつ行進した。また、本省人側はラジオ放送局を占拠。軍艦マーチと共に日本語で「台湾人よ立ち上がれ!」と呼びかけた。」
「基隆では街頭にて検問所を設け、市民に対し、北京語を上手く話せない本省人を全て逮捕し、針金を本省人の手に刺し込んで縛って束ね、「粽(チマキ)」と称し、トラックに載せ、そのまま基隆港に投げ込んだという。台湾籍の旧日本軍人や学生の一部は、旧日本軍の軍服や装備を身に付けて、国府軍部隊を迎え撃ち、戦った(「独立自衛隊」、「学生隊」等 )。」
「犠牲者数については800人〜10万人まで様々な説があり、正確な犠牲者数を確定しようとする試みは、いまも政府・民間双方の間で行なわれている。1992年、台湾の行政院は、事件の犠牲者数を1万8千〜2万8千人とする推計を公表している。」
※ Y!プログ/国民党を覆い隠したいこと、228事件紹介
「蜂起者は外省人の子供を「チャンコロ」と罵って暴行を行ったり、本省人と外省人の区別のため合言葉として君が代や教育勅語を日本語で唱えることを強要した。」
「基隆では街頭にて国民党軍が検問所を設け、市民に対し、北京語をうまく話せない本省人をすべて逮捕し、紐で数人ずつ縛り、束ね、粽(チマキ)と称し、トラックに載せ、そのまま基隆港に投げ込んだとの証言もあり、約28000人が殺害・処刑され、彼らの財産や研究成果の多くが接収されたといわれ、死者数を確定しようとする試みは、いまも政府・民間双方の間で行なわれている。」
「1989年に公開された侯孝賢監督の映画『悲情城市』は二・二八事件を直接的に描いた初めての劇映画であった。この映画がヴェネチア国際映画祭で金賞を受賞し、二・二八事件は世界的に知られる事となった。」

■小レポ:どのアプリでも漢字が書けない[金鼎]邊趖

 台湾語で「tiann-pinn so」と読むらしいけれど,自分でも発音できる自信がない。
 特に一文字目の「[金鼎]」字は,繁体字ソフトでも出ないし,大陸中国人・台湾人ともカギ括弧付きで書いてる。
 大陸福州では「鼎邊糊」(dian3bian1hu2)又は「鑊邊糊」と呼ばれるものという。金偏は鼎と同義の「鑊」のものから来たものか?
──とすれば不明なのは「趖」字(繁体字ソフトで出る)ですけど,これは完全な台湾漢字らしい。色々書いてるプログの謂いからすると,鍋で煮られた「米漿」(ミーリン)がプルプル震える様子を表現してるみたい。──とは言っても,日本国籍の人間のうち米漿をイメージできるのは「ミキ」を飲んでる沖縄人か神社関係者だけでしょう。大陸中国でも一般的じゃない。
 はっきり言えるのは,感覚が福建独自の特化されたものだってこと。「[金鼎]邊趖」は米漿を飲み物ではなく,芋を中心にした(壁書きによると12種の)各種素材を入れ込んで麺状にしたものです。
(日本のサイトで「ひもかわうどん」に似てる,という言及もありました。ただ,個人的には,「ひもかわ」が似てるとすれば河南の烩面だと感じます。米漿を麺にする感覚は,さらに遠さを覚えました。)
 これは台北にすらない。何故か?と考えると,これはつまり,唐突な日帝による都市化が福建古来の食文化をいわば「生きた化石」状態でフリーズさせた。そんな,文化的にはかなり稀有な場所が,基隆なのでは?とも考えられるわけです。
※ 百年呉家HP/鼎邊趖製作
「「趖」是慢的意思,原意是指液態物爬滾的動作」
※ wiki/鼎邊趖(中国語)
「亦稱鼎邊糊,福州稱鑊邊糊。鼎,意指鑊。米食小吃,源於福州,流行於中國大陸福建,台灣等地。」
「以在來米磨作米漿,鼎中置水,鼎邊添火加熱,以芋頭沾油抹鍋後,米漿沿鼎邊翻滾,遇蒸氣而凝固,蒸烤成形。所謂「趖」,為閩南語詞彙,原義為蠕動、游動,在此即指米漿沿鼎邊翻滾的動作。成形的「趖」,風乾後剪成塊狀。」
※ 自由時報/基隆 百年吳家(金鼎)邊趖
※ exiteプログ/基隆港の旅/~鼎邊趖~
「「鼎邊趖」は「でぃんびえんつお」と発音します」
「「趖」は、米粉を溶いたねばねば液体がぐつぐつ煮立っている様子らしい。」
鼎辺趖(鐤邊趖) dǐng biān suō [台湾風ひもかわうどん]
「趖suoはふにゃふにゃと動いている様を現した台湾独自の漢字」
「日本語の補足説明に「ひもかわうどん」と入れましたが、群馬県の桐生市の郷土料理で、小麦粉を使って作った幅広うどんです。
 ひもかわは小麦粉を練って弾力を出しているので鼎辺趖よりずっと薄い。けど、見た目と食感を合わせて一番似てるのがひもかわかな~と。」

■小レポ:ドス赤い肉と魚

 龍山寺付近で飛び込みで食べた店の真っ赤な肉。
 中国や香港のどこへ行ってもあれに再会することはなかったのですが──基隆でのこの红烧鳗羹を調べて,ようやっと輪郭が見えたと感じてます。
 台湾語で「ang-chau」,北京語で「hong2zao1」と読む「红糟」。叉焼の赤色の本来の原料(最近はほぼ食紅を使うので)である紅麹の酒粕を使った調味料です。
 これが,福建料理,特に福州料理で使われるものらしい。
 密かに「台湾名物」扱いされてる調味料です。これも福建が本場だという。
 福建料理の表記中では「红曲」という二字で表現されるらしい。ただ,厳密には「红曲」と「红糟」は違う,と記すページもあり,その辺りは不透明ながら──かなり幅広く用いられてる調味料だとは理解できます。決して単なる「顔料」ではない。
 ならば何なんだ,この食文化群は?
※ 維基百科/红糟
「红糟或红酒糟是红曲酒发酵后,榨去酒液经过筛滤后所剩下的酒糟(酒滓)。红糟拥有天然红色色泽跟独特的酒香和微酸,是中国南方广东、福建一带的一种调味品。」
「中菜中闽菜系用红糟做调味料。 由于红糟可以防腐癖腥及提升香味,在中式料理中有很多菜式都用上了红曲,其中以糟炒香螺片跟醉糟鸡最有名,其他还包括红曲桂圆茶、红曲炒饭、麹香豆腐、红曲烧肉、红曲麻油鸡、炒红曲肉、红曲黄鱼、红曲卤肉、红槽焖鸡等。」
※ 随意窩日誌/圳記紅燒鰻
「老闆選用海鰻切成條狀後,用紅糟醃漬入味,再下鍋油炸,最後與白菜一同放入羹湯中燉煮。」
※ 百度百科/红烧鳗羹
「原料
鱼汤羹底8碗,鳗鱼1条,酱油1茶匙,糖1茶匙,酒1茶匙,胡椒粉1茶匙,太白粉1杯,低筋面粉1/2杯,香菜,乌醋,胡椒粉,蒜酥。」
「红烧鳗羹是福建一带的地方传统名菜,属于闽菜系。」
※ 同/鳗鱼
「鳗鱼主要分布在中国长江、闽江、珠江流域、海南岛及江河湖泊中。」

[前日日計]
支出1500/収入1250
     /負債 250
[前日累計]
     /負債1081
§
→十月六日(六)
[63基金公路まで]⇒
0941巷頭[米果]仔湯 ※[米果]仔湯,黒白切400[64百年防空洞まで]⇒
1343鮮豊古早味現烤蛋糕
紅茶250 [65昼の基隆夜市]⇒

1427呉記[金鼎]邉[走座]
[金鼎]邉[走座]
魯肉飯370
1509愛四路 圳記紅燒鰻羹
紅燒鰻羹,魯肉飯370
1525三兄弟
H1:蜜芋頭+冰糖蓮子+奶園+豆花250(1690)[66寿山][67夜の基隆夜市]
1840北平鍋貼400
1845老牛[女辣]仙草
招牌特調(珍珠,豆花,[土敦]仙草)150
[前日日計]
支出1500/収入2240
負債 740/
[前日累計]
     /負債 340
[68コネタ集] [69変な日本語side-A] [70同side-B]
§
→十月七日(天)

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