《第十次{32}釜山・南海岸》オレンマネ・ソメリクッパブの日/馬山

~~~~~(m–)m齋浦編
(馬山・鎮海・熊川)
~~~~~(m–)m

「교」……キョって何?

산 馬山 マサン
창원 昌原 チャンウォン
진해 鎮海 チネ
──と関係地名のハングルと読みを復習しつつ,晋州のBT(バスターミナル)へ向かいました。
「マサン・へ?」(馬山行き?)と確認してバスに乗り込んだのが0829。
 すぐに発車となりました。窓ガラスにはマサンと書かれてるし,運ちゃんは無言で切符を取ったから直通なんだろうけど…分からん。時刻表はあったのか?次は10時とか窓ガラスに表示がある。このBTはどうも謎が深い。
 とにかく横3列の快適シートでくつろぎつつ,流れる車窓に目をやります。
 本日の目的地は今回のメインターゲット:齋浦であります。実力的に非常に心もとない状況で──どこまでその場所に迫れるか?
🚐
江沿いを南行。川の中洲にコウノトリ一羽。
 川を南側へ渡った。バス停に止まった後で左折東行。市内を抜けてる。こちらの市街は新しいらしく,アパートが建ち並びます。
 0839,再び川岸の片側二車線道を快走。いや,また市内真っ只中へ。バス停。──これはどうも,昨日の高速に乗る前に市内の客集めしてるらしい。少しローカルな仕組みですね。
「교」というのは……キョ「橋」の意味か。──とメモしてるけど,

🚐
中,凄まじい霧に包まれました。
 GM.によると──鎮海市外BT最寄りの市内バス停は162路なら「감원로타리」カムウェンルタリ下車。760路ならBT南の「합성동농협」ハブセントンダンヘブというバス停から同じく着く…と出た。
 鎭海の市外BTから斎浦までは,305,306路が同じバス停から「서중소류지」セジュンソリュチまで結んでる。ここはいかにしてもこのバス停しか出ないから……そうなんだろう。後は,熊川まで歩いて行けばいい。
 鎮海に泊まるかどうかは,成り行きを見て決めることにしました。
🚐
ーさん」とは沖縄弁(うちなーぐち)で「美味しい」を意味する。文例:「おばあのちゃんぷるーや,まーさんどー」(おばあの炒め物はおいしいよー)
 それはさておきバスがマーサン(馬山)に入ったのは0923。
 最初は広々した町に見えたけれど,市内は意外にゴミゴミして続いてる。住み易そうな町です。
 0927到着。所要1時間弱
▲0929馬山BT前
?バス乗り場がない?ここは降車のみか。
 南西隣のブロックへ。西対面に教会。ZERO ZONEという地下街がある。
 チケット売り場を見つけて1000発の鎮海行きが割と難なく買えました。「チネ」では通じない。「ギムハエ」のような発音になるようです。ハングルで書いてようやく分かってくれました。ついでに売り場の御姉様に発音練習して頂いたけれど──違った!この切符の文字は金海だろ!乗る直前に気付いた。──おそらく,お姉さんは(金海行きの途中で降りろ)と言ってくれたのかも,と後で気付きましたけど……。
 払い戻し!お姉さん曰く,それなら760番のバスに乗れとのこと。なるほど,楽勝ですなあ。ところで760番ってどこから乗るのかな?

振り向くと誰もいない!

▲後代のためのメモ。馬山の760路バス停は市外BT(切符売場)から3.15デ路を南西へ,向かいにTous Les Joursがある三叉路を南西へ入った2つ目の交差点の先,GS25の向かいです。なお西側のバス停からが鎮海行きでした。

~(m–)m 本編の行程:~鎮海 m(–m)~

▲1002,760路バス停

성동농협」バス停(GS前)から760番バスに乗車したとき,時計は10時を回ってました。
 路線図を確認すると目的地「감원로타리」カムウェンルタリは終点・熊川の一つ前。確認してなかったのは乗車方向だったけど……幸運にも逆向きではなかった。
 右折,すぐ左折。
 左手に山。右手はすぐ海のはずだけどマンションが塞いでる。
 1010,左折。港が見えてる。
 左手の山はかなり高く険しい。小さな川渡る。
🚐
と山の間隔が狭まってきたぞ。
 1016,右手にも山?大きな川を渡る。元は岬だった地形か。
 1019。4階建てアパートがずらりと並ぶ緩い坂を登る。
 ふと振り向くと……車内無人?そんなに人の往き来ないの?
 1021,地図でも確認できる十字路から片側4車線道へ。快走……いや爆走し始めた。
 谷の西側を行く。長いトンネル。出口にライオン像。
 1024,下りになった。市街が見えてきた。
 よし,線路を超えた。そろそろです。
 あ!「감원로타리」の「로타리」はロータリーか!
 1035,鎭海BT下車。綺麗な町です。ただ過ごしやすそうではないな。

▲1114鎭海の旧鎮海駅舎
……インロッカーがないぞ!
 1039,市外BTでしばらくうろつく。しばらくと言っても小さな,バス停に待合室が付いたようなターミナルです。ロッカーがないのは一目瞭然。
 困った。リュックを背負って謎のバス停・カムウェンルタリから齋浦を歩くのは……ゾッとしない。
 可能性があるのは鉄道駅か。市内散策がてら旧駅まで歩いてみることにしましょう。

乗ってしまった315路

▲旧駅横の公園のまあ幸せそうなご家族像

のロータリー西側に川辺があり,何とも韓国らしからぬのびやかな町だと思えてきました。
 なればこそ,ロッカーがありそうな図書館とか百貨店とかが,まるでない。
 駅にもない。というか,もう鉄道駅舎は何かの事務所になって廃物利用されてるだけで,そもそも人の姿がない。
 とほほ。どーするよ,ワシ。

~(m–)m 本編の行程:鎮海~ m(–m)~

めきれん。1124,リュックを抱えたまま315路に乗ってしまった。
 歩く距離は直線なら2~3kmです。リュックが致命傷という訳じゃない。
 1125,この辺りが繁華街か?チョアンシジャン──中央市場か?でもあまり町に深さはなさそうで,左手の山並みはもう山脈めいてる。
 1128,三叉路。左へ。線路越える。高架で右折,その脇を進む。
 山並みは前方に回り込んできました。いつの間にか線路は左手。丘を越えた先は下り,右手海岸にマンションの影が伸びる。
🚐
134,十字路。鎭海までのバスと対照的に,車内はほぼ満員。
 左手にトンネルが見えた。
 1140,方向はほぼ南になった。この勾配が続くなら……想像以上にキツいなあ。でも,沿線に延々と町並みは続いてる。
 1144,あと数駅のはずです。位置情報の受信状態はいい。迷うことはないはず。
 こんなところにプッチーニ(カフェ)!左手に15階位のマンション10ほど。右手にはもっと沢山見えてる。
 1145,下りになる。右手微かに美しい湾が見え隠れし始めました。典型的なリアス式です。
 と?再び凄い登りになったぞ?
 もう次のバス停のはずです。感覚はアラーム音を鳴らすけれど,他の選択肢を思いつけない。

橋下の道なき道がホントにない

▲カムウェンルタリのバス停より

りてしまった。バス停「감원로타리」カムウェンルタリ,1153。
 これは……当面,道路沿いを歩くしかないのか?
 いや違う。齋浦はこの南隣の高速道路の向こうです。問題は,この高速を跨ぐ方法と,そこから先に道があるか否かですけど……。
 しばらくうろついてみたけれど……日本でよくある,道路下のトンネルがない!まさか,と思ったけど本当にない。

▲1205行けなかった高速の上がり口のT字

なると……高速の堤からガードレールを跨いで徒歩で横断するしかないけど……それは超危険だし,普通は何かの法に触れるだろう。
──後掲:BTG/熊川邑城にはこんな記述があるから,韓国の高速道路にも道路下のトンネルはあるはずです。探しようが足りなかったんでしょうか……?
「途中、高速道路下の橋げたの下を、道なき道を突破していく。といっても、地元の人が歩いたような形跡がわずかに残されているので、決して進入禁止の場所ではないらしい。」

テニスコートとスイミング溜池

▲1218右手南側に集落現れる。

が無理なら東へ進むしかない。まあ……ピクニックのつもりで歩きましょうね。
 黒白のメジロのような鳥六羽。
 おおっ,路側に歩道が出現したぞ。でもこんなとこ,歩く人いるのか?あ,ワシか。
▲一軒屋の雛びた家屋。庇の形はかなり日本的。

突に右手にテニスコートが出現しました。1214。左手はガソリンスタンドのある集落。あとバス停서중소류지。ここで降りればよかった……ってそういう問題じゃないか。
 1218,右手に池。堤防があるから溜め池らしい。「No swimming」と立て札があるけど,沼です。泳ぐ奴はまずいない。

▲1226いかにも韓国の田舎っぽいお家。バスから見ることはままあったけど,脇を歩いたのは初めてかも。

熊川で17茶を飲む

と大きな集落だぞ?
 1225。
 ああ,これがもう熊川か。下車地点から30分で着けました。
 じゃあ,先に倭城を覗いてみようか。

▲1228南を望む。まだまだかなり山が連なる感じ。

落は大きいんだけど,もちろんコインロッカーがある訳じゃない。
 このシチュエーションで,台湾東岸たったか,おばあちゃんの雑貨屋に「荷物置かせて!」と頼んで快く保管してもらった経験があるけれど……そんな話ができる韓国語力はないし,韓国はそれほど打ち解けた世情じゃない,と思うので挑戦しませんでした。

▲1233熊川集落海側

も増えてきた。でも宿は見当たりません。
 GSで久しぶりの17茶を購入。一度リュックを下ろして一服。
 学校。バス停웅천성내。

▲1233熊川中心部の街角

■小レポ:齋浦はどこにあったか?

 今回の四苦八苦を通じ,身に染みて理解できたのは,この土地への陸上からの接近しにくさです。
 対馬の浅茅湾や鹿児島の坊津辺りで体験できますけど,現代のアスファルト道が造られる前は,海から行かないとたどり着けない土地です。

熊川巴城~齋浦マップ

近くて遠い齋浦

 当時,計画段階で持っていたのは,まさに上のようなイメージでした。
 熊川集落(巴城の位置)から直線距離なら2kmもない。つまり平地なら20分の距離です。これは,この日に下車したバス停「감원로타리」カムウェンルタリ地点からでも同じです。
 熊川と南海岸分は高速道路で隔てられてる。カムウェンルタリ地点から真南ルートを遮ったあの高速です。しかも,熊川南西にはロータリーらしい構造が見える。最短路に当たるこのロータリー部は,おそらく通れない。
 先に少し触れたとおり,けれど,高速をくぐった記録を見つけました。
 次章でワシが訪れてるのは,ついで感覚で立ち寄れる熊川「巴」城の方ですけど,南側の熊川「倭」城,つまり齋浦の手前に当たる地点を目指した記録が,BTGにありました。この著者(群?)は城を見るためなら血も汗も厭わぬ姿勢でまさに尊敬に値します。
※ BTG『大陸西遊記』~大韓民国(慶尚南道)昌原市鎮海区~/熊川邑城
URL:http://www.iobtg.com/K.Jinhae.htm#5
 この記録に基づくと,熊川集落から齋浦への最適ルートがようやく見えてきます。

熊川巴城→齋浦行程図

 熊川集落から,最短距離の南西方向ではなく,川辺沿いに南へ向かう。
 この川辺には,車道はないらしい。野道です。堤の上を地元の人が歩いてる道らしいけれど,川があるから迷いはしない,という感じの道みたい。
 川を通すためなのか,このルートなら高速下が通過できるようです。BTG著者はとにかく歩いてくぐってます。

熊川巴城から南への川辺道[BTG]

 その上で,BTG著者が倭城に登った地点の手前で右折,今度は西に向かう。
 この南西側には丘が並んでる。だから西から,ロータリーと齋浦を結ぶ道まで出た上で,やっと車道に沿って南へ左折。これで齋浦に着くことになります。

齋浦現況(kakao map 航空画像)

齋浦の現況と集落

 齋浦の港は,次章でも触れるけれどかなり開発されてるのが上の写真でも分かります。
 まず,埋め立てられています。これは21世紀に入ってのことらしい。中世の船には使えても,近代以降の大型船には浅過ぎたのでしょう。港湾としては破棄されて,格子状の道が走ってます。
 集落らしい陰影は,かつての湾の南東に数十軒,それと北に十数軒のものが残るばかりです。漁民集落ではもはやない。画像からもそれほどドットが小さかったり,乱雑になってる感じはなく,新しい家屋に建て変わっているように見えます。

齋浦から荷はどこへ流れたか?

 熊川は,釜山方面から陸地で接続する最西の集落だったでしょう。現代まで馬山や鎭海方面から近寄れる場所ではなかった。でもその熊川からですら,齋浦はこの位に隔てられてます。
 交易の港は,当然ながら単独では成立しません。倭館中では最大規模だった齋浦に降ろされた荷は,どのルートでどこへ向かったのでしょう。
※ 齋浦ほか三浦で扱われた荷が何だったのか,はっきりした帳簿はないらしい。15C頃に宗氏が朝鮮側に申請する際,「魚や塩」を売りたいと書いているのが残る程度です。
 馬山方面とは思えません。島嶼と狭い湾口が連なるから,それなら馬山に近い湾内を選べばいい。何より馬山のマーケットはこの平地部だけで,そこからさらに運ぶのは中世には難しかったでしょう。
 泗川や晋州までは遠すぎます。
 となると西ではなく東の可能性が高い。けれど釜山ならば,やはりわざわざこの半端な遠隔地を選ばぶのは不自然です。さらに釜山の海港側は,近年開発された深い港で,近世には使いにくかったでしょう。
 そこで,釜山までの中間,この日にバスに乗り間違いかけた金海が浮かんできます。

齋浦-金海位置関係図

 金海(黒地白文字の丸)の南の,熊川から釜山までの「平地」が元々の金海湾です。つまり洛東江の河口で,ここから釜山の亀浦,大邱を初め内陸部に水運が伸びる。
 対馬海峡を渡って齋浦に入った荷は,外航船では洛東江を航行できないから,ここか亀浦かで河川用の船舶に移されたでしょう。それでいて,洛東江方面からは岬を隔てて見えにくい。程よく隠密の交易が出来る外港として機能していたのではないでしょうか。
 金海は,古代には金官伽耶国の中心地。建国神話の6つの卵もここの裏手の山が舞台なので,紀元前後に渡るほど古い。
※ 釜山近郊 金海 大成洞古墳博物館 ①無文土器時代 支石墓 九干社会 亀旨歌 金首露王の建国 | いちご畑よ永遠に(旧 yahoo blog)
URL:https://gamp-ameblo-jp.cdn.ampproject.org/v/s/gamp.ameblo.jp/yuutunarutouha/entry-12561573638.html?amp_js_v=a6&amp_gsa=1&usqp=mq331AQKKAFQArABIIACAw%3D%3D#aoh=16350521212079&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&amp_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s
※歴史街道~ロマンへの扉/韓国歴史散策(1) 
URL:https://www.asahi.co.jp/rekishi/04-06-18/01.htm

齋浦-金海位置関係図(古代)

 けれども,中世以降の歴史情報がほぼヒットしない。
 近世の金海湾がどんな状態だったのか,これがよく分からない。古代と現代の中間と考えると,洛東江河口はまだそれなりに広かったとも想像できますけど──齋浦と洛東江,なかんずく亀浦方面との交易の
状況は,どうにも霧に霞んでいます。