GM.(経路)
東門がここなのか?
いかん!どーしても左側を走りそうになる。
1855,維新路を渡って公明路を西へ。
「東門東安宮」という文字に当時反応してます。──ここが東門なのか?
黄色線∶初期の植林防柵時代の城域
橙色線∶植林・土塁混合時代(18C初)
赤色線∶石積み城壁時代(1878年)[古城門導覧地圖]
②(嘉邑東門東安宮→GM.∶地点)の場所ですから,ここでいいわけです。
位置や向きやを抜きに最も単純な感覚で言えば,歴史的な嘉義城域は現市域に比べ,物凄く狭い。
鉄道幹線駅として現代的優位性を持つ前の嘉義は,公の色彩が強いだけの,経済規模的には北港や新港に圧倒され続けてきた町だったわけです。
文化街は単に名物屋台が並ぶ観光道じゃなく,地元繁華街として新しい店があります。
久しぶりに,という気分で一歩きすると,電気製品の小物売り場がありました。ここで購入したスマホのバッテリーはコンパクトかつ大容量で,その後長くメインで使うことになりました。台湾のスマホ周辺機器は意外に良い買い物です。
七面鳥はもう喰えん
▲1905呉投手ロータリー
文化街夜市の北入口にて見かけたスイーツを購入。
1915状元餅
筒仔粿來源150
下記のプログを見ると元形とはかなりかけ離れて要素だけを残したもののようですけど……。
台湾の中部東部には中秋節に「状元餅」の習俗がある。状元餅も月餅の一種であるが、昔の科挙制度の名称に由来し、広東・潮州・蘇州・寧波式の月餅を使い、大小あわせて六十三個の月餅を揃えたもの(略)
台湾で恐らく最も有名な状元餅は、ここ北港だったと思います。
[RAKUTEN BLOG/旧暦八月 中秋節 その二 状元餅]
郭家とその対面の嘉義牛奶のポイントに再び立つ。1920。
やはりこの辺りが一番賑わってるようです。時間帯的にも最高潮,時折通れなくなるほど。
ただ本日はもう七面鳥は食えません。
嘉義で聴く緑色
酒落た店がホントに増えたなあ。広告センスがぐんぐん尖ってきてる。香港的なギラギラではないのです。
中国のそれは近年再々感じるけれど,台湾にも波及があるもんでしょうか。
▲1926日本と同じくマスクしてる人もいれば,歩きタバコも平気でする。
何故かここのレンタサイクルは時間制限付き。1958返却,ギリギリでフロントにキーを渡してから,駅前の85℃で再度一服。
陳雪凝の「緑色」が流れてる。台湾にも来てるんだなあ。
本日は駆け回った。豪華なお宿でやっと眠れます。
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何度か滞在した台中です。 でも信じられないことに 鹿巷は逃していたのです。 |
支出1400/収入1720
▼14[207]
負債 290/
利益 30/
[前日累計]
利益 30/負債 –
§
→一月一日(三)
1308老全猪血麺線
猪血麺線+高麗菜飯300
1939阿水師猪脚店
猪脚(蹄)
白飯
脳湯450
2040洪瑞珍
カステラとか350
2058太陽堂老店
太陽餅250
[前日日計]
支出1400/収入1350
▼14[208]
負債 20/
利益 30/
[前日累計]
利益 -/負債 20
§
→一月二日(四)
台湾ローカル線を選ぶ
翌朝,元旦。
朝イチからの移動としました。0715,リュックを担いで宿を出る。曇天続く。
ほとんど必要ないので初めて通ったけど……駅前地下道は路上生活者の常宿でした。危険は感じなかったけど,地上が平和なだけに心の準備がないとドキリとします。
台南ほどでなくとも,嘉義駅は十分レトロです。基隆みたいな最新構造でもない。この光景に,こんなどデカい観光広告。
エキスプレス(自強のことだろう)は9時代というので,またもやローカルを選ぶ。2154次基隆行山線区間車,0747発。台中まで運賃は140元ほど。
「近藤の家」
と少し遣り取りしたんで,カウンターのおばちゃん,「こいつ大丈夫かよ」感を抱いたものか,わざわざ発車時刻と月台ナンバー(しかも英語)で書いてくれました。
こういうところが台湾です。大陸にはこんな人はいない。
▲翌朝嘉義駅構内。正面暗がりのファミマ,右手のカウンターが切符売り場。
地下に,呉投手の投球シーンとともに「近藤の家」という漫画が描いてありました。嘉義農業の栄光は呉投手が象徴するだけでなく,近藤兵太郎さんの名も合わせて語られてるのでしょうか。
2154次は始発らしい。
0736,乗り込む。
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