FASE81-3@deflag.utinaR312withCoV-2_Omicron#天龍\あまぐれおろちへ


荷を置きて天久の海の崖下へ

うやっと荷を下ろした那覇旭橋東横イン美栄橋から、泊交差点を左折西行、国際墓地から海側に回り込んでまいります。
 目指すは崖下の集落──騙すような斜道がいくつもあります。事前にプロットした位置情報がないと、到底行き着けない。何気ない場所だし、ここは何度も通ってるのに自前の嗅覚だけでは行きつけたことがなかった謎の場所です。
🛵

道路から見ると何気なく祠があるだけ

久海崖
〔日本名〕曙一丁目
〔沖縄名〕?
〔米軍名〕Alfa hill〜49.5高地

女龍神 天久臣乙女王

久臣乙女王神、1506。
 天久の……曙一丁目らしい。崖下。多分、女性神を祀る。
 拝所管理者は天久資産保存会としてあります。電話番号まで掲げてある。

石灰岩下の香炉

の右隣に香炉。「平姓
山田家」と読めます(巻末参照)。
 下には「明姓」と見える文字。
三角形の岩壁のすきま

球神道の感覚だと──おそらく本尊は、この隣の三角形の岩穴の隙間の造形そのものだろうと思います。斎場御嶽にある形です。ウチナンチュが聖性を感じる形象。
 その手前にも簡単な香炉。さらにブロックが組まれて、入れないことはないけれど入りにくくなってます。
覆いかぶさるような樹木と自転車

の岩の真裏にもう一つ祠。これは明らかに現代の石碑です。
「混比羅大明神
天久臣乙女王神
龍泉うみ賜ひ母神」
 何だその3神の並びは?
──「天久臣乙女王神」という、臣下なのに女王という理解しにくい名称は、那覇市のサイトによると「母龍」であるらしい。その配偶者の父龍が、次に訪れる「天龍大御神」とされます。自分では未確認ですけど、両柱とも沖宮にも祀られるという。

▶〔内部リンク〕→FASE64-1@#世持神社,沖宮,後原ヒージャー小/波の上宮祭神名

 つまり日本神話のイザナミとイザナギに相当するんだけど……それが別の場所の御嶽に祀られ、しかも金毘羅神が登場するのは……やはり全く理解不能です。

*沖縄那覇市は天久臣乙女王神についての情報ページです
URL:〘▶現在リンク切〙https://tincaga.com/dragon/links/2022.html

三神の名

の前の小さな広場には、箒と塵取りが並び手入れが行き届いてる。そこから南は金柵で仕切られてる。「落石注意 立入禁止」──これも行政ではなく天久資産保存会。
 ふいに。碑の裏からブチの猫が駆け出し、車道へ去る。
 この上はマンション。シービューグランデという文字が見えます。退去。

男龍神 天龍大御神

🛵し南へ進み、目星をつけた坂道を駆け上る。
 樹根のトンネルの先を回り込んだ上に──

崖下の香炉群

龍神、天龍大御神……だと思われる場所。1537。
 崖下に香炉6つ……というか古くて分からないのはもっと並んでます。
 正面の立派なゴマ墓石のさらに高みに祠。左右の文字のうち右の列は「原川大主」と読める文字。
火を焚いた跡のある窪地の香炉

龍王のご機嫌損ね雨宿り

と気付いて、等高線沿いに進んでみる。
 1542、奥の岩裏にも香炉を見る。ここには、はっきりと火を燃やした焦げ跡があります。

焚き火の祠からさらに奥への入口

に左手に通路。
 ただこれは──通路の存在そのものをコンクリートで隠してるような格好、に見えました。
コンクリート壁の隙間の道が右手上方へ続いてる

分……この岩の上に螺旋状に登る道があるんでしょうけど──この通路は辿るべきじゃない気がしました。
俄飴が降る

。俄に本降り。
 今朝の大国ミロク最奥と全く同じ展開です。勢い水なのか、拒絶なのか。今朝と違い、無理に動ける雨足ではありません。
御嶽とその下の雨に打たれる集落

王様のご機嫌をかくして損ね、入口の樹木の垣根に入り込みまして、しばし雨宿り。

無知の知に徹し歩くべきを歩け

樹根のトンネルで雨宿り

の雨は強くなったり止んだりを繰り返しながら、夕方いっぱい続きました。
 雨足の合間を縫って、それでも天久の安謝の洋菓子店ジョーギを目指します。
石灰岩の壁に紅の実

ec.29沖縄県感染者27人。
 県内はまだ横ばいで持ってるけれど,東京は久しぶりに50人をぐんと上回った76人になってる。これが昨年度比3倍で動いてる帰省ラッシュで──どうなるかは,けれどオミクロンに関する限り誰にも分かりゃしない。
 無知の知に徹して,沈静化しているうちに歩くべきを歩こうと思う。
字天久の民家凋落

、沖映通りのジュンク堂で本を二冊購入。
 こいつを読み耽りつつ、新都心ロールに舌鼓。
今回も元気いっぱい!ジョーギの小僧……おおっ憎い!

■レポ:琉球からの出口なき溶岩流

 まだ北山巡りの薫陶を引きずりつつ、森の川や天久海崖の点景からの匂いで、よく分からんベクトルを持ってしまってました。この夜の沖映通りジュンク堂では、それを満たす本を探す行為を通じて、正体を確認できればと期待したわけです。
 結果、二冊購入。やや新しめの、いわば学界トレンドめいた選択になりました。
◯ 谷川健一・折口信夫「琉球王権の源流」『がじゅまるブックス3』榕樹書林,2012
◯ 吉成直樹「琉球王国は誰がつくったのか─倭寇と交易の時代」七月社,2020

 この日の行程同様、以下、やや雑多な話になります。

琉球歴史学の内的発展論的バイアス

「本土の身代りにされ」蹂躙された沖縄、というイメージは、「『その前』には沖縄は沖縄自体だった」という、いわばプロト・琉球を妄信する傾向を生みました。もちろん──沖縄現代史の中での「運動論」的史観としては成立の道理は理解されます。

これらの経験(引用者注:沖縄戦)は,沖縄の人々にとって国家としての日本,あるいは琉球の存在を問うことに繋がった。その結果,日本とは異なった国家であった琉球国への憧憬を含む強い関心が換気され,研究が進められる状況を生み出した。
 その動きの中で,琉球国の形成過程に関する理解論が構築されていったが,そこで導き出された内容は基本的に琉球列島での内的発展によって琉球国の成立を説くものであった。[前掲吉成2020,原典:池田榮史「琉球国以前─琉球・沖縄史研究におけるグスク社会の評価をめぐって」2012]

 この論理は、逆のアプローチ、つまり琉球形成史が外からの強い影響を受けていることを強調するイメージの論拠になってます。でもそれを否定的に捉える必要はないのだと思う。
 直感的な私見として──琉球史は、おそらく通説的に言われるものより、格段にダイナミックなものだと感じられるのです。熱い「愛郷心」をやや傷つけてでも、その巨像を掘り当てる方が遥かに有意義だと考えます。また、掘り当てられたそれは、むしろより誇るべき琉球の姿として浮かび上がるように思うのです。

(再掲) 石灰岩下の香炉

平姓山田氏銘香炉はなぜ天久海崖にあるか?

 ほとんどの事象を謎と捉えるしかなかったこの日の行程でも、最も分からないのが、天久臣乙女王神香炉に刻まれた「平姓山田氏」銘です。
 この氏族名は通常は──薩摩の山田有信を出した家系です。薩摩には谿山郡山田、佐土原八幡、川内山田村の山田氏も存在しますけど、平姓を名乗るのは一家しか確認できません。

平姓山田氏で、武蔵三郎左衛門有国の子である式部少輔有貫(有実とも)が文治年間に薩摩へ下向し、日置郡山田を与えられてより山田姓を称したというものである。こちらの系統からは薩摩島津氏家老である山田有信・山田有栄らを輩出しており、諱の通字は「有」の字である。

*wiki/山田氏/ 薩摩国の山田氏
URL:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%B0%8F

 文治年間というと建久の前、1185-1190年です。島津家初代(惟宗)忠久の島津荘下向が1185(文治元)年ですから、後世島津に臣従した山田家か、あるいは島津側が調整をしたようにも見えます。
 1578(天正6)年と1586(天正15)年の二度、山田有信は新納院高城で三百ほどの兵と籠城し、前者は島津家久とともに突出し大友を討ち(耳川の戦い)、後者では秀吉征伐軍に敗れてます。

何かのゲームの夢に出そうなほど物凄い山田有信

 子・有栄は朝鮮役・庄内乱・関ヶ原とも武功一等、1629(寛永6)年に薩摩出水地頭となり「出水兵児」の名を世に出します。
 けれど両将とも琉球侵攻での事績は見当たりませんし、海外交易の伝えもない。もちろん出水は加世田・伊作に隣接する沿岸ですから琉球交易に関与してもおかしくはないのですけど──実証史料は何一つない。
 ならば天久海崖に残る平姓山田の銘は、一体何なのでしょう?
 問題提起だけで、仮説は一切浮かびません。ちょっと用事を思い出したのでこれにて。
出水兵児修養掟〔後掲出水市〕

【おまけ】出水兵児修養掟

 沖縄じゃないんだけど、山田出水繋がりで、凄い一文を見つけたので転記をば。出水各郷で青少年(兵児)の生活規範ともなる「掟(じょう)」として、朝夕朗読させてたものらしい。

節義せつぎたしなみ申すべくそうろう
節義のたしなみと申すものは口にいつわりを言ハず身にわたくしかまへず、心直こころすなおにして作法さほう乱れず、礼儀正しくしてかみ作法へつらハずしもあなどらず人の患難かんなんを見捨てず、おの約諾やくだくたがへず、甲斐かいかいしく頼母たのもしく、苟且かりそめにも下様しもざま下様いやしき物語り悪口など話の下様はしにも出さず、たとえはじを知りてくびねらるゝとも、おのれすまじき事をせず、死すべき場を一足ひとあしも引かず、其心鐵石そのこころてっせきこまとく、又温和慈愛おんわじあいにして、物のあわれを知り人になさけあるをもつて節義のたしなみと申すものなり

【現代語訳】人は正しいことをしないといけない。
正しいこととは、うそを言わないこと、自分よがりの考えをもたないこと、素直で礼儀正しく、目上の人にぺこぺこしたり目下の人を馬鹿にしたりしないこと、困っている人は助け、約束は必ず守り、何事にもいっしょうけんめいやること、人を困らせるような話や悪口などを言ってはいけないし、自分が悪ければ首がはねられるようなことがあってもべんかいしたりおそれたりしてはいけない、そのような強い心を持つことと、小さなことでこせこせしない広い心で、相手の心の痛みが分かるやさしい心を持っているのが、立派な人と言えるのです。
〔後掲出水市〕

 市の訳は相当「民主化」した訳です。
──たとえ恥を知りて首はねらるるとも、
己が為すまじき事をせず、
死すべき場を一足も引かず、
その心鉄石の如く──
の辺りの語気は湯気が立つほどです。

焼酎出水兵児

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