m40_10第四十波mめにかかる雲やしばしのわたり鳥m看法Vission_mメタ認知

めにかかる雲やしばしのわたり鳥 芭蕉

域史を辿るうち,陸上の政治史を主軸とした既存の歴史学はもちろん,知識や文化へのアプローチそのものに転換を加えないと対処できない状況が増えてきます。
 この章(四十波)では,発想法というか戦略というか,海を行き交った彼らへの眼差しの周波数みたいなところをまとめてみます。

なぜ眼差しを語り直すのか?▼▲

民がなぜ陸にない知性を持ったかと考えると,偶然に内発的な新しい知性が創造されたとするより,必然に外発的に,即ちその生活環境に必須なのでそういう知性を有した,と考えるのが自然です。
 予想不可能な海洋環境と理解不能な他文化との交易は,動かぬ陸上に比べ遥かに困難な知性の活動場所でした。要するに,それなしには生き延びられなかったということです。
 海民が,陸人とは別の人種だとか知能指数が特に高いとか,そうした先天的な差はなかったはずです。我が拙き旅行者の観点から予想するに,海民はその生活の中で──嵐に遭い,異郷に流れ着き,未知の言語の異俗の社会と折衝するうち,自らの知識や理解を超える事物への接し方を身に付け,絶えず磨いていった結果だったと思う。

バルトによれば、無知とは知識の欠如ではなく、知識に飽和されているせいで未知のものを受け容れることができなくなった状態を言う。実感として、よくわかる。「自分はそれについてはよく知らない」と涼しく認める人は「自説に固執する」ということがない。他人の言うことをとりあえず黙って聴く。聴いて「得心がいったか」「腑に落ちたか」「気持ちが片づいた」かどうかを自分の内側をみつめて判断する。そのような身体反応を以てさしあたり理非の判断に代えることができる人を私は「知性的な人」だとみなすことにしている。その人においては知性が活発に機能しているように私には思われる。そのような人たちは単に新たな知識や情報を加算しているのではなく、自分の知的な枠組みそのものをそのつど作り替えているからである。知性とはそういう知の自己刷新のことを言うのだろうと私は思っている。〔後掲内田〕

(復習)メティスの知

分析能力の高い古代ギリシャ人は,タコやイカのような海洋生物に備わっている知性を,言語的ロゴスと区別して『メティス(metis)』と呼んで関心を持っていた。メティスは海の女神である。陸上のロゴスは言語の意味を確定しようとする。ところがメティスは言語の秩序を乱して,意味を多様性の渦に引きずり込むのである。それはタコのように変幻自在に姿を変え,周囲の環境にまぎれて自分を見えなくしておいて慎重に近づいていき,いきなり相手に襲いかかるなど,策略にみちた行動を可能にする知性である。この知性は人間にも動物の世界にも見出される。〔後掲中沢〕

 人間の世界でこのメティスの知性の持ち主と目されるのが,職人(彼らは一様でない素材の変化に合わせて繊細に道具や筋肉の使用法を変化させていく),ソフィスト(哲学者のように真理の表現を目指すのではなく,ソフィストは相手を説得するために表現を自在に変化させていく。〔後掲中沢〕

彼らは真理を語ることよりも,演説によって状況に変化がもたらされることのほうが重要と考える),政治家(彼らも真理を語ることには関心がなく,嘘をつくのも平気で,そんなことよりも発言ができるだけ効果的であることにこころがける),海洋民(動き変化を続ける洋上で安全に航海を続けるための知性に富んでいる)たちである。たえまなく動き変化している実在を,厳密な論理命題によって取り押さえるのではなく,みずからを多数(multiple)多様(polymorphe)に変容させながら世界に変化をつくりだしていくのが,メティスの知性の特質である。〔後掲中沢〕

内田樹▼▲

代という時代は,反知性主義(原語【米語】Anti-intellectualism)と近年呼ばれるムーブメントを繰り返し起こしてきました。海民がマティスの知を本当に有し,それが絶えず激変する生活環境によるものとすれば,反知性は過度の社会化の中央部,特に平等な民衆が形成する世論の中に生成されると言ってもいいでしょう。

近代の陰謀史観は18世紀末のフランス革命を以て嚆矢とする。革命が勃発したとき、それまで長期にわたって権力と財貨と文化資本を独占してきた特権階級の人々はほとんど一夜にしてすべてを失った。ロンドンに亡命したかつての特権階級の人々は日々サロンに集まっては自分たちの身にいったい何が起きたのかを論じ合った。けれども、自分たちがそこから受益していた政体が、自分たちがぼんやりと手をつかねているうちに回復不能にまで劣化し、ついに自壊に至ったという解釈は採らなかった。〔後掲内田〕

ランス革命は,当時,「衝撃」というより「理解不能」な現象だった。おそらくヨーロッパにとって第一次大戦などもそうだったでしょう。

(続)彼らはもっとシンプルに考えた。これだけ大規模な政治的変動という単一の「出力」があった以上、それだけの事業を成し遂げることのできる単一の「入力」があったはずだ。自分たちは多くのものを失った。だとすれば、自分たちが失ったものをわがものとして横領した人々がいるはずである。その人々がこの政変を長期にわたってひそかに企んできたのだ。亡命者たちはそう推論した。〔後掲内田〕

Covidの時代の日本世論とあなたの周囲の反応を思い出して頂ければ,この情景はリアルだと思います。何でも噛み砕いて説明してくれるマスコミ慣れして,これを信じてるような社会化した人間は,「不可知な現象」「理解の及ばぬ複雑系」という事態が,有り得ることそのものが認知できないのです。

19世紀末にエドゥアール・ドリュモンというジャーナリストが登場して、「フランス革命からの100年間で最も大きな利益を享受したのはユダヤ人である。それゆえ、フランス革命を計画実行したのはユダヤ人であると推論して過たない」と書いた。この推論は論理的に間違っている(「風が吹いたので桶屋が儲かったのだから、気象を操作したのは桶屋である」という推論と同型である)。だが、フランス人たちはそんなことは気にしなかった。ドリュモンのその書物『ユダヤ的フランス(la France juive)』は19世紀フランス最大のベストセラーになり、多くの読者がその物語を受け容れ、著者宛てに熱狂的なファンレターを書き送った。その多くは「一読して胸のつかえが消えました」、「頭のなかのもやもやが一挙に晴れました」、「これまでわからなかったすべてのことが腑に落ちました」という感謝の言葉を書き連ねたものだった。〔後掲内田〕

ovidについて拡大初期にマスコミなど世論で言われていたことを思い出してみてほしい。「ドリュモンの物語」に近い,後から考えたら嘘八百でしかない「解説」を,私達はどれだけ信じこんで右往左往したことでしょう。

ドリュモンのこの物語は、同時期にロシアの秘密警察が捏造した偽書『シオン賢者の議定書』とともに全世界に広がり、半世紀後に「ホロコースト」として物質化することになった。フランス革命とユダヤ人を結びつけた陰謀史観の物語はおそらく人類史上最悪の「反知性主義」の事例としてよいだろう。
 600万人ユダヤ人の死を帰結したこの物語の最初のきっかけがはげしい「知的渇望」だったということを私たちは忘れるべきではない。(略)その知的渇望はどこかで反知性に転じた。どこで転じたのか。(略)彼らが自分程度の知力でも理解できる説明を切望したからである。
 実際に、フランス革命は単一の「張本人」のしわざに帰すことのできるような単純なものではなかった。(略)強いて言えば、「いろいろな原因の複合的効果によって」というのがもっとも正直な回答なのであろうが、そのようなあいまいな説明を嫌って、人々は「ずばり一言で答えること」を求めた。〔後掲内田〕

実より「納得感」「シンプルさ」を優先するようになったら,知性としては終わりです。海民の環境に照らして言えば,そんな「納得」では圧倒的な外部に全く対応できない。
 それは科学と同様に,個人の技能ではなく集団知として存在したはずですけど……さすがにそこまではほぼ残らない。(例外として日本の「廻船大法」があるけれど)

科学および的客観性はひとりひとりの科学者の『客観的』たらんとする個人的努力に由来するものではない(由来するはずもない)。そうではなくて、多くの科学者たちの友好的-敵対的な協働に(friendly-hostile co-operation of many scientist)由来するのである。〔後掲内田 限定版∶Karl Popper, The Open Society and Its Enemies, Vol.II, Princeton University Press,1971, p.217〕

田樹の言う知性は,だからマティスの知に非常に近い。陸人よりも,海民の環境が次のような真の「知性の発動」を要請する機会が多かった,ということだと思います。

 私たちの知性はどこかで時間を少しだけ「フライング」することができる。知性が発動するというのはそういうときである。まだわからないはずのことが先駆的・直感的にわかる。私はそれが知性の発動の本質的様態だろうと思う。〔後掲内田〕

 そうした記憶量とか経験知の蓄積に還元されないような知性というのは,現代ではもう少し別の言葉でも語られるようになりました。

メタ知識▼▲

 自己の認知活動(知覚、情動、記憶、思考など)を客観的に捉え評価した上で制御することである。「認知を認知する」 (cognition about cognition) 、あるいは「知っていることを知っている」(knowing about knowing) ことを意味する。〔後掲wiki〕

メタ認知とは認知過程及びその関連事物(情報やデータなど)に関する自分自身の知識をさす。例えば、私がAよりもBの方が学習が困難であると気づいたとしたり、あるいはCが事実であると認める前にそれについて再確認しようと思いついたとしたら、それはメタ認知を行っているということだ。〔後掲wiki 原典∶後掲J H Fravell1976, p. 232〕

メタ認知とは、記憶の監視と自己調節、メタ推論、意識/意識、自律意識/自己認識の研究を含む一般的な用語です。実際には、これらの能力は、自分の認知を調整し、考え、学び、適切な倫理的/道徳的ルールを評価する可能性を最大化するために使用されます。〔後掲wiki(英語)/Metacognition メタ認知〕→和訳

MSK{引用者注∶メタ戦略的知識}は、特定のインスタンスで使用されている思考戦略のタイプを認識しており、次の能力で構成されています。思考戦略に関する一般化とルールの作成、思考戦略の命名、そのような思考戦略の時期、理由、および方法の説明使用する、使用すべきでない場合、適切な戦略を使用しないことの不利な点、および戦略の使用を必要とするタスクの特性は何か。〔後掲wiki(英語)/Metacognition メタ認知〕→和訳

事例イメージ▼▲

Flavellは、メタ認知を認知と認知の制御に関する知識と定義しました。たとえば、BよりもAの学習に問題があることに気付いた場合、または事実として受け入れる前にCを再確認する必要があることに気付いた場合、その人はメタ認知に取り組んでいます。〔後掲wiki(英語)/Metacognition メタ認知 原典∶後掲J H Fravell1976,p232〕→和訳 

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〔後掲wiki(英語)/Metacognition メタ認知〕→和訳

〔後掲wiki(英語)/Metacognition メタ認知〕→和訳

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