目録
愛宕町万月からの地獄坂
博多祇園山笠は、地震・雷・火事はどうか知らんけど、大雨でも7月15日朝4∶59に出走します。実はその台風下を走る山笠を見てから耽溺してるんですけど……厄災には流石に負けて、2022年は三年ぶりの開催でした。
この年は、追山を観た足で長崎入りしました。
先ず向かいましたのは、これも久しぶりに上小島五丁目へ。
災厄は、来る時はとことん来るもので、この日は集中豪雨の恐れが出てました。だからある意味、山笠に重なることを期待してたんですけどそれは無く──この長崎歩きに見事に重なろうとしてました。
長崎南高校正門のスグそばにある坂は、勾配の急な坂で地元の人からは「地獄坂」と呼ばれている。長さはおよそ200m。傾斜は23%あるらしい。登りもキツいが降りも恐い坂。〔後掲あの街この街ランキング〕
起点は従来通り、愛宕町の万月堂。ここの古式ゆかしい洋菓子を捨てるわけにはいかない。たとえ歩いてグチャグチャになろうとも。
愛宕町からバス道を東へ下降。長崎愛宕郵便局を過ぎると、右手にエグチ美容室が見えてくる。その対面、しらいと薬局前、信号機のあるY字路の坂を右に入る。
1305。
渓流と法面と昏い公園と
ad.(住所表示)愛宕三丁目13。
ひぐちフルーツというお店が、何と道を跨いで開店中。
小雨ぱらり。
右手直下に渓流。真田丸たいやき、ここは初めて開店してるのを見ました。
愛宕三丁目自治会掲示板。
斜めに橋を渡るとad.23。にわかに雷音。
1313。左手に渓流,右手にコンクリートの法面、その上に昏い公園(白糸公園)。この場所です(→GM.)。
──この箇所で間違うと地獄坂方向へ行けないんたけど、ここがなぜこんなに分かりにくい構造になっているのか、とうも不明。
再び雷。なれど右手の階段を登る。
この坂はまだ地獄坂ではな
1319、階段のT字。これを右折西行するとすぐ細い車道に出る。
ad.上小島三丁目13。
この車道は、そのまま跨いで対面階段へ。1321。進路方向はほぼ西になります。
自治会休憩所で変則四つ叉?
1324、マップで確認後、まっすぐの道を進む。ad.12。上小島三丁目自治会掲示板。
上小島清水公園で力尽き
ふ ふいに気配。見上げると塀の上。凛々しい猫の一匹。
地獄坂の門番か。
車道に出た!1232。
雨が激しい。左折。すぐ見えた坂へ右折西行。
──何とこの坂をトラックが降りてくる……。
うおおっ、ザアザア降りになりよった!近場の(もちろん誰のか知らん)車庫に避難し時を待つ。
迂闊にも…傘がない。
地図上は……残り2百mでピントコ坂への下り道のはず!なのに──長崎はマップの百mで天地が逆転する土地です。
1339、上小島清水公園(→GM.)……に東側の裏口からたどり着く。ベンチ。とにかく一服しつつ、気象協会HP。──雨雲レーダーでは、どうも……この後の方が激しく降るっぽい。無理をしよう。
公園西口から出ると、そこには紛うことなき地獄坂!!雨に振られて忘れかけてたけど、この坂へ向かってたんでした!
20数年前の話しですが、当時550ccの軽自動車に成人男性4人が乗り込むとほとんど前に進まなかった記憶が甦ります。〔後掲日刊カーセンサー〕
エベレストクリーニングの坂の街
知らんかった。地獄坂ってのは、南高生発の愛(又は憎)称なのか。
長崎には、色んな名前がついた坂がありますが、その中でも、一番おどろおどろしいのが、長崎南高校の現役&卒業生の一部で語り継がれている通称「地獄坂」。〔後掲キレイライフプラス〕
Wiki及びAIによると、現在の長崎南高校には山岳部はありません。けれど──
一説によると、高校の登山部はこの坂を上り下りして鍛えているとか。〔後掲キレイライフプラス〕
という伝説があり、「長崎南高校山岳部(11回生)からの登山 1973年(昭和48年)8月大台ケ原でのインターハイに長崎県代表」出場したという人の記事のヒットがあり、かつ2011(平成23)年に「ボルダリング」(フリークライミングの一種)ジャパンカップ長崎大会が日本山岳協会の主催で旧長崎南商業高校体育館で開催〔wiki/長崎南高等学校〕されており、さも地獄坂を通ってそうな執念深い旧部員の人がいる模様。
登れた。
1349ad.五丁目1、対面にやまぐち屋、車道。
長崎の道が迷路であるのと、地蔵の多さは相関すると言われ、信仰の一方で多分「道標」機能です。この地獄坂最上点の東にも小さな地蔵有。
右折北行。25mほどで長崎南高校裏門。さらに25mほどで次の地蔵堂(→GM.)のあるY字。
ここから右へ下りていくとピントコ坂です。1352。
ピントコの坂より見た雷 夏
平松地蔵のうち、笑顔の地蔵様を一枚。
この地蔵群も、近辺に散在したものを道路改修時に集めたとされますから、元は各所の道標だったのでしょう。あと、これは知らなかったけど──地蔵尊隣には、初瀬川伊三太という力士さんの墓所があるそうな。1808(文化5)年に43歳で没。その他詳細不明 〔後掲小島中〕。
ピントコ坂を下りながら、行く手の方向に稲光を見たのは初めてでした。物凄くも美しい。
美しいけど、とりあえず早く降りましょう。
1418。崇福寺から赤迫行き乗車。すぐ発車となる。濃い75分間でした。
「地獄坂」としては、大浦天主堂裏の相生地獄坂というのがやや知名度を増していて、観光エリアゆえに知名度的には南高地獄坂を凌駕しつつあるらしいけど……やっぱり本家(?)へ行かなくちゃ。
1522。予報通り、本格的な土砂降りになりました。
「15日は、前線の影響により雨や曇りとなり、雷を伴い非常に激しく降る所があるでしょう。16日は、前線の影響により、はじめ雨で雷を伴い非常に激しく降る所がありますが、高気圧に覆われて次第に晴れるでしょう。」〔後掲日本気象協会予報〕