FASE110-1@deflag.utinaR412withCoV-2_BA2#鉄砲百合斉射す 海域亜細亜なる\宇嘉へ

※本句 花芒凪の十万億土なる 海城
※D 開成「芒がなぜ十万億土?」海城「『なる』の余韻」開成「『芒』でなく『花芒』は一本に注目し過ぎてる」海城「花芒だから幽幻」開成「『凪』?」海城「凪により広がりを感じる」

[前日日計]
支出1300/収入1120
    ▼13.0[①152]
  /負債 180
[前日累計]
利益 -/負債 727
五月三日(三祝)
1020まるひら食堂
にんみんライス+単品:げんこつからあげ650
1435さくら食堂
スタミナもやしそば(小)500
2000 オリオンビール&山羊刺370
[前日日計]
支出1300/収入1520
    ▼13.0[①153]
負債 400/
[前日累計]
利益 -/負債 327
五月四日(四祝)
▼▲
0808 名護十字路
   ▼No.67
0851 奥間B入口
1000 まるひら開店
1124 1234 1304 1344★ 1444 1534 1634 奥間B入口
1354 1609★ 1839 名護十字路
   ▼No.70
1401 1616 1846 為又

「やんばる3村集落マップ」〔次章謝敷〕

現在は方言でもウカというが,本来はワハ。(略)集落は東シナ海に注ぐ宇嘉川河口の沖積地上に立地。きわめて山が深く,集落は東にチーバナ山,南にメンボーイ,北にサキバルと呼ばれる標高160mないし200mの丘陵を巡らし,段々畑が多い。宇嘉川右岸の山中,北嶽の南にウイハー(上川)とティンガー(天川)という井泉があり,集落発祥の地と伝える。集落東方の林中に老松のぬきんでた神山がある。神山の「世の初めの屋敷」「世の初めの井」は村の拝所で,人類発祥の地だとされる。〔角川日本地名大辞典/宇嘉〕

方言ではビヌチという。(略)集落は辺野喜川下流に開けた沖積地上に立地。かつては河口が広く,辺野喜港は良港として知られた。山にはイジュ(伊集)の木が多く,その白い花は気品があり,辺野喜節に「伊集の木の花やあんきよらさ咲きゆりわぬも伊集のごと真白咲かな(伊集の木の花はあんなにきれいに咲いている。私も伊集の花のように真白に咲いてみたい)」と謡われた(琉歌全集118)。また「めんば上の松や誰がむすびやたが辺野喜めやらべの遊びむすび」と謡った琉歌もある(琉歌全集2452)。〔角川日本地名大辞典/辺野喜(べのき)〕

王府時代~明治41年の村名。国頭方国頭間切のうち。「絵図郷村帳」には,ざじき村と見える。乾隆18年(1753)謝敷村詰の筆者が置かれ,与那・謝敷・佐手・辺野喜【べのき】・宇嘉の5か村の杣山を監視し,港での船改めも行った(地方経済史料9)。同40・41年の両年にわたり,村民大城仁也が耕作当や山当とともに,辺伊口【ひいぐち】川から水を引いて(長さ250歩余),天水田に灌漑,さらにソテツを栽培して飢饉に備えたという(球陽尚穆王30年条)。同治4年(1865)与論島(鹿児島県)に向かった村民比嘉筑登之の船が,「波多武国」に漂着し,「満呢陀国」を経て横浜(神奈川県)の異人館に送られ,薩摩の役人に引き取られて帰国した(球陽附巻尚泰王18年条)。比嘉は,与論島民に銅銭を貸しており,この時も「財木油松」を積んで出港していることからみて,薩摩の直轄領である与論島との間に交易のあったことがわかる。拝所に神アシャギがあり,与那ノロの祭祀(由来記)。明治12年沖縄県,同29年国頭郡に所属。明治17年山林保護官として県山方筆者が謝敷村に置かれ,国頭間切の西側11か村を管轄した(国頭村史)。〔角川日本地名大辞典/謝敷村(近世)〕

方言ではユナという。(略)ウンジャミ(海神祭)のウムイに,祭祀を終えた神々が帰るとき乗船する港として「くがちんぬみなとう」が見える(ウムイ310/歌謡大成Ⅰ)。〔角川日本地名大辞典/与那〕

沖縄本島北部,国頭(くにがみ)村与那にある急坂。伊地~与那間を結ぶ近世以来の交通路の一部。国道58号の通過する与那トンネルの真上に位置する。交通上の有名な難所で,琉歌の与那節に「与那の高ひらや汗はてど登る無蔵つれてやれば一足だいもの(与那の高坂は,汗を流して登るけれど,彼女をつれてなら,一足で登ってしまう)」と謡われ(琉歌全集791),また明治18年の「県地誌略」に,国頭間切内の嶮所の1つにあげられている(国頭村史)。大正6年頃,与那高坂の海岸斜面の中腹に,村道が開通(同前)。昭和5年,県振興15か年計画案に基づく辺土名(へんとな)と奥の間の県道開設工事が,同10年宇嘉まで完了した。これにより,与那高坂はほとんど利用されなくなった。〔角川日本地名大辞典/与那高坂〕

今回最後のママチャリランをやって0745名護十字路前。空は半ば曇り,自転車行には丁度いいけど,風も少しある。自転車が借りれるかが怖いけれど,勝率は低くはない。
やっぱり雑居ビルではまだ歌声というか雄叫びというかが響いてる。このRED LINEという店の営業時間はどうなってんだ?
雲間より一瞬日射。
好い。今日は神の日です。

今朝がたにかけて角川を抜いていくと──この国頭の村々は本当に歴史が深い。とりわけ海の歴史の片鱗を垣間見せつつ,謎に沈んで北部の片隅に在る。
「北山」というクニは底知れない。陸人の国のような本拠は特にない,松浦水軍のような緩やかなまとまりがあったのだろうけど──本当に何も見えない。

キリンの500ml缶ビールを手に下げた上機嫌のおやじが「大丈夫大丈夫」とか「よーし分かった」とか結構大声で喚きつつバスの時刻表を覗いとる。そのうち「先輩先輩,沖縄から出たことあるのか?」と,どうもワシに語りかけとるらしい。なかなか怖いぞ?早く来い,バスさん?
ええっ?67番に乗ってきたぞ?
一番後ろでさらに調子に乗ってきた。「ホントにいいタイミングで来たな(バス),今日ついてるな,博打勝てるな」とかなり飛ばしてる。「笑いなさいよ〜」と他の客に絡み始めた。「おはよ〜?俺バカにしてんのか?」おおっ暴走モードに突入か?
──神の日じゃのう。

0819運ちゃんがついにアナウンスで「お兄さん,静かにしようね〜」。あれ?全然効いとらん。
「お客様だぞ!」とかえって騒ぎ始めたのでついに運ちゃん「降ろすよ!」と最終通告アナウンス。内地ならどうするんだろ,こういう時?てゆーかあまりないシチュエーションだろけど。
それはそうと,仲尾次というこの集落,結構大きい。

方言ではナコーシという。(略)集落西北の海岸部にハンジャと呼ばれる小湾があって,ここからは沖縄考古編年後期の仲尾次貝塚が発見され,与那嶺の前Ⅴ期の東長浜原遺跡との関係が深いといわれる。〔角川日本地名大辞典/仲尾次①〕

方言ではナコーシ,あるいはヌホーシ・ナホーシという。(略)集落は,海岸の砂州上に立地し,塊村をなす。仲尾次は,上グスクまたはナカグスクと称する羽地大川下流左岸の丘陵上から現在地に移動したと伝える。グスク時代~近世の仲尾次上グスク遺跡,グスク時代のウフ御嶽土器出土地・ハーヌウイ(川之上)遺跡が確認されている(名護市の遺跡)。現在の集落南部にあるグスク時代の川之上遺跡付近には,ノロ殿内・神アシャギなどの拝所があり,西隣の畑からグスク系土器・類須恵器・青磁片が採集されている。上グスクの南斜面の畑地からは南蛮陶器・沖縄製陶器などが出土した(同前)。〔角川日本地名大辞典/仲尾次②〕

相当古い土地です。かつ,ここにも交易の片鱗が見える。アサギのある「川之上遺跡」付近というのの見当がつかないから攻めようがないけれど──。

0840塩屋橋で「お客様」は下車なされた。寝たふりしてたけど運ちゃんもとにかく降りてくれるなら,と適当にあしらってます。
おっ!晴れてきましたね!

0906借りれた!「完全充電が1台あります」と言ってたから開店すぐに来て良かった。日差しは強い。風は思ったほどはない。

四月ぶりに見る辺土名商店街ゲート

0914辺土名商店街からトンネルへ。
辺土名トンネルは海側。
0921宇良。
宇良の海岸に出る。

0925石林が見えた。

海上はるかに大石林山の影。R58北上行はこの影が段々大きくなってくる行程です。

0929新与那トンネルは陸側。
謝敷の海に薄

0940謝敷。
謝敷の浜に降りる

謝敷の龍宮の宮

龍宮の宮を見つける。集落北から海岸への階段。
謝敷の龍宮の宮の方石

龍宮神と書かれた方石。向いているのは集落の方か。竈門らしきストーンサークルあり。供え物なし,というかここでは風に攫われるか。
海岸はなかばロック。
謝敷龍宮の宮の前の海。岩盤だらけ。

佐手の海。さっきより幾分か大石林山が大きい。

ガードレールのある車道を北へ。前回も撮ったアングルですけど,やはり美しい造景です。

0957佐手。
この海岸には海崖を掘った墓が少数ながらある。
佐手の海岸崖下の墓地群

1002辺戸岬13km,初回折返し地点を過ぎる。ここまでが晴れてれば1h。
完全な放射線状

辺野喜の湾

1009辺野喜。確かに良い湾です。
双子とんがり岩には釣り人多数。
辺野喜北のとんがり岩から海。定説通り,幾層にも重なった岩盤で出来てます。

1017宇嘉。角川によると語源は違うけれど,宇宙を嘉す(褒める,讃える)──凄い地名です。
まるひら食堂からR58と海

1020まるひら食堂
にんみんライス+単品:ㄥㄥげんこつからあげ650
広い。入口にボブ・マーリィ写真。座敷テーブル三つとカウンター数席。座敷には店の家族がうだうだしてる,という沖縄タイプの店……というか共同売店の一部ですけど,間違いなく沖縄島最北の食堂。
まるひら食堂の壁

とにかくいろんなものが壁を埋めてる。「命名 国場○○」とか「STOP密漁」とか具志堅さんの「飲もうよ!チャンピオン公式飲料。さんぴん茶」広告とか──
まるひらのにんみんライス

大盛りにすりゃよかった!
「にん」にくで炒めた「ミン」チと白ネギ,海苔が入ったライス,というだけなんだけど──元に鋭い辛さの唐辛子が交えてある……という以上は何が何だか分からない旨さ!
酢,魚の粉,山椒,辣油の味付け調整付き。特に酢と山椒が効く。
にんみんライスどアップ

これは家で自作してみたいけど……おそらくこの絶妙さはちょっと再現できないと思う。前田と同じくにんにくの効き方がヤマトの常識からすると半端ない,というだけじゃない。
非常に下世話だけどとことん旨い。これは何なんだろう?
あとそばも出汁が旨い。漬物……に見えたのも酸味が効いたピクルス。
以外にも安心する味だったのがげんこつ唐揚げ……だったほどです。
北部の味覚の暴走は止まらない。
宇嘉のまるひらから奥への道

裏の空き地はただの空き地。でも集落はなかなか良い。食堂を出たローラースケートの女の子が山へ去る。
まるひら脇道から山手。

宇嘉のある庭先

宇嘉の小さなフクギの小径

快晴になりました。南へゆっくり動こう。
テッポウユリの彩る道からR58に戻る

辺野喜節碑。よほど郷土の誇りなのか,この集落にはあちこちに建ってました。

1111辺野喜節碑
辺野喜の集落道。平地でも集落以外は閑散としてます。

辺野喜神社下。辺野喜川を渡って海へ戻る。
辺野喜橋から神社方向

辺野喜川
R58への戻り道にて

河口が湾だったとすれば,確かに相当良港でしょう。ただ改変されすぎて海岸線が分かりにくい。
ウミユリが群生して道を彩る。
テッポウユリがズラリと並ぶ道端からR58へ

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