FASE110-2@deflag.utinaR412withCoV-2_BA2#鉄砲百合斉射す 海域亜細亜なる\与那へ


ウミユリが群生して道を彩る。▼▲

辺野喜南海岸から奥間方向の海岸線

奥間ビーチが遠望できる。遠浅でそれが岩(珊瑚礁)だから船舶にはかなり危険に思えます。1129

1135謝敷。集落内へ。

謝敷のフクギの迷路(1)

謝敷のフクギの迷路(2)
謝敷のフクギの迷路(3)
謝敷のフクギの迷路(4)
謝敷のフクギの迷路中の軒

謝敷のフクギの迷路(5)

やんばるの暮らし今昔という図絵の中に「やんばる3村集落マップ」あり。
謝敷の「やんばるの暮らし今昔」

(前章再掲)「やんばる3村集落マップ」部アップ

潮干狩りの人々

沖に潮干狩りの一群。
この辺りにはヒルガオが各所に咲き誇っていました。

R58側から見る与那

1204与那集落へ。
与那川

与那共同店 の方へ進む。
与那川を新与那橋で越える。
共同売店へ

竹編みのような垣根。この辺り数軒だけだったので流行りかもしれないけれど。

竹編みのような垣根。
共同売店の庭先

共同売店でファンタグレープ。おや?この前の普通に家のようなのがノロ殿内?
与那ノロ殿内

横手には泡盛とオリオンビールを山と積む。
泡盛とオリオンビールと。他地では公民館でよく見た光景です。

ノロ殿内看板

左及び中間の壇

祭壇は三間。左が黒い位牌,中が香炉,右に七福神の額。
右手七福神の額

ここはホントに今もノロが住んでる,あるいは営業してる場所じゃないのか?
「与那区」の文字がある何かのケース。共同売店裏にて。

1222新与那トンネルへ。
海岸の岩場にヒルガオが伸び広がっていた。

1259自転車返却
60%にならなかった。ということは,今日の位燃費,つまりバッテリーの充電容量があれば奥まで行き着けるのかもしれません。
1304便が1307には来たので乗車。なぜかたちまち空はかき曇り,朝の天気に戻りました。本部半島が煙ってます。カフーが無理をかけたのかもしれません。

1400名護十字路。1609のNo.70為又(びいまた)行き確認。
少し腹ごなしに歩く。アーケードから北へ。

1416城歓楽街(1)

1416ad.城一丁目9-15
1419城歓楽街(2)

1419ad.同13-10
1420城歓楽街(3)

1420同南方向
1421城歓楽街(4)

1422同
1424城歓楽街(5)名護十字路北

1424名護
さくら食堂スタミナもやしそば

1435さくら食堂
スタミナもやしそば(小)500
 すき焼きの残り汁付け沖縄そば,という決して良い趣味の味覚ではないんだけど──このさくら食堂のを食べるとこの「発明」が大したものだということが実感できます。
スタミナもやしそば どアップ

1961年の頃の名護市場通り写真

1961年の頃の名護市場通り写真1523
今日,野菜市場の隣にぶるぶる震える手でもやしのヒゲを取ってるおばあの姿を見ました。変わるようで変わらない,名護の姿でした。
なせか沖縄限定のパワードリンク

名護十字路西側バス停には手作りっぽいベンチがある。ここに座ってて「変」の来襲を受けたのです。

1606No.70を待つ。スマホを打ってると,背後に立つ三十もつれの男。さっきからエラく周囲をうろついてる。あまり背後に長く付くから「何かありましたか?」とギリッと睨んで見せると,眼を澱ませて無言で立ちすくんでる。沖縄によくいる「変な人」で,今日は行きと帰り,それぞれ出くわしたことになります。
 よくいる,というのは沖縄には精神異常者が多い。ノロやユタの流れで,それを社会が完全に排除しないで,普通に生活してる。
ほらね,今朝と同じくNo.70に一緒に乗ることになりました。
このバスがちゃんと北部合庁前で右折するかだけど……ほら右折した!OKよ!
東京を七つの丘の町と言うけれど,名護にはいくつ丘があるのやら。のっぺりしてるようで複雑な,シマからシマへ渡るような町です。

為又バス停からスーパーホテル

為又の辺りはエラく郊外タウンが多く,俗に為又タウンと言われてるらしい。ここも何かあるわけじゃないんたけど。
1619為又下車。宿へ。明日はいよいよ発つ。

気に入ってしまったオリオン75(名護)と山羊肉と

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