第二日
m421m第四十二波m獺狩るも仏手柑切るも一刀m1猴洞山 2車城
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D「イメージが似通ってしまってる?」「首斬りは多くの人が見たことがない。それを想像させる非現実と現実のリンク」「二つの斬る(切る)は比喩として実は成り立っていない」
高田「よく想像した。刃を研ぐシーンまで想像される」
※要約のみ
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▼▲要約▼▲ |
※日計表のみ
支出1300/収入1100
▼13.0[②059]
/負債 100
[前日累計]
利益 -/負債 482
四月二十八日(天)
0742 南門小吃部
陽春麺(小、湯)
肉燥飯(小)370
0931阿宗爌肉飯
爌肉飯(小)、猪腸湯(小)280
1541 荘家 原汁牛肉面
原汁牛肉面400(1050)
[本日合計]
支出1300/収入1050
▼13.0[②060]
/負債 250
[前日累計]
利益 -/負債 732
四月三十日(二休)
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予報ベースで既に恆春は、高雄と最低気温は同じだけれど、最高気温は4度高い〔日本気象協会〕。つまり寒暖差が大きいわけで天気も変わりやすいと思われます。
かくして本日も、午前中は雨がちらしい。市内にあてて、午後に隣町を狙うことにします。
あと、昨夜から入らなかったWiFiは、朝ふと思いついて三階のに(部屋は二階だけど)同パスで入ってみたら接続できました。
朝の「発想の飛躍」が解決に繋がることは多い。夜のお悩みはデータだけ収集しといて、朝の脳味噌でまた考えるのが生産的なようで。
0730連泊の花野井から出発。西へ向かう。花野井対面に二軒、裏に一軒早點屋営業中。さらに先の店へ。
0742 南門小吃部
陽春麺(小、湯)
肉燥飯(小)370
麺は湯と乾の選択。
陽春麺の麺はまあ普通だったけど、この上の肉は、貴陽のアレとは全く違って、意外にも甫田のブヨブヨ肉に似てました。汁の、出汁というよりシェンツァイの香とのマッチも素晴らしく、これが肉と合う。
肉燥飯のタレも凄まじく、調度よい。臭みも軽みもフワッと白飯を包む。好い早點でした。
朝から汗が吹き出てる。Tシャツにしてるんだけど……?これ、気温のせいでしょうか、食べ物のせいでしょか?
0807。この西、「待って」の前から既に城壁跡があります。高さは3mほどか。ちなみに等咧粉圓「待って」の隣はChytto gelato、さらに隣がSHAKA ALOHAとぶっ飛んでる。この筋の雰囲気もいい。0815
洋葱旅居の南裏の城壁に沿う小径へ。元の城壁面もところどころ露出してるけどかなり補修されてます。
0824福徳宮門口に出る。そのまま門をくぐる。
猴洞山とある公園のような場所の南縁の道を進……みかけて、福徳宮後方の高台が気になり寄る。0829
駐車場脇の樹下に、元は祠だったような場所。その隣から階段が登ってる。
ゴツゴツした岩場。宮真裏の、やはり祠があったような場所に出るもそこからは進めない。0832
宮からは給水タンクとパイプが伸び、明らかに現在は拝まれてないけれど、明らかな祭壇らしい石積みがある。
しかし──ここは城壁の内部すぐです。加えて南門でもない。宗教的な中核だったにしては妙な城郭設計です。地学的にはここが海岸線の岩場だった可能性はある。ただ航行の目印になるほどの高所でもありません。色々と半端な場所なのです。
午前は天気が崩れるはずが強烈な日差し!
0845涵洞という案内。
恆春縣建城之時,因地勢東高西低,而圍築城池之後,則誠如一瓮。企湫便積雨行潦故於西門至南門處開築ニ涵洞; 南門至東門處亦開築ニ涵洞,其用意之便於宣池風積水也。為現今只存一涵洞,即西門之第一涵洞。此涵洞自清光緒元年年底(公元1875年)築成迄今一百三十三年餘,其功用尚倶仍有排水功能。(略)〔案内板〕
確かに今もポコポコと音を立ててます。
──ただ、案内文には一言もない風水の面は、おそらく居民又は統治者の観念上はあったでしょう。
0858西門手前から上を歩けるようになってました。
西門脇にも宮。廣宇宮と扁額に書いてあるらしいけれど……ただ降りれない!
この宮も福徳宮から続く岩場を背にしています。言い換えると福徳宮と廣宇宮とが岩場の終点始点に築かれている。
西門
目前西門門楼於日治大正年間折除,只剩立面的雉堞和門洞。昔日是恆春城的商区。城門南側有「禁自儘圖賴碑」,乃於光緒2年頒布,主要敘述禁止民眾自儘圖賴他人的法令和罰則。〔案内板〕
この案内板の上が「閩南磚」Southern Fukien Style Brickと書いてある。──これは北門にもありましたけど、福建のと言い切れるのかどうか、素人には判断がつかなかった。
0916セブンから右折、中正路を南東行。福徳路を左折すると一気に市場っぽくなりました。0927
0931阿宗爌肉飯
爌肉飯(小)、猪腸湯(小)370
三枚肉はともかく豆皮とインゲンが旨い。ホルモン汁もなかなかではありました。
──どうも、この観光地では無名の勢いある店が楽しめるように思えます。
1001北門路を左折北行
急に賑わいが絶えました。
まっすぐに小山。
家屋も閑散としてきました。鳥の声だけ清らかに響く。
清清之家。
1011鳥居?
1013北門。高い。5m近いか?交通標識には2.1mとあるけど。
隣に戦車。
登って東門まで歩いてみる。
北門東の煙突と出丸のような場所。北はほぼ山です。1022
城壁にはところどころ出っ張りがあり、おそらく東西南北だけの単純な構成ではなかったと思えます。1024
え?
幸い天気予報通り日も陰ってきました。西門まで歩くことに。でも北門の上でしばししゃがみ込む。
西門までの城壁ラインは最も直線。でも西門前で途切れてました。
恆春昔稱「瑯嶠」,牡丹社事件後沈葆楨奉命来台,建議在国境之南設縣建城,加強統治。因感此地四季如春,於是命名「恆春」。〔案内板〕

西門位於猴洞山旁,猴洞山據説是龍脈所在、附近寺廟林立,居民多半聚集此区。〔案内板〕
なお、西門的座向問題というのが記述されてます。「西門的座向並不朝西、反而偏向北北西」というもので幾多の伝説があるという。
1053西門外へ。
1101 85℃
美式珈琲(中)
一休み一休み。
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