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海まで行ってみる。犬が一匹砂浜。背中を砂でかいている。
少し時間を潰そう。
(36)
0852橋を渡り東隆街へ右折東行。
綿が舞う。
0858東港陣頭飯湯──が何か「还没開」とヘラヘラ笑っていう。時間未定というので諦めることに。角を曲がった──
0904東隆街の名も無い店
虱目魚肚粥280
何か客はいないけど──ただし持ち帰りは山のように来る──一昨日からどうも雰囲気的に気になってたお店です。
野菜に芋の千切りが入ってる?シェンツァイはやや控えめでモヤシが多い。
車海老と小エビ、カジキがほんの少し。あとは──虱目です!はっきりと美味い!
ただこの魚は、こういう濃い出汁は出さないみたい。だから魚肚湯は単独で入ってるんだと思う。──いわば台湾魚料理のソルロンタンです。
0928YouBike返却。
スタバでアメリカーノ。
519路1021輔英医院発南州行
711路1030も
ただ輔英医院BTが二つあるぞ?
東側の方でした。喬米家の対面。日に6便しかない。帰って来れるのか──というのはどうにかなるのでしょう、知らんけど。
1014。待つ。やや涼しい。ワンアクション毎に汗だくになってしまう。
1022信じ難いほどほぼ定刻に来ました。
あれれ?土地銀行を通る……いや通り過ぎるらしい。停まるバス停がかなり少ない、つまり快速線のようです。
代天府で降りるか!
スタバ前で左折北行。これは……中正路で右折西行。へえ、まだランタンが両側に続いてます。
涼しい。
1029バス停・安泰医院。やっとランタンが消えました。
1031内関帝。気になってた土地ですけどあまり変わりばえしない。
のんびりした田舎道になりました。全くの平地。
1033右に入る。山西何とかと表示。右に福徳宮。左車窓は田んぼ。
1037慈恵医専。右の敷地を巡る。日本の公立病院の感覚です。
1038番子厝。次ですけど……いいのかこんな田んぼの真ん中で?
直前で町に入りました。
──実は、この地点から東、火車站(鉄道駅)までが南州、というか渓洲の一番の町並みでした。この格差は、おそらく圍なような構造を感じさせます。
1044南州代天府下車。やはり悠遊卡は下車時に当てるらしい。でも市内バスの場合は中ほどのドアにも読み取り機がありました。前から無理に降りようとするので運ちゃんに失笑されました……。
すぐ横が南洲代天府。ここは対面で女性一人が劇をしてる。
扁額は「渓洲代天府」。14行中中央4行。
右聯「瑞氣自氤氲地利神靈長欽徳澤」
「代佑邦畿尊崇廟貌荘嚴興四海」
左聯「天懸日月耀神光赫濯庇千家」
「清香騰馥郁民安物盛共仰恩風」
左手前壇は中軍府。背景は金の麒麟。さっきと同じ兵隊13人。神体は文字か、手前の幟のようなものか。
右壇は無記銘ながら女性像。註生娘娘でしょう。
中央御神体は長髭黒顔。上部の扁額は「瑞清宮」。
左壇は福徳正神。
左奥に神輿。出巡があるらしい。
右手前は池府千歳。これだけは文字オンリー。
ここは裏手がありました。右から太歳殿、大千歳王駕、文昌帝君。
二階に媽祖があるらしい。普通は行かないけど登る。
六行中中央のみ。
右聯「復旦續年豊神崇媽祖仁安四境」
左聯「興家欣國泰龕祀金身顯庇群黎」
横手に炊事洗濯場、手前にMUJI紙袋。
その洗い場に「渓洲代天府沿革」あり。
「福建瑞淸縣奚口人氏」の創始。今の場所へは清末に商人の妻が急病になったところ祈ると治ったことから遷移したとあるけれど、どこからとは書いてない。
1126東の五叉路から勝徳路へ北行。
T字路を左折。そのまま道なりに川・渓洲渓へ。1135
川へのT字手前に眞元宮。T字にはガジュマル。1140
右折、橋へ。東隣に東面する社・渓洲福徳正神。ガジュマル樹下をそのまま祠で包んでる。
香、茶碗三つが供えてある。ポエまであります。
宮を背に渓洲渓を一枚。1148
ここの先で川土手をブルドーザーが工事してました。そこへ水鳥が何十羽と、なぜか寄ってきていて、ショベル間近に何度も舞い降りてたのが印象に残ってます。自然破壊反対の団体さながらでした。
表札の表示が「園寮村」になりました。
南州路二巷へ左折。三太宮。1156
扁額は民国辛亥年とあるけれど「玉旨 南◯安 三太宮」とある。
右聯「南鎮屏山高殿守」
「望安鯤海靜波瀾」
「三爺廣學仙法」
左聯「太乙眞傳聖道經」
「南闢地盤開聖訓」
「望安仁義振網常」
右壇三柱。背景不詳。1205
左壇六柱。背景不詳。1206
中央は手前八柱、後方前列七柱、後列御本尊含め五柱の計20柱。上方彫刻も樹脈のように冥く凄まじい。
でもチーズ(起司)スナックが好きらしい。
ぽっぽと声がすると思えば、隣と後方が鳩小屋らしい。宮とは関係なさそうだけど。
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あっ充電器忘れて来てる!
あと27%。機内モードに変換。1220▼▲
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