※南门媽祖宮→位置∶高德地图

金南水鎮という岩は2017年設置。
▼▲1351なかなかないな!台風圏大雨下の媽祖参観!▼▲
……上写真は、三進構造なので祭壇の屋根の前に露天の中庭があり、そこに滝のような雨が降ってるとこです。もちろん宮内は無人。


左右に媽祖漫画大全。

右壁に福徳正神。絵と神像。

左壁に迦藍尊神?知らないなあ。1356

右壁奥に元帥公。黒の顔、お二人。

左壁奥に水仙大帝。髭四本、赤ベルト。1359
左右殿なし。左右には従神でなく文官。

手前壇に二人、向かって左手はなぜか黒の顔。かなり台湾香港一般と異なる。媽祖は一体。表記は扁額、中の絵ともに「天上聖母」。
虎爺居わさず。

扁額の「本社弟子」というのは何を指すのでしょう?マンガにもその名がある。
1411やらされてる感の管理人が戻る。隣の住居に雨宿りに戻ってたらしい。その居留守に一人で見て回れたことになり、ラッキーではありました。
1413退去。雨がまた小降りになったので場所を確認しよう。
入口右聯「金浦綏城坤靈両岸聖母」左聯「南天水鎮澤波衆生海神」

東の脇を今の雨で溢れそうになってる水路が流れる。1415
東対岸は岸の石積なし、畑。堆積地の可能性あり。

金炉二基はいずれも新しい。
ad.田仔墘55が管理人居室。集落の初番でもない。周囲の対聯にも媽祖が読み込まれてない。そもそもこの集落には大厝はなく多くは解放後の家に見える。

どうも、2000年頃まで事実上放置されていた場所のように感じられます。
あと、公厠あり。

橋の東から回るしか博物館への道はないらしい。川東岸を北へ。
西岸の建物は再開発で撤去中。

集落。社語玉言箴という、大雨の水で近づけない祠。どういう神名だろう?立ち退きを拒んでる集落に見えるけど──?

1440。ad.湖浜南路48
出口の道を黒い鶏が横切る。これは吉か不吉か?

1444万新幼児園の入った高層建物。

隣のビル奥にclubのピンクの灯火。1448

麦市路延長点でいきなり街に還る。本日は麦市路とは逆に左折、博物館へ。1452
漳浦县博物馆 漳浦县湖西路西湖公园内(东侧)
0800-1200 1500-1800 開館
1459今日初めての客らしい。つまり午前中は誰も……。登記のみ、ゼロ円。ちなみにトイレは「開不了」なので管理人用のを貸してくれました。
2007年6月漳浦古雷半島的紅四島海域内発現一艘古沈船、打撈上来的船内瓷器類 似広東古沈船”南海一号”的出水物。2010年5月、省水下考古隊員於漳浦南碇島付近海域発現南宋古沈船、打撈出水的100多件文物、以碗、碟、盤等小瓷器為主。由此可見、漳浦海域正是当時重要的海上貿易通道。〔案内板〕
──やや論理的に飛躍はしてるけど、07沈船と10沈船が出土元である。ただしそのどちらかの表示はないらしい。
石塞窯址位於石榴鎮山城村石塞自然村南側的小渓辺、分布範囲約1000平方米。創焼於元代〔案内板〕


1519東晋青釉瓷盤口壺

1522明三彩瓜棱瓷水注
[四/夕]宛井窯址位於沙西鎮北旗村[四/夕]宛井自然村、面臨漳江入海口的下塞碼頭。生産年代主要為北宋。〔案内板〕

1530漳浦陶瓷並発展歴史/窯址分布
1987年7月「明万暦38年(40年賜祭葬)明戸、工二部侍郎戶維禎墓」から算盤発掘。世界で最も早い時期の算盤とされる。たたしその展示はない。
1540算盤展示写真


1543紫砂壺多量伝入閩南地区初期的印款

1547旧鎮港原是漳州歴史名港──敦照港
1989年、漳浦県文化部門対位於漳浦赤峰畬族郷的清乾隆23年藍国威墓進行了搶救性的清理、共清理出了小朱泥壺、”素心”標簽的茶葉、錫茶葉罐、”若琛珍蔵”款白釉杯(略)説明了乾隆年間、流行於閩南地区的工夫茶俗已経形成〔案内板〕

1557清小錫罐-清素心茶葉
史料ではなく考古学で文化的流行を示すのはなかなか骨ですけど、一応史料も探してるらしい。ただ直接的とは読めない。

1602閩瑣記等関係部
※中國哲學書電子化計劃に収録なし


漳浦賓館から2路とする。対面北の好[走/日][走/月]玩具店の西側路地に入ってみるけど人目が結構ある。また雨足早まる。帰ろう。
1638 対面の店「千衣千尋」が千と千尋をパクったギャグの店名だとやっと気付く(→画像)。それにつけても2路が来ない。
真後ろで一秒おきに手を叩いてるオバチャンがいる。何をしてるのかチラチラみるけど、単に雨で客がなく暇らしい。だからって真後ろでやるな、と視線を向けようとすると、暇過ぎて目がイッテるらしく、怖くて放置する。
見渡すと、そんな感じで通りをただ眺めてるヒトが沢山ある。雨は手近な麻薬ですね。
1700になったら諦めよう。今日は2路の来ない日だってことで。はい、来ない日でした。東行。本日も「歩いて帰ろう麦市路Ⅱ」を敢行しました。
1757 キングストンでシャワーにありつく。
かくして本日は、BTG曰くの初代漳州、二代目漳州を視認できました。視認といっても、漳浦県文化部の方が頭を悩ましているとおり──第三者による一次史料・東方見聞録に記される泉州のように、実証のない漳浦を「海絲之路」(海のシルクロード)のハブ港に位置付けるのは非常に難しい。ただかなり濃厚に状況証拠があるだけです。あえてそれにより推測すると──最初に現・旧鎮ありき。外航の交易が大きくなると、外寇の害から、特に役所系は海賊が攻めにくい内港に移る(漳浦)。つまり旧鎮-漳浦は、後代の厦門-漳州(月港)の関係に相似します。なぜ前者ペアが後者ペアに交代したのか個人的にはピンときませんし、まだ説得力のある説を読んだことがない。大体、旧鎮-漳浦の関係がどうだったのか実証がないので、考える価値も普通は薄いと考えるでしょう。


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〉〉〉〉〉参考資料
/漳台民間信仰
URL:http://www.nanchens.com/xqxx/xqxx30/xqxx300/xqxx30013.htm
/漳州掌故大全‧第二輯‧開漳史話
URL:http://www.nanchens.com/xqxx/xqxx30/xqxx300/xqxx30022.htm
/漳州掌故大全‧第六輯‧地名與考古‧上
URL:http://www.nanchens.com/xqxx/xqxx30/xqxx300/xqxx30029.htm
※上記佚名 2012いずれも 來源:互聯網 永春小岵南山陳氏宗親網 當前位置:首頁 » 鄉情鄉訊 » 漳州 »
(びいて)BTG城郭都市研究会/福建省 漳州市 漳浦県
URL:https://www.iobtg.com/Cc.Zhangpu.htm
(りん)林建东「漳浦史前文化及古代民俗初探」漳浦县政协文史研究员
URL:https://special2.rhky.com/mobile/mooc/tocard/608850697?courseId=200542482&name=57C084AA9A3EC50C8D91973A2D92EC4F84B9BDE42B4B9374DD143238A3830B90D53EFABA5B17762AFA0FCB888FE2B08E4461927E1B90AC3E&code=&next=1&appId=1000&_from_=&user_token=123&DSSTASH_LOG=&UID=&_uid=&fid=&vc3=&_d=&uf=&_industry=
参考資料▼▲
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