外伝17-092 木を伐れど影の遺るか津の小路/天津駅,鞍山路

▲天津駅。南広場,地下鉄入口あたり。

中国で乗車直前に切符買うなんて!

点站,天津站」とアナウンスを告げたバスは,ロータリーを反時計回りに回って止まりました。1028。古式ゆかしい発着所です。
 しかしデカい駅じゃ!地上部がシンプルな分,地下構造が発達してるらしい。台北駅みたいな印象です。

▲広場から南方の景観

こ…だよな?
 中国の駅は,「售票処」と書かれたチケット売り場と「候車処」とか矢印のある乗り場が併立してることが多い。
 天津站のチケット売り場には,X線の荷物チェックがあるのか?──と思ってたら,どうやらこの売り場の左右から乗り場に繋がってて,そのまま乗車できるようになってる。つまりここでは,乗車直前に切符買う,という過去の中国ではありえない行動形式が既にシステム化されてるようなのです。

▲城際列車の自販機の行列

京へのチケットをゲット。1049。
 明朝8時半発。北京入りは9時過ぎとなります。
 ただ,列車番号の一文字目のアルファベットが,GではなくCになってるけど──いいんだろうか?
 售票処の隣に京津城際取号処 Automatic Intercity Train Booningというところがあってすごい人ごみになってる。おそらくはこの京津城際が「C」ナンバーだと思われます。

後味の彗星,虚無の音韻しんしんと

▲包子

上の風光が美しい町です。バスで南行できないかな,と探してみたけど,何か物凄く混んでる。
 やむなく地下鉄へ向かう途中,地下のフードコートを見つける。「津門老字号 名特优美食街」と掲げられた文字に惹かれつつ,どーせこんなとこ,と半信半疑で覗いてるうち──入ってしまったのがここ。
1119包子津味水餃
猪肉三鮮包
鶏蛋湯18元370

▲どアップ

~あ,これは頭切り替えて水餃もありだったかなあ。
「狗不理」の天津,というイメージから頼んでしまったけど,地元っぽい常連さんは普通に店名のとおり餃子頼んでます。
 肉の後味がやはり彗星の如く尾を引く。味覚の層としては上澄みに味が集まり深層はやや空白で,けれどこの層に虚空の音が響くような──ってやはり何のことか分からんね。
 卵スープも,海苔と卵だけなのに深い。上層の香りに加えて何かが存在するのにそれが何なのか──
 今から思うと,おそらく八角の使い方が絶妙なんだと推測するんですが…。

▲地下鉄のホームにて

~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m本編の行程:Googleマップ(経路)~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m~~~~~(m–)m

紅白のおめでたい地下鉄で鞍山路へ

号線に乗車。1156。
 3駅で营口道。1号乗換で一駅,鞍山道を目指します。
 1駅目は津湾広場。昨日の朝鮮銀行のすぐ北へ出るらしい。
 1208,营口道で乗換。やはりこの1号線の紅白の車内は印象的です。

▲「伊勢丹」と当たり前に表示を出されると,やはり一瞬驚く。

山道駅のB出口から地上へ。1218。
 朝,バスで通った時に,どうも地元チックな賑わいを感じた場所です。
 总医院站。東側にはマクドあり。でも…おっ?その隣の,やはり東側の道端の行列は何じゃ?

鞍山路のドB級グルメ地帯

▲鞍山駅直上あたりの行列

列の行列は,どちらもエラく汚ちゃない風雅なお店に続いてます。後で調べても,それぞれそれなりに有名なお店らしい。特に「江南大包」は北京でも拡大中のチェーン。
 ただ,中国人は一般的に節操がないミーハーですから,行列の長さをクオリティと混同しない方がいい…と学んできてます。
※ 百度百科/江南大包(教子胡同店)(北京)(中国語)
朕毅林面食厅

▲鞍山路の小景

れより?
 その向こうに,この行列を物ともせずにパラパラとだけど客足の絶えない店舗がある。
 店頭から,言うに言われぬ貫禄が漂う。
1228津五福西点
紅豆酥,拿破仑蛋糕300→現物画像

▲隣の餅店「津五福西点」へ

豆酥」は,日本のお饅頭とはかけ離れてますけれど,中国の「酥」(中華クッキー)としては最もポピュラーなもの。かなり端麗な甘味でした。
 さて問題は──「拿破仑」。
 見栄えしない,何か汚そうな直方体の塊を,何人かがやたら迷いもなく買い込んでいくので,つい手を出したんでした。
 食べてビックリ!ウェハースの間にマシュマロが挟んである??
 これは何?あるいは何を作ろうとしたの?
 中国語のピンイン(発音記号)はna1po4lun2──「ナポルン」でした。さて,何だったと思います?→巻末小レポ:拿破仑の謎(解決編)

何と小気味よい節操のなさ!

▲「鍋盔」の店で行列にも関わらず値切ってるおばはん

山路のこの界隈というのは,こういう地場系の名店が並ぶ場所なんでしょうか?
 先の行列店と津五福西点の間にも,妙に客が出入りしてる場所がありました。
 しかし,店というより──単にドラム缶があるだけなんだけど??
「鍋盔」という名前が掲げてあるメニューにおる。その場で調べると,インドナンらしい。このドラム缶はタンドール代わりで,そこで焼いたナンもどきに色々味付けをしてるようです。
──とその時はスルーしたんですけど,これも実は興味深い,あるいは悔しい一品だったんであります。→■小レポ:「鍋盔」グオクイの謎(真相編)
 ちなみにこちらのピンインはguo1kui1。

▲南京路を越えて北へ

山路は,しかしこのB級グルメ地帯より南にどうも魅力を感じなかった。
 やはり北へ進もう。
 1240,南京路を渡る。ホリデイ・イン──その先には何と魏家涼皮がある!──その北には,「正宗雲南大理寺过橋米銭」,「馬利英比薩」,「日式簡餐定食大西屋」が並ぶ。雲南ビーフン,ピザ,日本風定食──何と小気味よい節操のなさ!

[前日日計]
支出1500/収入1770
負債 270/
[前日累計]
     /負債 499
§
→九月二十二日(六)
[91八里台回顧行]
0931津味 張記包子舗
猪肉包
高湯雲呑8.5元370
1119包子津味水餃
猪肉三鮮包
鶏蛋湯18元370
[92天津駅,鞍山路]
[93鞍山路からハルビン路まで]
1228津五福西点
紅豆酥,掌破仑蛋糕300
[64四平東道を南行]
1728老津味・牛肉飯
紅焼牛肉餐550
[95万全路黄昏行]
[前日日計]
支出1500/収入1590
負債 90/
[前日累計]
     /負債 409
§
→九月二十三日(天)

■小レポ:「拿破仑」ナポルンの謎(解決編)

 大陸中国の簡体字ではどうもヒットがなく,諦めかけてた。最初,一文字目を「掌」と勘違いしてたこともある。
 三文字目を繁体字で書くと「侖」。クンルン山脈の「ルン」です。つまり読み(ピンイン)は「ナポルン」。
 この「拿破侖」で調べると,途端に,有名なあの胃の痛そうな人がバンバンとヒット。
 ナポレオン・ボナパルト。
 なるほど。ナポレオンで菓子と来れば,ミルフィーユのことです。
 租界地図と重ねるとこの辺りは旧フランス租界の西端。→17-081:推定租界マップ
 おそらく,フランス語のミルフィーユの意味の「Napoleon」から来たと推測するのが妥当でしょうけれど──この実際の菓子はミルフィーユとはかけ離れ過ぎてます。この老舗が独自に「咀嚼」した果てにこの形になったものでしょうか?
 なお,ナポレオンはミルフィーユを食べたことはないと推測されている。ミルフィーユが考案されたのは1867年,パリとされる。ということは,「ナポレオンがお好み」伝説が,ナポリ→ナポレオンと連想された後でイメージ的に生まれた可能性が高い。
 にしても,wikiの言う「ミルフィーユを当初はナポリタンと呼んでいた」というのは,偶然にしても不気味な呼称です。
※ wiki/ミルフィーユ
「ナポレオン
日本において苺のミルフィーユを指す「ナポレオン」ではあるが、「ナポレオン」を通常のミルフィーユの名称として使う国も多い。
例:フランス(Napoleon)、ロシア(Наполеон)、オーストリア(napoleon slice)、ポーランド(napoleonka)、スウェーデン(Napoleonbakelse)、香港(広東語拿破侖)、イラン(ペルシア語شیرینی ناپلئونیNâpel’oni)等」
「語源は、元はイタリアの都市であるナポリのフランス語形容詞変化ナポリタンとしていたのが、フランスの皇帝として活躍したナポレオン・ボナパルトに掛け合わせるために変化させたことから来ている。」
※ 旅するお菓子/ミルフィーユの誕生の由来|ナポレオンも好きだった?
「ミルフィーユはフランス皇帝ナポレオン・ボナパルトが好きなお菓子だったといううわさが出回っていたそうです。実際、英語でミルフィーユはナポレオン napoleon ともいうそうです。」
※ 随意窝日誌/Mille feuille/Napoleon 拿破崙蛋糕(香港のミルフィーユ紹介記事)

■小レポ:「鍋盔」グオクイの謎(真相編)

 当時の調べでは,インドのナンが中国アレンジされたもの,という理解でしたけど──調べた結果分かったのは,これは列記とした中国産。
 と言っても,源流はインド・チベット系の地域らしい。民俗として根付いてる場所として甘粛省の名があるけれど,この辺りでしょう。
 それが拡大した経緯には,伝説として,唐代の説がある。則天武后(在位690~705年)の時代と言うから7世紀末頃ですけど,自分の稜墓(乾稜)を作るための多数の動員者が,ろくな炊事道具も時間もないもんだから,簡便なパンを「頭盔」(ヘルメット)で作って食べた。だから「鍋盔」と呼ばれる,というのがある。──陝西省の乾州鍋盔は,この乾稜のある場所の産。
 もう一つの普及説は,はるかに下って清代の同治年間(1861~75年)。新疆の征服戦時に軍糧にしたというもの。1941年の中華民国の蘭州・チベット侵攻時に,というものもある。
 けれど,現在のような商業規模の普及は経済解放後のようです。それは北京でウケてから全国に展開した,という流れらしい。
 となると,やはり分からないのは,この鍋盔がどこの料理だったのか?という点。ここは諸説言いたい放題で──台湾では「湖北鍋盔」と言われてるし,西安名産ともされる。作りやすいという点で,軍役や動員の度に各地に広がって行ったもので,今となっては甘粛からの拡大路は分岐し過ぎて追う意味がなさそうです。
 さて形状ですけど,甘粛の原型はシンプルでインドのナンにそっくり。西安や鄭州にあった干馍は,ほとんどこれに近いらしい。羊肉饱馍の「馍」もそうでしょう。
 今,天津や北京でウケてるのは,これに小豆あんや唐辛子ソースをつけたもの。日本の「ナン・ドック」に似た感覚です。
 台湾の方のプログで胡椒餅や牛舌餅にそっくり,と書いたものがあるけれど,あるいはそれらも波及形かもしれない。
 こうなると──最初に「中国産」と書きましたけど,中国起源かインド・チベット起源かを択一できるものではないように思えます。そうではなくて…古くは中東,インドからチベット,中国にまたがる「ナン・馍」食文化圏のようなものがあった。それが各方面で独特の普及を経た後,現在,北インドや中東では主食のままだけれど,南インドが米文化に侵食されたように,中国では主食としてやや押されながら多分岐化した,というような図式が実態に近いのではないでしょうか。
▲「鍋盔」でググると山ほど出て来る各地の名物鍋盔画像

※ wiki/鍋盔
「鍋盔是陝西、甘肃及湖北等地流傳已久的民間小吃,类似于馕。鍋盔整體呈圓形,直徑約一尺左右,厚1寸,重量約5斤。」
「相傳武周(唐武則天)時期,官兵為武則天修建乾陵時,因工程鉅大,大量民工需要忙碌工作,且工地無烹調用具,所以官兵以頭盔為炊具來烙製麵餅,故取名鍋盔。」
「・材料:麥麵精粉、麵粉
・用具:壓秆
・製法:以淺鍋將材料慢火烘烤至外表斑黃,再切成塊狀,可見切口砂白,口感香酥,可久存,為民間日常小吃。」
※ 口袋吃吃五十咩/台南 永康下午點心晚上宵夜新選擇-大家一起來吃「盔」,涮嘴度滿點好滋味 台南市永康區|湖北鍋盔
「原來鍋盔是湖北的在地小吃」
「有點像是餡餅、胡椒餅、牛舌餅的綜合體」
※ 百度百科/锅盔
「锅盔(英文:guokui),又叫锅魁、锅盔馍、干馍,是陕西省关中地区以及甘肃省武威地区城乡居民喜食的地方传统风味面食小吃。」
「锅盔源于外婆给外孙贺弥月赠送礼品,后发展成为风味方便食品。」
「省外人编成的顺口溜“陕西十大怪”中,有一怪为“烙馍像锅盖”,指的就是锅盔。关中较为著名的有乾州锅盔、泾阳锅盔.武功县锅盔、长武县锅盔、岐山县锅盔,扶风县锅盔,凤翔县锅盔,西和锅盔。」
「锅盔是西北陕西、甘肃、宁夏、青海、新疆等地的民间小吃,尤其在陕甘宁青地区流传已久。」
「人常说,“乾县有三宝,锅盔、挂面、豆腐脑。”汝州的锅盔是深受大众喜爱的面食,张庄、广育路南口、西关、东关都有很好的摊点。」
「陕西锅盔的制作可追溯到商周时期。相传周文王伐纣时锅盔就被用做兵士的军粮,在陕西西府一带,至今还有一个锅盔品种叫“文王锅盔”。」
※ 每日頭條/鍋盔:靜寧特有的舌尖文化
「鍋盔,又名大餅,是靜寧縣特有的地方名優小吃,因其獨特的製作工藝與風味聞名於世。」
「鍋盔發明於何時,已無從考證。」
「清朝同治年間,靜寧州回、漢人民以加工、經銷鍋盔為生,並形成一定的規模。清同治十年(公元1871年)大清名臣左宗棠出兵新疆,經平涼來靜寧駐兵20天,因靜寧鍋盔經久色形不變、氣味醇香,命令士兵購買作為軍糧,以備行軍打仗用,這樣靜寧鍋盔就傳入河西走廊、新疆一帶,名揚絲綢古道。1941年,民國元老於右任先生來靜寧省親,曾把鍋盔作為當地特產專門攜帶。在解放蘭州和西藏的著名戰役中,靜寧鍋盔又是支援西進大軍的主要食品。上世紀50年代,靜寧鍋盔還在蘭州、北京展銷過,得到了良好評價。可見當時靜寧鍋盔加工、銷售已有相當的規模。改革開放以來特別是近年來,靜寧鍋盔的加工、銷售在規模、數量、質量上達到鼎盛時期,日加工、銷售鍋盔約2000個左右。」
※ goo blog/中国グルメ/西安—乾州名物料理①鍋盔
「乾州は乾県の古い言い方です。乾県は西安咸陽市に属しています。一番有名な観光地は則天武后の墓「乾陵」です。」
「西安のいろんなところでは、鍋盔を主食として、毎日食べる家庭があります。」
「普通唐辛子の味噌をつけて、鍋盔を食べます。」

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