本編の行程:Googleマップ(経路)
西へと再び歩き出したものの,かなり疲れが出てきたようです。何か,当時のメモには,道の名前しか書いてない感じになってきております。
「1804四平東道を越えさらに西へ
1806鞍山道越える。北に消防署
1808万全道站
万全道を左折南下」
光の魔術のような下町:万全道
1 三徳里〔和平区唐山道〕GM.
2 寧夏路〔和平区同名〕GM.
3 恒和西里〔和平区同名〕GM.
4 楊福萌路〔和平区同名〕GM.
5 四平東道〔和平区同名〕GM.
6 万全道〔和平区同名〕GM.
小さな洋館が目を引きます。
租界地図を開けば,今は分かることです。この辺りはまさに日本租界の中心。そして,それ以前には天津老街だった場所だったんでした。
本格的に日が暮れてきました。
闇が忍び寄るとともに,再び昨夜の天津の夜の美しさが町を彩り始めます。
この通りで,この時間を迎えられたのは一つの幸せでした。
この万全道も,南北には長いけれど,両端ともやはりT字になって途切れてます。そしてそこから右折した次の道も──
大衆浴池の門前町か?:蔡哈尔道
1 三徳里〔和平区唐山道〕GM.
2 寧夏路〔和平区同名〕GM.
3 恒和西里〔和平区同名〕GM.
4 楊福萌路〔和平区同名〕GM.
5 四平東道〔和平区同名〕GM.
6 万全道〔和平区同名〕GM.
7 蔡哈尔道〔和平区同名〕GM.
それにしても,ふとした拍子に現れる小さな家屋の佇まいの美しさ,これは何なんでしょう。
1815。天津華僑医院が北西角にあるT字を右折東行。蔡哈尔道に入ると,こんな小店が目に入ってきました。でもちょっとディープそうだな。
蔡哈尔道は,歩かなかった西側を入れても3百mに満たない。うち歩いたのは百m少しです。
写真を3枚撮ってます。
この道の雰囲気は,他の何にも例えにくい。荒れてるのか,潤いあるのか,判別できないけれど,とにかく往来が絶えない。
ところで──この通り名は何?と帰ってから調べると,これもまた味わいありました。→巻末小レポ:蔡哈尔とは何の名か?
鞍山道に出た。1821。
T字にぶつかった箇所の光景を,思わず「え?」と二度見する。
澡友大衆浴池とある。つまり銭湯である。
覗きこむと番台みたいなのが見える。造りがあまりにも,なので日本時代の名残としか個人的には見えなかったんですけど──ネット等でのヒットは皆無。
北上。
1826。完全に陽の落ちた河南路を東行。
光の魔術のような下町です。
美しい。
河南路の曲がり角は,济南駅西エリアでそうだったように、角地が丸まった構造になってました。
1829江南糕点のある十字路。そのまま東行。
ここの市場は夜もいい。
ただ写真には明暗が強すぎて写せない。
とメモりつつ撮った写真は,結構いい味出してるでしょ?
▲イーオンから漏れるネオンに黒光りする「津」ナンバーの乗用車
錦州道。1836。錦清真鍋貼前を通過。
その先を北行。広告屋の並ぶ通り。
1840,河北路ライン。そのまま北上。
モールの高架下くぐる。空には満月までもう少しの月。明日明後日は中秋なのか?
まだ開いてました。
1903bruno caffe
意式濃縮珈琲(双)20元
いやあ歩いたなあ。これだけ異界的な道が現れると,次元を跳躍するような距離を感じます。跳躍したことないけど。
▲同じくハルビン路の夜の光景。この「特別特」とは何のことだろう?
四半世紀前,ある区間の路地に迷いこんだ。あまりの風情に立ちすくんだ。
あの映像に導かれた,というのが今回の天津再訪でしたけれど──あの区間が見つからなかった代わりに,恐らく同じような形で残ったエリアを幾つか見つけられました。
これらの道は,数年先には無くなってるかもしれません。けれどその影は,その時にも,また別の像で残っていくのだと思います。
▲津五福西点の「拿破仑」ケーキ→17-092小レポ参照
支出1500/収入1770
負債 270/
[前日累計]
/負債 499
§
→九月二十二日(六)
[91八里台回顧行]
0931津味 張記包子舗
猪肉包
高湯雲呑8.5元370⇒
1119包子津味水餃
猪肉三鮮包
鶏蛋湯18元370
[92天津駅,鞍山路]⇒[93鞍山路からハルビン路まで]⇒
1228津五福西点
紅豆酥,掌破仑蛋糕300
[94四平東道を南行]⇒
1728老津味・牛肉飯
紅焼牛肉餐550
[95万全路黄昏行]⇒
[前日日計]
支出1500/収入1590
負債 90/
[前日累計]
/負債 409
§
→九月二十三日(天)
■小レポ:察哈尔とは何の名か?
※ 百度百科/察哈尔省
「察哈尔省,建于1912年,中国旧省级行政区,简称“察”」
「清朝时期称”张垣特区“。民国二年(1913年)设置察哈尔特别区。民国十七年1928年改置为省。」
「民国二十二年(1933年)长城战役之后,日军越过长城,向华北渗透,并于该年春占领察哈尔部分地区。」
※ 維基百科/察哈尔省 (中华民国)
「首府 万全县1928-1947
张垣市1947-1948
历史 – 成立1928年 – 废除1948年」
「省名由来 以察哈尔部蒙古命名。」
※ 康熙事典「厄魯特清初,我國蒙古分篇三大部:蔡哈爾蒙古(漠南蒙古〉、喀爾喀蒙古(漠北蒙古)、厄魯特蒙古・・・」
※ 内蒙古民俗网/察哈尔八旗 2018/03/10
「因溯历史可见,历史上蒙古民族察哈尔部在今天乌盟区域广袤的大地上繁衍生息演变至今已近三百三十年。明朝末年,察哈尔部是漠南(今内蒙古一带)诸蒙古部落中较为强大的一支。」
0914博多→ソウル(泊):1初泊
0915仁川→(泊):1 市場まで ⇒ 2 南大門 ⇒ 3 新村・仁寺洞 ⇒ 4 Happy Hanjoong Ferry
0916→烟台→青島(泊):1 烟台 2 青島初泊 ⇒ ⇒
0917青島(泊):1 青島駅 ⇒ 2 海水浴場 ⇒ 3 金口路 ⇒ 4 龍華路 ⇒ 5 平原路 ⇒ 6 黄島路 ⇒ 7 観海山 ⇒ 8 中山路 ⇒ 9 河北路 ⇒
0918青島→青州(泊):1 青島駅へラストウォーク ⇒ 2 青島駅~青州古城(7特別編) ⇒ 3 夥巷街 ⇒ 4 東門大街 ⇒ 5 清真寺の雨 ⇒ 6 偶园街~帰路 ⇒
0919青州→済南(泊):1 南陽河渡る ⇒ 2 昭徳街目指す ⇒ 3 昭徳街~青州離脱 ⇒ 4 济南入り東関大街行き ⇒ 5 泉城まで南西行 ⇒ 6 世茂国際広場の造形 ⇒7 素食,济南駅帰宿
(間奏)金盾胡同
0920済南(泊):1 西門~省府 ⇒ 2 起風橋街~曲水亭街 ⇒ 3 后宰門街~県西街手前 ⇒ 4 県西街~省府再び ⇒ 5 省府~将軍廟街 ⇒ 6 启明街~西城根街 ⇒7 周公祠街~楽安街 ⇒ 8 济南駅~j4w7 ⇒ 9 J4w10からの帰還 ⇒
0921済南→天津(泊):1 天津ハルビン路まで ⇒ 2 ハルビン路熱干面 ⇒ 3 天津鼓楼 ⇒ 4 解放北路まで ⇒ 5 解放北路から帰着 ⇒
0922天津(泊):1 八里台回顧行 ⇒ 2 天津駅,鞍山路 ⇒ 3 鞍山路からハルビン路まで ⇒ 4 四平東道を南行 ⇒ 5 万全路黄昏行 ⇒
0923天津→北京(泊):1 天津発北京東四行 ⇒ 2 胡同1/10=瑠璃厂街へ南行 ⇒ 3 胡同1/10=瑠璃厂街前迷走 ⇒ 4 胡同1/10=瑠璃厂街を南へ ⇒ 5 胡同2/10=八大胡同清真寺 ⇒ 6 胡同2/10=八大胡同実験小学 ⇒ 7 胡同3/10=西交民巷 ⇒ 8 胡同4/10=東交民巷と教会 ⇒ 9 胡同からの帰還 ⇒
0924北京(泊):1 胡同5/10=烟袋斜街火神廟 ⇒ 2 胡同6/10=帽儿胡同 ⇒ 3 胡同7&8/10=南锣鼓巷&菊儿胡同(前・後) ⇒ 4 胡同9/10=国子监街 ⇒ 5 胡同10/10=金魚胡同&王府井 ⇒ 6 胡同真=東四四条,柳芳行 ⇒ ⇒
0925北京→関西:帰国行